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今日、8月15日は父の命日。久しぶりに、タイムリーに仙台のお墓へ🚙お盆の真っ最中だけに、たくさんの花が供えられている🥰命日に来ることが出来て、良かった👍共同供養塔墓地の一角に、華やいだ雰囲気の所が‼️樹木葬なのだが、色とりどりのガラスのプレートが綺麗😍まるで公園にでも来たかのよう昔の、気味が悪い墓地とは、隔世の感がある😊自分だったら、こんな所に葬られたい😅あの世でも、楽しく過ごせそう⁉️と、勝手な想像をしているが、案外、大変なのかな〜😨こればかりは、あの世へ行ってみないと、分から
夢で故人と逢ったことある?▼本日限定!ブログスタンプツレは夢にも出てきてくれませんもし魂があるとしたらウチに帰って来てるのかな初盆といっても法要も飾りつけもしないけど小さな盆提灯をともしたろうそくの灯りのように揺らいでる今日、息子が私の実家の菩提寺にお参りに行こうと言ってくれたので乗せてってもらった私の祖父母と両親が眠る合祀供養塔供養塔には○○家先祖代々と父と母の戒名が刻まれたプレートがはめ込まれている母の言いつけ通り母
【猿海山龍本寺…日蓮聖人が誕生の地から舟で鎌倉を目指す途中で遭難、白猿と公郷村民に助けられ、この地の岩窟に37日間籠もって祈願した後に鎌倉に】【神奈川県・横須賀市】日蓮上人を助けた石渡左衛門聖は日蓮宗(法華経)に帰依し、祈願跡地に建てた草庵が”御浦法華堂(三浦法華堂)”で、龍本寺の草創とされる。この草庵は南北朝時代の明徳年間(1390~1394)に衣笠に移されて大明寺となった。龍本寺は日蓮聖人32歳の像を本尊として祀っていて「米ヶ濱のお祖師様」と呼ばれ、親しまれている宗門最初の霊場であり、
岐阜県・安八町今日も、40℃に向けてまっしぐらの岐阜です(泣)知らないことが多いと思う圭那です。と言うことで・・・以前、松尾山城から下山後道に迷っている時にたまたま見つけた「常盤御前」の墓所。。。それから、半年・・・これまた、いろいろな資料を読んでいて(たまたまだけど)見つけた、「常盤御前」の息子の供養塔。またまた、常盤御前ネタに辿り着いた圭那です。全くの、確証は無いですが・・・一応、先祖から源氏系と聞いていたので・・・何かの巡り合わせかも知れま
埋めた位置を忘れないために撮った写真ペルタンはお庭に埋めてあげて、夏の高温や雨で腐敗したことによる臭いを防ぐために刈った草や剪定した木の枝を被せてあります。――ので、全く臭いはして来ません。図書館で鵜飼秀徳さんという仏教の僧侶の方が書いた「ペットと葬式」のタイトルの本を借りて読みました。近年のペットの家庭内での地位向上によって、葬式・供養・死後の解釈などで仏教界で意見が割れ、揺れているということが書かれてありました。2018年出版の本ですが、今でも余
餓鬼どん[がきどん]無縁にあたる霊。一人前になる以前に亡くなった者たちの霊たち。餓鬼仏とも言う。道行くひとに取り憑いて突然お腹をすかせて動けなくしたりするという。「餓鬼仏」ということばは、無縁などの意味でも用いられている。その供養塔と観音を背景に彼等を黄泉の国へと導く法主〜その名も餓鬼どん法主為る者を描いてみた。不施餓鬼供養を生業とした一風変わった法主だろう。ちょっとお買い物に行こうか😃
田所城主小野上野守頼元の墓左に古い墓石と供養塔が
前ブログの続き山の中に点在する山ヶ野金山史跡。地図を眺めただけではわからないけど、おばちゃんとおじちゃんが指摘した通り、アップダウンが激しく、しかも急峻なでこぼこ山道。地図上には縮尺記号がなく、狭いエリアに集中してるように見えるものの、結構な範囲に史跡が散らばってるロケ―ションだということが、軽トラに乗ってじきに判明。日は西に傾きかけ、帰りの飛行機の搭乗時間も近づく中で、ガイドを引き受けて下さった方が時間が許す限りご案内しましょう、と軽トラを山奥に走らせること
