ブログ記事88件
重症心身障害児になった次男こんにちは、八丼です。今日は我が家のアイドル末っ子ボーイの次男の紹介をします。お兄ちゃんもお姉ちゃんもお腹にいる時から、毎日誕生を楽しみにしてくれていた次男。とっても元気いっぱいに生まれてきてくれました。兄姉たちにそれはそれは可愛がられる末っ子ポジションを獲得。毎日みんなから可愛がられて笑顔の可愛いぷにぷにくんにすくすく成長していました。それらがガラッと変わってしまったのは2021年の12月23日。寝返りがそろそろ出来そうなほど元気いっぱいだった
(2022.06.20)ワクチン接種後の死亡事例のうち、3例を要約して掲載します。▽20歳の女性病歴等:適応障害、パニック障害(継続中)3月24日女性患者はワクチン2回目接種を受けた。3月25日(ワクチン接種1日後)母親が帰宅したところ、ベッドで意識、呼吸がない娘を発見した。心肺停止が発現した。救急隊が到着したが、呼吸停止、頸動脈触知不能、瞳孔散大、上下肢硬直、心電図上心静止を確認。心肺停止状態から時間が経過していると判断し、病院へは不搬送。事象の
久しぶりの投稿ですが、前回の続きから(^-^;高圧酸素治療8日目◯◯の高圧酸素治療は10日ワンセットだけどタンク室のメンテナンスのため今日で一旦終了(9日目の治療は、約2週間後)治療に通う日は午前中仕事のお休みをいただいて午後から出勤治療のある日は、車で通勤していたけど明日は朝からバスで出勤!できるだけ、もとの生活に戻していこう今日は、◯◯のお兄ちゃんの誕生日🎂TWICE好きの優しいお兄ちゃん家族みんなでお祝いしました最近のリハビリにて支えられて立っち(20
3年前帰宅途中、電車の中で心肺停止となり緊急搬送、駅員さんが2度、AEDをトライして下さったが蘇生ならず、搬送先の病院で蘇生、夫が倒れたのはその年も後10日強という日、そして年内にイベントが詰まったいた。1.年1の健康診断←職場の方にキャンセル手続きしてもらえた。倒れる前に健診受けてたらとか、治療開始してたらとか、どうしようもない事を考えてた覚えがある2.子どもの入籍←倒れる数日前に夫が署名をしていたので予定どおり提出する事をお父さん
高圧酸素治療7日目午前中、入院していた病院の定期受診◯◯の腰が柔らかいことに主治医はびっくり・・・そう言われてみれば・・・退院直前とか、体一本、曲がらなかった「目や首も動くね」(主治医)「見えてはいないみたいですけど」(私)「上手に動かせていないだけで見えていないかは分かりませんけどね」(主治医)◯◯は、病院が安心するのかスヤスヤ寝ていた午後7回目の高圧酸素治療皆さん、本当によくしてくださりとてもありがたい高圧酸素治療変化ないと思っていたけど主治医の見
前回のお出かけ記事↑退院から約一週間後のこと外出できたーよし!これからも◯◯と一緒に、いっぱいお出かけしようと、自信が持てました^^そして・・・イルミネーションも見に行ってみたり今回のお出かけの改善点充電式の吸引器が30分程度しか、もたなかった車のシガーライターからも電源がとれる吸引器だったからしのげたけどこの点は、要改善だなぁ…。◯◯の生命に関わる大事な吸引器退院直後は、本当に強く思ってた。(現在は、いざとなると、咳をして上手にだして、スッキリすることも
久しぶりの投稿ですが、前回の続きから(^-^;高圧酸素治療6日目病院の皆様、本当によくしてくださるでも…大きな変化は…、ない。少し、期待していたりもした。入った途端、泣き声をあげてくれるんじゃないかとかそんなことは、起こっていないことそれはそれで、受けとめられるけど病院の皆様が時間を費やしてくださっているのに変化がないことを申し訳なく思ったりもする…退院後、毎日のように高圧酸素治療を実施する病院へ通っているが◯◯を外へ連れ出すことはちょっとした気合いがいる
