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B056【伝教大師(最澄)との歓談】2021年【伝教大師(最澄)との歓談】2021年公開阿山>地獄に堕ちられたと聞いたのですが?最澄>私が何をしたかその者達はわかっていないと思うもし地獄に堕ちたと思うのであれば縁者たちを探しに行き清めに行っていた手伝いを多くの人たちとしていた縁のある者達であったのなら助けに行くのが師であろうそのような時に地獄にいたと見えたのかもしれぬが確かにこの世界中には切った斬られたかの様に白か黒かの様には
こんにちは♪くりたまです。槙尾山施福寺(まきおさんせふくじ)の続きです。『槙尾山施福寺の立体曼荼羅』おはようございます♪くりたまです。槙尾山施福寺の続きです。『槙尾山施福寺心を癒やす参道』おはようございます♪くりたまです。犬鳴山七宝瀧寺(いぬなきさんしっ…ameblo.jpなで仏様肘と肩をなでなでしました寝ているのは、全ての煩悩が消え、全ての苦が無くなった状態で、悟りを開いている「涅槃(ねはん)」を現しています。弘法大師空海さん延暦二十三年(804年)、遣唐使に従って唐(中
【霊場】浅口郡宗祖根本傳教大師二十ヶ所霊場岡山県旧浅口郡は、円仁の布教により天台宗の寺院の多い地域です。札所のほとんどは、浅口西国霊場の札所にもなっています。旧浅口郡は、現在の倉敷市玉島、浅口市、浅口郡里庄町からなります。○1番福井山寿福寺龍城院(大師降誕)浅口市寄島町○2番桜見山長徳教寺円珠院(出家得道)浅口市鴨方町○3番南観山普門寺(叡岳開創)浅口郡里庄町○4番真岳山大護寺明王院(三佛安置)浅口市鴨方町5番甘露庵紫雲寺(立教開宗)浅口市鴨方町4番明王院の境内
つづきです。『Dreamscometrue⑨〜那智大社・大黒天社・行者堂〜』つづきです。(長くてごめんなさい)『Dreamscometrue⑧〜玉置神社〜』つづきです。『Dreamscometrue⑦〜玉置山へ〜』つづきで…ameblo.jp前回の記事はこちら☝熊野那智大社、青岸渡寺を後にして、大好きな飛瀧神社(那智の滝)に向かいます着いた〜飛瀧神社、(那智の滝)もちろん、鳥居の祓えを唱えてから鳥居をくぐります那智の滝の神様〜、お久しぶりです〜那智の滝の神様大
2023年12月21日この日は弘法大師の報恩日…今年の目標(2023年)は御府内八十八ヶ所霊場を結願する事何としても88番まで行くぞ!と朝から気合入れます😁先ずは赤坂へ向かいました威徳寺の寺号標赤坂不動の石碑と山門如意輪観音や石灯篭地蔵菩薩と紀州徳川家祈願所の石碑弘法大師像不動明王こちらから入ります今どきのビルの中のお寺です本堂真言宗智山派寺院の威徳寺は、智剣山阿遮院威徳寺と号します赤坂不動の名で親しまれています威徳寺は伝教大師が唐より帰国途中、暴風雨で船が沈
ブログを読んで頂き、ありがとうございます。今回は最澄について、解説記事を作成してみたいと思います。よかったら、読んでみてください。序章:日本仏教史に輝く星、最澄の紹介日本の仏教史を語る上で欠かせない存在、それが最澄です。最澄は、平安時代初期に天台宗を日本に伝えた高僧として知られ、多くの人々に尊敬されています。しかし、最澄の魅力は、教科書で紹介されるような表面的な事実だけではありません。この記事では、最澄についてよく知られている情報から、あまり知られていない魅力的なエピソードについても探って
2/3は用事で朝から稲城市に出かけ、用事を終えた後、東長沼にある樹光山常楽寺に参拝しました。山門。山門の仁王さま。仁王さまの反対側。文殊菩薩さまかな?こちらは普賢菩薩さま?手水舎。御本堂。御本堂前の幼少の傳教大師像と黄色い仏像。観音堂。観音堂前の四天王像。他にも観音堂周辺に石像がたくさん並んでいました。十二支〜。辰年。他にも境内にたくさんの石仏や石像、庚申塔がありました。御朱印。御朱印と一緒に素敵なコースターとお菓子をいただきました。
