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寒い時期には(真夏もだが)やりたくない作業のひとつ、車いじり。車両はダイハツ・ムーヴ・ラテです。突然エンジンの力が無くなり、止まりはしないが、どうにか移動できるだけ、という症状に陥りました。多分あれだな・・・・と脳裏をよぎったのは点火コイルの異常で、アイドリングのバラツキ具合と出力低下から、3つのシリンダーのどれかが、正常な燃焼をしていないと考えられたのです。点火コイルなんて、普通は交換の必要なパーツではないのですが、ダイハツ車には当てはまらないようです。部品を手配し、自分で交換
台風に起因して各地で季節外れの暑さの10月7日(日)、ここ会津地方の大内宿は、過ごし易い秋の一日でした。大内宿と言えば・・・・、江戸の歴史情緒?いや江戸というより昭和の懐かしさが感じられますね、ここは。さらに言えば、テーマパークかアウトレットモールか、とも思われてしまいます。でもとにかく、非日常的な空間で、なかなか面白いところだなという印象です。休日のせいか、結構な人出の大賑わいで、車は臨時駐車場に置きましたが、100Mちょっと余計に歩くだけで、駐車料金無料(通常400円)で済みました
ご無沙汰しております。多忙と言えば多忙なのは、現在自分の会社以外に二つの仕事場を掛け持っているからです。ダブルワークならぬトリプルワークですかね。でも私の体は一つなので、同時並行して仕事をこなすことはできず、考えてみると非効率だったりします。ところで、自社以外の仕事場二つ、その片方ですが、そこは従業員の出入りが実に激しい。多い時は1か月に100人以上が辞めてゆき、しかし同じくらいの新人が入ってくる。のべつ幕無しに募集広告を出していて、ほぼ一日おきぐらいに入社オリエンテーションが行われ
「これから出かけてきます!」記念写真を撮るほどのことではありませんね。この直後、パラパラと雨が降り出し、気分も降下気味となった嫁でした。今年は微妙に季節の進みが速いので、梅雨も近いのかなと思うと、天気の良い日の有効利用を考えますが、具体的には庭の雑草とその草刈りが気になります。(30.5.23)
デカい、真っすぐ。頂き物のアマリリスが咲いています。どんな花が咲くか判らなかったのですが、ピンクに近い色合いでした。花自体は百合に似ていますね。球根をくださった長生村一松地区のA様、ありがとうございました。(30.5.22)
1本の棒を立てようとしても無理です。2本でも、どうやっても倒れてしまう。でも3本を三脚状に置けば倒れず立ちます。本数が増えればより安定するかといえば、必ずしもそうではなくて、浮いてガタついたりするので、3本が都合よい。三脚の3点は一つの平面を決定するからです。ただし、本数が多い方が倒れにくいことは確かです。画像はオート三輪。オートバイはスタンド無しでは倒れますがオート三輪は自立できます。マツダのTシリーズ。T1500かな、これは。T2000かもしれません。昭和40年代には、荷物満載で
「5月16日午前11時、全国一斉のJアラート、伝達訓練放送を行います。」前居住地の役所からこんなメールが繰り返し入ってきて、こういう訓練は大切だなと感じていたのですが、肝心の長生村からは何のアナウンスもないんですよね。全国一斉でしょ?不思議に思い、村のホームページを見てみると、こんな一文が載っていました。「5月16日、午前11時頃、地震や武力攻撃などの発生に備えてJ-ALERTの試験放送を行います。ご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願いいたします。」全体にやる気の感じられない文に
ちょっと暑いけど申し分のない晴天。こんな日は洗濯日和だったり行楽日和だったり人それぞれですが、本日5月15日の我家にとっては引越日和となりました。早朝から始めた積み込み作業が終わるや否や出発。大した荷物量ではないので楽だし、我家のハイエースに余裕で納まって乗り組む3人の乗車スペースも充分な状態。ドライブ気分で出発して目的地は東京都町田市。順調に到着して素早く荷降ろしして、引越しは無事に終了。荷物と乗員1名分を軽量化した車は、休む間もなく次は会社の用事に回ります。町田市から都内の文京区
月日は百代の過客にして・・・・、でも一巡して「男のキッチンクラブ」に戻るのが心の旅路。またまた1か月が経ち、皆で自炊の特訓ならぬ男女共学料理教室の楽しいひと時を過ごせるのですね。で、今回の「お題」はというと、ご覧のようにビビンバなんですが、サイドメニューのサラダ(海苔とニンニク入り)が素晴らしく、これ絶対ビールを飲みたくなります。酒のツマミです。担当職員さんがレポーター(?)の私の好みに配慮してくれたような一品。我家の食卓でも再現してみることにしよう。ところで、我家から出仕中のボラン
