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さて、宿の夕食です。豚肉か牛肉が選択できたのですが牛を選択しましたわい。あ?写真がさかさま(笑)もう若くないのであんまり量はいらないのです。この量でまさにバッチリでしたのよ。お品書きをみながら一つ一つ味わって美味しくいただきました!一番のお気に入りはこれ!あとから熱い状態で出てくる鰻白子饅頭!最高でした!ご飯は白米と梅しそが選べました。迷わず梅しそ。お吸い物とバッチリで最高っです。デザートのマンゴープリンで仕上がりました。夜には3回温泉に浸かれて極楽です。朝はバ
長谷寺は真田幸隆公夫妻、真田昌幸公の墓所があるようでしたが信綱寺は真田幸隆公の嫡男信綱公、次男昌輝公の墓所があるとのこと。長篠の戦いでお2人が戦死したため三男の昌幸公が真田家当主となったのでした。さて、長谷寺から車を走らせ信綱寺の駐車場へ。信綱寺のある一帯は横尾城跡・内小屋城跡と言う上田市の指定史跡になっているようでした。こんな山道を登っていきます😨(エー(・・;聞いてないんですけど💦)途中にはこんな史跡も。道の横にはこんな光景が😳凄い根っこです。蝉時雨の降る中、山道を歩
使用機材紹介OMSYSTEMOM-5M.ZUIKODIGTALED14-150mmF4-5.6ⅡPanasonicGVARIO7-14mmF4撮影日2024年11月12日長野県上田市真田町長最近休日は好天に恵まれなかったが今日は久々に晴れた。10時頃までは放射冷却の影響もあって辺り一面ガスっていたが一気に青空が広がり気温も上昇した。まさに小春日和になったので原付スクーターのJogで自宅周辺を走りまくってみた。まず最初に行ったのは信綱寺、信綱寺は、
24年夏の父娘旅も終盤です。次女に言われるがままに目的地を決めている今回。彼女が行きたがった場所は「信綱寺」。真田ファンじゃなければ、きっと誰も訪れないであろう、そんな場所だと思います。信綱寺|信州上田観光協会ueda-kanko.or.jp上田城跡から、昨日行った真田の郷方面の反対側の山の方に行くのですが、どんどん細い道になるし、ナビで到着のしるしが出ても、特に駐車場とかもないし、結構あせります。そして、人っ子ひとりいないというのは、不安になるものですね。近くにはお
長野県上田市にある真田氏歴史館では、8月10日から9月23日まで企画展「真田信綱・昌輝」が開催されています。真田信綱、昌輝兄弟は真田幸綱(幸隆)の長男と次男。武田家臣団の有力な武将として「武田二十四将」にも名を連ねています。主に上野(群馬県)方面の最前線で活躍し、天正三年(1575)頃には、三河・遠江方面に転戦しています。父幸綱の晩年には信綱が家督を継承しており、武田勝頼からも厚い信頼を受けていました。武田軍と織田・徳川連合軍が戦った長篠・設楽原合戦では、圧倒的な兵力差から武田軍は大敗。信
幼いころから真田幸村&真田十勇士に興味津々。昌幸、信幸はその次、いわんや信綱、昌輝、さらに信尹までへの関心探求となれば、かなり後日の話。真田信綱・昌輝兄弟をもっとも意識したのは長篠の古戦場にて、初めて二人の墓碑と対面した時だった。▲▼長篠古戦場北端の段丘上に、信綱・昌輝と真田家臣らの墓碑が並んでいた。残念ながら、今までドラマなどで信綱・昌輝の姿をみることはなく、大河『真田丸』でもついに出番なしだった。かつて高校生が描いてくれた信綱のイメージ画。素晴らしき眼差しの信綱。以
