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現在開催中の「ZEROTEN2024-Aichi-」に出品中の作品について解説をしていきたいと思います最後まで読んでいただけたら嬉しいです。作品を制作したのはもう少し前、ソメイヨシノが落ち着き八重桜の番になった頃です枝と枝の間を器用にすり抜けて飛ぶツバメの姿時折、キーキーと鳴き声も聞こえツバメが飛べば風が起こり八重桜もほのかに揺れるまるでお互いを呼び合っている様でした「春風と歌う」音楽用語の和音とは「複数の音が同時に鳴りながら調和を保っている音」を言います言葉は無くても通じ合う
2番目に来たフランキー。ワタシの作品で一番大きなF8サイズ画用紙アクリル2023.5大きいので先月の個展では入り口で張り切ってもらいました😆フランキーは、最初のロビンが一人娘のお姫様状態の2年間の後に家族になりました。最初、現れた時に撮った写真がこちら。これを忘れないように描きました。最初から笑っていたから。笑顔が素敵な男子でした。その後令和生まれの子猫が来た時、
万死って結構強めの言葉ですよね。万死がすでにこれ以上ない最強クラスの単語だと思うんですけど、それ以上となるとどうなるんだろうと考えました。そうした時に、「那由多死」って言葉が思い浮かんだわけです。那由多死、可愛いですよね。でも、万死よりも遥かに上なんですよ。そこがまた良くて個人的には気に入ってます。
突然ですが、黒目と白目を混ぜたらどうなると思います?この作品を書いた時、灰色になると思ったんです。菜箸で目ん玉をぐるぐるってかき混ぜたらきっと黒目も白目も灰色に混ざって何にも見えなくなるんだろうなと。白黒がなくなるので、視力の問題だけでなく、善悪の区別もつかなくなる気がします。こんなサイコパスみたいなことを考えながら家に帰っている私、真逆でした。
人には向き不向きがある。すべて完璧にこなせる人間なんてそうそういない。私は向き不向きが激しくて不向きなことはとことんダメ。得意分野では敵なしの真逆さんも今の環境では底辺だった。情けないことに最初の頃は左遷に近い経験もした。不適合という言葉が相応しかった。「なんでできないのだろう?」と考え続けて半年。気づいたら、私の評価はSSになっていた。「自分は周りの人間みたいに上手くできない」と嘆き続けていたのに。
有名なホトトギスの句。をもしも私だったら、と思って詠んでみました。自画自賛になりますが、信長と家康が混ざっていて、実は秀吉の要素も持っているように思えますね。つまり、私は信長と家康と秀吉を足して4で割ったような考え方なのかもしれません。なぜ3で割らないのか、それが真逆的だからです。「鳴かぬなら家族が死ぬよ?ホトトギス」も真逆らしいかなと思います。
イメージはkoyori(電ポルP)『正夢デエト』。すっごく可愛い曲なんです。この曲はメロディも歌詞も心に刺さるので是非聴いてほしいです。特にイントロがもうたまらんです。私は「大人に憧れる少女」をテーマに置き換えたわけですが、心が弾むっていいなって思えました。大人になっても心が弾む経験をしたいので今後も人生を堪能することにします。
どうせ私の書く話だから闇があるんじゃないかと思われてそうですけど、そんなことはないです。毒は入っていません。このネタを持ってくるあたり、真逆的なのかもしれませんね…この詩を書いたきっかけはHey!Say!JUMPの『ComeOnAMyHouse』を聴いていて「あ、カレー食べたい」と思ったんです。どんな時も小さい頃に大好きだったカレーを食べれば元気になれる気がしてます。そんな感じでたまには皆様をポジティブにできるような作品をお届
外見という意味ではなく、表面的な人間関係という意味が伝わればなによりの本作品。普通に接しているだけだとむしろいい人に見える人、周りにいません?本当はどこか人を見下していたり、自分中心でしか物事を考えられない人、周りにいません?いますよね?見た目はスタイリッシュなiPhoneみたいだが、根本に致命的なバグを抱えてるスマートフォン、そんな人いません?いい女といい女風。あなたは周りにいるバグレディを見抜けていますか?
