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【我が家のお宝】我が家の祖先は二代藩主伊達忠宗公家臣公子従四位侍従越前守光宗公近習伊達政宗の孫の光宗公に仕える近習(きんじゅう)主君(武将や藩主)の側近に仕え身の回りの世話や警護事務処理を行う家臣此の巻物が何なのか解らずに居た先日、知人を通じて元仙台博物館館長さんに見て貰い解りました。※要するに知行地(領地)を拝領した証書各藩主から拝領した知行地(領地)証書の巻物でした。寛永二十一年(1644年)甲申八月十四日忠宗公の黒印存す(支配地)知行宮城郡田中村、高
【問題】伊達忠宗の正室は、次のうち誰か?【選択肢】北条氏政の孫池田輝政の娘松平忠輝の姉黒田長政の妹【正解】池田輝政の娘【解説】伊達忠宗の正室は、池田輝政の次女・振姫(孝勝院)である。初め徳川家康の養女となり、家康の死去に伴い秀忠の養女となり、元和3年(1617)忠宗に輿入れした。
大僧正天海(182)「(寛永十一年)六月朔日仙台中納言政宗卿御さきに、上洛すとて首途す。二日松平越前守忠宗御先にのぼる。三日上杉弾正大弼定勝出立す。四日佐竹修理大夫義隆発足す。五日小石川邊に御馬にてならせらる。この日南部山城守重直出立す。六日加藤式部少輔明成首途す。」(「大猷院殿御實紀」)家光上洛の先陣を飾ったのは伊達政宗である。「独眼竜」と呼ばれた政宗もすでに68歳となった。健康には人一倍気を付けていた政宗であったが、この頃から、食欲不振と
毎年東照宮に初詣しています今年は竹駒神社に行ったのですが『ケロケロの杜でいちご北釜防災公園竹駒神社』あけましておめでとうございます♪今年も笑顔あふれる一年でありますように今日はいちご大好き孫ちゃんたちのためにケロケロの杜ケロケロいちごに行きました…ameblo.jpやっぱり東照宮でもお参りしたいなあと思って行ってきました。きのうは成人式だったので着物姿のかわいい方たちもいました。毎日のお礼とこれからも幸せでありますように願いました。正月限定の御
伊達騒動が収束すると、辰信は江戸詰めの仕事も増えるようになった。伊達家の江戸屋敷での仕事だ。それは伊達家が、徳川の家臣を伊達屋敷に招いた時のことだ。辰信は主の伊達忠宗から六文銭の裃をつけるよう言い渡された。その日の客人は真田幸道。幸村の兄・信之の孫であり、現真田家当主であった。幸道は居並ぶ伊達家の家臣たちの中に、六文銭の裃を見つけた。幸道が驚いて伊達忠宗を見ると、忠宗はにやりと笑った。そのまま、六文銭を身に着けた若者の前に腰を落とした。「その紋、六文銭
墓参り松島の円通院:三慧殿伊達光宗(政宗の孫)が1645年(天保2年)9月8日卯刻:江戸で19才で死去松島にて25日葬礼当家初代:茂視32才(独身)24日殉死伊達政宗は仙台藩初代藩主として戦国陸奥の地で栄えて来た。政宗の嫡男は豊臣秀吉に秀の名を貰い【秀宗】となる。伊予宇和島藩を与えられる。仙台藩は政宗の正室;愛姫の嫡子【忠宗】が二代目藩主になる。忠宗公の正室は徳川家康の孫(池田輝政の娘)徳川秀忠の養女の振姫である。忠宗の嫡男は虎千代7才で早世してしまう三代将
資料館を出た後、二代藩主伊達忠宗公と三代藩主伊達綱宗公の霊屋へ。外人の方もたくさん参拝されてました。門の先へ。こちらにも石燈籠や板碑がたくさん。二代藩主伊達忠宗公の霊屋「感仙殿」感仙殿横の供養塔。感仙殿の左側にある三代藩主伊達綱宗公の霊屋「善応殿」善応殿近くにある「擬殉者の墓無縫塔」おまけ。瑞鳳殿から感仙殿に移動する途中の石畳の一部がスカート靴のようになっています。こちらは駐車場から瑞鳳殿に向かう途中にある瑞鳳寺。今回参拝はしていません。
次は瑞鳳殿瑞鳳殿は最近NHK再放送大河ドラマ「独眼龍政宗」でも有名な伊達政宗公の御霊屋(墓所)です。70歳で生涯を閉じた政宗公の遺命により二代藩主忠宗公が造営されたそうです。1931年に国宝指定されたものの戦災で焼失されてしまいました。現在の建物は1979年に再建されたものの国宝では無くなってしまいました。2001年には改修が行われ創建当時の姿が甦りました。煌びやかなずっと見てても飽きない荘厳な建物です二代藩主伊達忠宗公の御霊屋横から三代藩主伊達綱宗公の御霊屋御朱印で
