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陸軍で最初の特攻隊に選ばれ、9回出撃し、9回共帰還して生き残った佐々木友次さんという方を本で知りました。当別町出身とのことで、そう遠くない距離にお墓があり、手を合わせたい気持ちがありましたので、行ってきました。ナビで行ったのですが・・・ん・・・本当にここか?💦農家の作業場だし💦💦しかも家の敷地内やん💦💦💦Uターンしていると・・・作業場から怖い顔したおっちゃん出てきた💦💦💦💦佐々木友次さんのお墓に行きたい旨を話すと、「ナビで来たべw、ナビだと間違ってここへよく来るんだよなぁ~w
先日病院で何気に読んで気になったこれ・・・¥300で購入『不死身の特攻兵』92歳の軍神、鴻上尚史に語る──命令無視で生還できた理由講談社今日のおすすめ9回の出撃をし、9回生還した特攻兵がいた。彼が語る特攻の真相とは。鴻上尚史氏による渾身のインタビュー。news.kodansha.co.jp『不死身の特攻兵』佐々木友次〜無駄死にするな!〜太平洋戦争末期に編成された特攻隊。自らの命と引き換えに、敵艦への体当たりで戦果をあげる特攻隊において、なんと9回出撃し9回とも生還した奇跡の男
一昨日は特養にショートステイで入っている父が肺炎と腸閉塞疑いで入院。その日は父の87歳の誕生日でした。で、昨日は急遽休みを取り、施設へ日用品を取りに行き、病院へ届けたり入院手続きやらDr.との面談があり、あっという間に1日が終わりました。施設へ行く道中かなり溶けましたがこの辺の川はまだ凍っています。2月に撮ったこの雪もここまで溶けました。仕事のストレスも忘れて暫し眺めていました。この辺は空気が綺麗で気持ち良い。色々とバタバタしてますが、落ち着いたらプラ再開します。病院で待たさ
まもなく終戦記念日を迎える今日は、皆さんに一冊の書籍をご紹介致します。『不死身の特攻兵』(講談社現代新書・刊)表紙には「9回出撃して生還した特攻兵がいた」と書いてあります。〝不死身〟だったのは、佐々木友次(ともじ)伍長。有名な『神風特別攻撃隊』は海軍ですが、彼が所属したのは陸軍の特攻第一陣である『万朶(ばんだ)隊』。9回(※離陸したのは8回)出撃し、時には爆弾を投下して敵艦に命中させたことがあったものの、体当たりせず帰還し続けた方でした。そ
神道の先生から勧められて読んでみた漫画不死身の特攻兵~生キトシ生ケル者タチへ~全10巻不死身の特攻兵(1)(ヤングマガジンコミックス)Amazon(アマゾン)737円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る劇作家の鴻上尚史さんが「どうしても、この人のことを書きたかった」と、長年取材して書き上げた本。この人とは、佐々木友次さん。佐々木さんは、太平洋戦争の特攻隊としてフィリピンの激戦で9度も出撃しながら9度生還し、奇跡的に帰国した。1回目の特攻の
終戦記念日の今日テレビ朝日系📺で『不死身の特攻兵』佐々木友次伍長ラストメッセージが放送されました。佐々木友次伍長日本陸軍初の特別攻撃隊「万朶隊」に選出された操縦士でした。1923年6月27日、北海道石狩郡当別村(現・当別町)に生まれました。子供の頃から飛行機が好きで、陸軍を志願、操縦士として鉾田陸軍飛行学校で教官岩本益臣のもとで飛行技術を磨きます命の大切さ訴えた特攻隊長岩本益臣大尉戦闘機で体当たり攻撃をする特攻に反対した旧日本陸軍最初の特攻隊
今日は終戦記念日ですね。テレビやネットニュースで報道されていて、当時のことを目にしたり耳にしたり。命の尊さ、平和のありがたみ。戦後76年。普段は意識してないけど、戦争当時の話を聞いて改めて思う。出産した時にシリアが連合軍に爆撃されたってニュースがあって。産後のホルモンバランスおかしい時だったからってこともあり、そのニュースで涙が出た。ひとりひとり、みんなお母さんが苦労してお腹で育てて、こんなに痛い思いして産んだのに。命がけで産んだのに。爆撃だなんて一体何人の命が?と涙が出た。ホ
もぐ情報元レッド2012年3月30日生まれ女二匹で誕生(姉妹はブラックです)ぐみレッド2017年5月7日生まれ一人っ子紅まさり元レッド2010年2月13日生まれ群馬県出身2歳の誕生日の10日後、2012.2.23「肉芽腫性髄膜脳炎」のため虹の橋を渡りました(ブログ前半の闘病記録もお読み頂けると嬉しいです)「ポチッ☆」と応援もよろしくお願い致します→☆★ご訪問ありがとうございます★☆前ブログの続きですランチ
『不死身の特攻兵』9回の出撃から生還した特攻兵の実話。※※※※※……。