一昨日の師僧による弟子への『性被害』の告発、日頃、比叡山を敬慕し信仰の礎としている私にとって、非常に哀しく、胸が痛む思いをしております。間違いであって欲しいと思う反面、被害に遭われた尼僧さんの心中を察する時、言葉も浮かびません。天台の教えとは何か、伝教大師最澄の御心とは何かを検索し読み返した一日でした。教導の身にある者が、凡夫衆生を道に彷徨わせることがないよう切に願うものであります。南無宗祖根本伝教大師福聚金剛https://www.asahi.com/articles/ASS105CY
命名!恐れ多くも弘法味噌にしたい😄お大師味噌が良かったかな?21日弘法大師のご縁日ですから^^初弘法の日に味噌仕込み嬉しいな😃🙏お大師味噌は…伝教大師と思う方もおられるかも?伝教大師様…すみません🙇♀️最終積替を無事迎えて^^あと10時間の所まで来ました。弘法大師に失礼のないよう💦破精廻りに力を入れた糀造り?!では無いんですが、いつものように崩す事なく送る事にしたから気が楽になったみたい?麹蓋から固まりを離すだけ😃手間が省けるのが助かる塩切りにした
瀬高町の元吉山清水寺にお参りしました清水寺は九州西国霊場十六番札所です実は、清水寺の近くにある「はる」というカフェレストランのオムライスが食べたくて出かけて行ったのですがなんと、お休みでしたフワフワ卵にビーフシチューがかかったオムライス食べたかったなあ・・・峠の駐車場の横にある、茶屋TAKeYAでお昼ご飯にしました竹うどんを注文直径20cmもある竹の器百年以上も使われているそうです竹の器は、割れるのを防ぐために、梅雨の時期は冷凍庫で保存するそうです甘めのおつゆで、
『年頭所感2024』おれはオレンジャー!年の初めから大きな地震が発生して何かを予感させる1年が始まった先日の年末セミナーでも少しお話したが2024年の所感について少しお話した…ameblo.jp本文↓2024年の干支は「甲辰(きのえたつ)」十干の1番目である「甲」と十二支の5番目である「辰」が組み合わさって60年に一度やってくるエネルギーだ甲からは、植物の種が固い殻に守られてこれから芽を出そうとする姿や物事に対して耐え忍ぶ姿を連想できてまさに「産み
12/13近江宮でかみあるき唐崎・大津皇子・たまごやき・桜島の続きです。さて、唐崎神社のあとは?大津皇子が私を近江に連れてきてくれたので、次はきっと三井寺にちがいないと思っていましたが、行った先はここでした。初めての比叡山。ずっと行きたいなあと思っていましたが。ここで、ちょっと思い当たることが。ワタクシ、空海先生が大好きすぎて、最澄先生を少々下に見るとゆーー、トンデモねー不敬な気持ちがあった事をここに認め、謝罪いたします🙇そういう不敬を、この日の朝に大津皇子に諫め
主人のサーフィンについてきてまたまた南房総。朝日をいっぱい浴びてます砂浜に寝っ転がったり瞑想(明想)したりぼおっと海を眺めたり(車から出たらソッコー裸足w)もってきた酒井大阿闍梨の伝記のような本を生き仏になった落ちこぼれ(講談社文庫)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}読みだしたらひきこまれてしまい夢中になってましたw比叡山延暦寺天台宗総本山比叡山延暦寺[HieizanEnryakuji]京都市と滋賀県大
比叡山延暦寺…横川地域、西塔地域と巡拝しました。東塔地域については2020年9月に行った時の写真をご覧ください。その時は、滋賀県大津市坂本にある坂本ケーブルを利用しました。坂本駅です。この駅舎も古くて有形文化財に登録されています。坂本ケーブル山頂にある延暦寺駅。こちらも坂本駅と同じく有形文化財に登録されています。延暦寺駅の屋上から琵琶湖が望めます。写真の左手前が駐車場🅿️東塔地域のシャトルバスのバス停もそちらにあります。受付で三つのエリア共通のチケットを買って入ります。
23.10/29sun.09:33-11:2611:35-12:3812:58-14:55岩間寺、石山寺を巡拝石山寺仁王門を出て瀬田川に並行する参道を北へ京阪石山寺駅から三井寺駅琵琶湖疏水沿いに南西に突き当たり左折して南に、長等神社楼門近江大津宮に遷都した際(667年)天智天皇がスサノオを祀り、創建北隣に、三井寺観音堂上り口急石段を中坂世継地蔵堂で左に石段を上って、観音堂左に、手水社子守地蔵菩薩観音堂外陣にて札所本尊如意輪観世音菩薩開経偈
