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診察室のイスに座り、映し出されている画像を見て、またまたビックリ!…「昭和」の病院だと思っていたのに、映し出された私の腎臓は、なんと、立体画像…3D映像と言うのでしょうか、私の体内の左右の腎臓が、まるで、暗黒の宇宙に浮かぶ地球のように、キラキラと回転して、360度観察できるようになっています。「うわぁ、最新の画像だ!」と、心の中で大興奮✨「左の腎臓に、小さな石がありますね。」と、クルクル回転する3Dの画像を見ながら、万波先生が、指摘します。(血液検査くらいでは分から
もうひとつ、印象に残っている光景があります。次の検査を待つ間、廊下の椅子に座っていると、ドタドタと、白い長靴をはいた男の人達が、担架で、仲間を運んで、診察室の中に、入って行ったのです。この病院は、宇和島の海沿いにあり、白い長靴をはいた人達も、漁師さんか、魚の加工業の方だと思われます。同業者が、ケガをしたのでしょうか…救急車に搬送を任せるのではなく、担架に乗せて、仲間を病院に連れていく…ドラマのワンシーンのようで、衝撃的でした。「ナツメロ」だけではなく、ここに
なんといっても、驚いたのは、この無機質な検査室に、音楽が流れ出した事です。それも、昭和のナツメロ!!気持ち悪さも忘れ、思わず、噴き出してしまいました。舟木一夫の「高校3年生」都はるみの「北の宿」北島三郎の「函館の人」…おお!ワタシ的には大ウケ、拍手喝さい!!こんな地下の無機質な検査室に、一日いたら、神経が、病んでしまうから、こんな音楽を流しているのかしら…と、思ったのですが、そうではなく、『30分間、台の上に横たわる患者さんからのリクエスト』だった
腎シンチグラフィー検査室は、地下にあって、機械に囲まれた、雑菌を遮断するような、寒々とした、無機質な空間でした。CT検査と同様に、台に横になって、注射されたのですが、この時、生まれて初めて注射されたアイソトープに、身体が、反応しました。突然、「気持ち悪さ」が襲って来て、「吐きそう」な状態に、なってしまったのです。注射をする時、「何かありましたら、お知らせ下さい。」と言った、検査技師は、近くにいません。(結果的には、近くにいなくて良かったのです。検査中断となり、腎
診察室の奥に手招きされ、看護師さんに、「お水を2杯飲んでください。」と言われて、何の検査用なのか、訳も分からずに、紙コップに入った水を、飲みました。「美味しい味の飲み物じゃないのに、突然2杯は嫌ですよね。」と、笑いながら、中年看護師さんは、2杯目のコップを渡してくれました。『何故、コップ2杯の水を飲むのか?』後日、調べて、判明しました。左右それぞれの腎機能を、精密に調べる為に、γ(ガンマ)線を出す放射性薬品を、体内に注入する訳ですが、その際、尿が生成されやすくし、腎
翌日、朝から私は、腎移植のドナー検査の為に、様々な検査室を、巡りました。前年の肝移植に続き、2度目のドナー検査です。殆ど同様の検査を、繰り返しました。血液検査・尿検査・CT検査・エコー検査・心肺レントゲン検査・肺活量検査etc.…その中で、最も重要と思われるのが、〈腎シンチグラフィー検査〉でした。【腎シンチグラフィー検査とは】体内に放射性医薬品を投与して行う核医学検査の一つで、腎臓への血の流れや、濾過能力などの、腎臓の働きを調べる検査。腎臓の大きさや位置などの「形
今日は、2018年(平成30年)4月28日4年前のこの日、病院の外は、新緑の瑞々しさと、植え込みの花々の、絵の具を振りまいたような色鮮やかさに加え、ゴールデンウイーク直前の高揚感に満ちていましたが、私たちにとっては、「命を懸けた勝負の日」となりました。この頃、食欲はもちろん、体力も無くなった夫は、歩くことも覚束なくなり、院内、車椅子生活に…『肝硬変末期の腹水』は、抜いても抜いても、とどまることなく全身を膨張させ、『肝硬変末期の肝性脳症』で、おかしなことを口走るように