自己紹介3歳の男の子2歳の女の子のママです長男は常位胎盤早期剥離で32週で出産低酸素脳症の為、脳性麻痺、咀嚼障害言語障害、難聴、発達障害様々な障害を抱えています少しでも同じような方への情報提供として、また同じ症状の方からの情報をいただけたらと思います。✴︎息子はMRI、CTでは何も異常が出てなく医師もこれだけの症状が出ている原因がわからない状態です。小児科から小児外科へ移動中に入ると、とても優しそうな若い先生肥厚性幽門狭窄症の手術をしたけど、注入後の吐き戻しが酷いことを説明
高圧酸素治療2日目タンク室には、◯◯の目線の先の壁に、アンパンマンなどの折り紙が貼ってあった(看護師さんたちが折ってくださったらしい)◯◯は、目が見えているか、耳が聴こえているかも不明ですが、とてもありがたく、とても嬉しく思いました治療2時間の間、DVDを見ることも可能で、刺激を与えるために何かいいのがあれば、DVDを持ってきていいですよ、とのことで、DVDを持参(その後も毎回、ジブリ、ディズニー、未来少年コナン、母を訪ねて三千里など持参している)今日もタンク室には
退院(事故から1カ月と3日)天気良🌈病院の玄関の外まで、担当医師、看護士さん方が見送ってくださった。(高圧酸素治療を受けるため、とはいえ、家族だけでケアしていくスキルがまだまだ最低限の私たち。先生方も多少心配な気持ち、あったりするのかも)本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いします!少しさみしい。これから、家族で本当にがんばっていかなきゃ。入院していた病院を出て、そのまま高圧酸素治療を実施している病院へ。高圧タンクに入る前、耳の検査(耳抜きが上手
退院を控え、注入や、栄養チューブの入れ替えなど、ほぼ家族で実施中(訓練)◯◯の栄養は、鼻から胃へ管(栄養チューブ)を通していて、そこから、ラコールやソリタ水を注入する。(お水で溶いた薬もここから)口から食べることはないけど、嚥下反射を誘発したり、口腔機能向上のため、口腔ケア(歯みがき等)もする。口腔ケアのタイミングは、注入(食事)前食事前の歯みがき…何となく、不思議なかんじでなかなか慣れない^^;(今は、食べる前にすることが、すごく自然になったけど^^注入後だと、吐きやす
◯◯の命を救ってくれたところ私たち家族の心に少しずつ力を与えてくれたところ小児病棟だから特に人間ができてる方が集められているのかな担当医師も看護師さん達も皆さん、とてもとても優しい。パパが子どものこととなり、ちょっときつい口調になってしまった時も優しく穏やかに対応してくださる。お昼に見なくても、夜中にはいらっしゃったり、看護師さん、お休みちゃんと取れてるのかな。命を守るという精神的ハードさ。時間のハードさ。精神的にも、肉体的にもハードな仕事でそれぞれ家に帰れば、
退院1週間前◯◯が元気な頃の写真とか動画とか見ると、だめだな涙が、止まらなくなってしまう。自分が苦しいのは、自分が耐えればいい。子どもが苦しいのは、つらい。何もできない。何もしてあげられない。主治医の先生が、再度、高圧酸素治療を実施している病院へ、手紙を書いてくださった。退院3日前高圧酸素治療を、実施している病院へ主治医の手紙を持ってパパと2人で行く。院長先生より、説明を受け、高圧酸素治療の体験をさせていただくこともできた。お試しなので短時間。高圧酸素治療を実
事故から約半月パパの誕生日病室で家族みんなでお祝いできました。中学生以下は、家族でもその小児病棟には入れないのだけど、この日は特別に小6のお兄ちゃんも許可をいただきました。この頃、主治医より退院の提案をいただいたと思う。でも、自分達だけで◯◯を看る自信がまだ全然ない。今は、数値が異常値を示せば、ナースステーションのアラームがなり、看護師さんが駆けつけてくださる。でも、家に帰ったら自分たちしかいない。主治医は、「まだまだ入院していて構わないが、高圧酸素治療を受けるなら、
