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”松島”に桜寄贈今年10月に亡くなりました。第16代佐野藤右衛門氏。造園家、作庭家。(1928生まれ、2025年10月31日97歳没)佐野さんとは大震災後、塩釜市に「波分桜」を寄贈した時に初めてお会いしました(平成26年3月四方跡公園)。桜を見つめる佐野さんのまなざしに惹かれました。穏やかなお顔の中に「震災からの復興」を願う姿がありました。その後、松島町の明治潜穴公園に「祇園しだれざくら」の植樹をしてくれました。平成30年2月、明治時代
おはようございます。一木ヨーガスタジオの布施です。長年通っている浦和のヨーガの場所は、公民館を抽選で確保して下さっています。今回は仲町公民館だったので、途中の玉蔵院にお詣りしました。いつもお掃除が行き届いていて心落ち着く場所です色づいていました🍁ツワブキ(多分)のお花が咲いていましたこの後、小雨になりました🌧️担当の四条先生は、始める前に少しお話をして下さいます。今回は、佐野藤右衛門氏(さの・とうえもん)でした。10月31日に97歳で亡くなった、京都の造園家の方で、古
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。いい感じの天気です。松は早くも冬仕度のこも巻きが始まりました。先代の佐野藤右衛門さんが亡くなりましたが、お弟子さんに精神はひきつがれているようです。年々秋らしい天気がなくなりますが、こんな天気は貴重です。感謝しかありません。
おはようございます。昨日、「桜守」と呼ばれた造園家の佐野藤右衛門(さの・とうえもん)さんが亡くなられたことを知りました。10月31日、97歳だったそうです。佐野藤右衛門さんといえば、祇園枝垂桜(円山公園のシダレザクラの名木)の管理やケンロクエンキクザクラ、イチハラトラノオ、オオサワザクラなどの多くのサクラの栽培品種が、桜守の佐野藤右衛門に見いだされて増殖されて全国にその名が広まりました。佐野藤右衛門さんがおっしゃった「花には皆「色気」がある、姥桜には「色香」がある」がとても大好きです。春の
佐野藤右衛門さん逝く~97歳「桜守」として活躍~京都「佐野藤右衛門邸」:“桜守”が育んだ銘木たちーnippon.comより植藤(とうえん)造園16代目当主で造園家、作庭家として日本全国の桜の保存活動も続け「桜守(さくらもり)」として知られた京都生まれの佐野藤右衛門(さの・とうえもん)さんが10月31日、京都市内の病院で老衰のため亡くなりました。97歳。葬儀・告別式は11月6日午後1時から京都市南区西九条池ノ内町60、公益社南ブライトホールで行われます。
ちょっと遅くなりましたが〜先日円山公園の枝垂れ桜を見に行ってきました🌸久しぶりに見たいなって急に思って、お店閉めて自転車で向かいました🚲八坂神社さんすごい人や!夜店がたくさん出てるのでね😋八坂神社さん境内には昭和っぽさに溢れてるおばけ屋敷👻呼び込みも良かった〜✨ざ・見せもの小屋、って感じがしたなぁ☺️緑のライト、怖い😱🔦神社の夜店はワクワクするんやわ〜💓桜のまわりはすごい人だったよ。外国人の方が多かったなぁ。裏側に来ると人があんまりいなかったよ。梶井基次郎の「桜の木
サノザクラ(佐野桜)京都の桜研究科、佐野藤右衛門氏がヤマザクラから選び出し作出した桜花弁はヤマザクラより多い半八重咲きで淡い紅色がとても可憐で美しい桜ですサノザクラ(佐野桜)名前の命名者は牧野冨太郎氏…花びらの数は11枚〜21枚←シビア(笑)サノザクラの近くにツバキカンザクラが咲いていたけどすでに葉桜です鬱金桜(ウコン…)居住地内にあった鬱金桜が昨年、強風で倒れてしまい残念ですがこれからはこの公園で会うことになります
