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7日(日)の朝日歌壇で、わたしの心に響いた歌。あと何度聞けるのだろう真夜中にあなたが冷蔵庫を開ける音(横浜市富尾大地)佐佐木幸綱氏選第7席である。この歌の「あなた」は、わたしにとっては、父である。わたしの父は、軽度の認知症である。普段は一緒に住んでいないので、母からの電話でその状況を聞いている。長期休暇に帰省したとき、その状況をこの目で見る。確実に、生命力が衰えている。父は、時間の感覚を失っている。1
「美しく、お暮しください」選択肢、美しくは至高なり。佐佐木幸綱短歌に親しむ(NHK短歌入門)Amazon(アマゾン)1日1篇「人生を成功に導く」365人の言葉Amazon(アマゾン)
日曜日は、朝日歌壇である。今日(27日)の歌壇に、こんな歌があった。佐佐木幸綱氏選第5席である。徘徊といふ語悲しも今日よりは旅のお人と呼ぶことにせむ(新座市山城千恵子)認知症の人のことである。「徘徊」とは、あてもなくうろうろすることである。認知症の人が家を出てあちこち歩きまわっているさまは、知らない人から見れば、「徘徊」しているように見える。実際は、あてもなくうろうろしているわけではない。認知症になると、記憶は
日曜日は、朝日歌壇である。今週も、わたしの知らなかった言葉について書く。浅学無知をさらけ出すのは恥ずかしいが、いまさら格好つけてもしかたがない。蛇来ても雪加騒がず巣を捨ててまたも巣作る雪加よ雪加(津市中山道治)佐佐木幸綱氏選第4席である。この歌に3回も繰り返される「雪加(せっか)」を、わたしは知らなかった。蛇が来ても「巣を捨ててまたも巣作る」とあるから、おそらく鳥であろうと見当はつく。講談社の『日本大歳時記』で調べ
11日の朝日歌壇、佐佐木幸綱氏選第1席は、蜂巣幸彦さんのこの歌であった。山寺にグランドピアノ届けられ連弾の音の響く本堂(戸田市蜂巣幸彦)佐佐木幸綱氏は、「山寺とグランドピアノの組み合わせに注目。楽しい音楽が聞こえてくるようだ」と評している。お寺にピアノは、よく合う。わたしは30年くらい前に、ジャズピアニストの田中信正がお寺でコンサートを開いたのを聴きに行ったことがある。台東区であったか荒川区であったか記憶は定かでないが、
9日の朝日歌壇の右上隅の特等席は、この歌であった。佐佐木幸綱氏選第1席である。出番なき物差し取り出し測りたり年の始めの大雪の嵩(郡山市遠藤雍子)めったに雪が降らず、ましてや積もることなどほとんどない埼玉県に住んでいるわたしは、天気予報で雪の予報がでると、ワクワクする。降り始めると、どれだけ積もるか楽しみでたまらない。ごくまれに積もったりすると、用もないのにブーツを履いて出かけたりする。雪に弱い都会では、電車が止まったりして
【Q20431】日本最古の踊り子ともいわれ、三重県伊勢市の猿田彦神社の境内社・佐瑠女(さるめ)神社などに祀られ芸能の神として信仰されている、日本神話で天岩戸に隠れたアマテラスを外に出すために踊りを披露した女神は誰?【アメノウズメ】【Q20432】代表歌に国語の教材にも取り上げられた「のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ」などがある、短歌雑誌『心の花』を主宰し、俵万智の師匠としても知られる歌人で、祖父に第1回文化勲章受章者の1人である歌人・佐佐木信綱がいるのは
