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大徳寺の次は塔頭寺院の大光院へ〜こちらも通常非公開寺院ですが、豊臣秀長の菩提寺で、特別公開してるので拝観を愉しみにしていた寺院です大徳寺塔頭寺院の大光院山門拝観入口から境内はお庭も含め、一切撮影は禁止🈲です大光院古渓宗陳を開祖とする大徳寺の塔頭寺院です文禄元年(1592年)豊臣秀吉の弟豊臣秀長の菩提寺として、奈良大和郡山に創建され、慶長4年(1599年)に秀長の家臣藤堂高虎により大徳寺山内に移されました昭和30年に同じ山内の現在地に移築客殿などの建物は江戸時代に建てられたも
深みのある赤色が美しい「ニューインペラルレッド」を使用した洋墓が完成しました。落ち着きの中にも存在感があり、晴天の光を受けて艶やかに輝く姿がとても印象的です。今回のお墓は、供養塔と洋墓を組み合わせた設計となっており、これから先のご供養のあり方を大切に考えられた、想いのこもった一基となりました。正面には「きてくれてありがとう」という温かい言葉が刻まれ、ご家族の感謝の気持ちが静かに伝わってきます。赤い石ならではの優しさと重厚感と想いをより深く表現しているように感じます。また、寺墓地であるの
196番目のこんにちは永代供養を探している人へどんなものにも供養の想いは後からでも出てくるけどその永代供養でいいの?奈良の當麻寺(たいまでら)にある中之坊(なかのぼう)の永代供養墓を運営管理しているたかおちゃんです!今日はYahoo!ニュースの記事で奈良にある上北山村にある『護鬼佛理:ゴキブリ』が有名になってるそうなんですこの『護鬼佛理』は2000年11月に建てられたようで25年経った今、珍しい供養塔が
☆本妙寺本妙寺へ足を運びました。同寺は、明治44年に本郷から移転。「振袖火事」と呼ばれる明暦3年の大火の火元といわれるが、事実は本妙寺の隣の老中阿部忠秋の屋敷が火元だったという説もあります。境内には明暦の大火の供養塔、江戸町奉行遠山金四郎、北辰一刀流の開祖千葉周作、本因坊代々の墓などがあります。墓には案内サインがあるので助かりました。本妙寺住所:東京都豊島区巣鴨5-35-6電話:03-3917-1558営業:自由参拝料金:無料
善光寺本堂から外に出て、さて、次はどっちに向かうのかな💡「はい、こっちよ〜(^-^)/」と機織り同僚の後ろについて行く♬wwつらつら歩いていると、「ここが、大奥のご婦人たちの供養塔なんですって」「こっちは、真田家の供養塔」石塔には真田のシンボル六文銭が刻まれていました💡お歴々の皆さま、善光寺で居心地よく眠っていらっしゃいますね🙏更に本堂の西の方は向かいます🚶🚶🚶そこに現れた「経蔵」には、どーんと
『ちょこっと雑学』[[百人浜(北海道)の由来は?]]北海道のとある海沿いに「百人浜」という浜があります。1816年(文化13年)南部藩の御用船が難破しました。乗員100人が犠牲になり、その多くがこの浜に打ち上げられたことから名付けられたというのが、由来になっているという説があります。まるで心霊スポットばりの逸話なのですが、それを裏付けるかのように、江戸時代に建立された立派な供養塔も建っています。ちなみに、実際の百人浜はいい雰囲気の観光地で、美しい弓なりの浜と緑化事業の観察展望が百人
久しぶりに懐かしい。初めて行ったのは、2001年12月.驚いた。とにかく懐かしい。一緒に行ったお方様は、元気かな。もちろん僕のことなんて思い出すことなく、元気で過ごされていると思います^_^初めて、一乗谷に行ったときから、朝倉義景公終焉の地に行きたかった。それがこちら。福井県大野市朝倉義景公のお墓戦国大名・朝倉義景終焉の地大野市の歴史|不死鳥の如く蘇る越前国戦国大名・朝倉家当主の朝倉義景最後の地はこの大野市。室町時代は斯波氏が本拠地としました。www.echizen-
本日、ご依頼者宅を訪問した帰りに、久しぶりに玉手山遊園(現ふれあいパーク)に行ってきました。小学生の頃は、子供会で何度か連れてこられましたが、あれからもう50年近く経ちました。怪しげな民芸品や昆虫の標本が…大阪夏の陣の道明寺の戦いで、後藤又兵衛が陣を敷いたのが玉手山(旧称:小松山)です。公園内には両軍戦死者の供養塔、後藤又兵衛の碑があります。河内国分は古来から交通の要所でした。平地は駅周辺程度で、とにかく坂が多い。帰りには左ひざに加え、右ひざにまでも痛みが…