松浦定は安土桃山時代の武将で、相神浦松浦氏の18代目当主になるが、文禄の役において22歳で討ち死にした。供養塔は松浦市今福町東免にあり、中央の板碑が松浦定と七名主従のもので、隣に松浦定の五輪塔がある。
土居町のひかり食堂でラーメン🍜をいただいた後、その裏、北側にある石碑に目が行く天下泰平元治二◯七年願主◯◯奉供養四国西国秩父坂東神社佛閣拝禮村中安全講世話人◯◯と読める西暦1865年年号元治は二年しかなく、二年は4カ月しかなかったそうな次の元号は、幕末を象徴する「慶応」石碑は半分欠けたのではないかと思う形状である回りは道路で仕切られているが、花立てがあり、幟の石柱も立派にある様々な供養塔供養碑は、人知れず佇んでいる供養塔は遺骨を伴うもので、供養碑は顕彰のモニュメント
2026-05-25車で走っていたら観音さまとがおられたのでご挨拶しました。門は守霊之門といって昭和61年に沖縄戦で戦死した方の供養塔だそうです。奥に観音堂があります。名前のとおり子宝の観音さまでした。男性のシンボルもあります。遠くからも参拝されているようです。御利益がある観音さまなんですね。
三成公敗戦の将供養塔八幡神社西側に石田三成一族の供養塔があります古い墓石が囲いの中に収められている供養石田三成家臣の文字が見える残紅葉散り残る紅葉はことにいとおしき秋の名残はこればかりとぞ残照の空にあずけし柿一つ昭和16年に隣接の八幡神社の地中より故意に破壊された多数の五輪塔の残欠が発掘されましたその一部に「永禄五年六月」「天正十四年正月十四日」「妙性霊位」或は「缶禅定門」等の文字が刻まれ、これら墓石の残欠は石田三成公の先祖に深い関係あるものと推定され、おそらく関ヶ
北条政子の供養塔が鎌倉市の寿福寺と安養寺にあります。(寿福寺政子供養塔)寿福寺は源頼朝の菩提を弔うため、頼朝没の翌年(1200年)建てられました。鎌倉末期から南北朝時代の造立と考えられる五輪塔が、丘陵を削った崖面の「やぐら」内に納められています。(安養院政子供養塔)安養院も頼朝の菩提を弔うために建てられました。1225年に建てられた長楽寺が前身です。南北朝期に建てられたと考えられる宝篋印塔の基礎には、「一位政子御法号安養院殿如實妙観大禅定尼嘉禄元年七月十三」と彫られて
永代祠堂とは、お檀家さんにならずとも、お寺の供養塔で永代(お寺が続く限り)に渡って供養を行う合同墓所のことです。
参拝日2026年4月16日(木)壇上伽藍を参拝したあと、金剛峰寺に向かいました。入口は桜が満開でした。一番よい時期に行けたと思います。立派なお堂です。南無大師遍照金剛🙏お堂の内部は撮影禁止と思い、一切写真を撮りませんでした。しかし、帰ってきてからパンフレットを見ると「襖絵撮影禁止」と書かれていました。庭園の写真だけでも撮っておけばよかったと思っています。😫拝観順の最後に、2020年に奉納された千住博氏の襖絵:断崖図を見ることが
やっぽ~(^O^)/きょ~な☆です今日もさっさとお出かけネタの続きを!次は海善寺です。ここは麻績宿の外れにある善光寺街道沿いに有るお寺です。六地蔵尊がお出迎え(^v^)苔むしていて歴史を感じますね。このお墓も古そうそして海善寺のお堂なかなか趣のあるお堂ですよね。でゎご挨拶をのんのんご挨拶完了(^_^)v普段は中が見られないのが残念です...石のベンチに座って一休み(^v^)説明板麻績城主の供
