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知的障害のある方達にスポーツ活動等、年間を通じ提供している国際的組織、スペシャルオリンピックス。その歴史は故ケネディ元大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバー夫人により始まります。本日はスペシャルオリンピックス日本・神奈川支援のチャリティーコンサートに出演する機会をいただきました。ソプラノの倉斗絢子さん、ピアノの辻喜久栄さんと共に、プログラムはお客様のリクエストにお応えし、皆様に馴染みのある名曲や秋のメドレーをご用意。終演後には沢山の嬉しいご感想をお寄せいただきました。会場となりま
本日10月27日は読書の日。現在執筆中の著者も年内出版を目指して順調に製作が進んでおります。この度の本は写真も掲載されるのですが、出版社での打ち合わせではいつも勉強になることばかり。好き嫌いだけではく、作品のテンションを保ち続けることのできる写真を選ぶこと。レイアウトにおいても、色合いや配置は勿論、ページ一枚を使用して載せる際にはそれに耐えうる存在感、メッセージ性を持っているのか。時には文章との統合性や色彩の流れによって採用が決まることもあります。巡礼の愛と感動に私の魂を込めた作品。
人生で初めて、出版用の本を執筆しています。再現芸術である音楽とは異なり、無限の選択肢の中から言葉を紡いでいく作業は、難しくもあり、また故に心躍る楽しさもあります。写真付きの本を予定しているのですが、数多の瞬間から限られた枚数を選ぶのもなかなか至難な作業。来週には完成した文章と照らし合わせて採用する写真を決める打ち合わせが予定されています。スペイン800㎞を歩いた巡礼紀行。その体験と感動を込めた一冊を、完成した暁にはぜひお手に取っていただけますと幸いです。出版は早ければ年末を予定してお
全幕バレエ公演『シンデレラ』が終演いたしました。ご来場くださいましたお客様、お声がけくださったエコールドバレエMayumi代表加藤真弓様をはじめ、共演者、スタッフの皆様、関係者各位に心より御礼申し上げます。今回、私は『シンデレラの父親』と『ダンス教師』という二役での出演でした。終演後のゲストトークでもお話しさせていただいたのですが、殊に大変だったのはダンス教師で、ダンサーではない私にとって登場場面は針の筵の様に感じながら稽古を重ねていったことを昨日の様に覚えております。しかし、ネガティ
※画像は私が撮ったある日の空友人が見せてくれた青色に見覚えがあると思っていると、それは私が持っている写真集の空の色と同じものと発覚。友人はそのカメラマンさんと親しい交流があることも判明してまた驚く。例えば『声』とひとまとめに言っても人それぞれにその声色が違う様に、空の青色を見て、それが記憶の一枚と重なるとは、『色』もまたしかりと感心。その写真集は私がイタリアへ渡る際に背中を押してもらった一冊。NYへ留学した大切な友人にもプレゼントしたことがあった。人生の帰路に立つ今、こうして再びこ
リサイタルに関係者の方がいらしてくださっていたご縁があり、本日は戸越八幡神社へ。月次祭とのことで神楽殿では巫女舞を奉舞されていました。親子で舞われており、お顔立ちも背丈も瓜二つと驚いておりましたが、舞の後にお会いするとそれ程似ている訳でもなく、ましてやお子様はまだ小学6年生とのこと。お若いながら精神性の高さが舞台上ではその様な姿となっていたのかと想いをめぐらせるのでした。拝殿での参拝では、柏手も邪念があると上手く鳴らないと伺い、歌もまた然りと感心しきり。拝殿天井には見事な『神迎の枝垂れ
佐藤季敦バリトンリサイタル『26』が終演いたしました。ご来場いただきましたお客様に心より感謝御礼申し上げます。日本歌曲をライフワークとした活動を続ける中で、決してメジャーとはいえない分野でありながら、いつも公演に足を運んでくださる皆様、そしてご興味を持ってご来場くださる方々には心よりの感謝の他ありません。本日はエモーショナルな感情にのまれてしまい、歌い手としては大変お恥ずかしい姿をお見せする一幕もあり恐縮でした。金子みすゞ、石川啄木の作品を通じ、その魂の昇華と祈り、日本語と日本文化の情