今日の朝日新聞の[朝日歌壇]に拙歌が載った。佐々木幸綱氏の選だ。「昭和っぽく灰皿のある喫茶店喫煙者だが吸わず見つめる」この前、彦根の銀座街を歩いて、そして[喫茶ベニヤ]に入って、そのベニヤさんのテーブルに置かれていたガラスの灰皿をタバコも吸わずに見ていた時のことを歌にした。今、彦根を舞台にした小説は400字で[82枚]までいっている。スッピンでは一応ラストまで書いた。あとはお化粧をしていって100枚を超える作品としたい。お化粧、特に春樹さんみた
日曜日は、朝日歌壇である。今日の歌壇で、わたしのもっとも心を掴んだ歌は、佐佐木幸綱氏選第10席のこの歌である。四月から小田原に住むこと決まり「おさるのかごや」唄って過ごす(吹田市中村玲子)年に3回、帰省の際に東海道線を利用するわたしにとって、小田原は好きな町のひとつである。だいたいは通過するだけだが、小田原と聞くと東海道線から見える太平洋の美しさが目に浮かぶ。そして小田原駅の、列車の発車を知らせる「おさるのかごや」のメロディーも。
日曜日は、朝日歌壇である。今日は、わたしの歌が掲載されていた。馬場あき子氏選第2席、佐佐木幸綱氏選第6席、重選である。子の髪型ウルフカットというらしい顔はウサギに似ているくせに馬場あき子氏は、「第二首はウルフカットの髪型に、改めて思う流行の力を」と評している。ウルフカットは流行しているのか。女性の髪型に疎いわたしは、全然知らなかった。美容室で髪を切ってきた娘が、ウルフカットにした、というのを聞いて初めて知った言葉である。娘は、上の前歯の真ん中の2本が大きく(父の遺
日曜の朝は朝日歌壇です。まずは自分の歌から。社員募集高給賞与あり食事付き業務は簡単な戦闘ワグネル(高野公彦選第1席)高野公彦氏が評を書いて下さった。一首目、ウクライナに侵攻するロシア軍を支える民間軍事会社ワグネル。その募集要項の裏にひそむ恐ろしさ。ワグネルでは、好待遇で募集した兵士を、ほとんど訓練もさせずに前線に送り出すという。その前線に送られたロシア兵の談話を新聞で読んで感じた恐ろしさを詠んだ歌です。ワグネルに
今日の朝日新聞の[朝日歌壇]にホントに久しぶりに拙歌が掲載された。何ヵ月ぶりだろう?‼️(笑)佐々木幸綱氏が選んでくださった。[感謝]「夕焼けに染まった田んぼに平和見るとウクライナからやって来た人」テレビの地元、滋賀県のローカルニュースを見ていたら、ウクライナから避難されている女性画家が紹介されていた。その女性、湖北の水田の風景を見ていて、ものすごく[平和]を噛み締めたそうだ。そのニュースを見終わり、短歌を作った。
このところ数字の計算に追われていたり実家のあれやこれやに時間がとられているのでうっかりするとこんなに久しぶりになってしまう。要するにぼやぼやしていてはだめだ、ということです。今日は打ち合わせ時間の調整がついたので写真の会場に。がしかし。短歌結社「心の花」の田中さんの講演(だけ)とおもいこんでお伺いしたら、なんと「短歌会館賞」という賞の授賞式を兼ねていたのだった。その賞が、どのような経緯のどういう方々が対象なのかもさっぱりわからぬまま、投稿も受賞もしていないのにのこ
おとといの「朝日新聞」33面。「新春詠」。■自画像佐佐木幸綱自画像にこだわる二人宣長とヴァン・ゴッホ思う元日の夜正月の雪うつす鏡写真なき人らの顔を映しし鏡■三百六十五個の日高野公彦年の夜のそら渡りくる鐘の音を茅(ち)の輪(わ)をくぐるごとく聞きをり壁にある新カレンダーつやつやと三百六十五個の日が待つ■おい老い永田和宏一年でほぼ細胞は入れ替はるなのにどうしてわが老いの顔古希過ぎしわれを「この子」と時に呼ぶ馬場あき子ならま、仕方がないか■冬木馬場あき子こんなにも