10月末(事故から約半月後)高圧酸素治療を実施している病院へ、主治医の診断書をわたす。病院の返答は、退院後、外来で対応可能とのこと。ぜひ、退院後、行きたい!今回、お訪ねした高圧酸素治療を実施している病院は、小さい子の治療はしたことがないらしく、乳児に必要なもの(小さい子用の呼吸マスクみたいなのとか)準備をもう始めてくださるみたいだった。本当にありがたい。市役所には、障害者認定手帳申込書類を受理してもらえた。(書き方の問題とかで、何度も書類が差し戻されることもあると聞いていたが、
事故後10日間は点滴をしていた。点滴をやめるにあたり、点滴には、同効果の薬が入っていたらしいが、それと同効果の内服薬は、小さい子への安全性が確立されていないということで、その薬を使用することの説明と同意書の記入があった。でも、それを始めてから、◯◯の目付きは、更にボーっとなり、目が上を向く回数が増えたように思え、怖くなり、出張中の主治医に連絡をとってもらい、やめてもらった。止めると、幾分、上を向かなくなったような…眠そうなのに、苦しくて眠れないかんじの◯◯の辛そうな姿を見ると、とて
事故から2週間後MRI検査MRI検査結果別室で、画像を見ながら説明を受ける。脳が萎縮しているとのこと。これから先も、数週間、数ヶ月、年単位で、萎縮が進むこともあるらしい。病室に戻ると、涙が流れた。確かに、事故直後は、動いていた手足が動かなくなってきている。身体は、どんどん硬くなってきている。夜、ちょっと添い寝した。◯◯の身体が少し柔らかくなった気がした。知り合いから、高圧酸素治療の話を聞く。早速、主治医に相談すると、高圧酸素治療を実施している病院へ相談するための
事故後、車内で安室奈美恵さんのCD流しててあまりにも自分たちの心のままのような歌に涙私たちの心と同じだね、とパパにも伝えて、それから私たちは、祈りにも似たような気持ちでこの歌を聴いています。早く取り戻したいあの笑顔と笑い声をだけど今はこれしか言葉が思いつかないのありがとうあぁそこにいてくれてあぁ強くいてくれて悲しみには優しさを涙には明日の光をそしてまたどうか心まで壊さないで愛する人たちの今はこれ以上望まないからお願いGodpleaseありがと
事故から5日後尿の管、はずれる。ちょっと痙攣あるが安定しているように見える事故から7日後朝少し抱っこできた。(事故後初めて。)首の点滴はずれる。(手からの点滴になる。)痙攣は、しばらくなし。痰等の吸引で安定せず。手足はけっこう動いている。事故から9日後バギーに乗って注入することに。座ることに慣れるため?↑病院のバギー(レンタル)先生(担当医師)は、とても気にかけてくださる。来週から、在宅介護に向けて、注入や吸引など、家族でできるよう、練習を始めるとのこと。また、医療
ICUは、会える時間が限られていて、1日のうち会える時間はごく僅かだったが、小児病棟は24時間の付添いが必要となった。共働きのため、昼間は私の母にお願いし、夕方、仕事を終え、私は真っ直ぐ病院へ行きバトンタッチ。パパは、仕事を終え帰宅し、入浴。明日の準備まで済ませて病院へ。病院で◯◯のそばで、パパと私は、コンビニ弁当等の夕ご飯。(その頃、上の子どもたちは、おばあちゃんちで夕ご飯)パパに泊まりを任せ、私は帰宅。(◯◯のそばを離れがたく、いつも真夜中)朝からパパと自分と子どもたち
事故から4日後ICUを出るICUから出て、小児病棟ナースステーションの向かいの個室酸素などの数値が下がるとナースステーションでもアラームがなり、すぐ看護士さんが来てくださる。安心栄養は、鼻から胃まで管(くだ)が入りその管を通して入れる。栄養を入れると、痙攣がおきやすい夜、首から入れている点滴が詰まっているということで、再度、首の点滴の調整。そういう時、家族は部屋から出される。飲み込むことができない状態のようで、痰の吸引を頻繁にする必要がある。吸引は苦しいようで、手が
事故から3日後呼吸器がはずれる。AMの予定だったが、痙攣のため、午後になる。呼吸器をはずしても、安定。明日にはICUを出ることになりそう。◯◯には、10種類近くの注射器が大きくなったみたいな器具が設置され、◯◯の体内に注がれ続けている。事故後3〜4日は、脳の腫れが心配とのこと。ICUは、面会時間が決められちょっとの時間しか会えなかったが、ICUを出ると、今度は24時間体制での家族の付き添いが必要となる。家族協力していこう。◯◯、すごいね!がんばってるね!毎日、前進している