まずはるーぷる仙台のパスを購入します。何ヵ所か行く場合は1日乗車券を購入した方がお得です。仙台市内の主な観光地を循環します。バスに乗ると雪が舞い始めました。今日の天気予報で雪なんて言ってなかったのに。。。目指すは瑞鳳殿(伊達政宗公の霊屋)です。観光客とみられる人たちが何人か同じバス停で降りました。バス停からすぐ近くなのですが思わず唖然としてしまいました。普通、遠くても奥まで景色が見えるじゃないですか。それが木々の真ん中に道があり上り坂しか見えないので
宮城県丸森町にある私設博物館の金山城伊達・相馬鉄砲館は,11月4日に白石城にある歴史探訪ミュージアムで火縄銃の無料講演会を主催する。演題は「火縄銃と仙台藩」である。このため,仙台藩や火縄銃について調べることが多い。今日は,伊達忠宗の事績を調べていて,時の流れを愕然とするほどに感じさせられた。伊達政宗の嫡男の伊達忠宗は,相当な人物で,家臣団の統制と藩経済や文化の基盤固めに大きな功績を残し、「守成の名君」と評されている。忠宗は武術に優れた男で,中でも馬術と砲術が得意だった。これは忠
伊達政宗の嫡男で仙台藩第二代藩主の伊達忠宗は,家臣団の統制と藩経済や文化の基盤固めに大きな功績を残し、「守成の名君」と評されている。例えば,忠宗が新田開発を積極的に推し進めた結果,幕末の仙台藩はその実収を100万石以上に倍増させるに至るのである。忠宗は武術にも優れた男で,弓は日置流の秘伝を受け馬術(八条流)も得意だった。仙台藩第二代藩主伊達忠宗公肖像画肖像画には,砲術と馬術を得意としていただけあり,鉄砲と馬が書き添えられてある。写真引用仙台市史
今月のお盆にまたまた宮城に帰省しまして、今日からはその際に巡った仙台の名所をご紹介していきますね✨東北とはいえ、危険な暑さが続いていましたので、今回は遠出はせずに「るーぶる仙台」に乗って、仙台市内を観光することにしました♪仙台といえば!やはりマサムネ様♡ということで久しぶりに仙台藩祖『伊達政宗』公の御霊屋へ行ってみることに🌳『瑞鳳殿』瑞鳳殿は寛永13年(1636)、70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により、翌年にこの経ヶ峯に造営された御霊屋(墓所)です。仙台城の本丸と向かい合う
【問題】仙台藩2代藩主・伊達忠宗は、次のうち何と呼ばれたか?【選択肢】守成の名君風流の利発人今世の張良都の総督【正解】守成の名君【解説】伊達忠宗は政宗の正室の子として生まれ、仙台藩2代藩主となった。新田開発や検地など、藩の基盤を固めることに尽力したことから、「守成の名君」と称された。
公式ハッシュタグ令和6年8月17日骨董品ランキング1位「鉄砲は足軽の業である。」という人がいる。しかし,それはどんな根拠に基づいていっているのか,はなはだ疑問である。なんとなれば,戦国武将や江戸時代の大名の中には鉄砲名人が実に多いのである。徳川家康は120メートル先のコウノトリを打ち落とすほどの鉄砲名人だったし,織田信長や伊達政宗も鉄砲の名手だった。徳川家康の鉄砲道具また,加藤清正や浅野行長,黒田長政などの戦国武将も鉄砲に秀でていた。佐伯藩主の毛利高政にいたっては,伊勢
※2024年6月8日訪問※宮城県女川町の【万石浦】を訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼万石浦(まんごくうら)は、宮城県の石巻市及び牡鹿郡女川町にまたがる海跡湖である。牡鹿半島の付け根付近、石巻市及び牡鹿郡女川町にまたがっており、南側の渡波で石巻湾に通じている。名前は仙台藩の第二代藩主伊達忠宗が鹿狩にやってきた際に「ここを干拓すれば一万石の米が取れるだろう」と言ったことに由来するとされる。絶滅危惧種であるアサクサノリやアマモ、オキシジミ(北限)、ウミニナの生息地として環境
