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今日のことば芥川龍之介さんの言葉唯民衆を支配する為には大義の仮面を用いなければならぬしかし一度用いたが最後大義の仮面は永久に脱することを得ないものである(作家)(著書:侏儒の言葉引用)
日本の生産性の低さが問題になっている。これは、まだ円高だった時から言われていることで、昨今のように円安になると、どれほど生産性が低いかということになる。先進国と言われる国々の中でもダントツに生産性が低い。仕事嫌いでストばかりやっているようなフランスでさえ日本よりは高い。日本の隠れたサービス残業などを加えるとさらに低くなる可能性さえもある。我が説を言えば、欧米と日本、仕事をどう捉えているか?ここに大きな違いがある。日本では仕事を天職と考え、いかにこの仕事をまっとうするかに力点が置かれ
さてなんとかアイドルチームぷらねっとを倒した文蔵でしたが…ペラい、まぁ若者言葉として別にアリだと思いますが、そのうち「薄っぺらい」という元の言葉を知らずに使う世代が登場しそうですね。まぁそうやって日本語というものもブラッシュアップされていくのか…そんなわけで決勝を戦うのはこの8チーム。まぁ全国行く4チームは文蔵、開城、麻ヶ丘、神南なのかね…さて笹島兄妹は夏休みが終われば京都に転校する事になってました。メインキャラが2人抜ける事になりますが、漫画として維持できますかね?転校生とか新たなテ
芥川龍之介の著書に『侏儒の言葉』というのがある。この侏儒とは、「見識のない人をあざけていうこと」すなわち、言葉や出来事などをそのような視点で思いつくまま表現したことを集めたもの。その中にある一つの文に「キリストは私生児かどうかということである」という記述がある。これは、「高邁な思想を語っても人が関心を寄せるのはスキャンダル」という意味で書かれているようだ。その芥川龍之介が書いたかもしれないと言われる『赤い帽子の女』というタイトルの小説がある。ただ著者名として芥川ではなく「黙陽」と
GW前なのにソメイヨシノは今は散り頃。それでも周りは程よくいろんな春模様でカラフルです。私は、今週は桜週間のように🌸を観て歩いていました。続・弘前公園の桜・♡ハート型をパチリ!🌸と下乗橋・猫柄のぼんぼりを見つけて、ついパチリ。・水芭蕉の花を見つけて、ついパチリ。・お堀にカモたちを見つけて、ついパチリ。・オシドリを見つけてついパチリ。道の駅『アップルヒル』の🌸(青森市・浪岡)・雨で靄ッとした空気でしたが、濃いピンクがかすんできれいでした。青龍寺金堂と🌸(青森市・桑原
エピグラフ風人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。ーー芥川龍之介さん「侏儒の言葉」より。人生はテトリスに似ている。若者言葉(?)に、「詰んだ」というのがある昭和生まれのおじさんがこの言葉を翻訳するとしたら、こうだろうか人生はテトリスに似ている。(以下省略)「テトリス」と言えば、過日、こんなニュースを目にした【史上初、13歳少年が『テトリス』完全制覇を達成。発売から35年、人類で初めて“最果て”に到達し最後はゲームがフリーズ】h
明日は他人の私へ。カラーバス効果でしょうか、それとも最近流行ってるの?「人生は死ぬまでの暇つぶし」って言葉。なんかねえ。好んでよく読んでいたブログで近頃立て続けに「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」て言葉を見るんですよ。なんだよみんな暇なのかよ。いや、意図としてはまあ分かるんですけども。そんな重く考えなくていいんだよ?ってことでしょ。けどもさ。そういうことなら芥川龍之介の言葉だってあるやん?侏儒の言葉文芸的な、余りに文芸的な(
行政書士試験は、地方自治法からの出題もある。地方自治法は、範囲が広い割に、あまり出題されないので、得点効率が悪い科目だという話を聞いたことがある。たしかに、こんなに勉強して、数問しか出ないのかと思うと、泣きたくなる。だけど、身近なのによく知らない、地方の行政活動について知ることができるので、地方自治法について勉強するのは、後々になっても役に立ちそうだ。細かい規定が多くて、頭がクラクラするけれど。
魂を継ぐもの〜破滅の無頼派・西村賢太〜-ETV特集-NHKまず初めに断っておかなければならない。私が小説を読まなくなってから登場した西村賢太という作家の作品は一冊も読んだことは無い。彼を知ったのは御多分に漏れず芥川賞受賞によってだが、他の受賞作家のことはほとんど覚えていないのに、彼一人だけが記憶に残っていた。この番組によってその理由が分かった気がするのだ。幼い頃からインドアな私は絵を描くことが好きだったが、その次に小説にも嵌った。読書ガイド的なものが無かったので岩波文庫の緑帯
