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第14話「絶対絶命」第15話「姉川大合戦」豊臣兄弟も「第4章・元亀争乱編」へと突入しました柴田勝家「浅井長政、謀反にございます」結局、浅井長政は久政、家臣一同抑える事ができなかったということで原因ははっきりとはわからないけれど「金ケ崎の退き口」と後世言われる戦いへと入って行きましたあり得ない、そんなことはないと家臣が浅井の謀反だと言っても信じない信長お市が陣中見舞いの「小豆」送ってきても浅井が寝返ったのならば、気の利いたものを送ってくるはずがないとか竹中半兵衛
🏯概要(推定される内容の全体像)歴史編2は、歴史編1(1570年4月まで)に続き、織田信長の越前侵攻以降、国吉城が「天下統一」という大きな歴史の流れの中でどのような役割を果たしたかを描く後編と考えられます。国吉城は若狭と越前の国境に位置し、信長の北陸政策・朝倉氏滅亡・柴田勝家の支配・豊臣政権下の再編など、戦国後期の大転換期における“国境の要衝”としての変遷が中心テーマになります。⚔️1.信長の越前攻めと国吉城の戦略的位置-1570年、信長は朝倉氏討伐のため若狭へ進軍し、国吉城を軍
続日本100名城139番佐柿国吉城(若狭国)令和七年十月九日登城国吉城(くによしじょう)は、若狭国三方郡佐柿村(現・福井県三方郡美浜町佐柿)にあった日本の城(山城)。若狭国守護大名の武田氏重臣であった粟屋勝久が戦国時代に築き、越前国の朝倉氏の度重なる来襲に対して籠城戦などで守り抜いた[2][3]。のちに、織田信長が越前攻めで国吉城に駐軍した際、長年にわたる勝久の戦いぶりを賞賛したと伝わる[2][4]。概要越前国と若狭国の国境である関峠を過ぎ、若狭国に入り、旧丹後街道を進んでいく
2022.3.15福井県にある「国吉城」と道中の道の駅を巡った時の写真です。若狭熊川宿熊川宿散策マップ|道の駅熊川宿kumagawajuku.jp国吉城町史跡国吉城址【続日本100名城No.139】-福井県美浜町!site.admin.description!www.town.fukui-mihama.lg.jp若狭国吉城歴史資料館-若狭美浜観光協会...wakasa-mihama.jp
〈福井〉金ヶ崎城と天筒山城『(722)〈福井〉金ヶ崎城♪天筒山城♪』〈福井〉金崎宮♪『(721)〈福井〉金崎宮♪』〈福井〉気比神宮♪『(720)〈福井〉気比神宮♪』〈福井〉気比の松原♪『〈福井〉気比の松原♪』玄蕃尾城と賤…ameblo.jpつづきですお城🏯目指してどこまでも~歴史を巡る旅編金崎宮から約25分くらいかなやってきたのは🔸️続日本100名城:No.139佐柿国吉城🏯さがきくによしじょう福井県三方郡美浜町🔸️100名城スタンプ設置場所→若狭
彦根城を発った後、押し損ねていた小谷城のスタンプを押し、佐柿国吉城へ。もう昼過ぎだけど、少しは城址を散策する時間はありそう。佐柿国吉城は、1556年に若狭国守護・若狭武田氏が、越前方面からの侵攻に備えて築いたと伝わっています。若狭国の東の入り口を抑える要害として築かれ、小浜湾方面から若狭の内陸部に入る交通・防衛の要衝に位置します。現代では原発が有名な美浜町にあたります。若狭武田氏について知識不足でしたので、ここでちょっと整理します。まず、武田氏のはじまりについてですが、鎌倉時代のころ清