ヒカリエの「VU!」展に妖精が降り立った・・・!hiromiさん。入ってきた時、一瞬女子高生かと思ったよ♡素敵な記事を書いてくださいました。「VU!」展@渋谷ヒカリエ11月7日まで!VU!III10月31日(火)~11月7日(火)11:00~20:00渋谷ヒカリエ8階CUBE1,2,38/02/CUBE/「VU!Ⅲ」ヴ-!3渋谷駅直結の超立地に、オフィスのような、カフェのような、ギャラリーのような、ショップのようなスペ
以前にも「Temptation」という作品を作った気がするのは私だけでしょうか…?気のせいであってほしいです。この詩は街を歩きながら夕日を見て書きました。時間は18時50分頃。10分くらいかけてゆっくり書き終えたのですが、ふと空を見上げるともう暗くなっているのです。「嗚呼、夕空が青空を誘惑してしまったんだな」と自分の感性に納得。話は変わりますが、私は夕日の景色が大好きです。景色が綺麗なこともありますが、朝昼晩に比べ
いきなりですけど、「名言っぽいところだけ切り取って何になるの?」って私は思うわけですよ。たとえば、「親父にもぶたれたことないのに」の部分だけ切り取っても、この前後のやりとりを知らない者達にはネタにしか聞こえないわけです。どうしてこの台詞が出てきたのか、重要なのはそこなんですよ。そんなことで本質に辿り着けるのかって。ましては哲学。哲学を名言っぽいところだけ切り取ることは、水面をコップで掬い上げて「これが海の全容です」、大きな木を指差して
本日(2020年7月16日)、某アイドルグループが名称変更しました。まさしく不協和音なグループだったような気もしますが、一時期は彼女らに勇気を貰っていたのです。ならば、せめて詩にして報いようというのが今作「黒い木」です。景色で例えると、「水分のない、黒くて、重々しくて、歪んだ木」。この大きな唸りから絶世の花が生まれましたが、本当の意味で支配に抵抗した花は黒い木を斬り捨ててしまったように私には映りました。花が消えたことで自己同一性を失っ
令和歌謡”技能実習生”BABUです。『悲恋の琴』「403」に続く、ピアニスト山崎幸次氏との共作第2弾。詩を書いたタイミングは「403」と同時期で、一緒にお渡しして山崎氏が先に着手されたのが「403」、そして4年ほどの月日を経て漸く曲を付けてもらえたのが本作である。「渓谷を行く日暮れの列車」というセンテンスが最初に丸っと浮かび、そこから周りの全ての世界を構築した完全なる空想の産物。ベタだがそれこそNHKの「街道をゆく」なんかで目にするような映像を漠然と浮かべながら。字数や言葉
電球を見つめると「眩しい!」ってなって目を閉じる。すると、光が目の中に残ってる。とても悪そうな色している。ギラギラしている。目を開いてもまだいる。でも、掴もうとしても掴めない。こいつは悪魔だ。子供の頃からそう思っていた。そんな詩。
前後左右、上までも壁なのに下は床。これは「あ、床だったわw」みたいなコミカルなのでしょうか?それとも、「自分が足の裏で踏んでいるのは床だ」という安堵なのでしょうか?そもそもどうして下だけ床なんでしょうか?もしも主人公がいる場所が箱だったら下も壁だったんでしょうか?まったく解説していませんが、私はこの時、こんなことを考えながら「壁壁壁」を作ってました。
満開の桜を愛でながら、金沢21世紀美術館で、洋画、写真、彫刻を、金沢21世紀美術館石川県立美術館で、日本画、書、工芸を、鑑賞しました。石川県立美術館毎年恒例、審査員さまによる作品解説が、行われます。洋画解説は、いつあるのかしら、と確認したら、15分後!とのこと。足早に金沢21世紀美術館に戻り、解説を拝聴しました。今回はレベルが高く、審査は厳しく、一般公募は、4割が落選。これほど審査が厳しい地方の公募展も、めずらしいようです。各美術会所属の描き手が、しのぎ
丘海書道教室書海社恵比寿草加書道教室大人書道松本芳翠中目黒代官山書海社の書道教室です。東京都内恵比寿、埼玉県草加、通信添削、大人対象です。平日の日中に稽古しています。書海社の月刊競書誌を主に用いて、正しく、美しい書、松本芳翠流を目指します。基本から丁寧に、師範取得、展覧会作品までご指導いたします。欠席分は通信添削に振替しますので、お忙しい方も安心して受講できます。kyuukaishodou.wixsite.com恵比寿教室では、毎回、添削の途中で講義形式の稽
とうとう2023年の春祭が始まりました。この土曜日は、朝から雨の日でした。実はこの日、大先生の指揮で鹿児島での《マタイ受難曲》の演奏が行われる日で、何人かは東京で練習をされていた方がこの演奏会に参加されるために鹿児島へ。この日は私には3つの予定があり、鹿児島行きは諦めました。数多く歌っておく方が自分の身に付くのはもちろんなのです。今回はそのかわりの練習をしっかりやるべく頑張っております。東京での本番は1ヶ月後ですので、まずは来週のオーケストラとの合わせ練習でしっかりとその感覚をつかん
脳って考えるくせに何のリスクも負わない自分勝手なやつだと思うんですよね。考えて身体を意のままに操って、怪我や心の傷を負ったとしても脳はお構いなし。「痛い」・「気持ちいい」・「つらい」という指示は出すけど、脳自体がそれを感じることはない。身体や心の立場になると、鼻に付くやつですよね、脳って。こうやって考えてるのも脳なんですけど。
