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今日は何の日?カレンダー上は、建国記念日になっています。でも実は今日はもう一つ大事な日でもあるのです。それは、信教の自由を守る日。と言っても、この日だけではありません。そして、これは名前だけであってもいけません。私たちは様々なも問題が周りを覆っている、けど、私たちはそれでも神様を求めたいものです。いや、神様が私達を守ってくださる、そのことを改めて今日覚えたいですね。私が頑張って守る、ではなく、神様の守りの御手の中歩むことを。そして、もう一つ、神様の御国が来ますように、
今日は「建国記念の日」。「建国をしのび、国を愛する心を養う」日として、1966年に「国民の祝日」に制定された。この日にちは、他の祝日のように「祝日法」で定められたのではなく、内閣の「政令」によって定められたそうだ。3年前、東京オリンピックが行われた年は「特別措置法」で海の日、山の日、スポーツの日が移動した。祝日を変更できるのなら、建国記念の日を変更することは可能であろう。2月11日は、初代天皇の神武天皇が即位した日、「紀元節」として祝われた日、そして、天皇を神とする
今日は何の日?カレンダー上は、建国記念日になっています。改めてそうなんだね〜と思いながら、でも基軸はどこにあるのかな?と。歴史を見ると。更に言うならもう一つ大事なことがあるんです。実はもう一つ大事な日でもあるのです。それは、信教の自由を守る日。と言っても、この日だけではない。そして、これは名前だけであってもいけない。私たちは様々なも問題が周りを覆っている、けど、私たちはそれでも神様を求めたい。いや、神様が私達を守ってくださる、そのことを改めて今日覚えたいですね。私が頑張
いろんな相談に乗る時に、口にしない言葉が幾つかあります。たとえば、「絶対大丈夫」などもその一つ。そんなことは、軽々しく言えない。大丈夫かどうかなんて、人には分からないことの方が多い。でも、たとえ大丈夫だろうが、大丈夫でなかろうが、そんなことに左右されないものがある。大丈夫でなくても、神様の愛はあなたから離れることはない。ー田崎敏明牧師ー昨日の分かち合いでも、信教の自由を守「ってくださる」のは神様何だ、ということを見ました。保証してくださる、建てあげてくださるのは神様なのだ
「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」ヘブル人への手紙11章9-10節人の生きざまは本当にそれぞれだな、と思う。10人いれば10通り。十人十色、と言いますしね。でも、その中で、随分前に流行っていた言葉のKY,空気を読む、読まない、と言う話に振り回され、自分のあるべき姿を失いやすい時代でもある。自分は何者なのか
今日は何の日?カレンダー上は、建国記念日になっています。私も来週の献立表がいつもより一日早く来たのでどうしてだろうと思って、ようやく気づいたくらい。でも実はもう一つ大事な日でもあるのです。それは、信教の自由を守る日。と言っても、この日だけではない。そして、これは名前だけであってもいけない。私たちは様々なも問題が周りを覆っている、けど、私たちはそれでも神様を求めたい。いや、神様が私達を守ってくださる、そのことを改めて今日覚えたいですね。私が頑張って守る、ではなく、神様の守り
昨日もお茶のお稽古へ行ってきました。私にとっては、ブログを書くことも、お茶のお稽古も、クリスチャンの結婚支援も、もちろん教会の働きも、一見バラバラに見えるこれらのことはすべて一つの方向に向かっている同一線上のものです。2年前、遠藤周作の「沈黙」が映画になった時、「なぜ日本にキリスト教が広まらないのか?」という記事を書きました。2月11日「信教の自由を守る日」を前に手にした本「キリスト者の時代精神、その虚と実」の中の「殉教の復位」(渡辺信夫)という文章を読み、やはり日本宣教を
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」ヴァイツゼッカー元大統領の言葉2月11日「建国記念の日」に合わせてキリスト教会では「信教の自由を守る日」として講演会などが行われました。私も「歴史を心に刻む~ドイツ歴史教育から学ぶこと~」という講演会に出席してきました。ドイツでは「アンネの日記」などで知られる「ユダヤ人虐殺」の歴史があります。「ホロコースト」をはじめ、過去の記憶を現代にどう残していくか、歴史教育をどのように子供たちに教えていくか、という課題があり、その点では
今日は「建国記念の日」で、キリスト教会では「信教の自由を守る日」として講演会やセミナーなどが各地で開かれました。先日の「高山右近列福感謝ミサ」でカトリックの教会でも唱和されましたが、「主の祈り」の中には「われらを試みに合わせず、悪より救いい出したまえ」という一文があります。カトリックだと、意味は同じですが言葉が少し違うようでしたので、紹介します。カトリック教会の文語訳「主の祈り」天におられるわたしたちの父よ。御名が聖とされますように。御国が来ますように。御心が天に行われる