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新宿にある鬼王神社を御参りして、ふと、脇のところを見ると、懐かしい映画のポスターが並んでいました。説明書きを読んでみたら、鬼王神社の隣が、昔は、大久保館という映画館だったそうです。当時、ここに映画館があったことを忘れないように、映画のポスターが貼ってあるそうです。ここが、元○○だった、という話が大好きな私です。また1つ詳しくなりました!【たけ平今日の一曲】~伊達里子「スピード時代」~日本初のトーキー映画といえば、「マダムと女房」です。昭
『マダムと女房』1931年日本映画56分監督:五所平之助原作・脚色:北村小松ギャグマン:伏見晃助監督:富岡敦雄、蛭川伊勢夫撮影:水谷至宏、星野斉、山田吉男音響記録:土橋武夫、土橋晴夫現像操作:増谷麟、納所歳巳美術・意匠:脇田世根一舞台装置:西玄三、滝沢藤三郎舞台装飾:川崎作太郎、三島信太郎音響助手:松本辰吉、吉田百人照明装置:水上周明プロダクション・マネージャー:高橋基主題歌作詞:サトウハチロー「スピード時代」作曲:高階哲夫「スピードホイ」作曲:島田晴
1972年に肺がんのため62歳で死去した、女優の伊達里子さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。伊達さんには、家族縁や病難に注意。人の上に立つが、結婚運や家庭運に注意。人望が厚く、引き立てがある。波乱に注意。といった暗示があります。引き続き伊達里子さんの本名、石川三枝さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。石川さんには、成功する。人に好かれる。人の上に立つ。社交性があり、人気を得る。晩年は、何事も注意。変化に注意。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。また、
マダムと女房(1931年=昭和6年日本松竹鎌田撮影所)日本初の「トーキー映画」なんだそうです。アメリカでトーキー映画が初公開されたのが1927年。日本でアメリカのトーキー映画が公開された1931年。その年のうちに日本で製作されたトーキー映画公開。やったね!日本!正確には、この年に日本でもトーキーが公開できる機械が用意できて、トーキー映画を上映する設備が整ったから、ということだそうです。それで初のトーキー映画(米国作品)公開3か月後に、邦画のトーキー映画発表!
どうも。『万引き家族』バッシングした自称愛国者のバカどもがいる国で無理して映画を撮らなくていいことを実力で証明した是枝裕和監督なのです。それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『淑女と髯』です。バンカラな学生が髯を剃ったら就職も恋愛もうまくいったという気楽に楽しめる喜劇(松竹・映画作品データベースより引用)。1931年公開作品。監督は小津安二郎で、出演は岡田時彦、川崎弘子、月田一郎、伊達里子。小津安二郎の初期監督作品です。小津は「ジェームズ槇」名義で劇中のギャグも担当して
服装調査のつづき。前回取り上げたオシャレな「その夜の妻」(1930)のあと、小津安二郎は――・「エロ神の怨霊」(1930)→脚本、ネガ、プリント存在せず。作った本人すらストーリーをおぼえていない。・「足に触った幸運」(1930)→脚本のみ現存。サラリイ・マン物。・「お嬢さん」(1930)→脚本のみ現存。大スタア・栗島すみ子先生主演。……と、栗島すみ子主演の一大エンターテインメントを任せられるまでに、周囲の評価があがってきます。で、昭和6年、1931年第一作が、文句なしに楽し
現存2作品目。服装調査。一体なんのためにこんなことをはじめたのか?……といわれると、何とも答えようがないですが、小津安二郎作品の、服飾品への並々ならぬ関心、というのは誰の目にも明らかでしょう。服飾中心視点でみてみれば「若き日」→結城一朗が手編みの靴下を手に入れ、捨てるおはなし。という見方が可能でしょうし、「晩春」→原節子が花嫁衣装に着替え、どこかへ去ってゆくおはなし。とみることも可能でしょう。今回の「朗らかに歩め」は、そうなると、「高田稔が上等のスーツを脱ぎ捨て
小津ネタです。わたくしの書く小津安二郎関連の記事は「小津安っさんやっぱしスゲー」「天才!天才!」と褒めちぎる内容が多いのですが、――今回はそういう感じではないです。こと、「モダンガアル」に関していうと、小津の初期作品においてはごく普通の……一般大衆向けのコンサバな描写をしていたのだなぁというだけの記事です。逆にいうと……小津映画に出てくるモダンガールに注目すると、当時の世間一般の「モダンガール」に対する視線がわかるのではないか??ということにもなるかもしれませ