猿楽師の間で、その祖とされるのは、聖徳太子の寵臣だった秦河勝です。大和猿楽の結崎座に由来する観世流の世阿弥が著した「風姿花伝」の「神儀式云」によれば、河勝は、泊瀬川(初瀬川)から三輪大神の社前に流れてきた「壺」から生まれたという伝説を持ちます。また、河勝は、「空舟(うつぼ舟)」に乗って播磨の「坂越」に至り、人々に祟りをなしたので「大荒大明神」として祀られました。おそらく実際には、河勝は晩年に、藤原鎌足の政略によって流罪となったのでしょう。つまり、河勝は藤原氏によって追い落とされて「怨霊」になった