山家神社・真田神社から、次に行ったのは信綱寺(しんこうじ)。長篠の戦いで討死した、真田信綱・昌輝兄弟の墓地があります。曹洞宗大柏山信綱寺創建は室町期、横尾氏の菩提寺。上田原の戦いで横尾氏滅亡後は荒廃。その他、真田信綱が打越寺と名付けます。真田昌幸が、長篠の戦いで討死した真田信綱の牌所として信綱寺と改称。立派な門があります。本堂真田氏の家紋六文銭境内は綺麗に整備されています。真田信綱戦国時代から安土桃山時代の武将。武田信玄、勝頼の二代に仕える。武田二十四将の一人。
使用機材紹介OMSYSTEMOM-5PanasonicGVARIO7-14mmF4PanasonicLEICADGVARIO-ELMARIT12-60mmF2.8-4.0ASPH.POWERO.I.SタムロンSP90mmF2.872B撮影日2024年4月16日長野県上田市真田町自宅半径1km真田本城跡を下りイットの坂の桜並木をサラッと撮り天神宮に向かう。天神宮は3本桜ではあるがその大きさといい枝ぶりといいこの辺の単体の桜の中では一番見事な木
今回はタイトルの如く。「好きな武将は真田幸村です!(ドヤァ)」って言っちゃうようなにわかは絶対に行かないマニアックコースですぜ。…なのですがまずは前回のに纏めようと思ったけど容量の関係で炙れたヤツ。三度、古代へ遡りまして上田市下之郷「いにしえの丘古代公園」塚穴原第1号古墳発掘調査済ですが石室には入れませぬ…塚穴原第2号古墳こちらは未発掘。天井石抜かれて中央部が崩落してる状態だそうな。副葬品が眠っている可能性があるそうだが天井石が抜かれてるという事は盗掘
上田市真田町の山間に信綱寺はあります。真田信綱(幸隆長男、昌幸の兄)がこの地に寺を移したそうです。その信綱は優秀な人物で吾妻郡攻略では中心的人物でしたが、長篠の戦に従軍し戦死しました。その時次男の昌輝も戦死しており、以後3男の昌幸が真田家の家督を相続します。真田昌幸が長兄信綱にゆかりの深いこの寺を信綱寺と改め墓を建てました。大棟に六文銭が入っています。信綱・昌輝の墓がどこにあるかわからないので、奥様に伺いました。この寺では墓所を確認してから「登った」方が良いでしょう。
翌日は上田駅からバス15分程歩いて信綱寺洒落た山門前にあるのは古城緑地広場ここから少し歩きます
友との旅は、長篠城址から長篠(設楽原)合戦の古戦場へ。「いやぁ、ありがと、強右衛門さんの墓参ができるなんて思いもしなかったよ」「そうか、じゃ次は、我ら信州の真田兄弟の墓参だな」「おぉ~、真田兄弟、そうか、長篠で死んだんだ!」「昔、亡きまぁちゃんと三人での『テニス部三強の旅』で、真田兄弟の菩提寺、上田の信綱寺へ行ったなぁ」「そう、そうだった…」左から信綱室、信綱、昌輝の墓塔。家臣が長篠から首級を持ち帰り埋葬したという。我ら三人は高校時代テニス部(当時は硬式庭球部)だった
ヤフブロ時代の2016年5月13日に『真田は日本一の兵(つわもの)なり6』って題名でファン限記事でアップしてました。やはり、、、、まだ御朱印デビューする前の頃です。16時半までに受付を済まさないと入場出来ないとのことで、、いったん真田の郷を離れ上田市街地に行き、、「上田城内の真田丸展」に行ってきました。(これは後程記事にします)市内いくつかの櫓も撮って、、、真田の郷に戻ってきたらもう夕方でした・・・・そうだ、、信綱寺(しんこうじ)に行ってないって、、、、
上田市の「信綱寺」に参拝にやってきました。信綱寺は室町時代、横尾城(尾引城)の東側に横尾氏の菩提寺として好雪斎大柏寺として創建されました。天文17年(1548)の上田原合戦で没落、廃寺となり、天正元年(1578)真田信綱が打越(古城)に、寺を移し、開山として高山順京大和尚を招き、大柏山打越寺と寺称を変更。その後、真田家を継いだ真田昌幸が、信綱の位牌所として諸堂を修造し、享保2年(1717)に堂宇を現在地に移し、寺称も大柏山信綱寺。駐車場について振り向くとこれは