大徳寺の次は塔頭寺院の大光院へ〜こちらも通常非公開寺院ですが、豊臣秀長の菩提寺で、特別公開してるので拝観を愉しみにしていた寺院です大徳寺塔頭寺院の大光院山門拝観入口から境内はお庭も含め、一切撮影は禁止🈲です大光院古渓宗陳を開祖とする大徳寺の塔頭寺院です文禄元年(1592年)豊臣秀吉の弟豊臣秀長の菩提寺として、奈良大和郡山に創建され、慶長4年(1599年)に秀長の家臣藤堂高虎により大徳寺山内に移されました昭和30年に同じ山内の現在地に移築客殿などの建物は江戸時代に建てられたも
深みのある赤色が美しい「ニューインペラルレッド」を使用した洋墓が完成しました。落ち着きの中にも存在感があり、晴天の光を受けて艶やかに輝く姿がとても印象的です。今回のお墓は、供養塔と洋墓を組み合わせた設計となっており、これから先のご供養のあり方を大切に考えられた、想いのこもった一基となりました。正面には「きてくれてありがとう」という温かい言葉が刻まれ、ご家族の感謝の気持ちが静かに伝わってきます。赤い石ならではの優しさと重厚感と想いをより深く表現しているように感じます。また、寺墓地であるの
196番目のこんにちは永代供養を探している人へどんなものにも供養の想いは後からでも出てくるけどその永代供養でいいの?奈良の當麻寺(たいまでら)にある中之坊(なかのぼう)の永代供養墓を運営管理しているたかおちゃんです!今日はYahoo!ニュースの記事で奈良にある上北山村にある『護鬼佛理:ゴキブリ』が有名になってるそうなんですこの『護鬼佛理』は2000年11月に建てられたようで25年経った今、珍しい供養塔が
☆本妙寺本妙寺へ足を運びました。同寺は、明治44年に本郷から移転。「振袖火事」と呼ばれる明暦3年の大火の火元といわれるが、事実は本妙寺の隣の老中阿部忠秋の屋敷が火元だったという説もあります。境内には明暦の大火の供養塔、江戸町奉行遠山金四郎、北辰一刀流の開祖千葉周作、本因坊代々の墓などがあります。墓には案内サインがあるので助かりました。本妙寺住所:東京都豊島区巣鴨5-35-6電話:03-3917-1558営業:自由参拝料金:無料
善光寺本堂から外に出て、さて、次はどっちに向かうのかな💡「はい、こっちよ〜(^-^)/」と機織り同僚の後ろについて行く♬wwつらつら歩いていると、「ここが、大奥のご婦人たちの供養塔なんですって」「こっちは、真田家の供養塔」石塔には真田のシンボル六文銭が刻まれていました💡お歴々の皆さま、善光寺で居心地よく眠っていらっしゃいますね🙏更に本堂の西の方は向かいます🚶🚶🚶そこに現れた「経蔵」には、どーんと
『ちょこっと雑学』[[百人浜(北海道)の由来は?]]北海道のとある海沿いに「百人浜」という浜があります。1816年(文化13年)南部藩の御用船が難破しました。乗員100人が犠牲になり、その多くがこの浜に打ち上げられたことから名付けられたというのが、由来になっているという説があります。まるで心霊スポットばりの逸話なのですが、それを裏付けるかのように、江戸時代に建立された立派な供養塔も建っています。ちなみに、実際の百人浜はいい雰囲気の観光地で、美しい弓なりの浜と緑化事業の観察展望が百人
久しぶりに懐かしい。初めて行ったのは、2001年12月.驚いた。とにかく懐かしい。一緒に行ったお方様は、元気かな。もちろん僕のことなんて思い出すことなく、元気で過ごされていると思います^_^初めて、一乗谷に行ったときから、朝倉義景公終焉の地に行きたかった。それがこちら。福井県大野市朝倉義景公のお墓戦国大名・朝倉義景終焉の地大野市の歴史|不死鳥の如く蘇る越前国戦国大名・朝倉家当主の朝倉義景最後の地はこの大野市。室町時代は斯波氏が本拠地としました。www.echizen-