本日5月27日はドラクエの日。巡礼中、私は目の前に起きている状況をドラクエの様だと何度も感じていた。杖をつき遥かな道を行く。時に草原を、岩場を、山道を。森を抜けた先には、山を登った先にはどの様な景色が広がっているのか。城もあれば、聖なる祠もあった。立ち寄る街並みに心ときめかせ、宿での出会いに胸をふくらませ。そう言えば、共に歩いていた仲間も、遠くに見える山の上の古城を見上げて「ドラクエ‥‥」と呟いたことがあった。一年前、私のドラクエはレオンの町に到着していた様だ。ガウディの設計
5月31日に行われるリサイタルのプログラムを製作中に。デザイナーさんと表紙はどちらが良いかという話しになった。最初それは紙面を占める海の割合の問題で、単に好みと思われたのだが、私達はもっと大切な見解に辿り着く。「左にしましょう。右は重すぎます」夭折した才人の生涯と、そこに凝縮された苦悩、悲しみが終わりなく続く波と重なり、不思議と我々は同時に胸が痛むのを覚えた。「私は彼らの想いを昇華させたいのです」それは奇妙で、悲しく、そして気持ちが新たに引き締まる刹那であった。【佐藤季敦バリトンリ
日本歌曲講座『五感の記憶』、最終日が終了いたしました。ご参加者くださいました皆様、ご協力いただきました関係者各位に心より御礼を申し上げます。本日取り上げました金子みすゞの詩には母親がよく登場します。母に弱い私は歌唱こそ持ち堪えたものの、彼女が母に我が子を託した遺書の一部を読み上げていた際には、思いがけず胸がいっぱいになってしまいました。また別の場面では母にまつわる歌のエピソードを語るうち、完全に言葉が詰まるということもあり、すっかりエモーショナルな感情にのみこまれてしまった次第。お
日本歌曲講座『五感の記憶』初日が終わりました。ご来場いただいたお客様、ご協力くださいました関係者各位に心より御礼申し上げます。日本歌曲をライフワークとする自分にとって、講座の開講は憧れと畏れの入り混じる目標でした。今になって思い返すと、講座中は日本歌曲に寄せる想いを余すことなく伝えたい一心で、迷いもてらいもなく話していたようです。私は元来人前で話すことが苦手でしたが、巡礼を歩いた感動と体験を伝えたいという衝動に背を押され昨年に歌とお話しによるリサイタル『EDEN』を公演。その際に思いが
今月17、18日に行われます日本歌曲講座を、北海道新聞『みなみ風』にてご紹介いただきました。取材中、日本歌曲のこととなると熱が入ってしまい、取り留めのない話しが続いてしまいましたが、うまくまとめてくださいました記者の方には感服するばかり。『西洋のオペラや歌曲のようなわかりやすい華やかさや重厚さはないが、見えない奥深さや美しい寂しさを感じる。目や耳や肌ざわりなど、日本人に脈々と受け継がれているものを五感で感じてもらいたい』「美しい寂しさ」自身の口から出た言葉ではありますが、それこそが
先日出演いたしました『おとなの文化祭』より、歌唱中のお写真をいただきました。この日のプログラムは会場の作りを考慮して選曲したものでしたが、前日まで最後の曲をどうするか思案する一幕がありました。クラシック音楽の演奏としてまとまりのある終わり方にするか、私が伝えたいメッセージ性を大切にするか。結果は後者にして良かったと今は安堵しております。そうした背景には、NYでリサイタルを行った際、勿論全ての演奏曲に最善を尽くしていたことに変わりありませんが、その中でも自身の思い入れが強いものにはそれに
金子みすゞの詩に触れ、その生涯を追っていて気付いたことの一つに、母親への思慕がある。それは親権を夫から取り戻すべく命をかけた遺書からも、母を信頼し尊敬していたことがうかがえよう。「あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません。母が私を育ててくれたように、どうかふうちゃんを母にあずけて、育ててほしいのです」彼女の作品に度々あらわれる母の姿。今、金子みすゞが眠る菩提寺には、やはり母のことを題材とした『こころ』の石碑が立っている。今月、函館、東京にて金子みすゞ詩に
