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現在の茶の湯は「侘茶」が主体となった「近代数寄者の茶」が主流であるということに異を唱える人はいないでしょう。しかし、そんな方々が崇拝する利休は「侘茶の人ではなかった」というと、一斉に無視をされますwwwwでもこれは事実なので大きな声でいいましょう。「利休は侘茶の人ではなかった」のです。では、利休の茶とは何だったのか?それは「侘数寄」です。侘数寄の祖は村田珠光で、侘数寄を大成させたのは村田宗珠です。そして、実は武野紹鴎のころには侘数寄は廃れており、
わびさびついて書かれた谷晃氏の新刊氏の指摘「茶の湯は次第に形式に流れ表面的には禅を装いさえすればそれで良いと言う傾向に堕していった為、ことさらに茶の湯における禅の意味を強調せざるを得なくなったのではないかとも考えられるのです」なかなか読み応えのある本です。裏を返すと抽象的でわかりにくいところがありますが。。。神津朝夫氏の著書の様には読み易くないです。。追加”侘び”とは何か?実践する茶人の考え一つだと思いますが、例えば、現代で大燈国師宗峰妙超の遺偈を掛け、大名道具
イエズス会の通訳ジョアンロドリゲスの日本教会史から「うまきもの」について倉沢行洋氏が書いておられるので紹介したいです。今の武家茶と町人茶のごちゃ混ぜになってる状況に竿を刺す意味で。以下、「うまき」余りにあたりさわりよくピリっとしたところのない状を言うものとおもわれ」⭕️「かように、うまき道具、御道具、大名道具と言われる道具は、数寄茶湯には相応しからぬ道具なのであった」
石州侘びの文より「器物を愛し風情を好むは形を楽しむ数寄者也。心を楽しむ数寄者こそ誠の数寄者とは言うべけれ。たとへ千貫万貫の道具たりとも、炭斗瓢一つ程の数寄の本意は叶ふまじ」筆者「世をあげて道具を競い、見せ物化している現代世相の中で稽古を積むにつれ、侘数寄から遠のいて、道具が欲しくなると言う心情は、また止むを得ないものがあるのかもしれない。」「侘茶の不変の理念が潜んでいるこの自然な日常性の中へ、もう一度回帰することが今こそ茶道にとって最も必要なのではなかろうか」補足)この頃の茶道雑誌を読
p404(終章の付して)「箒庵に対して批判を向けたいと思います。箒庵は富者は富者、貧者は貧者、それぞれ身の程にあった茶の湯を楽しめと言うのですが、利休を回顧するまでも無く、貧者(侘数寄者)を救済する事を主目的として、利休は画期的な創意を思い付きました。その動機付けが創作茶室、創作茶道具の提案に結び付きました。しかし、箒庵は富者と貧者の茶の湯者がいる現実を知りながら20世紀ならではの創作茶道具を提案すると言う方向を探りませんでした。ここが残念でなりません。」中略「箒庵に限らず、鈍翁しか
新編茶道全集第八巻七、利休の歩み西堀一三より(利休を指して)徒らには、数寄の師匠とならざらんとは考えたものの、遂にその師匠となって世を渡らねばならぬ口惜しさも元に経験したところであった。利休ではなく宗ニの言葉としては、この種の茶湯者を罵倒する言葉さえ言われている。それを宗ニは自らの伝書の中にさへいい、その心事の同感者が利休であるのを、名を挙げて述べているのであるから、恐らく、この宗ニと利休の二人は、その地位や身分に拘らず、真の教養としての茶をあくまでも護らんとした人であったのであらう。
小家(茶室)へ行くのに通る林と路地とを造るに当たっては、どんな木でもよいと言う訳ではないので、遠隔の地から、ある種類で一定の形状、格好をした木を探し求めて、そこに植え付けそれらの木が根づいてそこに自然に生じた様な林となるまでには多くの費用がかかる。特に、路地に敷き詰める石には金がかかる。それらは粗末で、加工しなくても、ある一種の形態、風格、無造作を備え、自然に出来たようであって、ある特定の種類に属するもので、それらを極めて遠方の地から探し求め莫大な金で選んで買い入れる。以下省略しますが中門
p238疑念の有る出典ですが。松風雑話より利休は懐石を豪華に仕立てようとはしなかった。(中略)大名は一段と粗末にして出すも良し、侘び茶人は反対に結構な仕立てで出すのも悪い事では無い。私見補足)宗旦が言うに、大名が侘びた茶会を開いた時、わざとらしい侘び茶はいかがなものか!大名には相応しい茶が有ると言ったとの事。原典の「松風雑話」は表千家八代目啐啄斎の頃の稲垣休叟が書き残したもので、後段の部分は稲垣の自論を展開したのみと読むべきだろう。
先月(2022年10月)、BS日テレで放送していたものをようやく見た。ヴェネツィア映画祭で銀熊賞を受けたというが、石庭、茶室、あらゆる画面が外国人に受けそうだと思った。井上靖の原作を二年前に読んでいたのでメモを読み返してみた。千利休を三船敏郎が演じている。利休はとても上背のある人だったというから、それもありかなと思う。タイトルロールに映る龍安寺の石庭、その他の映像、光の使い方など、すばらしい。本覚坊は利休の弟子で、奥田瑛二が演じている。本作では、彼の夢や回想に現われる師匠利休についての
侘数寄は名物持たず創意あり胸の覚悟ば備えたる者道舜山上宗二がいった数寄者の定義です。「一物も持たず、胸の覚悟一、作分一、手柄一、此三箇条」が原文ですね。ここで肝腎なのは、「一物も持たず」という点と「作分(創意)」があるという点、そして「胸の覚悟」を備えているという点です。手柄(技量)は当然のことですので省きます(笑)「名物持たず」とは、わかりやすいですね。現代だと、ブランド化された江戸時代から続くような作家の作品を持たず、現役の作家の品から取り上げる……ということ
昨夜遅くには、台風21号の影響で、渡月橋近くの嵐山東地区には桂川が氾濫する危険性が高いとの警報が出されましたが、大きなことにならなくて幸いでした。先々週より体調不良が続いていましたので、今日は、超音波検査と胃カメラ検査の日です。検査待ちの間に、「長闇堂記」を読んでいました。奈良の春日大社の神人、久保権大輔が最晩年に著わした茶湯についての回想録です。現代語訳なので、原文で読むよりも気楽に読めます。その中の一節です。「侘数寄は心強く大胆であらねば、道具万(よろ)ず不如