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最終回!前回の織田巨大化から。織田は最後に使用と思っていただけに残念。とりあえず、尾張付近にあった織田家領土は、周りに強力な家臣がいたのでさっさと攻め取った。久々に大規模の銭湯をしたけれども、このシステムはなかなかおもしろかった。敵が鉄砲隊だらけになるととたんにクソゲーになるけど。鉄砲隊は1~2部隊が適正だと思う。それ以上いると、攻め側はめちゃくちゃ面倒くさくなる。ちなみに、国崩には家臣に国崩しを装備できる家宝を渡すか、出撃地点に南蛮街に商会のある所で出撃すると国崩になるようだ。
ラストが近い。ということで、九州は島津に任せて、こちらはひたすら東北で戦闘を行っていた。伊達と南部はしっかり兵力を蓄えていたので、なかなか倒せない。ってか、攻城戦がめちゃくちゃ面倒。鉄砲をたくさん蓄えられてしまうと手も足も出ない。ということで、大砲を使おうと思ったのだけれども、その頃に長尾景虎ゲット!やっぱり蘆名の領土にいたか。蘆名はすでに滅ぼしている。これなら、大分楽に戦えるはず!大友にも軍神持ちが一人いたから、大友も滅亡させておけば良かったかなぁ。鍋島も立花も持っているか
浅井と朝倉に手を焼いている所から。……なんか、朝倉家は義景が討ち死にしていて、姫武将が当主になっていたんだけれども……?戦争仕掛けて初めて気がついた。ともかく、浅井を滅ぼすべく、朝倉足利浅井をひたすら攻撃し続けた。で、大友に朝倉を攻撃させていたのだけれども……あ、姫武将討ち死にした。……宗滴は寿命で死んで、なんか関係ない武将が朝倉家を継いでいた。もしかしたら、名字違うだけで一門かもしれないけれども。あの時代は他の豪族や大名の所に養子に行っていることも多いし。どちらにしろ、ダメージ
いろいろと終わりが見えてきたと思っていた所から。足利を傘下に入れたことによって日本の大半を勢力下におくことに成功した所で、大友と決戦……と行きたかったけれども、隣接している領土がないせいで決戦ができない。仕方がないので、足利と朝倉を大友にけしかけながら兵力を削っていって、一気に攻め取る作戦で行く。ちなみに、長尾景虎はまだ来ていない。年数は確か1561年だったと思う。いろいろと印象深い年だったから覚えている。シナリオスタートが1551年だから、10年でここまで来れたのか……なかなかす
長尾家を倒した所から。しばらくは何事もなく、楽に進められると思っていた。目下の問題は、蘆名家をいつ攻撃するかだけれども……と思っていたら、なんか足利家が中心になって、対里見家同盟が組まれた。内容は、足利義輝に対して、松永久秀が里見家をどうにかしないといけないと言う話をしていたのだけれども、小さな大名でも集まれば大国にとって脅威となる、という話をして、小さい同盟が連名を組んでこっちに攻撃してくる話になったのだ。結果、伊達家、南部家、朝倉家、浅井家、阿蘇家が足利家の傘下となって里見を攻撃す
さて、長尾家を攻める所から。信濃からだと蘆名家に長尾家のとどめを刺してもらえなくなるので、越前あたりから取りに行く。能登とかも取られているので、そこまで一通り取り返そうとするけれども、さすがに強い強い。撃退されながらも、どうにか兵士を枯渇させて、一つ落とせたらあとは兵士0でガンガン落とせた。危ない危ない……あとは、長尾景虎がいる越後を落すだけなんだけれども、ここがまた辛い。長尾景虎一人いるだけで、戦局があっという間にひっくり返される。たった2千の軍勢で1万の軍隊を撃退されてしまう。
そういえば、外交の状況を書いていなかった。北の方から見ていくと、南部家と伊達家が完全に支配。その間にぽつんと最上家が生きているけれども、一度南部に殴られたらそのまま伊達に臣従した。まぁ、仕方なし。そして蘆名家は、佐竹食べちゃった。仲悪かったから仕方がない。ただ、どういうわけか同盟しているわけじゃないのに伊達とは戦争しない。何でだろう?流言でも撒いておけば良かったかな。なので、蘆名の当面の敵は長尾家。一緒にじっくり倒しに行くことにする。関東は我らが里見家と蘆名家で分け
