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この構図は、先述の、『病気腎移植に関する学会声明』を読めば、明らかです。当時、〈悪者〉に仕立て上げられたのは、『病気腎移植』という、新たな道を切り拓いて、ドナー不在で苦しみ抜いている、腎不全患者を救おうと、尽力してきた、現場の医師たちでした。中でも、万波誠(まんなみまこと)医師は、「悪魔の医師」とまでののしられ、徹底的に、叩きのめされました。マスコミも世間も、この構図を信じ込み、万波潰しに明け暮れました。結果はどうだったでしょうか?皆さんご存知のよ
そんな野村さんは、長い間、「修復腎移植の正当性」を、裁判を通して、訴えてこられたので、「修復腎移植が広がって欲しい」というスタンスで、修復腎移植の中心になってこられた、万波先生たちの頑張りを、期待していました。ですが、私は、修復腎移植に用いる摘出腎臓の、急激な減少と、高齢の万波先生(昨夏の時点では、万波先生が急逝されるなんて、夢にも思いませんでした)をはじめ、修復腎移植の経験のある、ベテラン移植医の高齢化、更には、次世代の修復腎移植医が、育っていない、など
野村さんの血液型は、B型。奥さんの血液型は、A型。B型の野村さんの体内に移植された、A型の奥さんの腎臓は、僅か一週間で、摘出されることになってしまったのです。その時の、野村さんの絶望の深さと、奥さんへの申し訳なさを思うと、何度、思い返しても、切なくなります。「私のは、犠牲フライやったね」と、ポツリと呟いた、奥さんの言葉も、忘れられません。…そんな絶望状態の、野村さんの胸中を察して、移植主治医の万波先生が、「摘出された腎臓があるんじゃが、ダメもとで、移植し
命の恩人である移植医の万波誠先生が先日亡くなられました。81歳であったということ。日本人男性の平均寿命とはいえ私たち患者にとってはもっともっと生きていて欲しかった。先生との思い出が走馬灯のように駆け抜けて行く。医者と患者として33年移植医とコーディネーターとして6年の月日を共にさせていただいたその中で万波先生が「キリスト教会」について話されていたことを覚えている。ウィスコンシンに留学されていた時のことコーディネーターのボブホフマンに誘われて街の教会に行ったことがあっ
ドキュメンタリー番組でしか見たことがないが、万波誠先生の訃報が土曜日の中日新聞に掲載されてた。中日新聞では、病気腎移植となっているが立場によって使う言葉が違う。この言葉は、いわゆる病気腎移植に反対の立場の人が使うようだ。賛成の立場の人は、修復腎移植という言葉を使う。『日本の腎移植はどう変わったか①』子どもたちが本棚やクローゼットの整理をして、いらなくなったものをBOOK・OFFに売りに行くために荷物持ち要員としてついていった。持ち込んだものの査定中に店内…ameblo.jp『日本の腎移
≪修復腎移植、レシピエントとドナーの募集開始≫厚生労働省が2019年1月に承認した、「修復腎移植の先進医療としての臨床研究」に関して、申請者である徳洲会グループの体制が整わず、実施が遅れていましたが、このほど、同グループのホームページを通じて、臨床研究のレシピエントとドナーの募集を始めました。修復腎移植の内実については、このブロブでも何度か言及しているので、割愛しますが、…時間的な空白が長過ぎました。2007年に突然、厚生労働省が出した、『修復腎移植の禁止
最初の登場人物である大島伸一先生は、名古屋の中京病院から名古屋大学の教授になった人で、登場してくる病院や大学が名古屋近郊だったので、とっても親近感が湧いた。修復腎移植が社会問題化したときの日本移植学会の理事長が田中紘一先生(京大で生体肝移植を多く行った)、副理事長が大島先生だった。腎移植の問題なので、まず大島先生の歩みを追うことで腎臓移植の歴史を振り返っている。大島先生は、最初に赴任した中京病院で生体腎移植を行ったが、その道はイバラの道だったようだ。しかも、どれだけ実績を上げても