急遽おとぉと私の予定が合い北陸方面へ旅に行ってきました5日目この日2つ目のお城🏯山城⛰️ですさぁ〜ステッキ🦯🦯持って登るでぇ九十九折りの山道どんどん登りますお城の保全会??のボランティアの方々が颯爽と上り下りされていました(本丸まで)「まだまだ!頑張って」とか「後もう少し」とかバテバテの私に声を掛けてくださいました本丸(頂上)からの景色頂上御城印スタンプ敦賀でお昼ご飯海鮮丼頂きました山城行って気持ちも足も
4月11日(金)半日休んで若狭国吉城歴史資料館へ行ってきました桜は見ごろになっていました◆若狭国吉城歴史資料館◆公益財団法人日本城郭協会より「続日本100名城」に選定。越前朝倉氏の軍勢を防ぎ、織田、豊臣、徳川の三英傑を迎えた難攻不落の国吉城址と、その城下町として開かれた佐柿の歴史的な町並みが紹介されています。2020年の大河ドラマの主人公である明智光秀も三英像と共にきました。国登録有形文化財
2024年秋、九州へ向けてPCX160で陸路を走っていきました。朝食は、何処だろう7時12分、鉄道と違って時間だけで場所がわかりません。この後は休憩の度に写真を撮るようにしたようです。清水SA遠州森町PA岡崎SA尾張一宮PA伊吹PAと、休憩を取りながら、滋賀県は小谷城跡までやってまいりました。最初の目的地、小谷城戦国歴史資料館に到着です。日本百名城49.小谷城です。スタンプのみでした。ちょっと、長大すぎるので一旦ここまでの大体の行程、まだ続きます。賤ケ岳SA、こちらで食
すごーーーく時が経ち過ぎたけど書いておきたい話の第二弾。2019.11.2〜4の福井県城攻め🏯てれれーっとupします③ラスト!もぉ最終日かぁ…なんて思いながら始まった3日目。まずは【国吉城】『若狭』って書いてあるけど100名城の本とかでは『佐柿』なんでかな?ここは続100名城!難攻不落の城らしい。入口には金網フェンスがあった!野生動物…でるの?遭遇するの?しませんでした(笑)頑張って登ってからの…「来たどー!」これで福井県の100名城・続100名城コンプリート
名称:佐柿陣屋別名:佐柿奉行所(1635年整備)城郭:陣屋築城年:1803年築城主:酒井忠勝主要城主:酒井氏所在地:三方郡美浜町佐柿25-2佐柿陣屋(佐柿町奉行所)准藩士屋敷跡
国吉城(城主居館跡)居館跡最下段石垣石組溝土塁石垣建物跡
名称:国吉城別名:佐柿城、佐柿国吉城城郭:山城築城年:1556年城主:常国国吉、粟屋勝久改修者:粟屋勝久主要城主:粟屋勝久、木村定光所在地:三方郡美浜町佐柿指定文化財:町指定史跡続日本100名城本丸へ二ノ丸虎口二ノ丸連郭曲輪へ連郭曲輪連郭曲輪眺望本丸へ堀切本丸下帯曲輪段石垣本丸北西虎口本丸本丸石垣本丸南隅櫓
⭐️佐柿国吉城(福井県美浜町)城主居館跡中段石垣☘️全城制覇まであと21‼︎
前回↓の続きです。(小松で名物のカレーを堪能‼︎敦賀の夜♪)『小松→敦賀→彦根旅2024①(小松で名物のカレーを堪能‼︎敦賀の夜散歩♪)』2024.11今年実家で収穫した大きなみかん🍊甘くて美味しかった♪♪〜*♪〜*〜♪♪〜*♪〜*〜♪2024.10.18(金)〜ご当地グルメにお城めぐり、キャラ…ameblo.jp☆2日目☆ホテルをチェックアウト後は、朝散歩♪そのままハニー新鮮館エフレさんへ。地元食品スーパーです。目的はこれ↑敦賀名物フジバーグ( ̄ー ̄)フジバーグ☆ご飯も一
玄蕃尾城址からバイク🏍️にて走ること約30分、敦賀市を横切り隣の美浜市へやってきたのは「佐柿国吉城址」ここはさっきの玄蕃尾城と比較して遥かに観光地化されており歴史資料館がある、しかしまぁ例に漏れずここも原発マネーであろう、城下町やたら立派やし国吉城、ここは時の支配者信長や秀吉の前の朝倉氏から何度も襲撃を受けていたが全てを跳ね返して軍門に降らなかった難攻不落の城とのこと、他にはあまりネタはない💦💦スタンプ押し台も綺麗に整備されておる、そもそも建物自体新築やろうこれスタンプ押したら水買って
