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本日午後は、いつもどおり、支援団体による政治活動という名の選挙運動でした。告示も目前ですので、届出など法的な雑務も目白押しで「toobusy」ですが、最近では忙しく動き回るのが「asusual」でもあります。日曜でないと会えない人もいるので、きょうは一松の驚から八積の七井土まで、広範に移動する展開となりました。「おう、また来たか!」から「えーっ、また来たの?」まで、それぞれ対応してくれた方々、ありがとうございました。今日は新聞に折り込みも入ったので、その話も出たりして、見てくれた皆様
包丁一本、板場の修行、いつかは自分の店を持ち、味の暖簾(のれん)は「男のキッチンクラブ」。またまた1か月が経ち、このクラブの日になったのですね。さしあたり独立開業とは無縁の、まずは自炊の手ほどき、男子厨房に入るべし!レシピというのか手順書を頼りに、材料と格闘していれば、それを見かねたボランティア婦人の親身な指導が入って、それがクラブの楽しさ、明るさ。私語、無駄口、世間話にも花咲いて、おっと料理のほうも忘れないでくださいね。はい、それでもちゃんと出来ました。本日の作品は画像のとおり。
「あの人は変わっている」。しばしば日常会話に登場する人物形容ですが、村議選も近い長生村、某候補を評した住民の声として聞き及びました。なんだか私も、そう言われていそうですけど・・・・。私はその候補を知らないので述べることはありません。ただここで気になったのは、「あの人は変わっている」とネガティブに語った方も含め、住民の実に多くが、こと村政に関してとなると、一様に「変わってほしい」「変えてほしい」と訴える事実です。これは二律背反に近い矛盾現象のような気もします。まあ、事案が人物評価の
本日は長い一日。まずは3時に起きて(夜中の3時ですよ)早朝残業。そして朝6時前から地元の外房線・八積駅でのリーフレット配り。時刻表の合間に近所のポスティングをすると、早朝の散歩の方は、なんと私が誰かを知っていたのでした。驚いたけど、うれしいことです。その後、午前中に警察署に自首、もとい任意の出頭をして、選挙用車両の確認を受ける。帰宅途中に、一人暮らしの高齢者(多いんですよね)のところに寄り、安否確認のつもりでしたが、私以上に元気な様子を見て、無駄足感も少々。そして午後は、まず選挙
昼前、私のリーフレットを見た方から、お電話がありました。一松のS様、高いご評価をありがとうございます。買い被りから飛躍して褒め殺しの域でしたよ。私は「村の宝」と言われるほどの者ではありません。でも嬉しい私は単純な人間ですね。午後はいつもの外回りで、本日はあまり行けない遠い地区への広報活動。そこで出くわした濃厚なキャラクターのご婦人は、画像の名刺のお方。「長生エイジェント房総」の結吏(ゆり)様です。表記のお名前は、もちろん戸籍名ではなく、源氏名とか営業名という、いわば識別記号なのでしょ
御名誉の御出征、おめでとうございます。どうかお身体を大切に、また、お国の為、充分な御奮闘をお願い申し上げます。お留守のことは、及ばずながらお力になりたいと存じますので、どうか御安心くださいますよう・・・・。誠に名誉なことです。我身、いまや見敵必殺の銃剣をひっさげ、積年忍苦の精進研鑚をあげて、この光栄ある重任に捧げ、挺身をもって頑敵を撃滅せんとし、そしてもとより生還を期すものではありません。「野辺の花召しいだされて桜かな」またまた「武運長久」のポスターが増えてしまいま
早朝に、庭のゼンマイを少しだけ収穫しました。茹でたり干したり、手間がかかるんですよね、ゼンマイは。でも保存食品として次のシーズンまで役立ってくれます。貴重な大地の恵み。これは長生村の自然遺産と言ってもよいでしょう。なお、画像に写る私は、今回何の作業もせず、家族の手による収穫物を持って、ただポーズをとっているだけです。長生村の議会選挙中の私、議員とは何するものぞ?形式と表層に姿を現しては、住民の代弁者たるを装う、存在意義に懐疑せざるを得ないような、制度による自己疎外の生成物は、結局は住
