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【問題】≪難問≫元和9年、伊達宗高の所領内で発生した自然災害とは、次のうちどれか?【選択肢】イナゴが大量発生した火山が噴火した巨大竜巻が発生した原油が噴出した【正解】火山が噴火した【解説】伊達宗高は政宗の子で村田城(宮城県村田町)を居城とした。元和9年(1623)刈田岳が噴火し甚大な被害が生じたが、明の易者・王翼と宗高自身が祈祷を行い、後に収束した。
6月に宮城へ帰省した時に、友達の運転で数十年ぶりに蔵王へ行ってきました⛰️蔵王エコーライン、そして蔵王ハイラインを走り山頂駐車場へ到着☆馬の背蔵王の最高峰、熊野岳から刈田岳へ通じる約2Kmの尾根で、東側は垂直に近く切り立った絶壁になっています。火口湖のお釜を見るには、石や岩がゴロゴロしている急な坂を降りて行かねばなりません🪨山の天候は変わりやすく、お釜が見られるかは運次第。霧やガスがかかり見れないことも多いんです☁️※霧やガスが出ている時は先が全く見えず非常に危険なので絶対に降りない
NHKの東北地方限定で放送している「みちたん」という番組。東北地方のディープな情報を紹介する番組なのだけど。今日の放送に、村田町の老人戦隊が出てきた。戦隊といっても変身するわけじゃなくて。平均年齢70近くの高齢者たちが、赤とか青とか各々色違いの服を着て、SNSなどで町の魅力を紹介をしているというもの。申しわけないが、今回初めて知った。村田町は、観光客が減って危機感を持っているらしい。何とか町の魅力を知ってもらいたいみたいなのだが。考えてみたら、私も村田町の認識って、お蔵と
宮城県村田町の龍島院に伊達政宗公の七男伊達宗高公のお墓がある。お墓の左右に殉死した10名の方の墓が並ぶ。仕えていた方が亡くなった時、殉死するという気持ちはどの様な気持ちだったのだろうと思う。殉死禁止を最初に命じたのは保科正之とのこと。会津藩初代藩主、幕末の会津に繋がる。
※2021年4月6日訪問※宮城県村田町の【新楽山願勝寺】さんを訪れました願勝寺さんを訪れると、立派な山門を見る事が出来ますが、この山門は、村田城の城門を移築した物と伝わっています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼この真宗信楽山願勝寺の山門は、かつての村田城の大手門です。現状は三間半×一間一尺です。形式は城門に多く使用される薬医門で、江戸時代は茅葺きだったようですが、明治の払い下げの後に瓦葺に改められました。正確な建築年数は不明ですが、おそらく江戸時代中期から後期のものと
※2021年4月6日訪問※城山公園から【二ノ丸跡】である村田小学校方面へと階段を下って行きます小学校の辺りが二ノ丸跡で、【大手門】が有ったと伝えられています隣接する村田町役場も二ノ丸跡との事でした役場のすぐ裏手が城跡で、高台になっている事がよくわかりますねまた、村田町役場の入口には【村田町指定史跡村田城跡伊達秀宗生誕之地】と書かれた標柱が建てられていました✨現在は城山公園として親しまれている村田所(村田城)ですが、訪問するまでは遺構は少ないと思っていましたしかし大規模な空堀や土
※2021年4月6日訪問※本丸の下には複数の【曲輪】が設けられています下の画像では、右側の高台が本丸跡で、それを囲むように腰曲輪の跡を見る事が出来ます✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼郭(曲輪)とは山城においては平坦な土地を確保するために、人工的に山肌を削平し設けた区画を指す。平地に建てられている平城などでは空堀や水堀、堀、石垣、河川などで曲輪を区画する。形状や場所、使用目的により本曲輪、腰曲輪など様々な名称で呼ばれる。敵の侵入を阻むことができる施設である。▲▲
※2021年4月6日訪問※村田所(村田城跡)を訪れて一番驚いたのが、この見事な【空堀】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼水のない堀のことで、主に山城などで用いられており、非常時には底を通路として使用できる。堀り方により底面はV字形、凹形、丸形など様々である。水堀のほうが堅固に思われるが、水堀を設ける場合は一定の堀幅を必要とするのに対し、空堀は幅が狭くても深く掘ることで絶大な威力を発揮するため、山城においては有効な手段である。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
※2021年4月6日訪問※村田所(村田城)の本丸跡には【町指定文化財村田城跡】と書かれた案内板が設置されています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼室町時代の嘉吉年間(1441~44)に、小山九郎業朝が下野小山城から移住し、村田姓を名乗り伊達家の家臣となって館を築いたのが始まりと伝えられています。天正19年(1591)9月に伊達政宗の長男兵五郎が、ここで生まれました。兵五郎は後に秀宗と名乗り伊予国宇和島藩主となりました。同年12月頃、村田万好斎の代に領地を没収され、万好
