ブログ記事13件
引き続いて3月30日~4月1日に行ってきた、伊勢志摩ライナー信貴山吉野旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ信貴山と言えば虎ですね。朝護孫子寺の門をくぐります。聖徳太子の騎馬像。玉蔵院は宿坊みたいですね。朝護孫子寺の本殿。ここから見る景色はまた違った世界が見えます。今回の目的地は信貴山城跡です。山道をえっさほいさと登っていきます。信貴山城跡はこっちみたい。ここが信貴山城跡です。近くには信貴山城址の石碑があります。
城を観る今回は...(撮影2021/08/27)信貴山城〜石碑信貴山城址〜石碑ッ発見ッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
大阪南港から目的地の高安城跡を目指して🛻💨💨💨高安山の山頂から少し下った所で西信貴ケーブルで登って来た学生さんと出会い話し掛けたらマップを見せてくれたのでそれならと高安城跡と高安城倉庫址を一緒に周り(連絡先を交換)楽しい時間を過ごすことが出来ました。彼は其処から徒歩で信貴山を目指すとの事でした。次の目的地は信貴山城跡🛻💨💨💨松永屋敷跡可愛らしい武士が警護していました。今日も楽しい一日となりました。
信貴山城跡へ誰もが知る巨大な中世の山城で、松永久秀が居城とした名城です多数の曲輪に切岸、堀切、中世の山城の特徴が残り楽しめます今回は、朝護孫子寺側からの登城暫く登城路を行くと巨大な切岸がここは雌獄と呼ばれる曲輪先ずは、こちらへ奇麗に削平されています現在の城跡は、信貴山の北側に広がっています。先に本丸跡へ本丸跡にある石碑コチラは雄獄と言われ、当時は天守とされる建造物も在った様です。今は、朝護孫子寺の空鉢護法堂が在ります。本丸から
宇都宮市ゆいの杜の小さなヨガスタジオ日日〜nichinichi〜のyokoです。スタジオレッスン・オンラインレッスンを開催しています。少人数制のヨガ教室です。初心者の方も安心してご参加頂けます。★ホームページはこちら★↓https://peraichi.com/landing_pages/view/21nichiyoga宇都宮市のほか、真岡市・益子町・芳賀町・高根沢町などからもお越し頂いてます。今回のブログは番外編。体のお話から離れて歴史探訪へ。【歴史のカケラ】
暑い夏もやっと多少過ごしやすくなってきたので、ハイキングのウォーミングアップとして近場の信貴山に登ってきた。出発地点は三郷駅。信貴山に登るにはいろいろなコースがあるが、今日はここから龍田街道を信貴山下駅に向かう。この駅は昔、信貴山へ登るケーブルがあったところ。三郷駅から龍田街道を信貴山下駅に向かって歩く。この道沿いには古代を忍ばせるいろいろなものがある。その一つがこの神社と歌。神奈備(かんなび)神社という小さな神社。神奈備神社の説明に鏡王女の有名な歌を含め3種の歌が紹介されている。鏡
お香と日本産精油で五感を整えるお香と和の魅力を伝える和雅香師~わこうし~まさきよしみです。プロフィールはこちら★ギリギリのトリプル寅の日の大開運日に信貴山朝護孫子寺へ⑤実は朝護孫子寺から山上へ行くと信貴山城跡があるのです。しかし、今回はお城目当てでなかったので行ってません。そう、案内板を見たらがっくりくるやっぱり山上にあるのです。だから、銭亀堂から千手院へ行き御朱印をいただいて戻って来ました。そ
次の塔頭寺院、成福院へ成福院【じょうふくいん】信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。なお、中興開山と云われる命蓮上人は902年(延喜2年)に醍醐天皇から朝護孫子寺の勅号を賜っています。信貴山の宗派は信貴山真言宗で、1951年(昭和26年)に高野山真言宗より独立し創立されました。参道から
(中編)はポタリングと書いてますが自転車から降りて徒歩で回りました。自転車ルートのみをお探しの場合は(中編)は飛ばして下さい。「信貴山断食道場」〜「弁財天の滝」〜「信貴山雄岳(信貴山山城跡)」〜「信貴山城跡(雌岳)」〜「朝護孫子寺」〜「信貴山断食道場」と回るコースです。まず、自転車を停めて「信貴山断食道場」の右横の山道を登っていきます。この「信貴山断食道場」から「弁財天の滝」までは酷く泥濘んでいます。靴が泥々になってしまいます。でも、それ以降の道は大丈夫なので、それまでの我慢です
【朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)】奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1さてさて【玉蔵院】で、美味しい昼食を頂いた我々は、次なる目的地へと向かう…………いつもなら、右手に進み【本堂(毘沙門堂)】へ向かうのだが、この日はココロ人生初……左手に進み【信貴山城跡】へと向かう………【多宝塔】あたりで天野忠幸先生の解説もあり……【信貴山奥之院毘沙門天王道】石碑秋の景色………紅葉が美しいーーっ癒される場所だ【信貴山城跡】は、大和と河内の国境にある生駒山系に属する『信貴山(標高437m)』山上
は~い。猿岡城跡から移動すること76キロぐらい。奈良県生駒郡、信貴山城跡。寺院の中を通って行くからね。あと、520メートルだって・・・ひたすら階段・・・・・どんどん行くよ。気合が必要だよ。登城だ。寺院の入り口付近にこんなのがでっかい虎だよ。かわいい虎だよ。御城印は信貴山観光センターで売ってるよ。これだよ。観光センターの横にある橋でバンジージャンプがで
17日、信貴山城址に参りました。信貴山朝護孫子寺の空鉢護法堂近くにあります。Wikipediaより信貴山城(シギサンジョウ)の概要【奈良県生駒郡平群町信貴畑にあった日本の城である。木沢長政・松永久秀の居城となった。山城は大和と河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた山城である。信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地で、松永久秀はこの山上に南北880m、東西600mに及ぶ城郭を築いた。信貴山中腹には、朝護孫子寺がある。また、付近には、高安山城、南畑ミネ
5/27(土)、信貴山門到着後は、この日の宿に荷物を預かってもらい、身軽に…。開運橋。一寸一息…。さて信貴山朝護孫子寺。信貴山所縁の寅…。「長崎平和祈念像」等で知られる北村西望の手による聖徳太子像。さて、今回の信貴山探訪の目的の一つ、松永弾正久秀所縁の信貴山城跡散策へ。以前はこのような道標は無かった筈…。「空鉢護法」の霊場でもあり…。きつい…。漸く…。屋敷跡にも…。帰り道は、いつしか照明が点灯。こんな所に杖の用意があったんだ…。元の参道へ。「信貴山縁起絵巻」(
翌朝、近鉄井筒駅~田原本/西田原本~信貴山下駅。~信貴山門パス停下車。(9:43)平成25年10月13日、信貴山口までトラのケーブルカーで登って終了した旅に想いを繋げたかった。河内・摂津・淡路之国探訪②高安の里・愛宕塚古墳・心合寺山古墳~信貴山https://ameblo.jp/oedonoharu/entry-12523841092.html朝護孫子寺・千体地蔵バスを降りて、大門池に掛かる信貴大橋を渡って行くバスを見送っていると隣の赤い橋