北条を無事に撃破して、長野家滅ぼした所から。ここからちょくちょくイベントが始まる。なにやら、戦の話をしているときに元服したばかりの息子がトイレ行こうとしたら、戦の話をしているときに席立つくらいなら漏らせ!というすごい事言っていた。誰のエピソードだっけ?覚えがないや…………ちなみに、蠣崎プレイでもこれ発生したんだけども、そのときは姫武将にこれやったからいろいろヤバかった。自分の子供なら無条件でこうなるんだな……ついでに、村上義清と勢力が隣接したら、長尾景虎が村上に合力すると申し出て
謎とか言っているけど別に何もない(おい)単に、今プレイしている内容を淡々と紹介していこうかと。割とおもしろいイベントが起こったりしているし。ということで、難易度超級里見スタート。普通に進めると、北条が鉄砲隊を手がつけられないレベルで引き連れてくるので、まずはこっちが鉄砲を先に入手することにする。島津と初手同盟を組んで鉄砲鍛冶を作れるようにする。もちろん、お祈り。序盤はそんな金ないし。最初は鍛治町と商人町を作って、徐々に商人街を4つ、農村を4つ作ることにする。とにかく攻めまく
投下したと思っていた記事が投下されていなくてびっくり。ということで、信長の野望天下創世をずっとやってた。lDMMでセールやっていたのと、信長の野望動画見ていたら無双にやりたくなったので、プレイして見た。これまでやったことある信長の野望は覇王伝、風雲武将録、天翔記の三つ。で、プレイして見た天下創世は、上のプレイしたシリーズよりも大分新しい。それで、いろいろと感覚が違うので、結構苦労したのだけれども……織田家が大分弱くなっていた。家臣団が強いのは間違いないのだけれども、NPCだと勢力伸ば
天正3年(1575年)、冬。南部との同盟期限がついに切れた。「よし、それでは南部家との戦となるな…!」天下統一へ向けての最終段階を迎え、義輝は心の高ぶりを抑えきれなかった。正成はそんな主君の様子をじっと見守り、義輝が少し落ち着きを取り戻したところで声をかける。「南部との一戦、決戦にて勝敗を決すべきかと。」正成の的確な一言に義輝は大きく頷きながら答えた。「そうだな、戦は出来るだけ少ない方がよかろう。南部との決戦だ!!」幕府軍は同盟期限切れの前に予め動員していた兵を南部との国境に進発
西関東を手中に治めた幕府軍の進撃の手は速度を増していた。虎の穴により人材の教育も進んでいた幕府軍は内政要員や後方を任せ得る人材もすぐに配置でき、もちろん物資は後方よりすぐに輸送できておりそちらの不安もない。間を置かず久留里城を落とすと氏康の跡を継いだ氏規を斬り、後北条家を滅ぼした。「ほう…ここはええ。開発のし甲斐があると言うもんや。」天正2年(1574年)、江戸。佐竹攻めの準備の為にこの地へ赴いた正成は目を丸くしていた。今はひなびた感じのこの地であるが、江戸の地形は港を作るにはうって
「景家、そして他の者もこれからは幕府の直臣だ。」「謙信様、お世話になりました。直臣となっても上杉の義の魂、忘れませぬ。」春日山城では、柿崎景家ら幕府の直臣となる者達との別れの宴が開かれた。戦後、謙信は春日山・坂戸ほか南越後の統治が認められたが、越中以西と上野沼田、会津黒川は幕府に割譲された。それに伴い、景家ら該当地域の城主であった者達も幕府の直臣となったのだ。そして、幕府は早速上杉から割譲された地域の内政に取り掛かる。謙信統治下の諸城は民心は安定していたが、内政計画に若干修正が必要な部
川中島…かつて上杉謙信と武田信玄が激闘を繰り広げた地に、幕府軍の精鋭は上杉家の軍勢と相対していた。「さあ…始めましょうぞ。公方様、御命令を。」正成の促しに深く頷いた義輝は高らかに全軍に告げる。「さあ、行くぞ!天下分け目の一戦を制し、皆で太平の世を迎えるのだ!」「おおーっ!!!」義輝の鼓舞に全軍の熱気が上がる。そして…天下分け目の一戦が遂に幕を開けた。両軍の陣容は以下の通りとなる。【幕府軍】総大将足利義輝(将軍・二条御所城主)楠木正成(岩村城主)楠木正儀(深志城主)北畠
元亀2年(1571年)晩秋、二条御所。「公方様。楠木正成、お召しにより参上致しました。」「ふむ、よく来てくれた」上座にいる義輝に一礼する正成。しかし、義輝の表情は重くなかなか話を切り出そうとしない。それでも正成は話を急かさずに義輝の言葉をじっと待った。やがて、義輝がゆっくりと口を開いた内容は正成が予想した通りであった。「上杉家と…ケリをつけねばならぬ。」以前の会見から良好な関係を保ち続け、武田家との共闘を結んでいた上杉家。しかし、北陸一帯を領する上杉家は幕府による天下統一の為にそ