https://youtu.be/7qNHadiQQWU新年初MAD未来二突撃セヨ!(叭喇撃突ケ響)皆さん、新年明けましておめでとうございます♪今年もよろしくお願いいたします♪今回は、自分が受験の時期に入ったと言うこともあるんですが、皆さんに未来に向けて頑張ってほしいと言う応援を込めて今回のMADを制作させて頂きました。全員二告グ!!!未来二向ケテ突撃セヨ!!!youtu.be片道燃料だろうが意地でも生きて帰ってきます艦砲射撃で撃ち落とされようが生き霊になっても帰ってここに詳細をを書
この方々は日本人にとってなくてはならない人たちであった。つまり、【賢明な人】だったのだ。それは『岩本益臣』さんと『佐々木友次』さん。詳しくはYouTubeで、この方々の名前で調べて欲しい。今、日本は『新型コロナウイルス』で右往左往している。こんな時だからこそ、日本のニュースを鵜呑みしてはならない。なぜなら、それは戦時中の日本とあまりにも似ているからである。
先日《戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭》に出かけ、『月光の夏』という映画を観て来た流れでこの映画に出て来た”振武寮”のことを調べていたら、9回特攻の出撃命令を受けたが、生きて戻って来た特攻兵がいたという事実を知り、その人のことを知りたくなって、私がそう思ったのと同じように”振武寮”がきっかけで、その人、佐々木友次特攻兵のことを知り、実際に取材をして本を書いてくれていたのが、鴻上尚史さんだった、というのも意外で、すぐに図書館で見つけて一気に読みました。まるで運命だっ
*当シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。“特攻”と言えば、帝国海軍が開始したように長らく語られてきたが、実は陸軍も海軍と時を同じくして、否、考えようによってはそれに先立って実施していたことは余り知られていない。高木俊朗『陸軍特別攻撃隊』1~3、文春文庫、1986年(*単行本は文藝春秋から1975[昭和50]年に出され、菊池寛賞を受賞)は、陸軍が1944(昭和19)年秋にフィリピンで特攻を開始した経緯とその後の経過、特攻に参加した搭乗員及び遺族の動向、特攻を現地で
「関ヶ原」司馬遼太郎上中下巻の全743ページ。長かった~。1月かかった~。みなさんご存知の関ヶ原の戦い。豊臣秀吉は既に亡くなり、その子、秀頼はまだ幼く。今こそ天下を!と徳川家康。あくまでも豊臣を守ると立ち上がる石田三成。天下分け目の関ヶ原の戦いは、なんとなんと僅か僅か半日で決着する。そこまでの膨大な謀略や裏切りや政治の駆け引きがこの小説だ。見どころ読みどころはいっぱい。例えば。「三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近に佐和山の城」と唄われた三成と左近の関
天宮先生の投稿で知ったこちらの本!この方!読むまで抵抗ありましたが、なんとか読みました!!そして、戦争のマインドは、現在も消えてないって実感しました!だってさ、御国のためにつっこめ、死ねって命令されて、爆弾落として帰ってきたら良くやったじゃなく今度こそ死んでこいって命令ってさーありえないおかしい!!けど、現代だって、意味わからなく学校行け言われて行きたくないって言ったら罵倒されるとかあるでしょいったい何が誰が大事なんだよ自分の名誉のために子供を優秀な学校に入れたいと
夫のために購入したけど私も追い読み・・・軍事マニアではないので無我夢中にってわけにはいかなかったけど凄本でした。マラリアで寝込んでいても出撃命令、「貴様は戦士しているんだ。今日からは、残飯給養だから、そう思え」ぐらいは想定内です。生きながらえても復員軍人に向かって石を投げる「日本が負けたのは、貴様らのせいだぞ!」「行くさに負けて、よくも帰ってきたな。恥知らず!」「捕虜になるなら、なぜ死なないのか!」そんな面罵もまあ、あることでしょう。筆者、鴻上尚史が投げ
鳩山元首相に謝ってもねぇ…「天皇陛下に謝罪要求」の文議長がやっと謝罪ZAKZAK韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、やっと謝罪した。「天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求」という常軌を逸した言動について、「心を痛めた方たちに申し訳...【日本人の心楠木正成を読み解く】第2章時代の先駆者が伝えるもの(7)産経ニュース後醍醐天皇に召し出されるまで無位無官、正規な武士である鎌倉幕府御家人でもなく、河内国の一武士にすぎなかった正成が、天下国家を意識できた理由を、...【吉田