何もかもが、イヤになってしまう、1日。今日が、過ぎ去ってくれることに、感謝。この不快感は、なんだ!?結局、自分がまいたタネに、自分が、自分に、嫌気がさしてて、自分を、情けなくなっている、だけ。泣きながら、名古屋から運転して帰ってきて、甘いものでも食べて、ストレス解消しようとすると、ムカムカして吐きそうだし、胃が、ギューッて、なってる。やれやれ、、、やってらんね〜って、感じ何が、やってられないか?自分を、やってられない。自分を、面倒見切れない。いい加減に、せ
「京都の暮らし*日常に喜びが!文学・読書・旅・自然・グルメ・スポーツ・膝のリハビリなどなど幸せに生きるメロハモの身辺雑記」にようこそご訪問ありがとうございますはじめましての方はこちらからこのブログについて*メロハモ・プロフィール前回のブログもたくさんの方に見ていただきありがとうございました【祈りのとき*東京への旅】『【祈りのとき*東京への旅】』「京都の暮らし*日常に喜びが!文学・読書・旅・自然・グルメ・スポーツ・膝のリハビリなどなど幸せに生きるメロハモの身辺雑記」によう
車でお花見🚗³₃②おはようございます(^^)/まだまだ朝晩は寒い特に家の中は寒くてストーブは全開昼間の外は暖かやけど🔅🔆さて、先日の日曜日は車で京都市内をくり〜っと回ってお花見して来ました❗️昨日のブログでは伏見から天神川へ移動その後、天神川から嵯峨野広沢の池・嵐山へ行って来ました🚗³₃ここは造園家の『佐野藤右衛門邸』のお庭仁和寺などの造園や祇園枝垂れ桜などの桜守をされたそうです茅葺き屋根のお家があったりしてほんとに綺麗❗️見事な枝垂れ桜でしたそこから広沢の池
彬姫桜彬姫桜(あきひめ)は京都の桜守として、世界的にも有名な佐野藤右衛門氏が作出した門外不出の桜。彬姫桜佐野翁が若い頃に御池通で見つけた、白花の桜を持ち帰って自身の圃場にて、約30年育成した実生から濃紅の花が咲く個体を選抜した桜。彬姫桜日本の桜守といわれる所以は、こういう何十年もの努力の積み重ねにあることで、自然に頭がさがる。彬姫桜今年の4月1日で、御ん
昨日1週間前にポタリングしてきた嵯峨野を紹介しましたがこのところ気温が上がって一気に市内の桜が咲き始めています。嵯峨野の桜が気になってちょこっとポタリング行って来ました~🚲(;゚Д゚)咲いてる!🌸🌸1週間前に行ったときは数えるほどしか咲いていなかったのに....カンヒザクラはピンクが濃くなっています山越えにある植籐造園(佐野邸)の大きな枝垂桜です🌸桜守佐野藤右衛門さんのお
今日はがんこ高瀬川二条苑の庭案内の日。桜も見頃です。それに暖かい陽射し。これ以上何を望むことがあろうか?ほんまに感謝しかありません。鴨のカップルも来られました。感謝。
2025年は大丹波を特集しています。大丹波の詳細はコチラ本日は亀岡も朝から雪すぐ溶けたけど。さて、梅もまだ咲ききっていない中、桜の話題です京都で佐野藤右衛門(さのとうえもん)さんといえば、祇園の円山公園にある祇園枝垂れ桜を思い浮かべる人も多いでしょう。佐野藤右衛門とは庭師の名跡で、嵯峨野にある造園業「植藤」の当主が襲名している名前です。天保3年(1832年)より代々、仁和寺の造園を担ってきました。先代の15代佐野藤右衛門は、円山公園の枝垂れ桜を育てた