子どもたちが本棚やクローゼットの整理をして、いらなくなったものをBOOK・OFFに売りに行くために荷物持ち要員としてついていった。持ち込んだものの査定中に店内を物色していたら、腎臓移植に関する興味深い本を見つけた。それが、『60年代から日本の腎移植はどう変わったか修復腎移植再開まで』(高橋幸春著、2019年3月20日発行)という本だった。定価1800円が337円になってて、しかも査定のときに50円オフの券をもらったので、税込315円になった。本の帯から引用すると、『腎不全が死を意味した
昨夜のETV特集「“悪魔の医師”か“赤ひげ”か」見ましたか?12年前に腎臓がんで取り除いた腎臓を修復して移植したと言うことで問題になった万波誠先生。当時このニュース聞いたときはなんて事する先生や!!!と、思った私だけど透析になった今透析患者からするとたとえガンがあった腎臓でもちゃんと修復して普通に動くのなら私だって移植してもらいたい。立場によって言う事、思うことが変わるのは仕方ない。現にこの私も思うことが変わっている。この万波先生は透
ウトウトから目覚めて、次に気が付くと、10mほど離れたベッドに、誰かがいます。万波先生が、入って来て、「ハシモトさん、バッチリやね!」と、明るい声で、夫に声掛けしているのが、聞こえてきます。良かった…バッチリだって…そりゃそうだ!神の手、万波先生が、執刀してくれたんだもの、成功するに決まっている…一方、私のベッドには、長身で寡黙な城間先生が、来ました。「先生、皮膚の癒着はありましたか?」(去年4月の生体肝移植手術の際に、胸から右側のお腹にかけて、L字型に
平成27年9月2日、とうとう念願の生体腎移植の日!昨夜9時以降は絶飲食でしたが、この程度の制限など、普段の定期検診でもよくあることで、少しも苦になりません。朝から、若い男性看護師が来て、手首の上部に点滴の管を挿入し、点滴が始まりました。続けて、「これをはいて下さいと言って、差し出されたのが、白いひざ下ストッキング…血流が悪くなるのを防ぐ為に、何日間か、はくようです。よく薬局で売っている、『足のむくみに効く靴下』に、似たものです。正式には、「弾性ストッキング」と言うそ
私だったら、どうするだろう?…絶対に片腎をあげたい…から、その思いを汲み取ってくれる移植医を、捜し求めるだろうなあ。そうして…やっぱり、万波先生の所に行き着くのかな。…ふと、そんな事を考えてしまいました。「ところで、先生が、右50で、左46って言ってたよね。〈右腎〉をあげることになった、という事は…ジャーン!〈腎機能が良くて、石無し〉の方が、貰えるよ。」と、私、「いいよ、俺は、〈石付きで、機能の悪い〉方が、いい。」と、浮かない顔の夫…レシピエントの立場上、申し
(移植に関しても、)医者の言いなりになっていたら、私たちの人生が、台無しになってしまう…!移植の道が閉ざされても、自分で調べて、自分で道を切り拓こう、と決めて、様々な移植に関する知識を、吸収しました。夫は、腎機能に関して、こんな事も言いました。「ドナー希望者の中には、片腎の機能が、30台前半でも、摘出する人がいるんだって…」この言葉を聞いて、一年半前の、肝移植のドナー検査の事を、思い出しました。あの時は、〈35%ルール〉に苦しめられたっけ…娘たちは、〈33%〉と〈
続けて、小島先生は、明日の腎移植手術に関して、ドナー(私)への説明を始めました。「当初は、〈左腎〉摘出を考えていましたが、〈左腎〉に石がある事が分かり、〈右腎〉摘出になりました。」「仮に、〈左腎〉を移植してしまった後に、小さな石が原因で、何らかの処置が必要になった場合、下腹部に移植された腎臓をいじって、不都合が生じるのを避ける為に、〈右腎〉移植に、切り替えます。」「奥さんの方には、石のある〈左腎〉が残りますが、移植をしなければ、小さな石があったって、何の支障もありませ
〈夕方、医師から、ドナー手術を受ける私への説明がある〉と、言われていたので、その前に、(明日から暫くできない)入浴をしようと思い、誰もいないお風呂場で、溢れるほどのお湯に浸かり、いい気分になって出て来ると、移植コーディネーターの男性が、「先生がお待ちです。」と、捜しにきました。慌てて、ビショビショの髪をタオルで拭きながら、先生の居る部屋に、飛び込みました。待っていたのは、一週間前に、「すごいですねえ」と、優しく私を肯定してくれた、小島先生。今回も、小島先生は、こんな
