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本年春から夏、甲子園をめざす我が孫の応援に何度か駿河へ。応援の合い間に、駿河のもののふたちの墓所や史跡を訪問。ブロ友・梓慕情さんには、野球応援も史跡情報もすっかりお世話になってしまいました。ほんとうにありがとうございました。●源義朝七男阿野全成、鎌倉二代将軍頼家が子公暁の墓所、大泉寺(沼津市)へ梓慕情さんが地道に墓所建立の支援をしていた頼家の子・公暁の供養塔が、大泉寺に建立されたという。地元とはいえ熱心な梓慕情さんの尽力には、歴史マニアとは違った真剣さを感じ頭が下がる。大泉
御迎え人形は江戸時代に天神祭の船渡御を迎えるために御迎え船に飾られていた大型の人形ですまずは大阪天満宮に展示されていた三体「与勘平」「八幡太郎義家」「豆蔵」天満ライオンズクラブ奉仕講の「羽柴秀吉」本物かレプリカか不明です帝国ホテル大阪の「鬼若丸」大阪アメニティパークの「猩々」大阪くらしの今昔の「酒田公時(さかたのきんとき)」ホテルニューオータニ大阪の「佐々木高綱(真田幸村)」今日は以上です
◆大慈山福林寺◆桓武天皇(737-806)の勅願によって最澄(767-822)が開いたといわれる、歴史が古い寺院です。もとは野洲にありましたが、戦国時代に現在の場所に再興されました。本尊・木造十一面観音立像は、井上靖(1907-1991)がその著作『星と祭』の中で「天平時代の貴人」と評したことで知られています。また、境内の石造宝塔は、頼朝方の武将・佐々木高綱(?-1214)が「宇治川の戦い」に出陣する折に建立したものです。この戦いで高綱が梶原景季<カジワラカゲスエ>(1162-1200
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます雨降りで傘をさしながらだったので写真はあまり撮影出来ませんでしたが洗足池の公園散策エリアとしてとても素敵でした水が近いからなかなか迫力もある(泳げない人間的発想かも)お花見。弁天様のそば足洗池と千束八幡神社御朱印は休止中御朱印のお馬さん憧れですが様々理由はありましょうまた御縁がありましたら😌足洗池、お花見のためか屋台がこれでもかこれでもかとたくさん並んでいてなんとも味わい深い景色になっていました雨天だか
昨日は【チーム南鷹と素敵な仲間たち】だった。南也、南喜が前座も明けて、今年からは他門下の講談師との交流を深めようと思う。その初回は〝南亰〟にお願いした。南喜『山崎合戦』…これまで南喜には、本人の個性を活かせるように〝世話物〟的な良い演目を与えてきたが、ここらへんで基礎体力をもう一段向上させようと長めの軍談を付けた。今後に繋がればいいと思う。南也『左甚五郎の猫餅』…声や口調は安定してきたが、口さばきはまだまだ良くなる余地はある。ま、原因のほとんどは稽古不足かな。内容としては、おばあちゃん
「宇治川の先陣」の名馬――磨墨(するすみ)と生唼(いけづき)のふるさとは、長門国豊浦郡の海近くの牧の「岬山」と「蓋井島」といういい伝えがある。佐々木高綱が頼朝からもらった生唼は黒栗毛の、たいへん肉付きのいい馬だったが、気性が激しく、人でも馬でも傍にいるものには見境なく噛みつくので、それで「生唼」と名付けられていた。当時の馬の大きさは体高四尺(121cm)が標準といわれ、それ以上の四尺何寸かの場合は四尺という言葉を省いて、ただ「何寸の馬」と呼んだ。この生唼は八寸の馬だったというから、
東海道歩きは、南湖の左富士地点を過ぎ進みます。高野山真言宗のお寺「円蔵寺」は、寺伝によれば茅ヶ崎本村の地に永享元年(1429)創建。慶安2年(1649)には徳川家光より朱印状を受け、近世には13ヶ寺の末寺をもつ中本山として栄えましたが、大正12年(1923)の関東大震災により損壊、昭和4年(1929)に現在地に移りました。しばらく進み、交差点を渡ると「茅ヶ崎一里塚」があります。日本橋から14番目にあたります。江戸時代の松並木を残します。幹回り