歌集を読む。気ままに読む。自由に読む。贔屓目で読む。軽やかに読む。髪をほどいて読む。ときおり湯を飲みながら読む。ちいさく笑ってもいいとする。咎めてもいいとする。時計は見ない。電話は出る。メールは後で返す。エアコンは入れないかわりに重ね着をする。ひとつの鳩になり、嘴からほうほうとけむる息で冬を温めながら。島田修三第七歌集「帰去来の声」(まひる野叢書第三〇八編・2013年発行砂子屋書房)を読む。薫りつつ缶にひしめく両切りの一本を選りてわがともすなりp16芽吹きゆく楓
短歌や俳句にはまったく興味がなく、適当に流し見していた「究極の短歌俳句100選」。観ているうちにどんどん引き込まれて、「やばい、これ録画しなきゃ!」と思った時は既に遅し。ちょうど私が見ていたのが再放送分で、もう会員登録してNHKオンデマンドで見るしかないという(涙)ゲストのヤマザキマリさんはもちろん、司会の風間俊介さんも、ちょいちょい挟む感想が鋭くて、ただものじゃない感じ。もう一度、おふたりの感想・解説を聞きながら、じっくり
古くからある芸能には、代々続く家系が存在する。たとえば歌舞伎の世界の場合、襲名というのがあって名まえといういれものを、中身である人を替えながら継承していくことで伝統(屋号)を守りつづけている。芸能とはすこし外れるかもしれないけれど、おおきく芸術の枠をひろげれば陶芸も、唐津焼の中里家や清水焼の清水家など、血の繋がりはないにしろ名を継ぎながら技法を伝えている。代々伝えられている特徴は、鑑賞する側(お茶やお花なら習得する側)に、贔屓の伝統(屋号)を生みやすい。歌舞伎だったら市川家
(東京都豊島区池袋池袋駅)校庭でロケをしてをり花麒麟誠司今日は池袋の谷端川句会。講義は「高野素十」、素十の「純粋写生」を中心に話をした。ここは廃校となった小学校を会場として利用している。時々、ロケが行われている。今日はよくわからないダンスが行われていた。プロモーションビデオの撮影だろうか。それを見ていたら、すぐそばに見知らぬ赤い花が咲いていた。茎に薔薇のような棘がある。「花麒麟」(はなきりん)というのだそうだ。「麒麟草」は夏の季語だが、「花麒
40・癸卯俵万智さんは歌人。新潮社の著者プロフィールでは『学生時代に、佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1986年に角川短歌賞、1988年に現代歌人協会賞を受賞。「サラダ記念日」「プーさんの鼻」「考える短歌」など、歌集・著書多数』とあります。1987年発行の第一歌集『サラダ記念日』は歌集としては異例の大ベストセラーになりました。歌集がこれほど売れるなんてことはかつてありませんでした。短歌の持つ古典的表現を一切廃して、日常会話で使われるカタカナを巧みに使い、口語短歌という
確か8月には拙作が2回載った朝日新聞の朝日歌壇。毎週けっこう出していたが9月、10月は載らなかった。そして、今日、11月7日、ようやく2ヶ月ぶりに載った。ミナマタもオノダの映画も外国の人の手によりできた歯痒さまたまた佐々木幸綱さんが選んでくれた。私の拙き歌は佐々木幸綱さんと一番相性がいいようだ。正直なところ、私としてはあの古今和歌集のようにしっかりと花鳥風月を詠み、その中にそこはかとなく自分の[心情]を入れ込んでゆく、そのようなアプローチの歌を
「運動会冠婚葬祭奉仕作業村を簡素化してゆくコロナ」今日の「朝日新聞」の「朝日歌壇」に、先月に続き、私の拙き短歌が掲載された。またもやあの「サラダ記念日」でメジャーとなった俵万智の師匠の佐々木幸綱氏が選んでくれた。俵万智は公立高校の「国語」教師であったが、私は公立中学校の「国語」教師である。一昨日も9月の朝日歌壇にも載せてもらおうって、5首、送った。9月は、はたしてどうなることやら?