人口は減り続け、進む高齢化に福祉の負担は増え、財政事情の悪化も顕著な長生村。無策のまま衰退を放置して、あと20年もすれば、自立不能な自治体と化すことでしょう。変わってほしい!変えなきゃ!長生村に「新しさ」を!こうした期待は、選挙のたびごとに盛り上がり、そして消えてしまいます。誰もが望む変革が実現しないのは、候補者のせいなのでしょうか?もちろん、それは、あります。しかし同時に、有権者の危機感の希薄さにも原因があると思います。変革も、誰もがそれを望むという点において、流れに掉さす
すでに、「事務所だより第13号」で特集した「ながいき村」への村名変更ですが、賛否のご意見をいただいております。「ぜひ実現してほしい」という期待に満ちた声ばかりではなく、否定的なご意見もありました。ただそれは、記事中の「予想される反応」そのままの表現だったり、「暴挙」のごとく評した訪問先に再度顔を出したら評価が180度変わっていたり、でした。変化とか変更という行為は、どうしても現状に対する破壊的な側面があり、戸惑いとか不安が先に立ってしまうものですし、私個人に対する未知が警戒的な否定感情を生
天下の代議士様より届いた必勝ポスターは、出征祝いにも似た武運長久の為書き。なんとなく、壁のリースとマッチング良好。「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯と出で立つ我は・・・・」もとより我が身鴻毛のごとくの御奉公に異存は無し。ついでに神仏の護符、千人針、五銭硬貨なども揃えたくなります。ちなみに五銭硬貨は「死線(四銭)」を越えるの縁起担ぎとなります。いま長生村に横溢する空気は激しい選挙戦そのもの。一部地域では戒厳令が敷かれたとも噂されるこの頃ですが、さらなる参戦者が名乗りを
気がつけば庭に山吹の花。いまが四季の春であることを思い出す私は、多忙に浮世を忘れた存在か。暑かったり寒かったり、振幅の幅も極端な最近は、感覚器官も麻痺気味で、しかし何故か、その不安定な状態が自分の日々に非言語的な同調を見せるのは、やはり私が疲れているからなのでしょう。長生村・村議選の告示まで2週間を切り、各候補者の「事前運動」はラスト・スパートの様相というか症状というか・・・・。私はと言えば、変わらず通常ペースでの広報活動ですが、昨日そして今日と、連続してI陣営と偶然に対峙する栄誉を得
忙中ふと気づけば、いつの間にか庭で花盛りのハナズオウ。今年は明らかに早い開花です。雑草の伸びも、はや顕著です。さて、長生村の議会選挙も告示間近となりました。立候補予定者の発信する公約等は相変わらず虚数だったり大風呂敷だったりしますが、もともと表向きの公約というのは空想に近いものが少なくありません。空想とは、希望、理想、推定、憶測など、想像的概念として考えられるものの中でも、特に「可能性を無視している」という点において、とびぬけて理性的な思惟であろうと思われます。「この空想は事実なの
本日、出先で発見した希少車。藪に何かがあるっ!よく見たら、リヤエンジン・リヤドライブの、これはスバル・レックス550と思われます。年式は昭和50年代前半。それにしても、ボディは見事に朽ちて、前半分はほとんど消滅。エンジン回りだけが割としっかり残っていたので、識別できました。ちなみに、元はこんな形の車です。(30.4.3)■画像はウィキペディアよりお借りいたしました
外回り中、立ち寄った先で、大阪人と出会ったのが本日一番の出来事。村にもいるのですね。つい話し込んでしまい、ちょっと懐かしくなりました、関西が。そのうちまた、行ってみようと思います。時間がとれたら、の話ですけど。それにしても忙しい日々です。ブログも簡略になってしまいました(30.4.2)
長生村・村議会議員選挙が近づいてきました。「戦況はどうか?」と住民の方から尋ねられることもあるのですが、他の候補者と会う機会も少ない私には、選挙戦全体の状勢はよくわかりません。もともと低空飛行のわが陣営ですので、成層圏を飛ぶ方々のことは知る由もないのです。とりあえず、選挙日程を「表」に示しましたので、ご確認ください。必ず投票に行きましょうね。組織票という「しがらみ」がない当陣営は、投票率が低いと不利になるんです。よろしくお願いいたします。(30.4.1)4月17日(火)