…「木曽(源)義仲」の軍と、鎌倉の源頼朝の代官として軍事上洛した源範頼・義経の軍とが、宇治川を挟んで激突した。『平家物語』によればこの時、頼朝の御家人であった佐々木高綱と【83】梶原景季(カゲスエ)が、それぞれ頼朝から賜った名馬に跨り、川に乗り入れて先陣争いをし、高綱が勝つ。
宇治の散策を続けました。平等院の最後に、観音堂を眺めてから出発しました。観音堂は鎌倉期の建造物だそうです。冷たい雨が降っている日でしたねぇ。宇治川(淀川中流)の河原に出て、中洲の浮島に渡りました。浮島に渡りながら、宇治川(淀川)の下流のほうを眺めると、宇治橋が見えました。源頼政が宇治で戦ったときには、この橋を切り落として防戦したんでした。さて、浮島のうち、下流側が橘島というそうですが、まず「宇治川先陣之碑」が入ってきました。源平合戦の後半というのでしょ
源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平氏は滅亡する。今ぞ知るみもすそ川のおん流れ波の下にも都ありとは(二位尼)まもなく頼朝は、従二位に叙せられ幕府の公文所を政所と改称。更に文治元年(1185)11月には諸国に守護をおいて全国の直接支配にのりだすことになる。(しかし幕府内部も義経の追捕などの一筋縄とはいかない事情も抱えていた)下関市史(原始-中世・H/20刊)によれば
ビルシャナ戦姫FDを始めましたー!年内にクリアできるのはこれで最後か…?FDの今作では前作(本編)で攻略対象だった5人の後日談←甘いと評判今作で新たに本編√ができた4人合計9人のお話が読める仕様です♡後日談はとっておきまして先にサブキャラだった4人の本編を進めましたブログを書いている現時点で既に4人とも終えた状態フルボイスで聴いて一人当たり5~5時間半程で攻略完了しました☆前作で起きた出来事ダイジェスト版を流し出会いからしっかりと描かれてました♡
日曜日の鎌倉は混んでて凄かった江ノ電は乗れないくらい鎌倉駅のホームに溢れてました😱食事する場所も長蛇の列だし、休憩する所もない状態…鎌倉、やばし…10月9日に鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りの続きです佐奈田霊社→曽我五郎七ツ石の次には、足形社曽我五郎の七ツ石から徒歩でどれくらい掛かったかなぁ〜20分くらい?!足形社に着きました足形社源頼朝の名馬するすみの誕生地で、するすみの足形👣がついた大きな石が祀られています足形社がある地区は昔は炭焼所と呼ばれていました周辺には生駒駒
沙沙貴神社は、近江源氏(宇多源氏)の佐々木氏が崇敬した神社。源頼朝に仕えた佐々木定綱・経高・盛綱・高綱も信仰していたのでしょう。大鳥居の掲額「佐佐木大明神」の字は、頼朝の筆なのだとか。沙沙貴神社☆☆☆☆☆2022年の大河ドラマ
幸主生唼名馬尊は源頼朝が持っていた名馬生唼(白馬)[池月]と磨墨(黒馬)の二頭のうち治承4年(1180年)宇治川の合戦出征の際に佐々木高綱が授った生唼が祀られています生唼は奥州平定の陣屋に到着後に息を引取り悲しんだ高綱が塚をを建てたのがはじまりですその後江戸時代に拝殿が建立されました境内水盤幸主名馬尊堂(生唼名馬尊)塚薬師堂境内の庚申塔など宝篋印塔六地蔵尊
今年もこちらに帰って来れて幸せ。
名古屋のシンゾウですウクライナの問題、なかなか解決しませんね。この間にも住民の多くが亡くなっているそうです。とても現実とは思えません。ゴールデンウィークの初日、名古屋は雨です。ブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(470)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り》()内のヒントでフリガナを考え、漢字を書いてください。【23061】し○○○に(!俊寛、真空)【23062】○○○○○○○まつだいらけ(!武者小路千家出仕先)【2