手水舎涅槃門涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死という意味にもなります。瑞鳳殿1636(寛永13)年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命によりその翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。伊達政宗公羽生結弦クンの影響ですかね感仙殿二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋伊達忠宗公伊達政宗の二男善應殿三代藩主伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋伊達綱宗公伊達忠宗の六男「瑞鳳殿」伊達家三藩主の霊屋(たまや)【死
【8/122日目③】はい。お次は感仙殿です。ここは二代目藩主の伊達忠宗公の霊屋だそうです。こちらも瑞宝殿に引けを取らないくらい綺麗です。が、紆余曲折あるみたい。明治に入って、廃仏毀釈で本殿以外取り払われたり…第二次大戦で焼失してしまったり…結局、昭和60年に再建されたそうな。もうね、ほんと、色も綺麗なんですよ。こういうのも維持していくのが大変なんですよね。ところで、こんな表示がありました。またまた~江戸時代とか戦国時代に、スケート靴はないでし
10時開催のSDCまでヒマ。という事で早朝に4カ所参拝。仙台東照宮仙台市青葉区東照宮1-6-1仙台東照宮|神社|宮城県仙台市の国指定重要文化財仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)は仙台藩二代藩主伊達忠宗公によって1654年に創建された、宮城県仙台市青葉区東照宮にある神社です。本殿以下4棟が国の重要文化財に指定されております。東照宮の祭礼は仙台祭と呼ばれ、仙台城下町最大の祭として江戸時代大変栄えました。s-toshogu.jp昔中江に住んでたので、一応最寄駅です。
仙台東照宮は初詣、どんと祭で大勢の人々が参拝する有名な神社であります。相当の御利益が得られると思われます。江戸時代、家康を神格化した「東照大権現」を主祭神として祀り、この東照大権現の本地仏には、東方瑠璃光如来の名を持つ薬師如来があてられました。権現とは神号の一つで、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとし、本地垂迹思想による神号であります。また、家康は生母於大の方が鳳来寺山の峰の薬師に子授けの祈願を成された事も無縁ではないのです。薬師如来に祈願して、誕生したと言われ、家康は薬師如来が
仙台東照宮のどんと祭徳川家康公ご祭神の日光や久能山等の東照宮が全国にあります。1654年伊達忠宗二代藩主が創建しました。このころ仙台藩も大火大洪水、財政危機になり幕府の支援を受けました。本殿、唐門等15棟80万人の人手により金2万両、5年の歳月をかけて見事な神社ができました。神社維持管理のため御宮町の制定御祭礼の斎行。仙台藩の守護神にし氏子町の形成がなされました。神輿渡
元旦は、息子夫婦・孫たちが集まり新年会、昨年同様に翌2日午前に初詣。参道の階段を振り返ると仙山線下り線が東照宮駅を出発し、踏切通過中。仙台東照宮は、徳川家康公をご祭神として祀っている仙台藩2代藩主伊達忠宗公により創健2024年の正月は、災害のニュースから始まり、悲痛な気持ちの中で参拝している人も多いことだろう。自分も東日本大震災のつらさを思い出す。本殿にもここから手を合わせ、今回の令和6年能登半島地震の復興、家内安全等々祈ったおみくじは、末吉なんかイマイチの内容だったけど
7/16(日)仙台市・新潟市への弾丸旅行仙台市での観光、2箇所目は瑞鳳寺の更に山上、瑞鳳殿伊達政宗公の御廟です瑞鳳殿へは、62段の石の階段を登る伊達政宗公の仙台藩、62万石に因んで伊達政宗公霊屋瑞鳳殿570円を支払い、入場手水舎で清めて涅槃門(正面門)涅槃は、煩悩を取り去った悟りの境地の意麒麟や牡丹・唐獅子の彫刻御霊屋へ1945年7月、太平洋戦争の空爆で当時の国宝であった瑞鳳殿は焼かれましたが、この石段は焼けずに、オリジナルのまま(ガイドの受け売り)拝殿建