芥川龍之介の『侏儒の言葉』のなかに「彼は最左翼の更に左翼に位していた。従って最左翼も軽蔑していた」「革命に革命を重ねたとしても、我々人間の生活は『選ばれたる少数』を除きさへすれば、いつも暗澹としているはずである。しかも『選ばれたる少数』とは『阿保と悪党と』の異名に過ぎない」という言葉がある。芥川は毒を飲みほすことができたからこそ、それこそ川端康成同様に、末期の眼から現実を見下ろすことができたのである。それはニヒリズムと呼ばれる類いのものではあるが、それをくぐり抜けなければ、何人も、思想を語
クロイツェル・ソナタ/悪魔(新潮文庫)Amazon(アマゾン)1〜4,200円小説「クロイツェル・ソナタ」は、妄想癖のあるポズドヌイシェフ紳士が、激しい嫉妬にかられた末、妻を殺害してしまうという話である。その一部始終を、たまたま列車に乗り合わせた見ず知らずの「私」に語りかけるというのが、この小説の設定になっている。小説「悪魔」にも言えることだが、これらの作品は、性についての徹底した批判意識が見られる。男が女を愛すのは、精神的な満足を得るためではなく、あくまで性欲を満たすためなのだ
【Q17821】1987年にその市街がボリビア初の世界遺産に登録された、アンデス山脈中の標高約4000mに位置するボリビア南部の都市で、1545年に銀山が発見されて以降銀の産出で繁栄し、一時人口は16万人に達し新大陸最大の都市となったのはどこ?【ポトシ】【Q17822】年間10回発行されていたが2022年4月から年4回の季刊に変更された、車の故障時のロードサービスなどを行っているJAF(日本自動車連盟)が会員に送付している機関誌で、発行部数は約1300万部で、日本一発行部数が多い定期刊行物と
今朝、朝日新聞を開いて、いつもの鷲田清一の「折々のことば」を見た時、芥川龍之介の「侏儒の言葉」に入っているあの有名な1つが、私にはとてもその言葉通りには読めなかった。[人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。]……………………「人生は一箱のマッチに似ている」のその[人生]が何故かもう何故か[人生]ではないものに思えてくる。見えてくる…………たとえば、[思想]たとえば、[国家]たとえば、[ナ
久しぶりに芸談と言うのではありませんが、菖蒲園さん(はじめさん)のLivedoorBlogの『天王寺詣り』と言う記事にインスパイアされて書きます。◇https://hajime-17.blog.jp/archives/2018136.html江戸落語のらしい作品と言うのは、三遊亭圓朝や談州楼燕枝の作品の様な長講か連続物。あまり講釈と変わらぬ地の部分・ト書き語りが少なくない噺を連想します。一方、上方落語らしい噺と言うのは、『天王寺詣り』や『野崎詣り』のような、漫才か?ッと思う賑やかさとハ
「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。ブログで、こちらの作品について書かれているのを見かけた。だから読んでみた。結構面白かった!個人的に面白かった言葉を引用しつつ、侏儒である(見識のない→馬鹿な)わたしが勝手に所感を述べてみる。礼法或女学生はわたしの友人にこう云う事を尋ねたそうである。「一体接吻をする時に
今日発売の図書新聞に、芝木好子さんの復刊小説『新しい日々』(書肆汽水域)の書評を寄稿しています。本筋ではないのですが、いちばん印象に残ったのが、短編「脚光」の中で、洗濯物が乾いたから楽しいというお手伝いを、奥様が不思議そうに見つめる場面。奥様は日常に生きていない。傍目にはどれほど恵まれた暮らしでも、奥様にとってはナッシング、ないのと同じ。スポットライトを浴びる非日常の「板の上」・・舞台だけが全人生なのです。日常に生きられないのは、わたしも同じ。人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなけ
芥川が海軍機関学校に勤めていたのは、大正五年から八年、「軍艦金剛航海記」が発表されたのは大正六年である。これに先立つ大正三年にシーメンス事件が起きており、軍艦金剛はこれに大きく関係する。「軍艦金剛航海記」はシーメンス事件を踏まえて、読まれなければならない。本稿ではこの課題について考えてみたい。まずシーメンス事件について、本稿で必要な事柄に重点を置いて概要を述べたい。シーメンス事件は大きく二つの部分に分かれる。第一の部分は、ドイツのシーメンス社が軍艦建造に関して長年日本海軍高官に賄賂を贈って
