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今回は京都花月昭和48年10月中席のチラシ。トリは大人気の笑福亭仁鶴ですが、13・14日の2日間のみ出演。そしてタイヘイトリオ、すっとんトリオ、中山恵津子ショウと看板に漫才がいませんね。林家小染は「ヤングおー!おー!」のザ・パンダで人気が出だした頃。前年に松竹から移籍してきた、由紀子・たか志のザ・シャネルって何?と思い、当時に詳しい方に聞くとOPテーマ曲があって「ザ・シャネル~♪」と歌ってたそうです。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「秋雨の詩」で、菊池大助、伴大
京都花月昭和53年2月上席のポスター。演芸は桂三枝が9・10日だけ出て、あとはチャンバラトリオが看板ぐらいで、三枝が出てないといつもの京都よりもかなり貧相なメンバー。三枝も含めて落語が笑福亭松之助、露の新五、明石家小禄、桂文福と5人も噺家が出てます。ポケット・ミュージカルスは谷しげるショウで、松本俊介構成の「もう!いいかい」。吉本新喜劇は演芸とは打って変わっての豪華メンバーで、谷しげる・伴大吾を座長に専科から原哲男、桑原和男、船場太郎で「UFOの男ども」(作・演出中村進)。
昭和51年正月のなんば花月です。さすがは正月で、幸朗・幸子、笑福亭仁鶴、コメディ№1、チャンバラトリオと豪華メンバーを揃えてます。政治放談として横山ノックも出演。落語二題で月亭八方と桂きん枝。トップにはB&Bで、洋八が三代目の相方として前年9月に結成。ポケット・ミュージカルスはなしで、林会長お気に入りの天津竜子舞踊劇団。吉本新喜劇は檀上茂作・演出「たつのおとしご」。谷しげる、伴大吾が座長で専科は岡八郎と阿吾十朗。阿吾さんはこのあとすぐに専科から副座長に降格となり、阿
京都花月昭和53年正月興行のポスター。カウス・ボタン、桂小文枝、桂きん枝、チャンバラトリオといつもの京都の番組に比べると、若干いい番組ですが、やはりなんばやうめだとは少し格落ち感がありますね。しかし当時の京都なら正月は満員だったでしょう。トップにはコンビを組んで3年目の、のりお・よしお。林正之助会長お気に入りで、正月やお盆お馴染みの天津竜子舞踊劇団。ポケット・ミュージカルスは伴大吾主演で、松本俊介構成の「伴大吾ショウ年のはじめに」。他に丘光二、津島ひろ子が出演。吉本
京都花月昭和52年11月上席のポスター。演芸は全体的に若い番組編成で、看板はカウス・ボタン、桂文珍、月亭八方の三組。演芸ワイド版「笑ボックス」の枠に、明石家さんま、桂文福、礼子・恵太。こづえ・みどりの「つ」の点々が抜けてますね(笑)ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「イミテイション」。ちょうど山口百恵の「イミテイション・ゴールド」が流行った頃ですね。吉本新喜劇は三原和人作・演出で「秋深し・・・・」で、谷しげる・伴大吾の二枚看板に、専科は原哲男と船場太郎。
うめだ花月、昭和48年の正月興行のチラシ。さすがは正月で、豪華メンバーを揃えてますね。トリは洋介・喜多代、そしてやすし・きよし、コメディ№1、チャンバラトリオ。落語二題で露の五郎に桂三枝、ステレオ落語で桂文珍、月亭八方。音楽ショウのザ・パンチャーズは、Mr.オクレが入る少し前ぐらい?小川ジョージは後の浮世亭ジョージ。ポケット・ミュージカルスは「ひとつとや」で、英京介、淀川吾郎、伴大吾、藤里美ほか。吉本新喜劇は中村進作・演出の「めでたい男」で、平参平が座長。専科から岡八郎
昭和52年10月上席京都花月のポスター。トリはベテランのダイマル・ラケット。落語は露乃五郎、そこに並ぶのはコンビ結成2年目の阪神・巨人。演芸ワイド版「笑ボックス」には、いくよ・くるよ、明石家小禄(後の五所の家小禄)、西川きよしと島田洋之介の弟子の啓二・洋司。新企画として「ショート・ショート」には笑福亭松之助とのりお・よしお。この三人で何をやったんでしょうね?ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「古都の秋」で、前席に続いてこづえ・みどりが主演。吉本新喜劇は三原和