7/16(日)仙台市・新潟市への弾丸旅行仙台市での観光・美味しいモノ探索8:30AMJR仙台駅の大通りを抜けて、観光ルートを巡航バス乗り場へるーぷる仙台1日券630円、と言っても実質17時までの利用可能です土日祝は20分間隔(平日は30分間隔)でしたが3連休の観光なので、35分待ちました超満員のバスで、25分最初の観光地今回は、伊達政宗公ゆかりの地へ鹿児島県人七士の墓西南戦争に従軍、西郷軍305名が宮城の監獄へ投獄された国事犯(西郷軍)達は、仙台をはじめ宮城
4月16日、仙台東照宮で遷座370年を祝う大祭が挙行され、神輿行列、子供神輿、稚児行列が境内から北六番丁小までの間を往復し、大勢の見物人が駆けつけ賑やかでありました。日光東照宮には、各藩が幕府への忠誠の証として寄進した石灯籠が並び立っていて、中でも石段に最も近い場所に、伊達政宗がポルトガル産の鉄で鋳造した「南蛮鉄灯籠」が在り、他の大名の奉献した石灯籠とは大きく異なっておりました。仙台東照宮は日光東照宮より分霊され、この地は、1591(天正19)年、葛西・大崎一揆の鎮圧のため、督戦にあたった
いや~、今日は朝からめっちゃ忙しい一日でしたサイン本も書いたし、小野寺S一貴『サイン本』九州の雨が強いみたいですどうぞお気を付けてお過ごしください。さて。今日の僕は朝からせっせと、文庫版「妻見え」にサインを入れています来週に迫った…ameblo.jpその後、会社のお役所対応などもありで(一応ちゃんと経営者をしておりますゆえ)、リアルに慌ただしい月曜日でした。でそんな本日、ちょっとね、わけあってこちらに伺いました。仙台東照宮東照宮といえば、
松島海岸にある「観瀾亭」は伏見城にあった建物を豊臣秀吉から伊達政宗が拝領し,その後江戸藩邸に移築,二代藩主忠宗が納涼,観月の場として現在の場所に再移築したものです。奥の「御座の間」には狩野派絵師による極彩色の床の間や襖絵があり,当時の雰囲気が満載です。観瀾亭と名付けた五代藩主・伊達吉村公が揮毫した「雨奇晴好」の額がきりりと部屋の空気を締めています。朱毛氈(しゅもうせん)が敷かれた座敷で,抹茶をいただきながら月や秋の紅葉、松島湾を眺めると,実際にこの建物内で会っていた秀吉や政宗の息遣いが聞こえて
仙台の鉄砲と伊勢守流砲術仙台藩二代藩主の伊達忠宗は,部屋住みの23歳の頃に,キリシタン大名の佐伯藩主毛利高政に入門して伊勢守砲術を学び,その奥義を授けられた。仙台藩二代藩主伊達忠宗公肖像の周りには,得意の鉄砲と愛馬が描き込まれている。今月に入り,仙台の殿様も頭を下げた毛利高政公の伊勢伊勢守砲術について,報告書を清書し出していたところ,昨日,あるブロ友さんが,毛利高政に関する古文書を手に入れたとのブログ記事を書いているのを知った。まるで,泉下の毛利高政公から「早く書け。」と
西日本で行ってみたい場所は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう西日本で行きたい所は,沢山あるが,今一番行きたいのは京都の龍源院だ。金閣寺の近くにあると言えば,あの辺りだなと頷いててくれ人もいるだろう。龍源院は,大徳寺の境内にある塔頭の一つである。室町時代に相阿弥により作庭された苔庭をはじめ,いくつもの枯山水庭園があり,洛北の苔寺とも呼ばれている。龍源院方丈南庭「一枝坦(いっしだん)」出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』龍
日光東照宮探訪はまだまだ先が長いので飽きずにお付き合いください・・・<(__)>「陽明門」に向かう石段脇には拝観客にスルーされがちな「輪蔵」があるのですが、実はもうひとつスルーされがちな大名からの献上品があるんですよ。日光東照宮には大名たちが競って奉納した121基の燈籠があるのです。その中でも有名な燈籠があるのです。ちょっと古い写真になりますが「陽明門」の改修工事に撮った写真をアップ。陽明門へ向かう石段の右横にその燈籠が奉納されています。南蛮鉄燈籠仙台藩62