先日、1日空いている日があり、日帰り可能な範囲で遠出をしてみようと、まだ行けていないお城をチェック。福井県の嶺南地方を目指してみることにしました。続日本100名城のうち未訪問のお城が中心ということで、まずは佐柿国吉城。(今までに訪問した北陸のお城は→こちら)まず、お城の名称ですが、続日本100名城としては「佐柿国吉城」となっていますが、麓にある資料館は「若狭国吉城歴史資料館」となっています。また、Wikiでのタイトルは単に「国吉城」となっています。アクセスとし
先日(6/10)、続日本100名城の佐柿国吉城に行きました。(=^x^=)
2924.05.19三方五湖湖畔のホテルで1泊して、翌日は佐柿国吉城と玄蕃尾城2城を目指す計画。しかし、昼過ぎから雨予報。せめて佐柿国吉城だけでも登りたい。情報収集とスタンプをもらうため若狭国吉城歴史資料館を目指す。9時開館のところ5分前に到着。資料館の方が「登山前にトイレ寄る場合はもう少し待ってね」と優しく声をかけてくれた。開館と同時に入り、地図とパンフレットをもらい、併せて続100名城のスタンプを押す。資料館は国吉城に登ったあと見ることにして、主郭に向け出発!資料館の脇を抜ける
2023年5月、コロナ禍で延期されていた静岡古城研究会の佐柿国吉城見学会が漸く執り行われ、佐柿国吉城に三たび訪れることとなりました。麓の若狭国吉城歴史資料館の大野館長にご案内頂き、麓の居館群の石垣に関する丁寧な解説に耳を傾けつつ、いざ山頂部へ。石臼の転用なのだそうですあいにくの雨模様となりましたが、そこは猛者揃いの古城研。雨などものともせずにえっさえっさと例の登城路を登って行きます。それにしても佐柿国吉城のつづら折りの坂道は、どうしてこんなにきついんでしょうね。山頂部に濃厚な遺構を
敦賀に行く用事があったので、2度目!この「佐柿国吉城趾」に行ってきました。前回は思いがけずに立ち寄って「若狭国吉城歴史資料館」で色々見て、次回は登って「若狭湾一望」を楽しみをとっておきました。この辺りまでは前回もきています。名称国吉城別名投石城標高197m段々と洋装が変わってきて山へ昇る用意はしてきているものの👇⚠️熊出没注意⚠️今年は熊も出没も全国で多いと言われていてこの柵の前でどうしようか?と思案していると、熊よけの鈴をつけて降りてきた人がいまし
若狭国守護武田氏の重臣が築城したお城佐柿国吉城越前朝倉氏の侵略を退けた難攻不落のお城なんと織田信長が朝倉氏討伐の本陣としたお城山の頂に本丸を配した山城平時は山の麓に居住城主居住跡お城はありませんでしたが・・
レンタカーで越前大野城から移動してきました。移動中動物注意の標識で初めて猿の標識を見ました。釧路には丹頂鶴の標識がありますが、猿は初めて見ました。さて、お城に着いて資料館でスタンプを押す際に熊出没注意の張り紙がありました。万が一熊に出会ってもツキノワグマなので生き残れるかもしれませんが、会いたくはないです。時間もないので今回はスタンプのみで早々に退散しました。これを見た時にガチだと思いました更にこれを見て本当に熊が出る事を確信しました。
《国吉城》[読み方]くによしじょう[別名称]佐柿国吉城[所在地]福井県[城分類]山城[築城主]栗屋勝久[築城年]1556年(弘治2年)[城を観る](御城印明智光秀ゆかりの地福井県美浜町佐柿国吉城)(御城印織田信長公国吉城入城四五○年記念若狭国三方郡佐柿国吉城)(石碑若狭国吉城)(伝二ノ丸跡)(本丸跡)(本丸跡解説板)(本丸跡から望む)(本丸下帯曲輪段石垣)(本丸下北側堀切)(本丸東虎口跡)(本丸東虎口跡解説板)(本丸北西虎口跡)(本丸