今朝は7時に起き、植物に水遣りした。朝食は昨夜スーパーで半額やった炭火焼き鶏丼。デザートは熊本産甘夏。洗濯し、台所シンクの掃除した。牛乳飲みながら「王女未央-BIOU-」第21話をギャオで見た。昼食に「ブラカリ」へ行ったらメンテナンスとかで休みの貼り紙。それで裏浅草「とんかつやまと」へ行き、注文したのはロースかつ定食定食。ご飯、味噌汁にワテが食えん漬物が付いて800円也。満足して店を出て、台東区を散歩し、スーパーで食料買うて帰宅。ディディブリッジウォーターのアルバム「ジャスト・ファ
このネタは朝日新聞やリテラなどのリベラル系メディアがもてはやしているものではありますが、大変参考になり、また魅力溢れるものとなっているので、シェアさせて頂きます。私は、大東亜戦争時、戦闘機ごと体当たりして敵艦を粉砕した特攻隊員のことは偉大な軍神としてとても尊敬していますし、その志は顕彰して行かねばならないと考えてはいますが、特攻作戦そのものは、いくら戦果を上げ得る命中精度の高い作戦であったとしても、下策であったと感じています。大西瀧治郎の言う「民族的記憶遺産」、つまり「もはや内地の生産力をあ
「ニオイで女性に嫌われない方法」(電子書籍限定)の著者、におい刑事(デカ)/臭気判定士(国家資格)の松林です。以前、においデカは臭気判定士として、COOL!JAPANという番組に出演させていただき、BESTOFCOOLに選んでいただきました。その時のご縁もあります、鴻上尚史さんの一冊を読了しました。タイトルからすると、いわゆる戦争回顧ものなのですが、あくまで、ニオイデカはビジネス書として、本書を拝読しております。命の重み・・不時着をし
9回出撃をし、9回生還した特攻兵、佐々木友次氏は生きていた。鴻上尚史は入院中の佐々木氏を訪ね、何度もインタビューをし、彼の体験を直接聴いた。そこにはよく言われる特攻隊の美談とは違う世界があった。佐々木氏は2016年に亡くなった。尊い若い命と、貴重な航空機を無駄にする特攻隊の無意味さ。精神主義が独り歩きして、敵艦を仕留めることより死ぬことに価値を求める上官の無責任さ。特攻隊による犠牲により盛り上がるマスコミ、国民の愚かさ。特攻隊の生き残りが美談と違う実態を語る
鴻上尚史(こうかみしょうじ)さんNHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方の<明日へのことば>というブログを元に編集しています。2018年8月9日木曜日鴻上尚史(作家・演出家)・奇跡の特攻兵から見えること昭和33年愛媛県出身。早稲田大学在学中の昭和56年、劇団「第三舞台」を結成し、以来演出家としてキャリアを積んできました。また、エッセーや演劇関係の著書も多くTVやラジオの司会者としても活躍しています。NHK
劇作家・演出家である鴻上尚史氏が不死身の特攻兵と呼ばれながらも沈黙を続けていた生前の佐々木氏本人へインタビューで明かされた特攻を生んだ日本軍の歴史的な汚点が具体的に見えてくる。日中戦争から太平洋戦争の間に生まれた日本軍の愚策を多々学んできたが日本の軍部が人命を軽視していたことを象徴する日本軍の戦術でもっとも愚劣なものが特攻と言えそう。軍部の自作自演という戦争の始め方もばかげていたせいか巻き添いを食らった先人たちには申し訳ないがその終わり方も悲惨だった。戦争の目的を見失い面
電車内の広告で気になり、即買いした不死身の特攻隊軍神はなぜ上官に反抗したか鴻上尚史元々、鴻上さんの劇団、第三舞台が好きなのと、著書を読んでいたのもあったんですが特攻隊で9回出撃して、帰還するって!?って興味がわきまして、読み始めました。9回出撃して、帰還された方は佐々木友次さん(1923年・大正12年生まれ)この時、日本はどのような状況にあり、仲間にはどんな方がいらして、その方の背景などが記されています。まだすべて読み終わっていませんが、引き込まれてしまいます。当時の写真が
『青空に飛ぶ/鴻上尚史(講談社)』http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062207096↑↑↑↑↑『おはようサンデー』2017/8/27(日)の『新刊ブックナビ~本屋さんへ行こう!~』のコーナーでご紹介する新刊本です(^-^)/新刊ブックナビ~本屋さんへ行こう~今回ご紹介する新刊本は鴻上尚史さんの「青空に飛ぶ」です。転校した先の中学校で、陰湿なイジメにあい、生きる希望も、気力も失った主人公の少年。そんな少年が、自殺しようと