先日、バレエ公演『シンデレラ』の稽古が始まりました。私はシンデレラのお父さんとダンス教師の二役で出演させていただきます。オペラ以外の稽古に参加するのは随分と久しぶりのことで、いささかの心配もありましたが、皆様が温かく迎えてくださり、クリエイティブな時間をご一緒させていただきました。主催者でもあり、主役を務められる加藤真弓さんとは、帰省の折に時間を忘れておしゃべりに夢中になる仲ですが、改めてバレリーナとしてのお姿を拝見し、相応しい輝きを纏う佇まいに感心しきり。当日欠席された方の代役をさせて
故ケネディ米大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー氏によって設立された、スポーツを通じて知的障害のある方々の社会参加を応援するスペシャルオリンピックス。その支援チャリティーで本日は歌わせていただきました。長く続く桜雨でしたが、中庭の桜、室内に咲いた日本画の桜、そして茶碗(お茶のおもてなしもありました)にもこぼれる桜と、沢山の桜に囲まれた一日となった次第。ご出席されていた中田喜直氏の奥様より『さくら横ちょう』に関する貴重なお話も伺えました。当初作曲家により想定されていた歌唱スタイル
旅で出会った人が皆優しく思えたのは優しさに気付く優しい心が私の中に芽生えた為なのかもしれない。小さな岬の町を歩いていると子供に返った心地がして心のすみずみまで温かくなった。金子みすゞ記念館の本館に展示してあるやなせたかし氏の言葉があまりにしっくりときたので、私はそれを書き留めた。『金子みすゞの詩を読むと心の中の忘れていた弱い部分が少しいたむ時があるそして気づかずにいたあたりまえのことに気がついてドキンとしたりするやなせたかし』
自分の五感で感じることはやはり大切なこと。私が育った函館の海は北国特有の深く重い美しさをたたえていたが、金子みすゞの生きた仙崎の海は思いの外明るく御伽噺の様に清らかな色に輝いていた。王子山公園から街を一望し「竜宮みたいに浮いている」と愛でたみすゞ。私も帰省しては函館山に登る度、故郷を腕に抱き締めたい想いにかられては、その安寧を祈ってやまない。図らずも『巳』の日に訪れた弁天島。透明度の高い水に囲まれていたこと、そして強風に煽られている様な木の躍動感が印象的。金子みすゞ『大漁』点
港の見える宿に部屋をとったが夕陽を眺められる方角ではないとのことで、日の入りに合わせて反対方向にある浜へと足を運んだ。思いがけずそこが金子みすゞの詩『花津浦』の舞台となった場所であると知る。花津浦が遠くに見えて感慨深い。人の足跡を辿る旅はその息吹を直に重ねられるところが魅力。なんだか自分の中にある宝箱がまた一つ大切な光景で満たされた様な気持ちで宿に戻る。明日は美しい朝陽が私を起こしてくれるだろう。その陽が昇る港もまた、金子みすゞの代表作の一つ『大漁』が創作された場である。
レトロな仙崎駅から真っ直ぐにのびる『みすゞ通り』。往時は大変な賑わいをみせていた通りだが、今はそれに代わって道沿いに金子みすゞの詩札が下げられている。個性豊かな作品群を鑑賞しながら右に左にと通りを進んで行くと、そこに現れるのは『金子みすゞ記念館』。金子みすゞが3歳から20歳までを過ごした家屋は、当時を知る証言を元に再現されている。金子文英堂、本館、共に資料と意匠の充実が素晴らしく、お昼過ぎに足を運んだものの、気が付くとすっかり日が落ちかけていた。西陽の入るみすゞの書斎。格子の織りなす
今年はじめて上着を着ずに街へ出た。忘れかけていた身軽さに戸惑いを覚える。同じ様な感覚があったなと思い返すと、それは巡礼の長旅を共にした杖を手放した時にもよく似て。※画像は杖とお別れをした最後の宿(修道院)
日本歌曲をライフワークとして研鑽を重ねてきた私にとって、その素晴らしさをお伝えする講座を開講することはいつかはと願う志しの一つでした。今春、故郷函館にて二日間にわたり日本歌曲講座『五感の記憶』を開講いたします。「日本歌曲って何?」それは決して難しいものではなく、四季折々に恵まれた風土と歴史に培われてきた美しい歌の数々。本講座では二日間にわたり、日本歌曲の世界について、身近に感じていただけるひとときを皆様とご一緒したいと考えております。【5/17(土)】美しい日本歌曲の世界を、五感を開