我家の庭に、今では貴重な自然の恵み、ゼンマイが次々と芽を出してきました。昔はそこら中に、有難みもないほど生えていたものですが、処理に手間のかかるゼンマイには、あまり見向きもしませんでした。そんな記憶の時代から、ずいぶんと自然は失われたのだなと、改めて思います。庭のゼンマイは、毎年一定量だけ収穫し、あとは保護養生しています。(30.3.31)
特に他意はありません、と最初にことわっておきます。実は、選挙がらみの文書に散見できる、「住民が主役」とか「住民が主人公」というコピーが気になる私なのです。これらは、語感としては、住民こそ至上の存在です、といった意味なのでしょう。しかし、どうも私は、違和感を覚えてしまいます。なぜなら、「主役」にしても「主人公」にしても、それらは作者とか監督とかの、上位者の意図による「配役」なわけです。だから、いったい誰が住民に君臨し住民を操るんだろうという不安に捉われてしまうのです。考えてみれ
このところ、本当に多忙な日々が続き、常に疲労気味の体調です。環境的には、気温の変動、花粉の季節、さらに、報道されないだろうけどPM2.5の濃度が非常に高くなっています。皆様もご留意ください。多忙も非日常的レベルになると、普通の日常生活の時間すら有難さを再認識する対象になります。当たり前のことの有難さです。そういえば「幸福論」のような価値観は常に相対的な比較によって生じる感覚でした。人それぞれの幸福論はだいたい、大きな夢だったり、限りない欲望だったり、いわば想像力の描く未来への希望です
きょうは午後から外回りの外出へ。まず車に燃料補給のため、我家からほど近いガソリンスタンドに。そこで偶然居合わせたのは、なんと長生村の村長でした。公務の途中なのであろうし軽く世間話だけでしたが、激励も賜りありがたいことです。そのスタンドは向かいがスーパー、裏がパチンコ屋です。さて、人は何のために働くのであろうか?「人たるに値する生活を営むための必要を充たす」ことが労働の目的である(労働基準法)そうですが、漠として曖昧で、しかも読んだ瞬間に意味が理解できない文章です。法の条文というのは、
放送法4条の要は「政治的中立」ですが、放送制度改革はこの4条を撤廃するという。一見、改悪に思えてしまいますが、現在の「中立を装った偏向」が「偏向そのもの」と正しく認識されるようになり、この点、視聴者の利益であると思います。日テレ:22%、TBS:13%、フジ:29%、テレ朝:12%。これは放送各社の外国人株主比率です。TBSとテレ朝は少ないように思われますが、親会社が反日新聞の毎日と朝日ですから、政治的に中立な報道など望むべくもないでしょう。さらに4局とも(NHKもですが)、外国人社
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは・・・・。これは徒然草、吉田兼好らしい、ひねくれた物の見方は、私をして師と仰がせます。しかし、そもそも忙し過ぎて、季節のゆくえも、知るよしのない、この頃の私です。月やあらぬ、春や昔の春ならぬ、わが身一つはもとの身にして伊勢物語、在原業平ですね。そういうものです、人生は。・・・・無常観。全ての美意識はここに集約され、悟るべき真理にも近そうです。見上げれば、あふれるような桜花。足元には、名もなき草花(蛇苺の花ですが)の生命力。年々歳々花相似た
敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花足早にめぐる季節は早くも桜の盛り。暖かい陽気と共に、長生村も春がいっぱいの風景です。大いに花を楽しみ、でも、「花のもとには、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ(徒然草)」のようなことはしないでくださいね。ところで敷島といえば「敷島隊」。その隊長、関行男大尉を思わずにはいられません。多くの文献は関行男の読みを「せきゆきお」としていますが、私は「せきつらお」が正しいのではないかと思うので