令和5年10月29日(日)書写山圓教寺から法華山一乗寺へ向かう。12:45書写山ロープウェイ駐車場を出発↓一般道、国道372号線13:25法華山一乗寺駐車場に到着人里離れた山中にある寺院。一乗寺は兵庫県加西市にある天台宗の寺院である。山号は法華山。本尊は聖観世音菩薩で西国三十三所26番札所である。春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。《法華山一乗寺》境内入口。山門はない。本堂へは石段を上がって行く。由緒書。常行堂。三重塔。法輪堂。三重塔。鐘楼。鐘楼。
次いで、この日(に)本(ほん)国(こく)憲法(けんぽう)の第一条(だいいちじょう)を見ると天皇(てんのう)の地位について次のごとく定めております。「天皇(てんのう)は日(に)本(ほん)国(こく)の象徴であり、日(に)本(ほん)国(こく)民(みん)統合の象徴であって、その地位は主権の存する日(に)本(ほん)国(こく)民(みん)の総意に基づく」とこう書かれているんです。明(めい)治(じ)憲法(けんぽう)の第一条(だいいちじょう)における天皇(てんのう)の地位は「万(ばん)世(せい)一(いっ
先述のとおり、この伽(が)藍(らん)の中心堂宇である金堂(こんどう)には本尊として釈(しゃ)迦(か)如(にょ)来(らい)が安置されました。この本尊は三重の塔に安置された報身の過去仏としての釈迦如来とは違った意味合いをもつ仏であると思います。この釈迦尊像は、天(てん)台(だい)宗(しゅう)祖(そ)伝(でん)教(ぎょう)大(だい)師最(さい)澄(ちょう)上(しょう)人(にん)()が天(てん)台(だい)法(ほっ)華(け)宗(しゅう)の本尊とされた「常(じょう)寂(じゃっ)光(こう)土(ど
願文(がんもん)に記される三重の塔(とう)婆(ば)には本尊として「法(ほっ)身(しん)」の毘(び)廬(ろ)遮(しゃ)那(な)如(にょ)来(らい)と、「報(ほう)身(じん)」の釈(しゃ)迦(か)・薬(やく)師(し)・弥(み)勒(ろく)如来が安置されました。法身の毘廬遮那から報身の釈迦・薬師・弥勒が展開し、悟りの世界から迷いの現世へ慈悲のはたらきによって仏格が姿を現す様が表現されていると考えられます。但し、願文に中尊寺は「界(かい)内(だい)の仏(ぶつ)土(ど)」(迷いの現世にある浄土)と
金光寺から兵庫大仏へ行く途中、神社がありましたのでお参りすることにしました。こちらの神社は「神明神社」です。鳥居をくぐり二礼二拍手〜一礼神明神社から少し歩くと大仏様の後姿!!Googleの目的地を兵庫大仏にセットしたため、能福寺の裏側に来てしまいました。能福寺は今から千年ほど昔、延暦二十四年(805年)桓武天皇の勅願を受けて唐に留学された伝教大師はその帰路、兵庫の和田岬に上陸。庶民大いに歓喜し、堂宇を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を堂宇に安置して国の安泰、庶民の幸
【御書本文】自受用身とは一念三千なり、伝教云く「一念三千即自受用身自受用身とは尊形を出でたる仏と出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」(御義口伝巻下全758新1058)【通解】自受用身とは一念三千なのである。伝教大師は、その著「秘密荘厳論」に「一念三千は即自受用身であり、自受用身とは、色相荘厳の仏ではない。尊形を超出した凡夫相の仏である。しかして出尊形仏とは無作三身のことなのである」と
再びバスで西塔エリアへ移動です。蓑淵弁財天伝教大師御廟である浄土院方向に向かいます。これは谷というより堀切だねえ。浄土院はすごくいいです。なんというか、厳か、清楚でかつ威厳がある。坂道登って山王院堂もみてきました。キノコが生えてました。