腎臓は、後腹膜という、奥深い場所にあり、〈左腎〉を摘出し、移植に使うのが、一般的とされているようです。何故なら…〈右腎〉の上には、肝臓があるため、〈右腎〉は、肝臓の下にギリギリで存在し、〈左腎〉より、低い位置にある。また、下大静脈が、体の中心より「右」に走っている関係で、〈右腎静脈〉よりも、〈左腎静脈〉の方が、長い。言い換えれば、〈右腎静脈〉は、〈左腎静脈〉の三分の一程の長さしかないので、下大静脈と〈右腎〉が、かなり接近している。これらの理由で、〈右腎〉の摘出手術は、
翌、9月1日(手術前日)夫は、明日の腎移植手術前の最後の「人工透析」を受けに、7階の透析室へ、行っています。私は、毎朝、病衣を持ってきてくれたり、シーツを替えてくれる介護士さんと、親しくなりました。まだ25歳なのに、男のコ2人の母親。この病院の上の階には、託児所があって、そこに、0歳児の二男を預けて、働いているとのこと。…宇和島弁で喋る介護士さんや看護師さんとのやり取りは、(元々健康な)ドナー患者の楽しみです。特に追加検査もないので、午後、外来診察が終わって、ガラ
ドナーの入院は、お産の入院と重なる部分が、多々あります。お産は、『新しい命を産み出す』ドナーは、『命を救う』…世界中で、今日も沢山の命が、誕生しているけれども、今、目の前で、オギャーと泣いている赤子は、自分にしか産み出せなかった、唯一無二の存在。…臓器移植手術も、毎日、世界のどこかで、多数実施されているけれども、自分の傍らで、死に繋がる苦行を続け、辛い日々を消化(?)している夫を救えるのは、私しかいない。【案ずるより産むがやすし】という、お産にまつわる諺も、正に、
メニューも、昼と夜は、選択制で、私の所にも、来週からのメニュー表が、届きました。「わあ、どっちも美味しそう。両方食べたいなあ。」夫は、選択しなかった方のメニューになってしまった事が、ありましたが、「美味しかったので、却って良かった」と、満足しています。私も、(病院食のイメージを払拭する)食事なので、食事が楽しみで仕方がありません。肝移植の時は、切除するのが、消化器系の臓器なので、〈流動食〉から〈絶食〉、さらに〈下剤〉〈浣腸〉…と、食事とバイバイの日々を、課せられて
「あいにく、大部屋がいっぱいなので、個室を用意させて頂きました。」との、看護師さんの言葉…「かえって、嬉しいし、助かります。」と、ホンネの返答…今日から、10日程度の入院ですから、一日の個室代金が、3240円なら、気兼ねなくおしゃべりも出来るし、個室の方がいいな、と思っていたのです。早速、病衣(今回は、入院なので、病院の病衣を、借りることが出来ます)に着替えて、夫とおしゃべり。食事は、入院したばかりの私の個室で食べよう、という事になり、二人で、旅行気分の夕食会
(みかん魚の続き🐟+🍊)そういえば、この間、回転寿司のネタで、なんと、〈宇和島産みかんブリ〉を、見かけました。いよいよ、メジャーデビューか!ヤッタね!こんな風に、宇和島、という文字が目に入ると、「ナニ!?うわじま?」と反応するようになった私。気分は、はやくも、『宇和島応援団』…またまた、おまけ話ですが、宇和島の観光スポット、と言えば、〈宇和島城〉宇和島は、「伊達10万石の城下町」と言われ、仙台藩の伊達政宗の子、伊達秀宗が、宇和島藩初代藩主として、宇和島城に16
駅舎を出て、人の往来の無い商店街を、歩きながら眺めると、『宇和島の特産品』が登場!!まずは、〈真珠〉…宝飾品に疎い私は、〈宇和島真珠〉が有名だとは、この時まで、知りませんでした。真珠(パール)って、オールマイティな宝石で、老いも若きも、不思議と似合う…結婚式でも、お葬式でも、どのシーンでも、大活躍する『優れもの』ですから、ひとつ「宇和島産」を購入してもいいかな、と、思っています。次に、〈じゃこ天〉〈かまぼこ〉〈鯛めし〉…のお店、あまたある海の幸の中でも、じゃこ