海抜0mの田子の浦鈴川海岸から古代東海道→旧東海道を経て、7基の古い道しるべに導かれ村山道を北上し、富士山興法寺大日堂/村山浅間神社へと歩を進めています…↑PM17:02…「富士家」(池西坊)の墓所(海抜486m)にやって来ました。明治元年、新政府は神仏判然の令(神仏分離令)を発令。神仏分離により池西坊(村山三坊のひとつ)が廃され、当時の池西坊の住持栄徳は「富士司家」を名乗り、神職として復飾しました。(家紋は「丸に左離れ立ち葵」です)池西坊は廃されましたが、池西坊栄寿は神仏分離後
昨日ようやく犬の供養塔に行けた。先週行こうとしてたけど、アホみたいに早起き(3時頃)してしまい、出かける前にほんの少しうたた寝しようと横になったら夕方まで寝てしまった。夜より長く寝てしまうという。昨日も夜中に目が覚めたけど強引に6時くらいまで寝て、家にいると寝てしまうので早目に家を出た。早目に出たと言ってもそんなに早くなかったので、道場駅着いたの10時頃。雲が多くて画像が暗いのばかり。閉鎖された駐在所も更地になってたり、2年前に来たときは桜並木通りに熊蜂が大量にいたのに今回はいな
今回は、岡山県瀬戸内市牛窓町の絶景の島「前島(まえじま)」のフェリー乗降口周辺をご紹介いたします☺️JR岡山駅から前島までのアクセスについては、こちらのブログ記事をご覧ください😃📝⬇️『【岡山】時刻表必見☆絶景の観光地「前島」への行き方【牛窓】』今回は、岡山県から行ける絶景の島「前島(まえじま)」をご紹介いたします☺️アクセスは、岡山駅からスタートで順を追ってご説明いたします💁①JR赤穂線・岡山駅➡️…ameblo.jpまずフェリーで島に上陸して真っ先に目に入るのは、オイスターバー「まえ
鎌倉別願寺にある宝塔(市重文)は、第4代鎌倉公方足利持氏の供養塔とされています。年代的にこの宝塔は鎌倉時代造立とされ、没年(1439年。公方在職1409年-1439年)よりだいぶ前の造立ですから、別物である事は間違いありません。ここまではAIを使わなくもわかりますが、この図柄が何か?です。塔身の四面に彫られています。いくつかのサイトでは鳥居と記述されていますが、それはあり得ません。神仏習合の時代であっても「死」にまつわるものは神道からは排除され、神官でさえ墓は寺に営ま
堂森善光寺に、前田慶次の供養塔があります。前田慶次生没年不詳。安土桃山時代の武将。通称は宗兵衛、慶次、慶次郎。啓二郎と書いたものもある。諱は利太、利卓、利治、利益、利貞が知られる。滝川一益の甥、儀大夫益氏の子とされるが異説もある。尾張荒子城の城主であった前田利久の養女を娶り、その婿養子となった。はじめ、織田信長、のちに養父利久とともに利家に仕え、能登国松尾村に居住したと伝える。1585年(天正13)には越中阿尾城に入れ置かれた。1590年(天正18)の小田原征伐後に出奔したとされるが、こ
藤原宮跡は持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿藤原宮のあったところです。昭和27年に国の特別史跡に指定されており、世界遺産への登録を目指しています。醍醐池の北側に約14,000平方メートルの春ゾーンがあり、約140万本の菜の花を植栽しています。醍醐池で亡くなった人々への供養塔もありました。
魚鱗供養塔安戸池にて海の中の沢山の命おかげで今日も僕はとても元気ですありがとうありがとうありがとうありがとう板東道生の「アドイケモード-Single」をAppleMusicでアルバム・2025年・1曲music.apple.com
≪入り口の鳥居横には綺麗に桜🌸が咲いていた!亀戸浅間神社!≫亀戸浅間神社にやって来ました。主祭神:木花咲耶比売命霊峰富士山の守護神住所:東京都江東区亀戸9丁目15-7創建:大永7年(1572年)夏越大祓と年越し大祓では関東一の強大な茅の輪が置かれる事でも知られている。でっかい浅間神社の碑後ろの🌸桜🌸が気になります。亀戸浅間神社もともとこの辺りの地は高貝州と呼ばれていました。先ずは手水舎で👍身👍を清めましょう!!