昭和47年3月下席、京都花月のチラシです。音楽ショウのあひる艦隊は、メンバーの入れ替わりが激しかったですね。前年に新喜劇から離れて谷しげると井上竜夫が漫才コンビざ・どっきんぐを結成しましたが、すぐに解散し新喜劇に戻ってます。笑福亭松之助が、ジョージ多田・リンダ藤本や朝日丸・日出丸より位置が下とは。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「春の波紋」。淀川吾郎、伴大吾、梅田ひろしらが出演。漫才の看板は、幸朗・幸子とWヤングですね。吉本新喜劇は原哲男で、三原和人作・演出「サヨ
うめだ花月、昭和51年8月の予告チラシ。まだまだ漫才ブーム前なので、古参芸人が看板に入ってます。●上席トリは三人奴で、モタレに桂小文枝。シバリのやすし・きよしが間違いなく一番爆笑を取ってたでしょう。トップに西川きよしの弟子と島田洋之介の弟子がコンビを組んだ、啓二・洋司。三本目にコンビ結成してまだ一年目の阪神・巨人が出ています。吉本新喜劇は木村進・桑原和男・平参平・片岡あや子で「星屑のうた」。●中席お盆興行であります。トリはコメディ№1、そして人気絶頂の桂三枝にWヤング。翠
昭和44年2月上席、なんば花月のポスター。トリは幸朗・幸子のボヤキ漫才、モタレは桂小文枝の落語。そしてデカデカと浪曲の中山恵津子が載っています。末期には京都花月ばかりでしたが、全盛期にはなんばでもこんなに大きく扱ってたんですね。そしてコンビ結成して3年目ですが、飛ぶ鳥を落とす勢いのやすし・きよし。チャンバラトリオは前年にカシラの南方英二が病気で休養。その間に結城哲也が加入し、カシラが復帰しても哲ちゃんが残ったので、4人なのにトリオが長い間続きます。奇術はジョージ多田とリンダ藤
昭和50年10月下席のうめだ花月のチラシです。秋の行楽シーズンの花月は、どのような番組編成だったのでしょうか?トップは三代目B&Bで、洋七が花月の進行係だった洋八とコンビを組んで、まだ一ヶ月程。この4年後の昭和54年、漫才ブームを前にして吉本を辞めて東京に行きます。林家染二(現4代目染丸)は、一時期やめて復帰した頃。出ました!林正之助会長お気に入りの、天津舞踊劇団。こういうのお笑いを見に来てる人には退屈なんですよねぇ・・・。この前年に毎日放送の「ヤングおー!おー!」
昭和49年10月上席の「なんば花月」の新聞広告。当時の人気コンビ、やすし・きよしとWヤングが出ています。出番が前後だと火花を散らしたことでしょうね。その後に堂々と洋之介・喜多代がトリを飾ります。落語ではベテラン笑福亭松之助と若手桂きん枝がほぼ同ランク。人気が先行し実力が伴わないまま、ベテランの域に達してしまった桂きん枝。今になってそれがモロに出てますね。B&Bは当ブログでは何度も書いてますが真一は現在の上方よしお。お互いの笑いの方向性の違いからケンカし解散。奇術の一陽
昭和49年9月上席の「なんば花月」の新聞広告。トリは人気絶頂のやすし・きよし。当時やすし30歳、きよし28歳。そりゃぁノッてますよね。モタレは平和ラッパ・日佐丸。長年、松竹に所属していましたが晩年は吉本に移籍。この二代目ラッパは翌年5月に肝硬変で死去。弟子で三代目平和ラッパはルーキー新一の弟子の梅乃ハッパと吉本に所属。落語が林家小染、桂文珍、林家染二(現四代目染丸)の三本。当時、MBS「ヤングおー!おー!」で「ザ・パンダ」で人気者になっていた小染と文珍。実は染二もメンバーに選
昭和49年6月中席の「なんば花月」の新聞広告。演芸のトリは三人奴。80年代の漫才ブーム以前は看板がかなり上でした。その次に載っているのがまだコンビ結成5年目のカウス・ボタン。いかに人気が凄かったのかがわかりますね。B&Bは島田洋一(現洋七)の相方団順一(現在放送作家の萩原芳樹)が失踪し、翌年上方真一(現上方よしお)と二代目B&Bを結成。ですがケンカし3年でコンビ解散。その後、洋一は洋八と三代目を結成し大ブレイク。真一は西川のりおとコンビを組む。トップ出番はいくよ・くる