また、『人工透析の方が安全』というのも、『手術は危険』というイメージとの組み合わせに因るもので、一概に正しいとは言えません。人工透析は、「腎不全を治す医療行為」ではなく、「延命治療」に過ぎません。確かに、今すぐには亡くならないでしょう。ですが、『10年後に、3分の2近くの人工透析患者が、(長期透析の合併症などで、)亡くなっている』という現実があるのも、(表立っては公表されていませんが、)事実です。それに、〈移植〉と〈透析〉とでは、当事者及び当事者家族の〈精神性〉や〈
看護師さんとも話をしました。『先生は、用事でどんなに遅くなっても、宇和島に戻り、翌朝、患者を診る』のだと、博多出身の、人懐っこい若い看護師さんが、教えてくれました。「この病院は、万波先生を頼って、全国から患者さんが集まるけん、万波先生の病院や。」と言うと、彼女は不思議そうな顔で、私たちに、こんな質問をしました。「肝移植で敗血症になり、死にかけたのに、何でまた、腎移植をしよっとぉ?」…なるほど…看護師さんでも、『一度、痛い目に遭ったんだから、人工透析の方が、安全な
(話を元に戻します。)次に、万波先生は、夫の現在の体調と、服用している薬を、メモしていたのですが、免疫抑制剤のネオーラルの服用量を知ると、「えっ!?そんなに少量なの?」と、驚いています。そういえば、大学病院泌尿器科のS医師も、面談の中で、「腎臓は、肝臓よりも、たくさんの免疫抑制剤を、飲む必要があるんですよ。」と、説明していたっけ…どうやら、肝臓に比べ、腎臓は脆いので、多めに服用するようです。(夫の場合、安定服用量は、肝移植の時には、ネオーラルを一日、140mg
それにしても、【恐るべし】です!あの日の一部始終を、目の当たりに見聞したのは、たまたま病室にいた、私だけ…遠く離れた東京の大学病院で起こった異変など、知るよしもない医師が、「おかしい」と、きっぱり、医療処置の不手際を、指摘したのです!患者にとって、拠り所となるはずの〈病院〉患者家族からは、『病状が急変しても、入院しているから安心』と、絶大な信頼を寄せられている〈病院〉…つくづく、病院という医療機関は、両刃の剣そのものだな、と思いました。肝硬変末期の夫に、高度な
続けて、「おかしいですね。」と、はっきり、疑問を呈しました。「緑膿菌には、きちんと効く薬がありますから、緑膿菌感染で、生涯、人工透析にまでなる事はありませんよ。」…そう明言する万波医師「えっ!?」今度は、私が、心の中で驚きの声を上げました。先生の「おかしいですね」は、患者にではなく、明らかに、医療側に向けられた言葉でした。『適切な処置を、適切な時に、行っていれば、生涯人工透析になどなるはずがない。』…万波先生の「おかしいですね」は、こういう意味だと思われます
「この方が、万波先生か…」初めて見る万波先生は、小柄で、顔も体も贅肉がなく、とても74歳には見えません。日曜日なのに、(いえ、日曜日だからこそ、)腎移植病棟患者の様子を、こんな時間に見回っていることに、驚きました。「ハシモトさんが人工透析に至った経過を、教えてください。」と言って、紙とペンを取り出してきました。(看護師さんによると、万波先生は、パソコンを使わず、昔ながらに、紙とペンで情報収集しているそうです。)私は、(それまで、沢山の関係者に何度も説明している
「ご主人に腎臓も提供されるなんて、すごいですね。」…素直に、ジーンとしました。対立しなくてもよい医師、に出会えて良かった、…そう、思いました。6時近くになり、夕食の案内がありました。この病院の食事は、昼と夜、2つのメニューが用意されていて、選択したメニューを、数日後から提供してもらえるとのこと。この日は当日なので、選択できず、でしたが、温かい食事が、ナースステーションの前に並び、名札の置かれたトレーを受け取って、二人で、「美味しいね」と言いながら、食べました。前回
やっと、「遠いけど、フジに行きよるしかないか…」と言われて、(地元スーパー)フジのある、宇和島駅方面に向かって、歩き出しました。夕方とはいえ、ギラギラの宇和島の陽射しは、強烈で、往復1時間の買い物を終えて、病室に戻った私の顔は、真っ赤っかでした。フーそこへ、宇和島病院で初めて出会う医師が、入ってきました。60代後半と思われる、小島医師です。「優しさ」が溢れるような、ホッとする方です。(あとで知ったのですが、この方は、2006年に突然起こった万波先生へのバッシングの嵐の