推薦入試の前日土曜、朝から面接作文の練習しました。作文、内容はいいことを書いているんですが言いたいことが湧いてきて、「そして」「そして」で原稿用紙半分くらいまでひとつの文が続くという。書き出しがどこにつながるのかわからなくなっちゃってる。面接練習で最近読んだ本はありますか?あ、はい。○〇です。マンガかーい!それで佐野藤右衛門さんの木と語るという本を渡して読んでもらいました。というか読み始めたら黙々と読んでました。これで一冊読んだ本を言うことができる。そして木と向き合
今日はがんこ高瀬川二条苑での庭案内の日。今日は庭師さんが入る日でした。庭師さんの仕事を見ていると見習うべきことが多いです。感謝しかありませんね。
京都の桜守佐野氏☆第16代佐野藤右衛門氏による「浪分桜」の植樹式一千年先まで教訓を伝える。平成26年3月11日「浪分桜の植樹と記念碑除幕式」「祇園しだれ桜」(高さ7.5m)記念碑(稲井石)塩竃神社前四方跡公園にて開催されました。「はなはなプロジェクト」の皆さんによるイベントでした。佐野氏や京都市と縁が深いこともあり塩竃市で初めて行われました。避難意識の高い地域社会の醸成や後世に教訓を伝えるため
北嵯峨の蓮華畑を偵察にポタリングしてきました。途中で出会ったカワ(・∀・)イイ!!花々を紹介しましょう山越え近くにある桜守「佐野藤右衛門さん」の造園に咲く霧島つつじ自転車を降りて押しながら楽しめる道路わきに咲く造園の花々遅咲きの桜がまだ美しく残っています(*´▽`*)佐野造園さんの向かいにある印空寺の白い藤の花広沢の池傍に咲くイチハツ?アヤメ?
5日、佐野藤右衛門(サノトウエモン)邸に参りました。市バスの山越で下車。写真のみで。②へ続く。
さて、今年のお花見第2弾。今日は〝穴場〟とは言い難いけれど、ちょっと変わった場所にある桜見物に、午後からまた〝ひとっ走り〟出掛けていた。我が家の近くのバス停「出町柳駅前」から堀川今出川で乗り換えて、「堀川下立売」のバス停まで行く。乗り換えこそあるけれど、距離的にはそんなに遠いわけではない。「堀川下立売」から東へ歩くこと7、8分、距離にして約400mで「御所西」地区にある京都府庁と出会う。そう、今日の行き先は京都府庁。京都府庁でお花見なんです!ということで、門衛所
おはようございます。京都の桜も、そろそろ満開近しですね。京都の名だたる桜には、桜の種類の名前ではなく、個別の名前が付けられています。これらの桜、どこの桜がお分かりになられますか。⚫︎不二桜⚫︎関雪桜⚫︎般若桜⚫︎みぎわの桜⚫︎斎王桜⚫︎みあれ桜⚫︎千眼桜⚫︎魁⚫︎おかめ桜⚫︎お多福桜⚫︎なりひら桜⚫︎御幸桜⚫︎墨染桜⚫︎待賢門院桜⚫︎阿亀桜⚫︎容保桜解答は最後に。********************************
ようやくようやく待ちかねたお桜さんが蕾をふくよかに笑顔を魅せてくれ始めました。伏見桃山大手筋から少しみなみに疏水派流。十石舟が行き来する。江戸時代はここから淀川へでて天下の台所へ物資がはこばれた。200年前もここに桜はないやろな。(笑)ここの桜がいい。隠れ穴場。マクドナルドでバリューセットを買って。ななたんもいっしょ。ももたんはさすがにお留守番。長建寺。ここの桜はあの佐野藤右衛門さんの桜。いちばん早い。こんな感じそして派流沿
今日から4月。能登半島の被災から3ヶ月。今だに断水が続くなど、復興支援が遅々として進まない地域が多い。日常の生活を営んでいる私たちもは、どこか申し訳ない心情にもなる。一日でも早く、被災された方々の日常が戻ることをお祈りするばかりです。京都府庁の観桜祭に行ったのも久しぶりで、この日は土曜日でかなりの人が出ていた。京都府庁正門京都府庁旧本館:京都府技師松室重光の設計で、1904年(明治37)12月20日に竣工して