本日、ご依頼者宅を訪問した帰りに、久しぶりに玉手山遊園(現ふれあいパーク)に行ってきました。小学生の頃は、子供会で何度か連れてこられましたが、あれからもう50年近く経ちました。怪しげな民芸品や昆虫の標本が…大阪夏の陣の道明寺の戦いで、後藤又兵衛が陣を敷いたのが玉手山(旧称:小松山)です。公園内には両軍戦死者の供養塔、後藤又兵衛の碑があります。河内国分は古来から交通の要所でした。平地は駅周辺程度で、とにかく坂が多い。帰りには左ひざに加え、右ひざにまでも痛みが…
海抜0mの田子の浦鈴川海岸から古代東海道→旧東海道を経て、7基の古い道しるべに導かれ村山道を北上し、富士山興法寺大日堂/村山浅間神社へと歩を進めています…↑PM17:02…「富士家」(池西坊)の墓所(海抜486m)にやって来ました。明治元年、新政府は神仏判然の令(神仏分離令)を発令。神仏分離により池西坊(村山三坊のひとつ)が廃され、当時の池西坊の住持栄徳は「富士司家」を名乗り、神職として復飾しました。(家紋は「丸に左離れ立ち葵」です)池西坊は廃されましたが、池西坊栄寿は神仏分離後
昨日ようやく犬の供養塔に行けた。先週行こうとしてたけど、アホみたいに早起き(3時頃)してしまい、出かける前にほんの少しうたた寝しようと横になったら夕方まで寝てしまった。夜より長く寝てしまうという。昨日も夜中に目が覚めたけど強引に6時くらいまで寝て、家にいると寝てしまうので早目に家を出た。早目に出たと言ってもそんなに早くなかったので、道場駅着いたの10時頃。雲が多くて画像が暗いのばかり。閉鎖された駐在所も更地になってたり、2年前に来たときは桜並木通りに熊蜂が大量にいたのに今回はいな
今回は、岡山県瀬戸内市牛窓町の絶景の島「前島(まえじま)」のフェリー乗降口周辺をご紹介いたします☺️JR岡山駅から前島までのアクセスについては、こちらのブログ記事をご覧ください😃📝⬇️『【岡山】時刻表必見☆絶景の観光地「前島」への行き方【牛窓】』今回は、岡山県から行ける絶景の島「前島(まえじま)」をご紹介いたします☺️アクセスは、岡山駅からスタートで順を追ってご説明いたします💁①JR赤穂線・岡山駅➡️…ameblo.jpまずフェリーで島に上陸して真っ先に目に入るのは、オイスターバー「まえ
鎌倉別願寺にある宝塔(市重文)は、第4代鎌倉公方足利持氏の供養塔とされています。年代的にこの宝塔は鎌倉時代造立とされ、没年(1439年。公方在職1409年-1439年)よりだいぶ前の造立ですから、別物である事は間違いありません。ここまではAIを使わなくもわかりますが、この図柄が何か?です。塔身の四面に彫られています。いくつかのサイトでは鳥居と記述されていますが、それはあり得ません。神仏習合の時代であっても「死」にまつわるものは神道からは排除され、神官でさえ墓は寺に営ま
堂森善光寺に、前田慶次の供養塔があります。前田慶次生没年不詳。安土桃山時代の武将。通称は宗兵衛、慶次、慶次郎。啓二郎と書いたものもある。諱は利太、利卓、利治、利益、利貞が知られる。滝川一益の甥、儀大夫益氏の子とされるが異説もある。尾張荒子城の城主であった前田利久の養女を娶り、その婿養子となった。はじめ、織田信長、のちに養父利久とともに利家に仕え、能登国松尾村に居住したと伝える。1585年(天正13)には越中阿尾城に入れ置かれた。1590年(天正18)の小田原征伐後に出奔したとされるが、こ
藤原宮跡は持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿藤原宮のあったところです。昭和27年に国の特別史跡に指定されており、世界遺産への登録を目指しています。醍醐池の北側に約14,000平方メートルの春ゾーンがあり、約140万本の菜の花を植栽しています。醍醐池で亡くなった人々への供養塔もありました。