本年5月31日、佐藤季敦バリトンリサイタル『26』が開催されます。「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」東日本大震災直後、テレビの画面で頻繁に流れた金子みすゞによるこの詩を覚えている人は少なくないことでしょう。「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」漂泊に生きた石川啄木の名作は今も人の心を打ち続けます。両者、その天与の才はまごうことなきものでしたが、惜しむらくもその生涯は共にわずか26歳で幕を閉じました。本公演では彼らの詩をもととした歌曲集を取り上げ、短い人生の中に
レッスンに向かう道中、先生のお宅を目前にして、高齢のご婦人にお声をかけられた。「すいません、お手を貸していただけないでしょうか」「お天気が良くて外に出たものの、足が疲れて歩けなくなってしまって」とのこと。確かに勾配の多い土地柄。僕はご婦人の手をとり、歩き始める。階段を避け、遠回りになるがなだらかな坂を行く。ご自宅のマンションの前までご一緒する間、毎年楽しみにされていた桜並木の枝が今年は丸裸にされたことなどお喋りをしながら、時折立ち止まっては休みつつ。ご年齢も近いということで、私はそ
昨年末の振り返り投稿『カナレットとヴェネツィアの輝き』『ヴェネツィアの路地は迷宮。それはまるで人生の様』イタリアの語学学校でその様な作文を書いたことを覚えている。目に余るほどの豪奢と異世界感さえ覚える陰との織りなす、非日常な空間。それがこの街の魅力だと私は思う。他に類を見ない独特の街づくりと、限られた中に凝縮してはその栄えを誇ったヴェネツィアは、確かに景観画としてはこれ以上とないロケーションであったのかもしれない。同展ではモネによる作品も展示されており、彼の作風が街の幻想的な気風と
サンティアゴなんて辿り着けなければ良かった。足が痛いだの肩が痛いだのと言いながら、巡礼者達と心を通わせていつまでも歩いていたかった。しかし、それは叶わない願いでもあるということを知った。旅が終わり、また長い旅が始まった。里の行こそが成すべきことと心得た一年であった。
先月行われた私のリサイタルへいらしたお客様よりいただいたお葉書。過分なお言葉の中に、マスカーニのアベ・マリアよりの一節にご自身も祈りを重ねていらしたことも綴っていらっしゃいました。『苦悩の道を行く足を支えてください』おみ足のことで闘病されているご友人を想ってとのこと。私にとっても件の歌詞は心に響くものであり、口にする時には、過去から未来まで時間を超えて全ての巡礼者、そして決して楽なことばかりではない人生を行く全ての人々へ私なりの祈りを込めていた次第です。アベ・マリアの様にダイレクトな
函館。六花亭、漁火通店。雪が舞い、雲がかかり、合間から陽が差して。時の移ろいを眺めていると、閉店間際にキャンドルが各テーブルに灯され思いがけず素敵なひとときが始まる。冬の海が良い、という話しから、私は光よりも影に惹かれるという話しをした。世の無常、社会の理不尽、それでも生きる人の寂しさ、悲しさが私はたまらなく美しいと思う。私は自身の歌も占いも、その影を尊ぶものでありたい。母にはいつも「あなたの歌はさびしい曲ばかり」と苦笑されるけれども。
歌う際に胸がいっぱいになり泣き出しそうになることが多くなったように思う。「泣いても良いんじゃない?」とおっしゃる方もいるが、他の楽器と異なり、歌に関しては泣きながら演奏するということは叶わないので、そこは演奏者として最後までベストを尽くしたいと考えている。この度の『巡礼』をテーマとしたリサイタルでは、前半のトークから既に愛の波に包まれて何度も言葉に詰まってしまっていた。実のところ、練習の段階から何度も涙が溢れ、当日のリハーサルにおいても前奏を耳にしただけで歌えなくなることもあり、開場時間が
佐藤季敦バリトンリサイタル『EDEN』が終演いたしました。ご来場いただきました皆様に御礼申し上げます。本公演を開催するにおいて、私は巡礼の道中に受け取った沢山の愛を、いかにして還元できるかという自問自答の毎日でした。今回、私を長年苦手意識を持っていたお話に挑ませたのも、カミーノの体験と感動を少しでもお伝えできればという想いがそれに勝った為に他なりません。巡礼の旅から帰国し、一時的に酷い疲労と虚無感に襲われていた際も、なかなかリサイタルの準備がうまく進まず焦るばかりであった時も、知り合った