昭和48年6月上席、うめだ花月の新聞広告です。この頃に島田洋介は洋之介と改名しています。たしか姓名判断からだったと思います。妻で相方の今喜多代が易学に凝っていましたからね。当時、若手落語家ユニットのザ・パンダの面々は「落語二題」という枠でくくられています。なんば花月は桂きん枝と桂文珍で、こちらは月亭八方と林家小染。出番だけはコンスタントにあるざ・どっきんぐ。谷しげるがボケで井上竜夫がツッコミだったんでしょうか。素のキャラ的には逆のように思いますが・・・。全体に演芸は現
昭和48年4月中席の「なんば花月」の新聞広告です。トリは夫婦漫才の洋介・喜多代。喜多代さんの江戸っ子の粋なツッコミが見事でした。やすし・きよしが出ていますが、横山やすしが昭和45年12月に起こした事件で謹慎中でしたが吉本の温情で舞台復帰だけはしていました。そろそろテレビにも出だした頃かな。なおみ・珍児ってこんなに看板が上だったんですね。奇術の一陽斉蝶一はよく後見の女の子が替わります(笑)まだ若手落語家だった月亭八方と桂文珍は「落語二題」で二人一まとめ。トップのいくよ・くる
昭和48年4月上席のうめだ花月の新聞広告。なかなかの豪華メンバー。トリはロマンショウのタイヘイトリオ。弟子にレツゴー三匹やザ・ぼんちがいます。同じ出番の歌夫・洋子もそうですね。屋号がタイヘイですから。夫婦漫才の洋介・喜多代の喜多代の弟子のいくよ・くるよがトップ出番。まだこの年にデビューしたばかりです。コメディ№1や桂三枝はもう既にテレビで超人気者となっていた頃。桂文珍はまだまだ個性を出せていない時代。あひる艦隊はメンバーの入れ替わりが激しかったですね。滝あきらは
昭和48年3月中席の「なんば花月」の新聞広告です。タイヘイトリオの方が幸朗・幸子より看板が上なんですね。その中で若い桂三枝が名を連ねているのはスゴイことです。アオバ・シゲオは浪曲の出だったかな?シゲオは玉川スミともコンビを組んでいたことがありました。月亭八方はデビュー5年目ぐらい。この3月に発売された著書「さりとて、落語家」ではテレビで人気者になっていたが、落語家として花月の舞台に上がるのは辛い時代だったと書いてあります。出ました!谷しげると井上竜夫のざ・どっきんぐ
今回は昭和48年2月中席なんば花月の新聞広告です。場内改装のため17日~28日まで休演。定かではありませんが舞台前面にあったオケボックスを廃止して、舞台を増設した工事だと思います。なので、なんば花月は前に出っ張ったような舞台になっていまして、センターマイクが2本ありました。トリは夫婦漫才の洋介・喜多代。当時は同じく夫婦漫才の幸朗・幸子と共に花月の看板。カウス・ボタンはコンビ結成4年目にしてこの位置!アイドル漫才でキャーキャー言われていた頃ですね。桂三枝(現六代文枝)もデビュー7年
●なんば花月昭和51年7月下席、京都花月昭和51年8月上席(ポスターはこちら)●ポケット・ミュージカルス「アメリカ音頭」(「鈴木和栄の民謡ショウ」に改題」構成:竹本浩三【出演者】アメリカ帰りの婆・・・谷しげる同爺・・・阿吾寿朗青年団長・・・伴大吾青年団員・・・藤里美同・・・淀川吾郎同・・・木村明同・・・清家義政同・・・姉川巌同・・・黒木徳信唄・・・鈴木和栄【あらすじ】アメリカで成功した老夫婦(谷しげる・阿吾寿朗)は昔に捨てた子供を捜しに日本へ帰ってきた。
かつて、新聞の広告欄には大阪の演芸場各館の番組案内が掲載されていました。今回は昭和47年12月中席のなんば花月です。トリは松竹から移籍してまだ2年のダイマル・ラケット。移籍当初は扱いが大きかったですが、若手漫才が台頭してくると、看板もやや低めになってきます。モタレが洋介・喜多代。2年後洋之介に改名します。アクロバットの内田ファミリーは後のザ・ローラーズの前身。コント110の三田マサルは京唄子の三人目のダンナ。キヨシは解散後吉本新喜劇に入団した峰きよ志。落語二題では