身の回りの世話をしてくれる介護士さんが、レンタル病衣を持って来て、「この大きさで良いでしょうか?」と、夫の分を置いて、去ろうとするので、慌てて、「あの、私の分は…?」と聞くと、「病衣は、入院患者さんのみに貸し出されるものなので、今回、奥さんは、付き添いという扱いですから、病衣は用意出来ないんです。」「えぇー!?そうだったんですか…」そんな違いは、分かる筈もありません。「パジャマかロングTシャツでも、買ってこなくちゃ!」と、病室を飛び出しました。飛び出したはいいけれど
腎移植が決まって、慌てて取り寄せて読んだ、高橋幸春さんのノンフィクション。この本…〈日本移植学会の欺瞞を告発する渾身の書〉に描かれていた、『万波医師への、患者たちの深い信頼』……ここにも、ひとり…本の内容を思い出しながら、「本当だ…」と、再確認する私でした。2時間あまりで、病院に到着。病院は海沿いに建っているので、磯の香りが漂ってきます。日曜日なので、正面玄関から中へ入っても、ロビーはガラン…閑散としています。受付に行って、入院手続き書類に記入した後、3階の、腎
四国の内陸部は、思ったより、ずっと平地が少なく、ミカンの産地だけあって、柑橘系の樹木が、斜面に植えられ、中には、夏ミカンでしょうか、大きな果実が、たわわに枝にぶら下がっている光景は、愛媛ならでは…!🍊ゴツゴツ岩が突き出た、急流の川や、山の斜面に展開する、段々畑…広々とした平野など広がっていない、内陸部。ここには、未だ、開発関連の話は無いようで、それどころか、人口流出→過疎化→高齢化→限界集落という、『地方の消滅危機』と背中合わせの(置き去りにされ、それだからこそ、
夏の四国は、この日、雲一つない快晴…☀空港ビルの一階に降り、建物の外に出て、「病院のお迎えは、何処かな?」と、空港のリムジンバス周辺や、タクシーの並ぶ車列を、キョロキョロ見回してみます。建物の中に入ると、〈宇和島徳洲会病院〉と書かれた四角のプレートを、両手で持った男性が、立っています。慌てて駆け寄り、「今日は遠い所を、本当に申し訳ありません。」と、挨拶すると、その男性は、「こちらです。」と言って、乗用車に案内してくれます。真夏のギラギラする日射しの中を、わざわざ、
そうこうしているうちに、ジェットスターという派手なロゴの入った飛行機が到着、…乗り込むと、満席状態。近年、就航便が増加しているLCCは、運賃が、大手航空の半額(どころか、セール期間などは、大手の20%以下にまでディスカウントされる事も…)なので、飲み物や軽食といった機内サービスは、当然ながら無く、機内販売用の軽食メニュー表(カップヌードルや、ホットケーキ、パン、コーヒーなど)が、座席の前ポケットに挟まれています。「カップヌードルを機中で食べる」というカジュアルさは、
ジェットスター航空のフロアで、予約番号を発券機に打ち込むと、航空券が2枚出てきました。そのあと、荷物検査の為、ベルトコンベヤーの上に、自分の荷物を載せます。夫は、2本のペットボトル検査を受け、未開封のものはOK、薬を服用する為に開けたペットボトルに関しては、「これは何ですか?」「水です。」という応答をしてOK。…たくさんのハサミやカッターナイフが没収されたビンが、検査台に置かれていたので、「ひげ剃り刃も引っかかるのかな?」と、一瞬思いましたが、これは大丈夫でした。
平成27年8月23日この日は朝から快晴で、早朝に家を出て、成田空港に向かいました。JR日暮里駅で、京成電鉄に乗り換えると、大きなスーツケースを引いた若い人達が、乗り込んで来ます。日曜なので、通勤客のいない成田行きの電車は、ゆったりと座れます。首都圏の電車は、よく人身事故などで遅れるので、時間に余裕をもって、早めの電車に乗ったのですが、…早く着きすぎました。一時間半も前に到着…空港第2ビル駅から、(LCCが発着する)第3ターミナルまで徒歩15分との情報…移動するのに
