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■番外・米子市役所(鳥取県米子市加茂町)有名なのは1930年落成の旧庁舎。早稲田・大隈講堂などで知られる佐藤功一の設計だ。同じく佐藤が設計した1928年落成の群馬県庁舎を小さくしたような建物だ。鉄筋コンクリートにレンガ風タイル。石張り風の仕上げ。現代から見ればまさにレトロだろうけれど、当時としては幾何学的でさっぱりした、なかなかモダンな感覚だ。群馬県庁舎の方は、結構細かな装飾もみしみししてて、まだ「過渡期」って感じだけど、こっちはさらにモダ
早稲田の大隈講堂で「早稲田の街スプリングコンサート2025」というイベントがあったので覗いてきた。無料で出入り自由という格好の機会だ。有名な建物なので簡略に述べる。チューダーゴシック様式とカテゴライズされるオーディトリアムで、意匠設計は日比谷公会堂の佐藤功一。構造設計は東京タワーの内藤多仲。音響設計は旧文京公会堂の佐藤武夫。1927年の竣工で、2007年、大規模な改修を行った。その際、表面を覆っていたスクラッチタイルが、記念に頒布されたそうだ。下がそれ。修復は丁寧で美しい。正面入口の
名建築シリーズ125群馬会館往訪日:2024年7月27日所在地:群馬県前橋市千代田町2-1-1アクセス:関越道・前橋ICから約15分食堂:(火曜定休)(L)11時~14時(D)17時~20時駐車場:県庁駐車場を利用のこと■設計:佐藤功一■竣工:1930年■登録有形文化財(1996年)※内部撮影一部OK《群馬県庁舎と兄弟の名建築》前橋旅行の最終日。最後に訪れたのは群馬会館だった。二年前に群馬県庁(昭和庁舎)を設計した佐藤功一の設計。道路を挟んで向かい合わせに
名建築シリーズ121群馬県庁舎(昭和庁舎)往訪日:2024年7月26日所在地:群馬県前橋市大手町1-1-1アクセス:関越道・前橋ICから約15分開館:8時30分~22時(月曜休館)料金:無料駐車場:あり(2時間無料)■設計:佐藤功一■竣工:1928年■国指定重要文化財(1996年)※内部撮影OK《使われてこその建築》臨江閣に続いて向かったのは群馬県庁。その高さ153㍍。日本高い県庁として県民が誇る、展望施設を備えた高層建築である(都道府県庁となると東京都庁の
名建築シリーズ117滋賀県庁舎本館往訪日:2024年7月23日所在地:滋賀県大津市京町4-1-1アクセス:JR大津駅から徒歩5分■設計:佐藤功一・國枝博(共同)■施工:大林組■竣工:1939年■登録有形文化財(2014年)《天気が良くてよかった…》仕事で大津に行く機会があったので佐藤功一が設計者のひとりとして携わった晩年の大作、滋賀県庁舎本館を観ておくことにした。一度大隈記念講堂で取りあげているが、改めて佐藤の経歴をふりかえってみよう。佐藤功一(1878
今年前半、東京建築祭のときに見学した堀ビルは、東京都の地盤沈下の痕跡をとどめていました。(東京建築祭1140㎝の地盤沈下がわかる堀ビル)具体的におさらいするとー下の図のように、沈下のために入り口までステップを3段追加しています。側面も、赤↓の縁石みたいな部分が、地盤沈下のために追加された箇所。40㎝ぐらい?結構な沈下ぶりです。右側の階段も下2段は年代・材質が異なるので追加された部分でしょう。一方で、日比谷公園にある市政会館(一つの建物に市政会館と日比谷公
前回、すずらん通りの途中にぽっかりと空いた更地を見た。2つの名店の跡だがどうしようもない。さらに現在、すずらん通りでは三省堂ビルの建て替えが数年越しで進行中だ。すずらん通り側から撮っている。こちらは靖國通り側から、閉店直前の姿。1981年、創業100年の年に竣工した、阪永金重の設計。入口の照明。こんな景色でも懐かしい。かつてはすずらん通りが、表神保町。靖國通りは裏神保町と呼ばれていたとか。ライバル店の東京堂書店だ。片側式アーケードの時代があったのだ。渋滞ぶりも凄い。高度成長期の様