1日ではなかなか周りきれないです。金ヶ崎城の近くには「気比神社」などもあり、そこは前回若狭に来た時に来ているので、お城に専念💦「金ヶ崎城跡」に住所をセットしてみたけれど、なかなか辿り着けずに諦めかけていたところやっと見つかりました。夕方になって閉まって、「金ヶ崎宮」を通って跡には行けそうになさそうですが、近くまで行ってきました。1570年に足利義昭の上洛に応じない朝倉義景を討伐するために越前へ行く信長。坂本城(近江)→和邇に陣を置く→田中城(滋賀・高島)→熊川城(福井県若狭
一乗谷城から国吉城へ🚙帰り道を考えると今日の予定の最後が金ヶ崎城で帰ります。佐柿国吉城1556年…国吉城は若狭国守護武田氏の重臣、粟谷越中守勝久が南北朝期に常国国吉が築き、「国吉の城」としてあった古城を改修して築城したと言われています。「佐賀伎城」とも記されています。粟谷氏は鎌倉時代より古くからの重臣で、武田信義の弟安田義定の子孫が常陸国粟谷庄に土着して粟谷氏を名乗ったと言われています。築城後1563年からは、朝倉勢を相手に6度押し寄せてくる大群を跳ね除け、その後、15
8月7日から2泊3日で北近畿に行ってきました。暑さと汗との戦いのようなお出掛けでしたが今日から記事アップしていくので、お付き合いくださいね。7日(日)に主人と待ち合わせしたのは大阪駅。日曜日で支配人がお休みだったので、捕まって残業になる恐れはないので(笑)、今回は職場近くには行きませんでしたしかも急遽シフト変更があり、5~6日は他店舗のヘルプ、6~7日は自店舗での勤務とイレギュラーシフトで9時上がりとなり、通常の夜勤より1時間早く上がったので、その分早く旅に出られました。スム
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~丹波・但馬・若狭編~兵庫県と福井県にある5城を2泊3日で巡る旅。今回は2020年12月10日(木)の3日目、若狭編をお届けします。3日目は佐柿国吉城を中心に巡ります。(初日はこちら)『日本100名城巡り~丹波・但馬・若狭編~2020.12.08~10①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~丹波・但馬・若狭編~兵庫県と福井県にある5城を2泊3日で巡る旅。今回
若狭と敦賀の境目の城「佐柿国吉城」の城盗り【「続・日本100名城」城盗り15城目】こんには日帰りドライブ城盗りの玄蕃尾城のつづき(その2)です。玄蕃尾城から福井県補方面へ県道140号、国道8号、161号から国道27号を美浜方面へ走行。国道27号沿いに案内看板を見つけ、指示の通り脇道に入り駐車場に到着(11時)しました。美浜町東部の「佐柿」にあった山城(標高197.3m)。戦国時代は若狭国と敦賀国の国境を守る「境目の城」「佐柿国吉城」の城盗りを始めます。
陽光山徳賞寺御本尊釈迦牟尼御由緒室町時代後期、天文年間(1532−1555)に祐和尚が旭渓の麓に草庵を設けたのが始まりとされ、永禄6(1563)年、国吉城城主・粟屋越中守勝久が寺領を寄進、機山祖全(越前盛景寺8世)を招き、正式な寺院(徳賞寺)として整備・開山した。佐柿国吉城は約10年もの間、越前朝倉氏の攻撃に耐え抜いた「難攻不落の城」として知られ、北陸への勢力拡大を目指す織田信長が拠点とし、信長に従う木下藤吉郎(豊臣秀吉)、徳川家康も入城した城でもある。織田信長が越前攻めで国吉城に駐