入院準備が始まりました。入院生活に必要なものとして、(前回の肝移植手術時の体験を踏まえ、)蓋付きコップ、洗濯物干しロープ、壁やベッドに引っ掛けられる半円形(←ここがポイント)のピンチハンガー、そして、タオルは、手で絞ってピンチハンガーに干しても、すぐ乾くようにと、速乾性がウリのマイクロファイバータオルを、何枚も購入しました。(ですが、これは実際に使ってみて×でした。速乾性がウリの分、吸湿性がなく、水分を拭き取ってくれない使い勝手の悪いタオルでした。)夫は、(おま
最後に、痛切に感じたのは…修復腎移植に可能性を見出した医師達は、意識的にせよ、無意識的にせよ、〈安心・安全・トラブル回避〉を金科玉条にして患者に接している移植医からの批判を承知で、(それでも)苦しむ患者を救おうと、奮闘している人達…彼らは、患者の側に立った医師だ、という事でした。そして、その直感は、嬉しいことに当たっていました。…このように、事前に、万波先生を予習(?)出来た事で、ますます、8月23日の宇和島行きが楽しみになりました。一方、無尿になってしまった夫には
ここで、「修復腎移植の存在とその内実」を知った時の、私の感想を、記しておきます。まずは、「なるほどなあ!リサイクルならぬリユースの発想で、(ドナーもいないし、体力も落ちて苦しんでいる)腎不全の患者に、何とか生きる希望を持たせようという事なんだ。すごいアイデア!」と、斬新さに、驚くやら感心するやら…そして、この発想は、医療現場で、真摯に患者と向き合ってこないと、出てこない「起死回生の妙案」だとも感じました。次に感心したのは、「生体腎移植と異なり、ドナーが不要だから
《この言葉の背景》「私達は、人工透析で苦しむ患者をずっと診てきている。何とか助けたい。何とか苦しみから救ってあげたい。でも、腎移植をするにも、ドナーが圧倒的に不足している現状では、限界があるのは、はっきりしている。」…こうして、万波医師はじめ「瀬戸内グループ」の医師達は、修復腎移植に踏み切り、彼らに共感する広島・岡山・香川の病院からは、腎臓の提供がありました。ですが、そうした現場のひたむきな努力は、(〈思考停止〉に陥り、〈ヒステリック集団〉と化した)マスコミや医師会
《この言葉の背景》主に、万波医師が行っていた『修復腎移植』に関する検証委員会の調査は、「結論ありきの感があった」為、堤教授は、多くの疑問や異議を投げかけましたが、その主張は、報告書には載せられないまま、「全員一致で否定」と報道されてしまいました。堤教授は、「委員会の結論は、病理医として、とても納得の出来る理由ではなかった。」と言って、他の委員の牽強付会ぶりを指摘しています。堤教授は、修復腎移植患者たちの生存率が、(通常移植よりも、年齢・健康状態が劣るにもかかわら
…アレ?この知事の名前、見覚えがある…と思ったら、愛媛県今治市の獣医学部新設を求めて、長期間、奔走し、昨年、「加計学園問題」がクローズアップされた際に、前知事として、国会証言をしていた方でした。国会証言の様子も、凛とした態度で、歯切れの良い明確な言葉で、(マスメディアの)「どうせ裏があったに決まってる」的憶測を、きっぱりと否定していました。2007年当時の、加戸守行知事の強烈な反発がなければ、宇和島圏の医療を担う、大切な2つの病院も、そして、日本の腎移植の歴史
《その1》2007年当時、愛媛県知事だった、加戸守行氏の言葉「何を理由にどんな措置をとるのか、重大な問題なので、国は慎重に考えてほしい。仮に指定取り消しがあれば、絶対に許さない。断固、国を相手に闘う!訴訟や、(或は)厚労省が県に求める義務を、一切拒否するかもしれない。その覚悟の上で処分をしろ、と言いたい。」《この言葉の背景》日本移植学会幹部の、「修復腎移植は、絶対に容認できない医療」という、過剰な攻撃を、鵜呑みにした厚生労働省などは、2007年から翌年にかけて
…話を戻します。高橋幸春さんが、10年にも及ぶ取材で、明らかにした、修復腎移植の真実の姿…【透析患者を救う!修復腎移植】にしても、その後発行された、【だれが修復腎移植をつぶすのか、日本移植学会の深い闇】にしても、読み進めると、…事実は小説より奇なり…『苦しむ患者の為に奮闘する』万波先生、はじめ、瀬戸内グループの医師達が、あろうことか、「とんでもない医者」として糾弾され、窮地に追い込まれていく様子が、次から次へと描き出され、真実を知らされた読者(私)の内側から、沸々