「武田攻めがここまで順調に進んだのは鑑連殿のお働きの賜物。感謝しますぞ。」「いえいえ、それがしはあくまで目の前の敵を討っただけの事。それがしが思う存分に働けるのは正成殿、貴殿の采配のおかげです。」武田家より甲信のほとんどを奪った幕府軍は飯山城攻めへ向かっていた。その途上で戸次鑑連の働きに頭を下げる正成に対し、鑑連も決して奢ることなく正成の采配を称えていた。そんな中、横から馬を寄せてきた義輝が鑑連に声をかけてきた。「鑑連、そなたの軍功は大きい。吉岡長増、吉弘鎮種ら大友家の旧臣も続々と登用
「さて…ここまでくれば西国統一は間近、そろそろ東国にも人を回すか。」大友家を滅ぼして九州戦線に一区切りがついたのを機に、義輝は西国攻めに従軍していた武将の一部を東国戦線に回すことにした。島津攻めの主力は正儀や顕家、秀吉、一益らに任せ、正成や正遠らは東国戦線へと回された。「上杉と事を構えるのはまだ早いな…ならば、今川家の不安を取り除くためにも武田家を攻めるとしよう。」幕府軍が西国を攻めている間、傘下に降った今川家は幾度ともなく武田家や北条家の侵攻にあっていた。幕府軍の援軍によってその都度
永禄11年(1568年)秋、室町御所。「ふうむ…しかし、朝廷が承知してくれるかのう。」「この事による益を示さば、朝廷は必ず乗ってきます。交渉事に長けた倅の正儀ならばうまく話をまとめてくれましょう。」義輝は結局正成の進言を聞き入れ、正儀を朝廷への使者とした。そして…正成の進言通り、朝廷は幕府からの提案を受諾したのである。正行と正時の兄弟が正成の館を訪れたのはその翌月であった。「おう、お前らからくるとはこれはどうした風の吹き回しや。」おどけた表情の正成に、兄弟は彼の前に来るや否や深く
永禄10年(1567年)厳冬。幕府軍が防長を落とした翌月、指月城に久しぶりに楠木家主従が勢ぞろいした。色々とそれぞれの近況について小一時間語り合った正成たち。そして話の話題は防長の人心に移ったのだが、その途端正季の顔が暗くなった。「悪い、兄者。わしは兄者や虎夜叉の言葉を少し舐めてたのかもしれん。」「ほぉ、それはどういう事や?」正成がやや大仰な口調で言葉を促すと、正季はげんなりした表情で話を続けた。「利の為には情や義を平然と捨てる、話は先に聞いとったが…正直その腐り切った性根が防長の
毛利家を滅ぼした幕府軍がまず行ったのは、その支配下で荒れ果てた領民の救済であった。困窮した領民への施しや無頼の輩の征伐、荒れ果てた農地や堤防の修復に加え、毛利時代の七公三民と言うあり得ない重税を三年の期限付きで二公八民へと引き下げる処置を講じた(ちなみにこのリプレイにおいて幕府領の税率は四公六民で統一している)。「ありがたや…これでようやく人間の暮らしができるわい。」「毛利の圧政で死んだほうがマシと思ってたが…諦めんで生きててよかったなあ。」毛利の過酷な支配から解放され、領民の顔に忘れかけ
永禄10年(1567年)梅雨、幕府軍は毛利征伐の軍を進発させた。そしてその途上…進軍中の正成の下に和田正遠が馬を並べ報告する。「御大将…正時の若も毛利軍に加わっているとの事です。」正時の言葉に正成は天を仰いだ。おそらく兄を救い出したい気持ちが先走ったのだろうが、あまりにも無鉄砲すぎる行動である。「あの阿呆、無茶しおってからに…。まあええ、とっとと救い出すぞ。」吉田郡山城の敵軍は四千弱、一万を超える幕府軍の半分以下である。だが総大将は老練なる「謀神」、毛利元就。決して油断できる相手では
浦上家との同盟期間が切れると同時に、幕府軍は四国と播磨・但馬の浦上領への侵攻を開始した。浦上家の武将と国力の質は大友と比べると大きく劣り、幕府軍は順調に攻略を進める。かくして一年を経ずして幕府軍は浦上家の領土を半減させるに至ったのである。一方…幕府軍が順調に浦上家を攻略している間、正成は諜報活動とそこで得られた情報の整理に没頭していた。そして情報を整理すればするほど…その内容は正成が抱いていた懸念を証明させるものであった。「ここは…本腰入れて諜報活動に専念するか。」そう判断した正成