>わたしは古い酒を愛するやうに、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。さうとしかわたしには考へられない。芥川龍之介『侏儒の言葉』に収録される『好悪』と題された短文の冒頭部分です。僕は小学生の頃、芥川を愛読していました。短編でストーリー性が高いために読みやすく読んでいても馬鹿にされたりしなかったから。芥川は特定の信仰を持っていないと思いますが仏教やキリスト教への造詣の深さには並々ならぬものを感じま
「運命は偶然よりも必然である運命は性格の中にあると言う言葉は、決して等閑の中に生まれたものではない」芥川龍之介「侏儒の言葉」運命は偶然で、抗えない物だと思われがちだが、そうではなく、性格が決める、つまり「人間の意志が、運命を変える事もある」と言う意味だと思います。だから、運命に流されて生きるのではなく、意志を持って、自分の道を進む事が大切だよ、と芥川龍之介は言っています。この言葉は、朝ドラ「エール」の第17話で、森七菜さん演じる、音内家の三女の梅ちゃんが「運命は、偶然に見えるけど、実際
<深田久弥、深沢七郎、松本清張、芥川龍之介>163「津軽の野づら」深田久弥連作短編集中島健蔵:解説新潮文庫目次1.あすなろう2.チャシヌマ3.エェデル・ワイス4.志乃の手紙5.母6.帰郷7.はぎ葉8.山の小屋9.幼な顔10.月の桂名著『日本百名山』の作者、深田久弥さんの、地方色豊かな連作短編集です。登場人物は一緒で時系列に書いてありますので、一個の長編として読む事も出来ます。チャシヌマと武、志乃と高丸、この二組の男
「羅生門・鼻・侏儒の言葉」⠀芥川龍之介⠀⠀⠀いえね、アタシだって分かっちゃいるんですよ。借りたもんは返さなきゃいけないってことぐらい。しかもこれは誰かのじゃなくて学校のものな訳でしょ。アタシも知ってりゃあちゃんとお返ししてますよ多分。如何せん気づいた時にはもう三軒茶屋のアタシの部屋の本棚に並んでたんですからこれは仕方ない。はてさて、ここにこんな物があるのはどうした訳かと、頼りない記憶の糸を手繰って手繰って思い当たるのは、アタシは中高生の頃部活で同人誌を作っておりましてね、頁を埋め
新型コロナウィルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令され、昨日はそれが5月末まで延長されました。とにかく人との接触を極力避けるようにという要請で、できるだけその「言いつけ」を守るようにしています。「巣ごもり」で増えるのは読書量で、未読書を読み尽くしてしまい、試しに古い昔々の本を引っ張り出してみました。初版は昭和40年、これは重版で昭和45年の発行ですから、ちょうど50年前。価格は「120円」です。「羅生門」「鼻」「杜子春」「トロッコ」「侏儒の言葉」の5編入り。巻末の解説は「
文豪たちが教えてくれる最強の表現力・生きる作法武器としての言葉の力(単行本)Amazon(アマゾン)950〜6,320円「運命は偶然よりも必然である運命は性格の中にあると言う言葉は決して等閑の中に生まれたものではない」芥川龍之介「侏儒の言葉」朝ドラ「エールより」「運命は偶然ではなく、必然であり、その人の性格が決める」という意味です。非常に感銘を受けた言葉です。
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である。」(芥川龍之介『侏儒の言葉』)芥川一流の撞着(オクシモロン)語法ですが自分と言う存在の内側で、撞着する存在を父母として「幸せ」は生まれてくるような気がしますhttps://e-happiness.co.jp/eh-survey-es-survey/
さて侏儒の言葉でも読むか♪~(´ε`)♪~(´ε`)♪~(´ε`)♪~(´ε`)♪~(´ε`)♪~(´ε`)
侏儒の言葉なかなか素晴らしい………………🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵
侏儒の言葉は薄くページ数恐ろしく深い………………
親子親は子供を養育するのに適しているかどうかは疑問である。成種牛馬は親の為に養育されるのに違いない。しかし自然の名のもとにこの旧習の弁護するのは確かに親の我儘である。若し自然の名のもとに如何なる旧習も弁護出来るならば、まず我我は未開人種の掠奪結婚を弁護しなければならぬ。又子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響は――少なくとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。又
ホームページに「今月のことば」を掲載しました。https://shiragiku-gokuraku.jimdo.com/今月のことば/平成31年/令和元年11月/