今回のポスターは昭和50年7月上席のなんば花月です。トリは三人奴。まだ漫才ブーム前は大看板だったのです。モタレは若き桂三枝。タレントとしての人気はありましたが、落語家としてはまだまだという頃。多分この演芸の中ではコメディ№1が一番面白かったでしょうね。歌謡浪曲の芙蓉愛花・松島洋子。この翌年に松島洋子がなんば花月出番中に脳内出血で倒れて急死。芙蓉愛花ははなあい花と改名し、一時期今喜多代とコンビを組んでいたこともありました。桂文珍は人気的にはまだまだ。ザ・ローラーズは結構
●毎日放送「花月爆笑劇場」●京都花月昭和52年2月上席、うめだ花月昭和52年2月中席●吉本新喜劇「爆走!!春一番」作・演出大河内通弘【出演者】運転手志願の男・・・船場太郎トラック運転手・・・伴大吾運送会社の社長・・・谷しげるその息子・・・浜裕二事務員・・・片岡あや子同・・・田之本了従業員・・・淀川吾郎同・・・伊藤哲三同・・・南喜代子同・・・帯谷孝史同・・・浜田良典同・・・木村明うどん屋の出前持ち・・・池田昌代荷物の中にまじっていた子供(10才
●朝日放送「お笑い花月劇場」●なんば花月昭和52年5月下席(特プロ)●吉本新喜劇「いつか会える日」作・演出三原和人【出演者】交番所の巡査・・・船場太郎同・・・阿吾寿朗新聞記者・・・中山美保父を探す男・・・伴大吾その妹・・・楠本見江子浮浪者・・・岡八郎同・・・桑原和男出前持・・・木村明掃除のおばちゃん・・・南喜代子アイスクリーム屋・・・菊池大助自動車の運転手・・・浜裕二お金を落とした男・・・淀川吾郎その恋人・・・竹田京子洋服屋・・・島田一の介公
●朝日放送「お笑い花月劇場」●なんば花月昭和52年2月下席●吉本新喜劇「記者魂」作・演出松本俊介【出演者】上阪する父親・・・谷しげるその息子・・・船場太郎その妻・・・片岡あや子太郎の弟・・・伴大吾向いの住人・・・桑原和男その妻・・・藤里美記者・・・浜裕二記者・・・浜田良典暴力団淀川組組長・・・淀川吾郎組員・・・田之本了同・・・帯谷孝史同・・・木村明刑事・・・菊池大助警官・・・清家義政同・・・中西剛同・・・前田国男電報配達人・・・峰きよ志
●朝日放送「お笑い花月劇場」●なんば花月昭和49年10月上席(特プロ)●吉本新喜劇「正義の味方」作・演出中村進【出演者】原宅老主人・・・原哲男原宅老妻・・・谷しげる別居している息子・・・室谷信夫その妻・・・江見春美不動産業者・・・阿吾十朗阿吾に雇われたヤクザ・・・田之本了同・・・山中正原宅の隣の家の主人・・・伊藤哲三その老妻・・・河村節子息子(巡査)・・・伴大吾その妻・・・青木ミキホームヘルパー・・・中山美保ガス集金人・・・南出繁電気集金人・
昭和51年8月上席、夏休み真っ盛りの灼熱の京都花月です。トリは相変わらず京都出番が多いWヤング。モタレで林家小染。ダイマル・ラケットは1970年に松竹から移籍してきましたが、吉本では扱いはやや悪かったように思います。知能犬トミー(笑)指導者は足芸や曲芸の川澄静子。犬が足し算とかの問題の答えのボードを咥えて持ってくるアレですね。トップはコンビ結成1年8ヶ月ののりお・よしお。お互いに違うコンビ(のりおはバック・ケース、よしおはB&B)を組んでいましたが解散したので、コンビ
今から34年前の京都花月のポスターです。トリは人生幸朗・生恵幸子。まだ京都花月にも看板さんが出ていました。この席のようにモタレに当時の人気漫才師が来ることが多く、爆笑を取ったあとでもしっかり笑いを取って舞台を務めていました。モタレは初代Wヤング。人気絶頂期で数々の賞を受賞しました。主に駄洒落ネタが多かったですね。月亭八方も大きく載るようになってきました。ポケットミュージカルスは時期的に良くやる「お笑い忠臣蔵」。落語の露乃五郎が主演で、新喜劇の井上竜夫がポケットだけの京
懐かしの新喜劇スチールです。左から室谷信雄・・・私、この人大好きでした。もう人の良さがにじみ出てますよね。白木みのるの弟子だったと思います。長年の苦労の末、昭和57年1月から新喜劇の座長になりますが、昭和59年半ばあたりから声がかすれ始めます。結果、喉頭癌。声帯を切除したため引退・・・。今でも内場勝則さんが「いい人だった」と言っておられます。「しばきあげんぞ、よっワーレー!」「祟りや、祟りや~たまねぎの祟りや~」平参平・・・「あ~ほ~」や、足が動かなくなり「このほうが