4~5月に咲く、今の季節の花。シャガの花、胡蝶花(こちょうか)とも。古代に大陸から持ち込まれた、いわゆる「帰化植物」。寺社の周辺などに群生が見られる(画像もそうです)のは、人為的に植えられた株が繁殖した結果のようです。どうも、やや湿って暗めの山林などが、この花にとって好適環境らしく、それじゃ我家の庭にぴったりだなと思い、株の調達を考えたくなりました。ところで前々回の記事で、秩父の「空き家バンク」を茶化したところ、恐れ多くも、そこの市議の方から、「いいね」を賜ってしまいました。記事
雨の日は、家に引きこもって食べて寝て、起きたらまた今日も、雨の一日か・・・・。今夜のメニューはニャンだろな~?照り焼きハンバーグにニャポリタンでした。(30.5.9)
いやー、長生村でも、本当に空き家が目につくようになりました。増加する空き家は、田舎の地方自治体に共通する問題ですが、この対策として拡がっているのが「空き家バンク」という制度です。この制度によって移住者でも呼び込めれば行政の目論見どおりなのですが、現実には域内での住み替え需要が大半のようです。残念ながら、これだと結局また別の空き家が発生するだけだったりしますね。それはともかく、今回紹介するのは、2年ぐらい前に、ネットで見つけた印象的な物件ですが、今回その物件がまだ売れ
五月の光を浴びて・・・・庭を散策ではなく、徘徊でもなく、維持管理の作業中の私。最近の運動不足も一気に解消できるような、土木作業に励みます。田舎なので空間だけは広く、ゆえに管理は行き届かず、結果として、ほぼ自然まかせの庭には、探すと色々な植物が見つかります。たとえば菖蒲(下画像)です。何という自然の有難さ。本日の労働の後は、これで菖蒲湯でした。(30.5.5)
本日のディナーのメインディッシュ。なんじゃ、これ?マグロの兜焼きです。1/4割ですが、すごくデカイ。自宅での調理品ではありません。某スーパーの惣菜売り場で、周囲の空間を歪ませるような異形と、その圧倒的かつ危険な存在感に、思わず衝動買い。298円+税。高いのか安いのか、よく分かりませんが、「けっこう、食べるところがある」と嫁の感想でした。(30.5.4)
長生村内の知人から聞かされた「困りごと」の話。そこは比較的新興の住宅地で、住民層は高齢化気味とはいえ、元気な高齢者たちが田舎暮しを楽しんでいる、伸び伸びとした雰囲気のあるエリアだった。しかし、そこに1軒の若い世帯が引っ越してきて、環境が一気に変わってしまったのだという。もちろん好転したのではない。若者の傍若無人なライフスタイルに、元々の住民が忍耐を強いられる展開となり、マフラーを改造した車の爆音、休日のたびにバーベキューか何かの喧騒、さらに路上まで占拠して遊ぶ(大人が)、という状況なのだ
本日は、「おほきみのうまれたまひしよきひかな」。はい、124代先帝陛下時代の天長節ですね。見事に青空の好天。私はといえば、仕事の一日でした。(30.4.29)
私の主宰している会社の業務案内を制作しました。需要のありそうなところに配布しようと思うのですが、我社って便利屋みたいなものだったのだなと再認識した次第です。昼食はタケノコ御飯で、初夏の陽気に春の名残を味わいます。飾りの山椒の葉は庭でいくらでも採取可能ですが、山椒の木までが伸びた草で接近困難になりつつあり、午後は草刈りに勤しむ一日となりました。(30.4.28)
んっ、見たようなテーブルクロスだなと思ったら、我家の食卓、その夕食画像でした。サラダと焼肉、肉のトッピングはアクセント・グリーンの山椒。今日は大型連休前日であり、ほとんど死語ですが、プレミアムフライデーでもありますね。皆様の連休の過ごし方や如何に?出かければ混雑、家に居れば退屈。我家は普段通り、仕事とも休日ともつかない、曖昧な領域の時空間で、日常を過ごすことになりそうです。(30.4.27)
午後の外回りは車で千葉市内へ。稲毛区と美浜区を回り、疲れて帰宅の跡は、風呂、そして夕食と酒の時間です。ひとしきり飲んだくれた後、チキンラーメンみたいなスープを摂取してみたら、うん、なかなか良いですね、という本日の画像。長いキャプションでした。(30.4.26)
我が家は3人家族です。それはともかく、3という数値は見える形としては存在していません。数値は、指さすことのできない、意識や観念上の存在ですよね。でも3つの〇〇と記すと、はっきりと3の姿が浮かぶし、ついでに3の表現世界の拡がりを再発見したりします。たとえば三友(さんゆう)、原典は論語だと思いますが、「正直な友、誠ある友、多聞(たぶん)の友」を三益友と言っています。友を選ばば三友。ちなみに多聞の友とは知識豊富な友のことです。それから三界(さんがい)、生きとし生けるものが輪廻する三世界
気まぐれシェフのパスタ、なんていう表現がありますが、どれぐらい気まぐれなんだろう?我家のシェフならぬ主婦のパスタは、手持ちの材料とか昨晩の残り物から理念的に生み出されている点で、気まぐれではありませんが、ただし味は気まぐれだったりします。(30.4.25)