カラスがラプンツェルを襲う今日の最高気温19℃予報は晴れおはようございます。今日は、ほぼ満開の桜を愛でる貴重な晴れの日になりそうです。ただ、花粉は久々の「極めて多い」出ました~!今日は、先日見事に1輪も咲いていない花見のリベンジ花見に行ってきます(≧艸≦)郡山城⑦ホームページ:郡山城跡公園/大和郡山市三連休だった3/20奈良県大和郡山市にある「郡山城址公園」へ行ってきました。城址会館立派な枝垂梅の木
3月27日古河散策日記のつづきです。花友達のeikoさんと一緒に散策しました。こちらからのつづきになります。『古河散策(2026.3月27日)⑤お休み処板長、篆刻美術館(外観)』3月27日古河散策日記のつづきです。花友達のeikoさんと一緒に散策しました。こちらからのつづきになります。『古河散策(2026.3月27日)④古河歴史…ameblo.jp歴史小説家永井路子さんの旧宅に入ります。さっさと中に入るeikoさんを追いかけて慌てて中に入ってしまい、なんと外観を撮り
弘法大師御廟までの参道には樹齢数百年の杉の大樹とともに墓石や供養塔が立ち並んでいます。お地蔵さんもあります。豊臣家のお墓も有りました。凄い所に約1200年前の816年に弘法大師空海が開いた真言密教の聖地、高野山。弘法大師御廟は神聖な場所、写真は控えました。
先の執権・北条高時(鎌倉が落ちたときは執権からは退いていたそうでその当時の執権は最前線で新田義貞軍と交戦中だったと聞きます)以下、約800人が集団自決したと伝わってるようなところですから、供養が必要な場所であると同時に事故のリスクが高くもなってる場所が同じとこっていうのは役所も市民の方も困りますよね。手を入れれば障りがあるかもしれず何もしなければ事故が起こる。幕府滅亡の供養塔周囲の木を鎌倉市が伐採住民「うっそうと茂ってたのに…」
どうして石橋供養塔を建てた?日本各地を歩いてみると、あちこちに石橋供養塔なるものが建立されているのが分かる。しかしながら、どうして昔の人々は「石橋供養塔」なるものを建立したのだろうと疑問を抱かざらないではいられないだろう。この疑問の謎解きは檜原村(東京都)の民話にヒントが隠されている。それは「毎日のように人々に踏みつけられるものだから」というふうに表現されている。昔から「石」は石神さまとして信仰の対象になっていたので、石橋を架けるときに供養塔を建立する必要があったからだと思われる。天
【金剛山仁王院法華坊鑁阿寺…土塁と水を湛えた堀割で囲まれた足利氏宅跡に建つ足利氏の氏寺、武士の館の面影がいまに残る】【栃木県・足利市】鎌倉時代の建久七年(1196)、武将で御家人の足利宗家2代当主・義兼が、足利氏の祖である源義康がこの地に構えた邸宅を撤去して大日如来を祀る持仏堂を建て、伊豆国走湯山から上人朗安を招聘して開山とし、堀内御堂を創建した。義兼の三男で足利宗家3代当主・義氏は文暦元年(1234)、亡父の戒名「鑁阿寺殿」にちなんで「堀内御堂」を鑁阿寺(ばんなじ)に改名し、本尊大日如来を祀
大生院、王神社と正法寺の近くの畑マルチで里芋でも植えたのかなそのマルチの列に一箇所途切れているよく見ると、お塚さん石で囲んで、中央に墓石のごとく畑のど真ん中だけど、確かに守られ続けている。最初はもっと大きかったのか、年月の流れで平たくなり石のみがのこったのか、わからないけれど。石を動かさないことが原則のようで、小さく築き直すのは、構わないのだろうか。おそらく、大きくするのは構わないような気がするけど。新居浜市辺りに「お塚さん」が増えたのは、天正の陣のせい。戦死者の骸(むくろ)が