初代.幸綱公長谷寺:(中央墓)縁起:永正10年頼昌の嫡男として生まれる。天正2年没する。法名は「月峰良心庵主」二代.信綱公信綱寺:縁起:天文6年幸綱の長男として生まれる。天正3年長篠の戦いにて戦死。法名は「信綱寺殿大室道也大居士」三代.昌幸公長谷寺:縁起:天文16年幸綱の三男として生まれる。慶長16年没する。法名は「長国寺殿一翁干雪居士」昌輝公信綱寺:天文12年幸綱の二男として生まれる。天正3年長篠の戦いにて戦死。法名は「風山良薫大禅定門」追贈「嶺
本堂:扁額:寺号標:黒門:寺門:所在地:長野県上田市長8100開基:真田信綱公宗派:曹洞宗創建:室町期縁起:信綱寺は、幸隆の長男であり三男・昌幸の兄・信綱の菩提寺です。幸隆の死後、真田家を継ぎ武田ニ十四将の一人となる。家督相続後、わずか1年で長篠の戦いで討ち死にする、ニ男・昌輝も討ち死にし、「長篠合戦図屏風」には、六文銭の旗差し物を伏せ、馬防柵に突進する信綱・昌輝兄弟が描かれている。信綱公墓(中央)・お北殿墓(左)・昌輝公墓(右):信綱・昌輝公墓標:雑感:
真田家を支えた夫人恭雲院初代幸綱夫人長谷寺:真田家臣.河原隆正の妹で、二代.信綱・昌輝・三代.昌幸・信尹・高勝の生母である。文禄元年若しくは、2年没する。法名は「喜山理慶大姉」於北殿二代.信綱夫人信綱寺:信濃国衆.高梨政頼の妹若しくは、娘天正8年没する。法名は「花翁妙永大姉」山之手殿三代.昌幸夫人大輪寺:縁起:法名は「寒松院殿宝月妙鑑大姉」小松殿四代.信之夫人芳泉寺:縁起:雑感:信濃上田城下には、真田家の夫人たちの歴史もまた脈々と受け継が
天正二年(1574)真田幸隆が死去すると嫡子の信綱が真田家を継いだ。翌年長篠合戦で武田勝頼軍は織田・徳川軍に敗れたが、この戦いで信綱は弟の昌輝とともに討死した。真田家の当主となってからわずか一年、三十九歳の生涯を閉じた。戦死した信綱の首級は、家臣の白川兄弟が陣羽織に包み、主君着用の鎧胴と愛刀の「青江の太刀」(重要文化財・真田宝物館所蔵)とともに信綱寺へ運び、首級と鎧胴を桜の樹下に埋葬して手厚く弔った。この場所は「墓前の桜」と呼ばれている。享保二年(1717)寺の移築に伴い、墓所は墓前の桜の位置か
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【問題】真田信綱の墓所となっている信綱寺には、信綱の血染めの遺品が残っているが、それは次のうち何か?【選択肢】鎖帷子長槍陣羽織床几【正解】陣羽織【解説】信綱寺(しんこうじ、長野県上田市)は長篠の戦いで戦死した信綱の墓所となっている。同寺の宝物館には信綱の「血染めの陣羽織」が残されている。
大好きな戦国決戦シリーズ第8弾も購入しました!「決戦!設楽原」あの有名な長篠の戦いです!武田勝頼vs織田信長&徳川家康連合軍の戦いです。結果は織田信長&徳川家康連合軍の圧勝ですが、両軍の戦国武将7人のそれぞれの立場から長篠の戦いを描いており、とても面白いです!本当は正月休みの時に読もうと思っておりましたが我慢できずに読み始めてしまいました。真っ先に読み始めたのは「真田昌輝」!大学時代の同級生・越智君(ペンネーム赤神諒)が「表裏比興の者たち」という題名で描いてくれてます。大好きな