※2021年4月6日訪問※村田所(村田城)の【本丸跡】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本丸跡室町時代から安土桃山時代にまで城(館)の中心となる部分で、本丸には主要な建物があり、周囲を巡らす空堀に囲まれている。江戸時代になると、この建物は城下に近い二ノ丸(現役場・小学校)へと移り建てられ、この領地を治めるようになったと考えられている。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲現在では城山公園として、地元の方に親しまれているようですかつては展望台のような施設
※2021年4月6日訪問※城山公園の中心部まで登って来ると、櫓を模したトイレが見えて来ます✨このトイレのすぐ側に残されているのが大規模な【土塁】です▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼土塁土をそのまま盛り、叩いて固めた高まりをつくる方法と岩盤や砂や年度の締まった地山を残して内側を削り取り周囲に自然地山を残して土塁としたものなどがある。敵がよじ登ってくるのを防ぐためのものである。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲これだけの規模の土塁が残されているとは知らな
※2021年4月6日訪問※城山公園の北東部から中心部に向かって歩いて行くと、【竪堀】と書かれた案内板が設置されています✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼竪堀山城の斜面に用いられる空堀の一種で、山の斜面に直角に作った空堀をいう。敵兵が斜面をよじ登るのを防ぐものである。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲斜面を登って来る敵兵の横移動を制限するための防御施設ですね◆陸奥国・村田所(村田城)本丸南西部土塁/村田町指定史跡◆に続く
※2021年4月6日訪問※では早速村田所(村田城)跡を訪れましょう現在は村田町城山公園として整備されている村田所(村田城)公園への入口はいくつもありますが、今回は《村田町歴史みらい館》の脇、城跡の北西部分から散策して行きます整備された遊歩道を歩いて行きます✨公園の内部を進んで行くと、切通しのような地形が見えて来ましたこの場所は【堀切】との事で、近くに案内板が設置されていました◆陸奥国・村田所(村田城)竪堀跡/村田町指定史跡◆に続く
※2021年4月6日訪問※宮城県柴田郡村田町の【村田所跡(村田城跡)】を訪れました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼村田城跡は標高54mの丘陵上に築かれた平山城で、川崎方面への街道に近い交通の要所に立地しています。全体の大きさは東西300m、南北210mあります。本丸は丘陵頂部の平坦地にあり、東西130m南北80mの大きさがあります。中央にはかつて掘立柱建物があり、また、展望台の下には古い空堀があったことが発掘調査で確認されました。本丸の東南には二ノ丸があり、北西にあ
みなさん、お伺いしなくてごめんなさい<(__)>以前、雨と靄に苛まれて断念した後の再チャレンジの旅の巻今年はもうどうにもこうにもコロナ感染帰省自粛しろとかしないでいいとかよく分からん今日此の頃、遠方に行きにくいので、ちょっとした仙台在住していた時の思い出を・・・東北自動車道「村田」インターチェンジを下りて直走り蔵王エコーラインを登って目的地へと辿り着いたのであります。上は雲はあれど爽快な青空が垣間見れました。視界良好!さぁ、山頂レストハウス内を抜
緑のおばさんと話したことある?遥か昔、小学生の頃に、緑のおばさんが朝の交通量が多い小学校の前の角に立って、キビキビと交通整理していたことを思い出します。話したことは、、覚えていませんが挨拶しましたし、かっこいいなと思った。緑のおばさん、今も、ご活躍されているのでしょうか?、、全くお見かけしないです。地域のボランティアの方々がお揃いの蛍光色ベストを着てほぼ一年中交差点で旗を持って、小学生をはじめ地域の皆さんの交通安全に気を配っておられます。そんな優しいボランティア
宮城県蔵の町村田町かつて伊達政宗七男宗高候が治められた町しかし宗高候は二十歳の若さで早世それから村田町は伊達家の直轄領となりましたその宗高候のために政宗が作ったのがこの龍島院庭が大変美しい寺院です庭園のほかにも、大仏や菩薩様そして庭園にも庭園の外にも龍が・・・門にはあうん足元には十二支さらに宗高候の乳母が殉死をされたという悲しいお話しお腹を痛めた子供ではなくても自分の乳をあげて我が子のように育てた宗高候を
早いもので…もう9月です(* ̄∇ ̄)ノいつもコメント下さる方…いいねを押して下さる方…ありがとうございますm(__)m相変わらずのマイペース旅日記ですがお付き合いいただけたら幸いです山形県は県内全ての市町村で温泉が湧いている温泉天国♨です山と海に囲まれている場所柄多種多様な温泉♨が沸いています中でも全国的な知名度を誇るのが蔵王ですね蔵王は山形県と宮城県に股がっていてそれぞれ山形蔵王と宮城蔵王と区別して呼んでいます(他にも西蔵王・北蔵王……とか東西南北で区別する呼