いきなり極論ですけど、うつ病はメンタルクリニックや精神科が作っているような気がする。患者が鬱っぽいことを言ったら「うつ病ですね」。それで「うつ病」になる。助けを求めている人にとっては酷なことかもしれない。医者は「うつ病ですね」・「仕事辞めてゆっくり休みましょう」しか言ってくれないから。患者にとってはうつ病とかぶっちゃけどうでもよくて、ただ今の自分を助けてもらいたいのに、ハンコをポンと押すだけの役所みたいな対応。結局、医者は来
令和歌謡”地域寄席”BABUです。『LOVERSTONE~APXの唄~』極めてナチュラルなバラードナンバー。僕が活動初期から10年近く愛用していたYAMAHAのギターAPX-700への思いを綴りラブソング風に仕立てた、ちょっとこっぱずかしい作品でもある。リトル・フィートの「LongDistanceLove」のような何処となく儚げなサウンド感に発作的に触発され、そこを目指してみたが結果、部分的に英詩を使ったこと以外は何も兆しを残せなかった...引き換えに、お得意のサザン
2020年5月21日の3時半、ベッドに入ったタイミングで口ずさんだメロディがそのまま曲になった、最近だと少し多いパターンです。シュールですよね。目を瞑って眠りに落ちようとしている人間がなぜか創作しちゃうんですから。「いや、寝ろよ」って自分でも思います。解説ですが、タイトルはフランス語で「毒林檎」って意味です。主人公は毒林檎、愛する人に食べられたいという願望。年上でしかもすでに相手がいる女性とのビターな恋愛。愛する人
令和歌謡”国連憲章”BABUです。何処となく不健全な夜の街をイメージしたアンニュイなR&B風ナンバー。制作してからしばらくは扱い慣れずに引っ込めがちだったが、本年(2022年)はよく活躍した。オクターブサミット時のバンドver.はカーペンターズの「マスカレード」の雰囲気を意識してアレンジを構築してもらった。あてどもなく夜の街を漂う一人の女性に、無理矢理バックグラウンドをあてがうような感覚で綴った歌詞は、ともすれば僕の中の一種のステレオタイプの反映かもしれない。女性が行き着くジャズ
改札を出た辺りで小さい子が時計をチラ見しながら走っていた。まるでサラリーマンの真似のようで可愛らしい姿を見た。たしかに昔は私もああいう大人がカッコよく思った時期がある。今となれば、別にカッコよくもなんともないのだが。それでも、必死に戦うサラリーマンは自分のことを情けなく思っているかもしれないが、自身の気づかぬところで憧れを抱かれているというのは胸が熱くなる。それを形にしたかったという想いで生まれたのが本作「ウォッチウォッチ」でした。
令和歌謡”第一原理”BABUです。『NewYearModernTimes』最近ぶっちぎりで株を上げている奇跡の名曲もとい迷曲。『PainofChristmas』で味をしめたことに端を発し、以降量産の一途にある「哀愁歌謡カレンダー」の一曲。テーマは「お正月」。正月にありがちな憂鬱を淡々と、前川清ばりのコブシをうならせた歌唱と神妙な表情で歌い進めていく罪深きパフォーマンス。歌い出しが弘田三枝子の「人形の家」、サビが江利チエミの「酒場にて」のメロディーに酷似している。あ
令和歌謡”量子力学”BABUです。『貴公子が行く』「淀川貴公子」の二つ名で活動する歌唄いとしての自身の斜に構えたテーマソング。僕としては珍しいスウィング・ビート気味の軽快なリズムに乗せた曲。2022年春のオクターブサミットで初めてバンドアレンジが施され、曲のキャラクターが一層明確化した。サビの「ヤンカイサ~」に特に意味は無く、デモ段階で口をついて出たフレーズをそのままイキにしただけの代物(「西の小津軽」の「転がってサ」方式)。理屈っぽく難解なゴタクが続くヒラウタと、あっけらかん
12月3日より開催中のタツコン2022。こちらに出品中の「雪豹親娘(ゆきひょうおやこ)」について少しですが解説していきたいと思います。まず、ユキヒョウという生き物についてサラッとご説明を…ユキヒョウ(英名:SnowLeopard)ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。ヒマラヤ山脈などの標高6000m周辺のとても過酷な環境に生息していて、雄雌共に単独行動が基本。子育ては母一人。一度に1~3匹を出産。長い尾、短く太い手足、淡い灰色とも黄色とも言える毛皮は岩と雪の降り積もる環境では保護色となる。タ
久しぶりに詩っぽい詩だなというのが作者の感想。せっかくだから作者じゃなくて創造者とでも自称してみよう。やっぱりやめます。作品解説ですが、最近、一時的に聴覚を失ったり、目が腫れすぎて左目が見えなくなったり、失うものが多いです。幸いなことに返ってきていますけど、失ってからその空白の大きさを知るのですね。生きていくと、当然何かを失う経験をします。返ってくるものもあれば、二度と返ってこないものもあります。だからこそ、失った
昨夜のシティ定期。プログラム冊子のRVWの2台Pf協の作品解説が、ウィキの解説に似ている。ウィキの解説。「2台のピアノのための協奏曲ハ長調(ConcertoforTwoPianosandOrchestra)は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズが作曲したピアノ協奏曲。ヴォーン・ウィリアムズは1926年から1930年にかけてピアノ1台のためのピアノ協奏曲を作曲し、これは1933年にエイドリアン・ボールトの指揮で初演された。しかしこの協奏曲があまりにも難しく要求過多であると