8月23日。真田氏歴史館、ゆきむら夢工房、山家神社へ行った後、もう一か所巡っていたので、その様子を書きたいと思います。行って来たのは『信綱寺』。真田信綱、昌輝公の御墓所として知られています。『山門』山門から少し歩いた所に信綱寺へ通じる階段があります。運動不足の私にとっては結構きつかったです・・・。階段を上り切ると、舗装されていない小道が。緩やかな坂道がまた私にはきつかった・・・。この小道、時期になると紫陽花が咲くそうです。『信綱寺黒門』信綱寺の総門
連休中、真田氏発祥の地「真田郷」を巡り、真田幸綱、信綱、昌輝、昌幸と真田氏の祖先の地を巡礼しました。まずは真田幸綱夫妻と昌幸の眠る長谷寺。(昌幸は、遺髪と爪が埋葬されています。)続いて真田信綱と昌輝夫妻の眠る信綱寺。最後に真田氏の祖先の墓所「日向畑遺跡」本でしか知らなかった地を巡り、真田の聖地を満喫しました。めでたしっ、めでたし
平成29年5月29日参拝真田郷に春が来てた(๑・̑◡・̑๑)昨年から何度か来てるけど上田は標高が高いからなかなか花咲く風景を見れてませんでした。大柏山信綱寺(しんこうじ)は曹洞宗の禅寺で本尊は釈迦牟尼仏、開祖は真田信綱です。室町期に横尾采女正の菩提寺として真田郷梅ノ木に創建された寺院が荒廃していたのを、真田幸隆の長男信綱が現在地に移し打越寺と改称しました。長篠の合戦で信綱が戦死すると、家督を継いだ弟(三男)の昌幸が長男の廟所として伽藍を整え大柏山信綱寺と再度改称しました。本堂
《くまさんぽ》田中博文、通称{くま}が毎週いろんな場所に訪れるコーナーです。2017年も引き続き真田家の人達が関係した場所にattention!本日の散歩はこちら↓信綱寺
今週はひさしぶりの3連休ということで…日帰りではありますが、少し遠出して『信州上田(長野県上田市)』まで出掛けました上田市は、長野県の東部に位置していて、北は菅平高原、南は美ケ原高原などの山々に囲まれています。また、市の中央部を東西に千曲川(信濃川)が流れていますさすがに1日で上田市の全域を周るのは“ムリ”なので、真田氏ゆかりの地(真田地域・上田城)を路線バスとレンタサイクルで巡りましたJR上田駅前・真田幸村公騎馬像行程(バス)JR上田駅→
おはようございます。ファンクラブ書記のKAKです。一昨日のブログで書いた長谷寺。季節は違いますが、そこからそう遠くない信綱寺に参拝をして来ました。ここには長篠の合戦で討ち死にした真田昌幸の兄、真田信綱と昌輝のお墓があります。それにしても武田二十四将のうち四人が真田一族って凄いです。真田幸隆、真田信綱、真田昌輝、武藤喜兵衛(真田昌幸)信綱寺http://uedaguide.naganoblog.jp/e1571905.html立派な三門が目に入ります。
真田ゆかりの地巡り題して、真田紀行~上田市・真田町編~まとめでーすぅえーい個人的に情報を整理・保存したいって意味もあるので、興味のない方はスルーしてくださって大丈夫でぇーーすちょっと退屈なブログになりますwまず、上田菅平インターをおりて、初めに感動したのは、交差点の真田の文字すでに萌え~~上田へは、我が家から高速で2時間近いでーす初めに目指したのは、信綱寺こちらが信綱寺のぶつなでら、と書いて(しんこうじ)と読みます真田昌幸により建立されましたち
え~~っと全て消えてしまって一からなんですが~・・・・・復元機能どこいった~~~??最悪なんですが~~~~(泣)気を取り直してもう一度~旅の途中に「~~宿」の看板をたくさん見つけまして~帰りにこの看板の写真撮る~って決めてたのに大体どのタイミングで看板が出てくるかもわからず見つけた瞬間に後続車いるから止まれるわけもなくタイミング合わず・・・真っ暗になってしまって諦めてたところ灯りのついたこちらの看板の前の信号で停車~~~やっと撮れた~~~~「今度はこの看板の写