松山行きの飛行機が、かなり遅れそうな気配を感じつつも、ここはまだ〈成田〉〈宇和島〉は、はるか彼方…先ほどの女の子達の会話が甦り、不安になります。「ドキッもしかして、2時間も待たされるの!?宇和島には、いつ着けるんだろう?さすがに、今日中には病院に辿り着くよね、」と、夜の到着も、想定したのですが…結局、この日は、30分遅れのフライトで済み、助かりました。LCCのジェットスターを、一週間で3回、利用して分かったのは、①乗車率がとても高く、空席が殆ど見当たら
慌ただしい一時帰宅を経て、8月31日、再び、(今度は私一人で、)腎移植のドナーになる為に、宇和島へと向かいました。一週間ほど前に、夫と2人で乗った飛行機ですから、同じ時間に、家を出て、同じ電車に乗って、空港第2ビル駅で降りて、15分間歩いて…と、繰り返していたら、通路に、何やら、見覚えのある機械が…『あ、スポットクーラーだ!!』一年前、夫が退院するというので、熱中症対策にと、慌てて買った、スポットクーラー。家の中で使うには、不便で、車で引き取りに来て下さった人工
再び、宇和島に向かうまでの5日間、冷蔵庫に、留守中の食料を、詰め込んでから、しばらく家を空ける旨を、親しい人達に、知らせました。「えっ、またあなたが、ドナーになるの!?」「2回もドナーになって、健康でいられるの?」「実は、腎移植の方もしないのかしらと、思っていたの。」…反応は、様々です。「万波(まんなみ)先生が、引き受けて下さった。」と言うと、「以前に、ドキュメンタリー番組で見た。」とか、「新聞に載っていた白衣姿を、覚えている。」…へえ、そんなにマスコミで、取
松山空港は、悪天候の余波で、飛行機の発着が、大幅に遅れています。可哀想だったのは、『大阪伊丹空港行きの最終便』どうやら、伊丹空港は、夜9時を過ぎると、(騒音の関係でしょうか、)着陸できないようで、「その場合は、関西空港へ向かいます。」という、アナウンス…不便な関西空港くんだりまで、夜、連れてこられて、そこから、又移動…大変そう、気の毒…などと、思っていた私ですが、私の搭乗する飛行機も、遅れに遅れて、成田空港から帰る電車があるかな、という状況。昨夜に続き、再びドキドキ
各駅停車で止まる小さな駅は、どの駅名にも、「伊予○○」と、「いよ」が、接頭語のようにくっついていて、「ここは愛媛」を、実感させられます。途中から、海沿いの光景が、広がります。瀬戸内のきれいな海!…と言いたいところですが、昨日からの荒れた天気で、海も、どんよりとした灰褐色の濁った海です。それでも、瀬戸内海は、波立ちが無く、遠くに見える島々に、泳いで辿り着けそうな、やすらぎを感じます。日本海側の、荒々しく、何処までも水平線しか見えない海を見てきた私にとって、瀬戸内海は
パジャマ姿の夫が、「待ってるからね」と、腎移植手術2日前の再会を楽しみに、いつまでも手を振って、見送ってくれます。夜の飛行機まで、時間がたっぷりあるので、宇和島から松山まで、(特急が通る、内陸部の内子線(うちこせん)ではなく、)予讃線(よさんせん)別名:愛ある伊予灘線を通る、一日に数本しかない、『各駅停車の旅』をする事にしました。電車は一輌、トイレもなく、ワンマン電車です。ガラガラの鈍行列車が、動き始めると、単線の線路の空中にまで、生い茂った雑草を、電車が、掻
検査や面談を終え、夫の個室に戻ると、一つ心配な状況が、ニュースで伝えられています。…『暴風雨』です。検査翌日の最終便で、私だけ、松山空港から飛行機に乗って、一旦、自宅へ戻る予定でしたから、気が気ではありません。看護師さんによると、風が強い時には、瀬戸大橋も通行止めになるので、列車で、本州に渡ることも出来ないとか。…初めて知る、四国の交通事情、夜通し、ニュースを聞いていると、九州発着の空の便は、続々運航休止。半分、諦めていたのですが、朝になっても、松山ー成田便の
さて、ドナー検査OKが出た時、思いきって、万波先生に、こんなお願いをしてみました。「先生、免疫抑制剤についてですが、サーティカンを、夫に使って頂けないでしょうか?」近年、腎移植用にも許可された〈サーティカン〉という薬には、他の免疫抑制剤に比べて、腎障害の副作用が少ないと、専門書に書いてあったので、ダメもとと思い、言ってみたところ、「使いましょうか?」と、思いがけない返事!「ただ、まだ、エビデンスがないからなあ。」と、思案顔…結局、(腎移植を知り尽くした)万