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその72第16回伝説の幕開け今回は、宇治川の戦いについて(宇治川古戦場:京都宇治:宇治橋付近)宇治川を挟んで対峙した義経(菅田将暉)軍と義仲(青木崇高)軍。義経は、合戦を前に軍議を開く。その中で、義経は、畠山重忠(中川大志)に「畠山、先手を率いて川を渡れ」と命じる。重忠は、「敵の矢の格好の的になりますが」と疑問を呈す。それに対して義経は、「案ずるな。敵の目は他に向ける。強者を二人選び、ここで派手な先陣争いをさせよ。敵の目がそちらに注がれている
1184年(寿永2年)1月、源頼朝は、弟の範頼と義経に木曽義仲追討を命じます。1月20日、義経は宇治川から京へと入ります。このとき繰り広げられたのが佐々木高綱と梶原景季の先陣争い。☆☆☆☆☆佐々木高綱は、近江源氏・佐々木秀義の四男で、頼朝の挙兵時に活躍した佐々木四兄弟の一人。梶原景季は、石橋山の戦いで敗れた頼朝を助けたと伝えられている梶原景時の嫡男。2人は、出陣前に頼朝から名馬を与えられていました。高綱が「生食」(いけづき)、景季が「磨墨」(するすみ)。『平家物語』によれ
こんにちは。ビルシャナ戦姫FD、佐々木高綱正規ルートをプレーしました。まずはネタバレなし感想です。ビルシャナ戦姫無印のネタバレがあるかもしれません。そこまで重要なネタバレではありませんが、無印をプレーしていないとわかりにくいところもあるかもしれませんので、先に無印をプレーすることをオススメします。ビルシャナ戦姫~源平飛花夢想~楽天市場6,435円【あらすじ】平泉へ向かう前に兄である源頼朝に面会をすることになった義経。面会を翌日に控えた夜、兄に面会できることが嬉しいあまり、頼朝
注意●ネタバレあり◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』♣︎登場人物エピソード北条義時クン〈小栗旬〉三谷ワールドでは早い段階から北条義時〈小栗旬〉が源頼朝〈大泉洋〉の側近中の側近に設定されていますが、実際のところはどうだったのでしょう?『吾妻鏡』○治承5年(1181)4月7日御家人たちの中とくに弓の腕前が達者で頼朝に忠実で裏切りのない者を選び毎夜交代で寝所の警備をすることに決めました江間四郎下河辺庄司行平結城七郎朝光和田次郎義茂梶原源太景季宇佐美平次實政榛谷
琵琶湖から大阪湾に流れ出でる川は瀬田川、宇治川、淀川と名を変える。東国から都を攻めるには近道で平坦な瀬田と険しい道だが搦め手から攻撃できる宇治が攻守ともに要衝となっていたようである。NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではもうすぐ登場する話だから少し予習しておけばわかりやすい。否、かえって混乱するかもしれない。▲平安末期の宇治川は今より急流だったのだろう写真の石碑には宇治橋のすぐ上流の塔の島にあり「宇治川先陣の碑」と書かれている。平安時代末期の1184年、源氏として先に京に入ったも
今日は国立劇場へ。尾上菊之助丈主演の「近江源氏先陣館」通称「盛綱陣屋」と呼ばれる幕です。最近の菊之助丈こういった時代物を積極的に手掛けておられます。今回の演目も義父の中村吉右衛門丈に教わったのかと思ったのですが直接教わることはかなわなかったそうで、書き込みのある台本を譲り受けて勉強されたとか。事前のイヤホンガイドの解説でその話を聞き「いわば吉右衛門の魂に支えられての公演といえます」というので不意打ちをくらって泣いてしまった国立劇場の素晴らしいのは
源頼朝の挙兵に参じて活躍した佐々木四兄弟は、近江源氏の佐々木秀義の子たち。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、佐々木秀義までが参陣して驚きましたが・・・秀義は、1159年(平治元年)の平治の乱で源義朝に従い、平清盛に敗れると奥州へ逃れようとしますが・・・相模国高座郡渋谷庄を本拠としていた渋谷重国に引き止められ、以後20年に亘って、秀義父子は重国に庇護されていたのだと伝えられています。(※四男高綱は幼少だったことから、父秀義とは行動を共にせず、叔母に育てられていたといわれています。)嫡男:
注意●ネタバレあり◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第4回に登場する人物の予習前のブログで紹介した岡崎義実(1112〜1200)は頼朝挙兵時の治承4年(1180)数えで69歳とかなりの高齢ですが、もう一人佐々木秀義(ささきひでよし)という同い年の老兵が登場するみたいですよ佐々木秀義〈康すおん〉佐々木秀義(1112〜1184)元々は近江国蒲生郡佐々木荘を領し源為義の娘を妻としたとありますから源頼朝の義理の叔父にあたります保元の乱(1156)平治の乱(1159)と
今日も野中さおりさんの✨こちらの"ニューアルバム"を拝聴致しましての✨一日のスタートとなりましたァー👋😆💕好評発売中♪宜しく😃✌️お願い致します🙇♀️本日も大変♪最近は久しぶりに歌舞伎のDVDを観たり👍録画していたテレビを見たりして.まったりしましたァー☕🍰🍭まずは👍歌舞伎演目「佐々木高綱」キャスト佐々木高綱(五代目片岡我當)甲賀三郎(五代目坂東三津右衛門)鹿島与市(四代目坂東薪車)(現四代目市川九團次)馬
寺社No.5604御朱印No.5831福王寺(一碕山松江善光寺)島根県松江市時宗出雲観音32番、全国善光寺会2021年4月10日佐々木高綱、乃木大将霊場門前の不動明王本堂観音堂札所名は、福王寺善光寺は、時宗の末寺で観音堂はもともと1キロほど離れた栄町にあった「福王寺」が、350年余り前にこの地に移建されたもので本堂の左側にあり、山門から正面になる。山門の左脇には、「佐々木高綱公」、「乃木大将」の霊場という立派な石碑が建立されている。松江善光寺善光寺|札所巡りのご案
昨日ご紹介した「洗足池弁財天」と同じ、千束池のほとり(西側)には千束(洗足池一帯)の総鎮守である神社さんが鎮座されています☆池月橋神仏習合の名残を示す朱色の両部鳥居が見えます☆一の鳥居☆二の鳥居『千束八幡神社(洗足池八幡宮)』ご祭神応神天皇(品陀和気命)千束八幡神社の創建は貞観2年(860)、宇佐神宮より勧請されました。承平5年(935)に平将門の乱が発生し、乱を平定すべく藤原忠方が関東に派遣されます。乱を平定後は忠方は千束池(洗足池)の湖畔に居を構え、千束八幡神社を氏神とし
千佳2日の節分、124年振りだって話題になったじゃない。調べたらこれからしばらくは、うるう年の次の年は必ず2日になるみたい。長戸つまり、珍しくない話になるってことか。千佳けっこう多くない、騒いだけど後から当たり前になるってこと。長戸それは言えるよな。荀攸節分は違うけど、商品などはブームか定着か?っていう面はあるよね。それでは始めよう。千佳【渡宋計画】源実朝さんが将軍になって、いろんな儀式が行われていました。荀攸というわけで1203年10月10日、弓矢始の射手たちに恩賞を
🍁https://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12408547269.html『『宇治川の先陣争い』』木曽義仲追討の『宇治川の戦い』では、源頼朝から、「生食」(いけづき)を与えられた佐々木高綱と「磨墨」(するすみ)を与えられた梶原景季の先陣争いが繰り広げられま…ameblo.jp『沙沙貴の庄』‼。。。「沙沙貴神社」『佐佐木源氏発祥の地』沙沙貴神社・佐佐木大明神全国の『佐佐木源氏』ゆかりの人たちがお参りされます。『宇多源氏』・『佐佐木源
名古屋のシンゾウです昨日はメールパニックに陥ていました。「京都検定中毒者の会」の仲間に近況報告のメールを送ったところ、添付ファイルの容量オーバーで送ることが出来ませんでした。グループ登録したアドレスに送ったので、MAILER-DAEMON@yahoo.co.jp....Error:messagefiletoobigのメールが一度に10数件、送り返されてきました。折角、音声ファイルをZip圧縮したのですが無駄でした。仲間に送りたかったのは過去問題(テキスト文)を音声ファイル化したも