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は栃木県宇都宮市の『第4代栃木県庁舎昭和館』です。最寄駅は東武鉄道宇都宮線『東武宇都宮』。駅から徒歩7~8分栃木県庁舎のとなりにあるルネサンス様式を基調とした建物が『第4代栃木県庁舎昭和館』です。1938(昭和13)年に竣工し2003(平成15)年ま
さて、目白にある日本女子大学のキャンパスを見てきたが、今回で終わりになる予定だ。例により、案内図を掲げる。前回、最後は、図の護国寺門のまえにある七十年館を見た。図には、その奥まったあたりに樟溪館という建物が載っている。これがその樟溪館である。どうも惹かれるものがない。取り上げる気はなかったのだが、調べると佐藤功一設計とある。佐藤功一は早大建築学部の創設者で、大隈講堂や日比谷公会堂の作者だ。玄関ホールにその片鱗が残っているようだが、外装は愛情や尊敬が感じられない、かなり粗雑な修復が
★2024年盛岡1泊の旅の備忘録★中心部から駅の方向に向かって歩いている途中に見つけた岩手県公会堂。昭和初期に建てられた歴史を感じさせる建物です。自由に中に入れるようだったので、さっそく中へ。いまも、創建時の様子をよく伝えていました。華美ではないけど、ガラスの使い方がノスタルジックで魅力的。こちらも色ガラス使いや、波打つドア枠など、ほんのちょっとのことなのに、粋なデザインです。色ガラスというと、今年5月にシークレットツアーで見た堀ビルを
★2024年盛岡1泊の旅の備忘録★確固たる行程を決めずに気の向くままにさまよった盛岡。意外な発見もあり、楽しい街歩きでした。旅の後半に見つけたのはこちら。↓丁度観光の中心地から、光源社に向かう途中のことです。道の逆側に見えたこれ、くんくん、あらー、なんか貴重そうな建物。思わず横断歩道を渡り、駆け寄ります。岩手県公会堂の文字。そして既視感。日比谷公会堂を思い出します。敷地内には原敬の銅像と説明が書かれた碑。盛岡が生んだ偉人ということで、市内何か所か
航空会館を出て、日比谷シティを越えてゆくと、市政会館が見えてくる。日比谷公園の端に建つ古色蒼然たるビルだが、それもそのはずで、昭和4(1929)年、早大建築学科の創始者・佐藤功一の設計により竣工。施工は清水組。この角度から見ると東大安田講堂に似ている。いい時計だなあ(笑)建設は、関東大震災被災後の東京市長として、復興の陣頭に立っていた後藤新平の強い希望によるもので、安田財閥の多額の寄附が事業を支えた。上は、落成時の写真。なお、都の銘板は外観をネオバロック様式とするが、だいぶ無理のある
ひさびさに新橋に来た。目指すは航空会館だ。不思議なことに建物に関するデータが見つからない。前身は昭和4年竣工の飛行館で、復興建築の代表例のひとつ。佐藤功一の設計だ。二・二六事件の際、反乱軍に投降を呼びかけるアドバルーンは、飛行館の屋上から揚げられたものという。設計者の佐藤は早大建築学科の創始者で、大隈講堂、日比谷公会堂、神田明神、群馬県庁舎などで知られる。ただし、佐藤設計の旧飛行館は老朽から建て替えとなり、昭和53年(1978)、現在のビルが開業した。入口のコーヒースタンドが懐かし
「昭和の県庁」展令和6年2月25日迄宮城県図書館にて昭和6年(1931年)竣工昭和61年(1986年)解体・戦後の復興期・チリ地震(1960年)・宮城県北部地震(1962年)・高度経済成長期・・・激動の歴史を物語っています。昭和天皇即位の記念事業の一環として建設されました。貴賓室やシャンデリア等ルネッサンス調の建物です。建物面積約1万㎡建設費当時約100万円♢今の議会棟の場所は