時は少し遡り、三好家を滅ぼした直後の永禄5年(1562年)晩秋。三度ある事は四度ある、とはまさにこの事であろう。浦上家より対大友の共同作戦依頼が舞い込んで来たのだ。「浦上め、どこまでうちに頼る気なのか…」「もういいでしょう、上様、断ってやりましょう。」蜷川親当や安藤守就らがうんざりした表情で進言してきたが、義輝は「まあ良い、どうせならこっちも利用し倒してやろうではないか。」と、今回も共同作戦を承諾した。それと同時に、岩村城にいる北畠親房に今川家に対しこちらに従属させるよう命令を下
三好家のあらかたの家臣団の戦後処置が終了したのち、義輝と正成らの前に連れてこられたのはかつて正成と袂を分かった弟と息子達であった。「では頼んだぞ。私はここにはいるが口は挟まぬからな。」義輝の言葉に正成と正儀はこくりと頷いた。『七郎(正季)の心は大分揺れているようだな。まずはあいつから説得してみるか。』連れてこられた四人の面構えを一通り眺めた正成はそう判断した。硬い表情を崩さない正行・正時、恩智と比べて、正季は他の三人と比べて憔悴と動揺が明らかであったのだ。『七郎は元々民を思う気持ち
松平家を滅ぼした幕府軍はその後、領内の安定と並行して松平家の旧臣の登用に努めた。その結果、石川数正、酒井忠次、本多正信、服部正成らに加え、斎藤家の遺臣である明智光秀を登用する。その後、忍者である正成は福地城に移動し計略と諜報を担当、残りの者は東西の前線へ移動させた。「えーっと、これが現在幕府軍周辺の状況です。赤く丸をしている勢力が同盟もしくは友好勢力。そして青く丸をしているのが敵対勢力となります。ご覧のように包囲網はほぼほぼ打破しておりますな。」そして松平家を滅ぼした翌月、室町
義輝が関白に叙任された翌月、幕府軍に同盟を結んでいる浦上家より使者がやって来た。「当家と共に別所家を打ち破りませぬか?」別所家は幕府包囲網の一員であった事もあり、義輝はその誘いに乗る。そして承諾して間を置かず浦上家より別所家へと兵を向けたとの一報と共同軍要請の使者がやってきた。「よかろう、当家の期待株の猛者を派遣しようではないか!」「有り難き幸せにござる!」そして幕府軍からは北畠顕家や柴田勝家らが参戦、彼らの奮戦もあり別所家は浦上家によって滅ぼされた。幕府軍は労せずに包囲網の一角を崩す
「おのれ…大友め!面倒なことをしてくれおって!」「しかしどうする、間を置かず奴ら幕府に牙をむいてくるぞ…。」室町御所では織田攻めに出る間際の包囲網結成の報を受け、重臣たちの緊急の評定が開かれていた。いきなりの事態に君臣の動揺は激しく、喧々諤々の議論にもなかなか結論が出ない。さしもの正成も考えがまとまらず頭を抱えている横で、正儀は涼しい表情で地図を眺めていた。「あ、こりゃイケるかも。」確信を得た表情を浮かべながらボソッとつぶやいた正儀の言葉を正成は聞き逃さなかった。「ん?虎夜叉よ。イ
永禄2年(1559年)、秋。幕府軍は稲葉山城に続き清洲城を落とし、斎藤家を岩村城に追いつめた。「桜洞城は長尾家が落としたから、残るは岩村城だけだな。」「ええ、清洲と稲葉山の民を慰撫し来年には那古野の織田を落としましょうぞ。」落とした直後の清洲城の本丸で義輝と正成が次の標的を定めていた。まさに順風満帆の進撃を続ける幕府軍。だがこの時点で、他の幕臣はもちろん義輝や正成父子すらも翌年に待ち受ける危機を想像すらしていなかった。明けて永禄3年(1560年)、新春。「…さて、どうしたものか。
幕府軍はしばらくは国内の整備と民心の安定に努めた。内政が一段落したところで義輝は幕臣たちを招集し、今後の戦略を論議することにした。若狭や丹後を領する朝倉家との同盟は続いているのでしばらく北方への侵攻は見合わせ、東方で不穏な動きを見せる斎藤家を攻める事とした。ちなみに織田家の同盟も終了間近だがこれは更新せず、斎藤家のついでに攻め滅ぼす事で決定した。評定が終わりかけたその時、末席にいた小寺職孝が手を挙げた。「東に勢力を伸ばすなら…長尾家は敵に回すべきでは無いでしょう。」長尾家は越後から
突然ですが本編を始める前に業務連絡をしたいと思います。以前に南朝遺臣系の武将は戦場や滅亡時で捕縛した際、登用に応じた時のみ登用するとしてましたが、ちょっと条件を緩和したいと思います。と言うのも北畠を滅ぼした後も、領内から北畠顕家が出て行ってくれないのですよ…。幕府軍がさらに版図を広げるとますます彼が幕府領内から出れない、と言う事態も出て来る可能性があります。…いえ、決して彼の最強クラスの統率が惜しい、と言う訳ではないのですよ!と言う事で、今後は捕縛し登用を拒否して解放してから直近一年