昨日、お天気の下店の前に並べられていた広島熊野筆と陶器のカップに眼がとまり自転車をとめて姉とふたりみていたら中もどうぞとご店主さまの声で入らせてもらった空気がちがうごあいさつして眼に飛び込んできたのはおくにまつられた毘沙門天さま約20CMほど私の視力は裸眼で0.2ほどふつうはみえないのが玄関から奥におられるのに(10メーターほどみえるこれがいつもおか
○昔は比叡山坂本ケーブルカーの山下駅まで、バスが来ていたような気がする。もっとも、私の記憶違いかも知れない。バスの便が無いので、坂本ケーブルカーの山下駅から坂本比叡山口まで歩いて行った。○もっとも、坂本ケーブルカーの山下駅から坂本比叡山口までは、800mとあったから、それ程、遠い距離ではない。それに、坂本ケーブルカーの山下駅から坂本比叡山口までなら、全コースが下りで、楽である。○最近、実感するのが、日本の町の縮小荒廃である。田舎に行けば行くほど、それは酷いし、切実である。間違いなく、日本は縮
○これまで数えていないが、最低でも、4,5回は比叡山にお参りしている。しかし、いつも時間に追われてバタバタとお参りするだけで、とんと比叡山を歩いていない。それに、今回、2022年11月1日に、比叡山へ参詣した際には、初めて、京都側から比叡山へ登った。○これまで、比叡山へは、全て坂本から登っている。もっとも、全て坂本ケーブルカーに乗っての参詣であった。したがって、坂本ケーブルカーは随分と愛着がある。何しろ、二十代から七十を超えた現在まで、およそ半世紀の歴史があるのだから。○そういう意味では、懐
○比叡山参詣を済ませて、坂本ケーブルカーへと向かった。その途中で、滋賀県の「比叡山」の案内板が設置してあるのを見掛けた。すでにブログ『比叡山』は書いているのだが、なかなかよく出来た文である。それで紹介しておきたい。比叡山世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山をぞいふ慈鎮和尚この山は伝教大師最澄上人によって開かれた仏教修練の山岳道場で、一千百数十年の歴史を持つ天台宗総本山延暦寺の山で鎮護国家の
○2022年11月1日に、比叡山延暦寺へお参りした。横川から西塔、東塔と巡って来た。東塔では根本中堂や大講堂、文殊楼などを見て回ったが、戒壇院には出掛けていない。次回にお参りしたいので、ここに記録として残しておきたい。○インターネットで比叡山東塔の戒壇院を検索していたところ、次のページがヒットした。延暦寺の戒壇院、初めての特別拝観法華総持院東塔も比叡山延暦寺(大津市)は、これまで一度も公開したことのない戒壇院(かいだんいん、重要文化財)の特別拝観を実施している。今年は寺を開
○比叡山延暦寺の中心であり、東塔の中心でもあるのが根本中堂である。ちなみに、比叡山延暦寺のホームページでは、東塔について、次のように案内する。東塔(とうどう)東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。東塔地域には、延暦寺バスセンターがあり、比叡山山頂、西塔、横川地域へのシャトルバスや京都市内
『比叡山も暑かった(^^;東塔』約5年ぶり、2度目の比叡山へ行ってきました。少しは涼しいかも⁈と期待しましたがこの暑さですもんねやはり汗まみれになりました東塔の駐車場にて空が近く感じられまし…ameblo.jp東塔から西塔へ来ました西塔は今回、浄土院(最澄さんの御廟)しか参拝してません本堂と御廟方面(右)の分かれ道「我が志を述べよ」志、志…私の志…パッと思い浮かばない御廟までの参道の清浄さ(見た目じゃありません)にビックリ!歩いててとても清々しく何⁈この透明感めちゃ驚きな
比叡山に登った。幾多の歴史を刻んだ、伝教の法灯があった。幾多の高僧が修行した聖地だ。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/pbQ-Wy0Us7w伝教大師御廟(比叡山)比叡山は、霧が下界を遮断していた。静かな浄土院まで歩いた。比叡山延暦寺は、最澄が山に登って始まった。大木が両側に聳えている。静か歩いた。直線美が際立っていた。身が引き締まるのを感じた。浄土院(御廟)があった。そこは、清麗の地に思えた。静かな御廟だった。我一人頭を垂れて