栃木県庁現在は「昭和館」と改名して公開されている旧庁舎を、戦前の庁舎建築の最高峰と見る向きもあるという。誰が言ったかって?忘れたけど、実際いい出来だ。日本の県庁舎オリンピックを開くとすれば、金は佐賀県、銀は静岡県、銅を栃木県に贈呈してもいいかなと、思わないでもない。設計は早稲田大学・大隈講堂や日比谷公会堂を手がけた佐藤功一。1938年落成。2007年に新庁舎を建てる際、旧庁舎の中央部だけを曳家で移してきて保存。現在はイベントスペースや郷土史などの展示施
今回のツアーの行き先にある「近代建築」を、なんとか外観だけでも観られないかと、ホテルの到着時間や自由行動の中で考えました。盛岡では、ホテル着が5時、夕飯開始時刻6時指定だったので、食べ終えてから「岩手銀行旧本店」(設計辰野金吾・1904年)↑などを観に行きました。ライトアップはされていないため、街灯の明かりに浮かぶ赤煉瓦でしたが、本物を観られてよかった。「岩手県公会堂」(佐藤功一・1927年)は、昭和初期特有のスクラッチタイルが特徴、佐藤功一は日比谷公会堂や大隈講堂も手がけ
■番外・岩手県庁(盛岡市)盛岡市内は新旧取り混ぜて味のある建物が多い。冷麺などのグルメも充実。良いところだ。まずは旧県会議事堂庁舎。現在の正式名称は岩手県公会堂で、今も現役だ。大隈講堂や日比谷公会堂を手掛けた、佐藤功一の設計。1927年。スクラッチタイルにテラコッタ。ちょっとフランク・ロイド・ライトっぽい文様の装飾。まさに、当時の「はやり」を体現したかのようなデザインだ。そんで現在の県庁。霞ヶ関ビルなどを設計した山下寿郎。1965
先代の群馬県庁舎、現在の群馬県庁昭和庁舎です。昭和3年竣工、佐藤功一の設計。国登録有形文化財の第1回登録物件1996年12月20日。活用例としても良く知られている例で、見学もできます。庁舎の研究は、石田潤一郎先生が第一人者。都道府県庁舎その建築史的考察[石田潤一郎]価格:9288円(税込、送料無料)(2017/8/23時点)
当時東京市長だった後藤新平が発案し、安田財閥の寄付により、昭和4年に完成した。我が国最初の本格的なホールである。実は、大正11年に指名競技設計が行われ、佐藤功一の案が当選したのであるが、関東大震災に見舞われ一時中止された経緯がある。再開された実施設計では、環境に合わせ垂直方向を強調したデザインに変更された。茶褐色のタイルで仕上げられたすがたは、特に夕陽を浴びるとひときわ美しいという。(画・文:千原昭彦)
数年ぶりに参加した米子市企画部地域政策課主催「まちなかを巡るモニターツアー」。初めて参加したのは2012年4月。それから早5年。年取ったな、自分。今回は「山陰歴史館&新旧〇〇見学」ということで、〇〇に入る言葉は「市庁」だと予想。旧米子市庁である現山陰歴史館と現米子市庁を巡るという予想は当たった。ただし、それはほんの一部。いつもは長い距離を歩くことが多いのですが、今回は加茂町-中町の狭い範囲を深掘りした予想を二段も三段も上回る内容のモニターツアーでした。1930(昭和五)年完
先日、日比谷公園の辺りをお散歩してきました。こちらは、市政会館。後藤新平氏が、ニューヨーク市政調査会を範として、地方自治について、独立公正な調査機関をと唱えたのに安田善次郎氏が350万円を寄付し、建てられた建物です。道路を挟んで反対側から撮ったというのに、横で撮ると上が切れ、縦で撮ると、横がほとんど写らないという巨大な建物でした。設計は、佐藤功一氏。早稲田大学の大隈講堂の設計もされた方です。この塔の上部のデザイン、似たのを見たんだけどな~。と思って
「滋賀県庁舎本館」「旧武徳殿」(旧県警体育文化館)★「滋賀県庁舎本館」場所・滋賀県大津市京町4-1-1設計・佐藤功一、國枝博施工・大林組竣工・昭和14年(1939)構造・鉄筋コンクリート4階建て塔屋付最終訪問・2012.05G.W滋賀県の県庁所在地、大津市のJR大津駅近くの官庁街にあります県庁なのですからそれこそ所在地ですですがこのJR大津駅は県庁所在地の駅なのに東海道本線しか通っていないせいか駅前は静かで人も歩いていませんここはオフィス街なので平日は賑