男女共学、家庭科の授業、にしては生徒の年齢が・・・・と思ったら、「男のキッチンクラブ」ではありませんか。また、月に一度、みんなで楽しい時間を過ごせるのですね。例によって、我家からはボランティア婦女子2名を派遣。お手伝いするより、出来上がった料理を食べに行ったような二人ですが、お役に立てば幸いです。実は何となく、今回は魚料理なんじゃないかなと想像していた私。当たった!主菜はサーモンのムニエルですな。タルタルソースというのか、タレがちょっと技あり風で精彩を放っていますね。それから、円形
住民の方から、こんなご意見がありました。「農家の車が道路をふさいでいて、通りにくかったり、時には通れないことすらある。農地の一角に駐車スペースを作るよう、役場が指導すべきではないのか?」私は返答に困ってしまい「おっしゃることは正論です・・・」と言うにとどめました。状況としては多分、細い道に軽トラックがとまっていて、近くの新興住宅地に住む方がそこを通りにくく迷惑している、のだと想像します。そして私が返答に困ったのは、そこがそもそも農業のためにある農道と思われ、しかも、おそらくは農
我国の高等教育機関の始祖とも言えそうな、栃木県足利市にある足利学校です。大きな古民家という佇まいですが、これが校舎です。ここでは孔子を祀っています。ところで最近、日本の大学内に設置が増えているという「孔子学院」。これの本質は、中共の謀略機関そのもののようです。すでに米国では監視や捜査の対象だとか。要注意ですね。孔子も迷惑なことでしょう、学問を政治利用する孔子学院には。足利学校は、孔子学院とは無関係のようですが、足利学校にも問題がありました。子曰く(しのたまわく)を、しいわく、と読
祭日の今日、数年ぶりに会った知人は、一人暮らしになってしまい、しかも体調を崩して久しいと言う。症状は日常の暮しに支障をきたし、近所の病院に行くも改善なく、先行きを悲観しているらしい。かける言葉に困るような状況は、なぜか私をして、申し訳ない気分に陥らせます。なぜだろう。私は自分の健康(かどうかは不確かですが)に贖罪を意識してしまうのです。道徳的な倫理感は、どうしても健康とか、あるいは生きること自体までを、暗に否定する圧力作用を持っていると、私は思います。健康や生を、肯定し信頼し正当化す
千葉の地元紙「千葉日報」の記者さんが来られ写真撮影となりました。上掲は家族がついでに撮った一枚。本日は雨。でも雨の日も忙しく、外回りもあって、疲れます。ただ、立ち寄った某所で「もう来なくても大丈夫、貴重な時間を他に使え」と旗幟鮮明にしてブレない意志表明を頂き元気が湧きました。また、「折込チラシを見たよ」と住民の方から電話があり、話の弾む展開になりました。明日の祭日も雨らしく、でも忙しそうな予感です。(30.3.20)
長生村の発展を願い、「佐瀬さとる事務所だよりvol.13」に、「ながいき村」への村名変更を提案した私ですが、村役場としても移住者の呼び込みに知恵とカネを投じていることがわかりました。長さ数分の短編ですが、物語性ある宣伝映画の制作を専門会社に依頼中のようです。若者が長生村に増えるという、少々空想的思惟の反映されたストーリー。そして公開は、村ホームページにYOUTUBEだろうと思います、多分。なんだか、わざわざ都会のプロダクションに虚構の虚飾を発注しなくても、素人が素人を使い、手持ちの機
いつまた日本海に大量破壊兵器が飛び、多数の不審船が押し寄せるかもしれない現在。最近は、半島からの危険物漂着も目立っています。そして南の領海では、あいかわらず中共の武装船(マスコミは公船と言う)が領海侵犯(マスコミは領海侵入と言う)を繰り返し、沖縄では外国人を含む活動家(マスコミは市民と呼ぶ)による反日運動が先鋭化しています。国の安全が危機に瀕していながら、マスコミと野党はひたすら「安倍たたき」。こういうのを利敵行為と言うのでしょう。いまの日本、安全保障が最優先課題のはずですが・・・・。
田舎を象徴する言葉の一つが「しがらみ」です。「しがらみ」とはなんだろう。「しがらみ」を漢字で書けば「柵」。つまりそれは、垣根とかフェンスのような仕切りであり、一定の空間を囲んだ壁のようなものが「しがらみ」の物理的イメージだと思います。その空間に住む者には、関係絶ち難く引きずって、自分の内面に働く心理作用があります。これが「しがらみ」なのだろうと思います。農村集落などは、まさに、しがらみ社会です。それは閉鎖的で相互監視的な前時代的空間です。目立った個人行動が許されない集団、旧態依然の因習や