正直なところ、毎週、日曜日がきて朝、新聞を取りに行って新聞を開ける時、ほんの少しだが年甲斐もなくドキドキする。(笑)「載っているだろうか?」…………毎週、3000首くらい短歌が集まると言われている朝日新聞の朝日歌壇。私は今年になって1月、2月と連続して掲載され、今年は「毎月載ってやろう」ってひそかに思っていた。しかし世の中そんなに甘くはなかった。(笑)毎週毎週1首は書いては送っていた。ハガキをコンビニで買いまくった。(笑)でもこの4ヶ月
五時半、今、朝焼けです。だれのエッセーだったか、日本人の日記は天候のことから書き始める、と書いていました。つまり、天候を話題にするのが日本人の特色だ、というのです。その真偽のほどは定かではないですが、たしかにわたしなどは、日記とか手紙、ふだんの挨拶で天候を話題にします。「きれいな朝焼けですね」と言うだけで挨拶が終わる場合が多いです。啄木は週になんかいいかりしかまだかたき柿にかみつくみきとえだだけの木二本たっていてかわぞいのみちだれもとおらずえきまえにつどうく
とくにジャンルは特定されないが、知名度がそれ程でもない人を入れるとスポーツ選手はもう少し多くなる。次の日座天中殺へバトンタッチするという位置を考えると、既存を変えて、現実(その道)を極めようと努力する人たちが癸酉のイメージだが、このあたりは外からでは計り知れない。比較的わかりやすい経歴の持ち主として、歌人の佐佐木幸綱さんと秋篠宮紀子妃を取り上げてみる。佐佐木幸綱さんは歌人、国文学者。早稲田大学名誉教授。貫索星石門星が0になっているのは、日干をマイナス1しているため。星の位
今、近江、湖東の地は桜は満開である。今日は風が強く散りはじめてもいる……涙。古今東西、桜を詠んだ名歌はたくさんあるが、私の独断と偏見で私の「お気に入りの桜の短歌」ベストファイブを選んでみた。第1位桜ばないのちいっぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(岡本かの子)第2位世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)第3位清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子)第4位花の色は移りにけりないたづらにわが身世に
4丁卯も10癸酉も戌亥天中殺グループの天胡星ということで、現実との和合性が薄くなることが干支の意味にも表れている。10・癸酉の干支意味では「現実面では知性に見合った場面をなかなか得にくい。自分の気持ちを直接表現するのは不器用で、誤解を招くことが多くなる」知性の中に天胡星の先見性が含まれてきて、よく言えば先を読む知性だが、逆に言うと現実を観ていない知だけが先んじる。描いていることと現実は必ずしも一致しない。自己表現の不器用さは天胡星由来とは言い切れないが、説明不足で結論が先んじる傾向が
元々はバイクブログだったのよ😓11日、建国記念の日北風は強めだけど、上天気で、こんな日はバイクでしょそうだキャノピー、乗ろう。JR乗海と言う訳で今日のロゴはホンダです行き先はそうだ伊賀、行こう。JR食う甲斐キャノピーなら普段着でOK😊まずは、鈴鹿市深溝町のわらペンにご挨拶し藁で作ったペンギンという意味らしいメトロさんだったらバイクを押して歩きそうな東海道・関宿を抜け関宿はトイレまでレ
元々はバイクブログだったのよ😓リブログに書いたように入院していた、わがキャノピーちゃん点検修理から帰ってきました!整備士さんが整備の様子を撮ってくれてまして、プラグは減っているわ、エアクリーナーは真っ黒だわで、異音はそろそろ診てくれよという悲鳴だったんですね😅そして帰り道、鈴鹿山脈がきれいで(左の尖っているのが鎌ヶ岳、右隣りがロープウェイもある御在所岳)先だって行った佐佐木信綱の生家の近所で見かけた傾けてバイクを駆れる群が行く鈴鹿の山は父祖のふるさと(佐佐木幸
佐佐木幸綱さんの第17歌集『テオが来た日』(ながらみ書房)を読んだ。思い出というか回想の歌が多いのだが、それらはとりあえず脇へおいて、次のような歌に共感した。老いの現在の歌である。もちろん、思い出の歌だって老いの現在だろうが、過去が濃厚だし、作者の事情にかかわるので、読むとなんだか世界が狭くなる。好物の牡蠣のフライのあつあつを湯気もろともにほおばる気合いこんもりとしたまま黄葉して立てる桂に声をかけて帰ろう居酒屋に飲んでうたって木蓮のひしめく白き花を見にゆくはじめ
プチ話題三題8アパートの向かいに保育園があります。台所に立つと園児たちの声がよく響くんです。「あめふってきたあ!」窓を開けるより先に、園児の声で天気の移り変わりがわかります。お昼時には園児たちの元気な「いただきまーす!」の大合唱より先にごはんが食べられる時は、一人しめしめとほくそ笑みます。のどかだなあ。―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―30年ぐらい前に歌人の佐佐木幸綱先生