昨日は、東山の知恩院のさらに上となる場所にある、我が家の菩提寺まで墓参りに行った際に、知恩院の大釣鐘の「鐘楼」の脇にあった、「殉難忠士之墓」を見た話を書いた。今日はその続きというか、墓参りを終えた帰り道のことを書いておこうと思う。帰り道は「鐘楼」を抜けて、法然上人が説教をしていたという「慈円山安養寺」の前を通る。明治時代の初め頃に、明治政府による「廃仏毀釈」とともに、寺社の土地を政府が召し上げるという「上知令」なるものが発布されて、寺社の所有地が一気に狭くなった。
中通りの桜を追いかけているうちに、会津の桜には出遅れてしまいました。例年なら、「つぼみ膨らむ」でも早いくらいなのに、今年は4月10日現在で、鶴ヶ城の桜は撮り始め、五分散りの状態でした。辛うじて、残っている花を中心に撮ってきました。天守閣を飾る桜花麟閣の八重桜は満開でした。南走長屋をバックに枝を延ばす桜帯曲輪の一画に、大河ドラマで八重を演じた綾瀬はるかさんの命名による「はるか」という八重桜が植えられていますが、さらに、もう一本、会津藩ゆかりの桜があります。「容保桜」
(20234.4撮影)桜見ももうおしまいかな?と思っていたけれど、半木の道の桜がきれいだと聞いて、やってきた。半木(なからぎ)の道を歩く。8時半頃、まだ植物園は始まっていないので、人も少ない。賀茂川の飛び石の上を散歩をする人たち(ワンちゃんも)が通って行く。途中ですれ違えないので中州に下りて譲り合い。朝の風景、何時間でも見てられる。半木の道は、北大路橋から北山大橋までの賀茂川河川敷東岸に800m渡って続く道だ。ここに植えられているのは、八重
リアルで本音で喋れる友達はいない年を重ねるほどどんどん価値観の乖離がおきるでもひねもす“のらりくらり”と生きていけるいろんな意味で日本に生まれて良かったと思う今日この頃コメントくださっている皆様、有難うございます。返信できなくなったり遅れたりすることがあると思ますが御容赦くださいませ。他意はございません。桜が終わるまで桜の追っかけです!広沢池から佐野藤右衛門さん宅(4月2日)大覚寺から北嵯峨の田園地帯を30分も歩けば広沢池
祇王寺祇女桜(ギオウジギジョザクラ)佐野藤右衛門氏ゆかりの桜です淡紅白色、品のある花色花びらは、12枚〜20枚とても優美な桜花♪此の桜は3月29日に見たものですでに満開の状態でしたいまはもう赤茶色の葉桜となっているでしょう
おはようございます。今日から二十四節気と七十二候が移ります。○二十四節気【清明(せいめい)】清明は「清浄明潔」の略で、万物がけがれなく清らかで生き生きしているという意味です。花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄み、爽やかな風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する頃。各地でお花見シーズンを迎えます。○七十二候【玄鳥至(つばめきたる)】燕が南の国から渡ってくる頃。「玄鳥」(げんちょう)とは燕の異名です。毎年、この季節になると、ブラウニングの春の朝を思い出します。かの昔、上田敏さ
本日もお読みいただきありがとうございます。昨日夫と以前から行ってみたいと思っていた嵯峨野の桜守・佐野藤右衛門さんのお庭の桜を見に行ってきました。と言っても見せるためのお庭ではなく、造園業を営まれているお仕事のためのお庭。どこからどこまでか分からないくらい広大な敷地です。今朝ブログを書こうと佐野さんの会社「植藤造園」のサイトを開いたらm(__)m😨m(__)m😨m(__)m😨敷地が広すぎて、何処が禁止エリアだったのか奥まったところの鉄の門が閉まっていたのでそ