2月末小一の孫が泊まりに来ました。クリスマスプレゼントに新選組の衣装セットをもらうほど孫は今「新選組」に夢中で一番好きなのは永倉新八残念ながら私は知らず…そう言えばJR板橋駅前に近藤勇のお墓があるのを思い出し次の日夫と三人で行ってみましたなんと近藤勇と新選組隊士供養塔を建てたのは永倉新八!すぐ脇にお墓もあり孫はとても嬉しそうでしたとても詳しい記事がありました2025,12,31アメブロ『東京都北区にある「近藤勇・新選組隊士供養塔」を訪問慰霊致しました』
前回からの続き、山頂から見る風景、写真中央の白い塔のトコがサウスヴィレッジうぐいす色の屋根の灘崎町総合公園近く、住宅地域と耕作地の境目に宇野線が通り総合公園近くの境目線沿いに、備前片岡駅があるはず。ちょうど紅葉の時期(11月29日訪問)ずらっと並ぶ、討死されたお歴々の墓石&供養塔、悲惨な激戦地を偲ばせるが訪問時の2ヶ月前、こんな不届き者が現れ、ことごとく破壊されたんですよね。Xの記事より:玉野市で供養塔や石仏44基を蹴り倒した件、17歳と22歳が逮捕城主と奥方の供養塔、ちゃんと生花
板橋将監の塔(日光市)板橋城主・板橋将監親棟の供養塔。墓ではないらしい。↓板橋城↓『板橋城(日光市)』板橋城(日光市)永正年間(1502~20)に日光山・遊城坊綱清によって築かれた。天文年間(1532~55)になると壬生綱房は宇都宮氏と仲が最悪になってしまい、…ameblo.jp【名将・板橋将監親棟】出身地:東京生没年:???~1594身長/体重:不明血液型:不明投打:不明ドラフト年:不明武将通算年:不明守備位置:板橋城経歴:扇谷上杉氏-後北条氏-壬生氏当初武蔵国板
≪本殿には凄い仏(神)が祀られている!浄土宗・宝徳山・「金蔵寺」!≫浄土宗・宝徳山・金蔵寺にやって来ました。本尊:阿弥陀如来住所:東京都江戸川区江戸川3丁目23-4応永年間(1394-1428)開山された。もとは知恩院の末であった。宝徳山金蔵寺石稗六地蔵!!霊供養塔!!母子像!!!母子像をアップで
今日は中華街の側唐人屋敷跡にある老舗のパン屋さんフカダベーカーリに寄りました同じ旧唐人屋敷内にある土神堂(どじんどう)唐人屋敷パーキングに駐車時駐車場の奥に供養塔があるのに気がつきました長崎に原爆が投下された時その中には長崎で暮らす多くの華僑の方々も含まれて居ました原子爆弾殉難者供養塔です亡くなった方のご冥福を祈り合掌礼拝!!フカダベーカリーさんは地元では人気のパン屋さんです近くにある長崎ランタンフェスティバルのメイン会場では撤去作業
昨日からの続き、上がるとデカめの中継局TV用かなにかはわかりかねますが…階段と併設して舗装道もあるから建てられたのだと。道幅は最狭ですが。供養塔昭和五十年建立デカい供養碑も過去にここでどんな悲劇があったのか毛利勢が攻めてきたとき、男手がたまたま出払ってて正室以下侍女ばかりが留守居番でそんなときに攻められたらどうしようもなく、尽く討ち取られ、姫は自刃。そんなこともあってかこの場所、幽霊が出るって噂もあって…m(__)m
三居澤大聖不動堂(仙台市青葉区荒巻三居沢)境内、最古の碑鰻塚猫塚東日本大震災の供養塔