敷地に自生している蕗(フキ)を収穫してのキャラブキ。本日の、晩酌の突き出しです。当地の伝統的調理では単純な味付けに真っ黒な外観が標準仕様ですが、都会育ちの嫁が手掛けると、画像のような仕上がりとなります。農家料理にも手間や贅沢、そしてインスタ映えが求められる時代が来たのかもしれません。味のほうは、いずれも、アルコールによく調和する旨さで、思わず、いいね!おつまみを、もう一品、というオーダーで出てきたのは自家製アメリカンドッグ(下画像)。これ、家で作った方が絶対美味しいですよ。材料とか油をコ
夕方、本日の締めくくりは、雑草園と化しつつあった敷地の草刈り。今年も雑草と格闘する季節の始まりです。刈払機は2サイクルエンジンで混合潤滑。オイルをブレンドした燃料は自分で作っています。ホームセンター等で出来合いを買うより5割強安くなります。燃料へのオイル量は、25:1~50:1と幅広い比率で可なので、おおむね35:1ぐらいを目安に作ります。この比率でも、白煙がやや多めに目視できますし、理屈としては、燃焼圧力に関係ないオイルは、少ないほうがパワーが出るはずですね。それはさておき、久々の草刈
わたしの通った長生村立八積小学校には、うれしいことに、二宮金次郎像が健在でした。台座側面のプレートを見ると「皇紀二千六百年記念」という文字が読めます。昭和15年に建てられたということですね。前面には「勤倹力行」とあります。きんけんりっこう。あまり馴染みのない四文字熟語、念のため調べてみました。学問や仕事に勤しみ、つつましく過ごし、また能力の出し惜しみをするな、というような意味です。まさに教育勅語や修身の授業の理念そのものです。近年は排斥の憂き目にあうことの多い金次郎像。その無事を安堵しつ
長生村の村会議員選挙。今日が公式の選挙戦の最終日でした。皆様には大変、お騒がせをいたしました。いつもどおりのコースを廻って、本日は金田地区で5カ所ほど、その他で3ヵ所ほど呼び止められました。わが選挙車両は名前の連呼時以外は、いつも同じ音楽を流しているのですが、それが接近の合図として機能するようでした。呼び止めてもらえるのは光栄の至りですし、音楽のアイデアは思いの他、有効だったようです。それから本日は他陣営様から、差し入れを賜りました。「敵陣」前の通行自体、申し訳なく思うのですが、歓待
汝らは、地の塩なり、世の光なり。山上のイエス・キリストもかくや、の一松築山公園における私の布教、もとい選挙演説は、風に運ばれ、いったい誰の耳に届くや、それは風に訊け。選挙運動も残り1日となりました。22日(日)は投票日、そして即日開票です。如何なる結果が待っているのか・・・・、それも風に訊け。それにしても、皆様には大変お騒がせをいたしております。(30.4.20)
選挙戦も中盤となり、皆様には大変お騒がせをいたしております。すでに、立候補者20人の顔写真が、ずらりと並ぶ、選挙ポスター掲示板を、皆様も目にしたことと思います。その掲示板の大半は現職議員の方々であります。そしてそれらの顔写真、これはそこに投票した有権者の皆様そのものの姿だとも言えます。皆様が投票によって生み出した、自分の代理者であり自分の対象物、だからです。そしてそれは、自分を写す鏡でもあります。何を期待して、何に動かされて、そこに投票したのか、そしてその結果どうだったのでしょうか?
村会議員選挙の選挙運動が始まりました。それにしても、選挙運動の様式というものに馴染めない、馴染みたくない私です。●選挙前の活動:戸別訪問し、書いてもらった「個人情報」のゆくえは?わが陣営では個人情報の記入を要請する行為は一切行いませんでした。●ポスター掲示板:「手配写真」の一覧には、見るに堪えない感があります。●〇〇後援会連絡所看板:選挙期間に関係なく道辻に立つ看板は景観を悪化していると思います。●選挙車両:住宅地に音量過多は生活妨害になりかねません。病気で寝て
ついに長生村の村議会議員選挙の告示日となりました。候補者の私と長女ゆかりで、村役場での立候補届出、警察署での選挙車両許可、郵便局での公定選挙ハガキ差出をこなし、選挙ポスター(画像)は予定どおり、「嫁のボランティア仲間が貼ってくれました。ポスターの掲示位置は、くじ引きなのですが、引いたゆかりがなんと一番を当てて、びっくり。幸先の良いことです。自宅兼事務所で出陣式という形式行事を一応済ませ、それから街宣活動に出発です。今日は、勝手に地盤と決めている地域を中心に、選挙車両を徘徊させ、また2
まず、おことわり。特に否定的な意図はありませんので、もし類似フレーズをご使用の方がありましたら、どうか気になさらないよう、お願い申し上げます。「いっしょに進みましょう」「共に進もう」、選挙絡みのチラシや看板などに、こんな表現を目にすることがあります。ここにまた、若干の違和感が湧く私です。まず方向が記されていません。まあ「未来へ」と書いたものもあるし、書いていなくても未来へ進むことをイメージさせているのでしょう。しかし、たとえ方向が記されていても、「進む」という運動が、果たして正