ICU面会時間が決まっているので、そばにはいられないけど、事故当日は病院に泊まった。ICU近くのイスと机があるのみの、狭い待機室みたいなとこ。少しでもそばにいたかった。面会時間は、13:00〜と19:00〜の2回。事故翌日は、一旦、帰宅した私。◯◯のものばかりが目に入り、事故前日のかわいい仕草が思い出され大泣き。↓元気な頃よく、こんなかんじで、TVガン見してました。
脳死ではなかったけど笑うことも、泣くこともない。見えているのか、聞こえているのかもわからない。起きているか、寝ているかはわかる。起きているときは、目をあけ、眠ると閉じる。泣くことって、本能的なことだと思ってたけど、こういう状態になると、泣くことすらないんだ…でも、吸引の時とか、それ以外でも、ふとした時、静かに、涙が一粒流れることがある。苦しいのかな。悲しいのかな。あのかわいい笑顔が見たい。あのかわいい声が聞きたい。↑これは、ICUを出て小児病棟での写真
事故当日だったと思う。脳波の検査が実施されることになった。命はとりとめたが、心肺停止の時間がながかったため、とてもとても大きな不安がある。ICUでの脳波の検査。◯◯の頭には何十本もの線が機械へとつなげられていた。立ち合いの医師は、5人程度はいらっしゃったと思う。脳波の検査が開始されると、医師の一人から「すげぇ」と小さく声があがっていた。思わず声がでたというかんじ。画面に映る脳波の波を見ても、私たちには何もわからないが、「脳死」ではないとのことだった。とてもとてもホッとした。とても嬉しか
事故から1年3ヶ月。少しずつ振り返りながら、書いていこうと思います。2018年10月12日ちょうど1歳半お昼休み、着信の電話にかけ直すと「◯◯くんのお母さんですか。救急隊員のものです。◯◯くんは、いつも飲んでいるお薬ありますか?何か病気はありますか。」そんな感じの内容で、?!何があったの??「溺れられて、今、病院へ向かっています!」うそ!やだやだやだやだやだやだバタバタと急いでタクシーで病院へ病院へついても、なかなか◯◯に会わせてもらえない。呼吸停止、心臓停止。処置中との
桜の開花が美しい九州地方です。日本に帰ってきてから、毎日父の介護でバタバタです。1年8ヶ月前に心筋梗塞で倒れてから、低酸素脳症を起こし、一時は植物人間になると言われた父もリハビリと母の手厚い看護により、自分で歩けるまで回復しました。歩くのと、自分でお箸を使って食事をできるのは素晴らしいのですが、それ以外は一人では何もできません。トイレまで歩いて連れていっても、これが便器だとか、スボンを下げるとかが認識できませんし、1日に何度も行く自分の部屋やダイニングも毎回
1月に主治医(低酸素性虚血性脳症のフォローしてくれている医師)からそろそろ、療育相談してみようかと告げられ…療育について、何も分からず、、、渡された電話番号に連絡なかなか予約が取れず、面談予約取れたのは2月27日面談では1時間程、時間かけて今までの経過をお話ししました1月の予約の段階で、主治医から勧められているという事もあり、初診の予約もしてくれていました。予約してくれていた初診日が主人の定休日の水曜だったので初診日も確定しました4月10日が初診日です普通はこの面談から初診日まで
最近、ほとんど書いていませんが、いまだに重症新生児仮死、アプガースコア0、虚血性低酸素性脳症などのキーワードで検索され、こちらのブログがヒットして、読んでいただいたり、いいね!していただいたり…私自身、振り返ってみると、息子が産まれて、重症新生児仮死だと伝えられた時から、一日じゅうネット検索していました。予後良好なお子さんの成長をつづってあるブログはお守りがわりでした。今も、どこかで重症新生児仮死で産まれた赤ちゃんやご家族が苦しい思いをしているかもしれません。どうか、ご