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==========================何日か前までは、窓から黄砂がはっきりと見えていました。今はきれいな空で、遠くまで見通せます。政治の世界でも、こうして彼方まで見通せたら、どれほど良いでしょう。政治の世界だけではなく、法曹界でも、きれいに遠くまで見通せることは出来るのでしょうか。政界でも、法曹界でも、いつでも黄砂は、空間を流れ続けているのでしょうか。そしてその二つの世界が手を取り合えば、いかなる理不尽な行為もなすことが可能であることを、「伊達判決」を無力化
===================以前はよく、立川市を車で抜けて行っていました。そしてある地点で、わたしは「あゝ、ここなのだ」と、どうしようもない思いを抱いてしまいます。機動隊が、農民、学生と対峙し、しっかりと武装した警察側が、暴力により排除しようとしている幻影です。そしてその時、運転しながら、ある歌を頭の中で歌っています。声を出すことなく、頭の中だけで。「ワルシャワ労働歌」。ナチス、ヒットラーがポーランドを占領し、独ソ不可侵条約を破り捨て、ポーランドからソ連へと侵
今回は矢部宏冶著「知ってはいけない隠された日本支配の構造」講談社現代新書の第6章についてです。第6章のタイトル…「政府は憲法に縛られない」・米軍機は米軍住宅地での低空飛行はしないが日本の住宅地では低空飛行をする…アメリカ国内法は住宅地での低空飛行を禁止している…日本国内法も住宅地での低空飛行を禁止しているが米軍機は適用除外…米軍機はアメリカ国内法を遵守し、日本国内法も遵守している!→憲法が機能していない・砂川裁判最高裁判決①伊達判決…東京立川の砂川地区にあった米軍基地
今年は、1959年3月30日に「伊達判決」が出されてから65年目にあたります。このブログでも何度かふれたとおり、砂川の米軍基地拡張のための測量に反対する運動は、1956年10月14日の「測量中止」という成果を勝ち取りましたが、基地内に土地を所有する農民たちの土地返還要求の闘いは、その後も続きました。そして、そのデモ隊の一部が基地内に立ち入ったことで検挙され、うち7人が、日米安保条約に基づく行政協定の刑事特別法違反で起訴されました。この「砂川事件」の第一審で、東京地裁の伊達秋雄裁判長は
2024年1月15日に「砂川事件」国家賠償請求訴訟の判決が下されると本ブログではただちにその日のレポートを投稿しました。砂川事件国賠訴訟「不当判決」のなかみ(2024年1月15日レポート)|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)この記事で予告したとおりその判決文は今、「伊達判決を生かす会」のfacebookからpdf版で読むことができます。https://www.facebook.com/groups/6742766775453
前回の記事で予告したとおりリンク集2023年12月(「砂川闘争」の過去形と現在進行形)|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)「砂川事件」原告弁護団団長である武内更一弁護士が2023年11月に講演した際の概要文書を、ご本人了解のもとに全文掲載します。砂川事件裁判国家賠償訴訟の概要(2023.11.09)原告代理人弁護士武内更一、同細川潔、同吉永満夫1砂川闘争及び砂川事件(米軍基地立入刑特法2条違反事件)19
る先月のブログでお伝えしたとおり伊達判決を生かす会7.1「伊達判決64周年記念集会」|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)「伊達判決を生かす会」による「伊達判決64周年記念集会」が、2023年7月1日㈯に、東京都北区の「北とぴあ」ドームホールで開催されました。施設案内|北とぴあ(hokutopia.jp)ドームホール|北とぴあ(hokutopia.jp)集会は午後1時30分から、開会の
このブログ内の既出関連記事砂川事件国賠訴訟第12回口頭弁論(2023.5.22)傍聴レポート|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)「砂川事件」米軍基地違憲判決はなぜくつがえされたか?!坂田和子さん講演|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)土屋源太郎「戦争の時代」を語る|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)
本ブログでも再三お伝えしたとおり、今日(2023年5月22日)砂川事件国賠訴訟の第12回口頭弁論が、東京地裁第103号法廷で開かれました。証人・孫崎享さんと、原告・土屋源太郎さん、坂田和子さんの尋問が行われる予定で、これまで以上に多くの傍聴希望者が予想され、傍聴券交付手続が行われる見込みでした。開廷時間の午後1時30分の1時間以上前から、整理券を求める人の姿が地裁前に現れ始めました。いつもの第103号法廷はまだ閉じられていましたが、その扉には「砂川事件裁判国家賠償等請求事件」の傍聴整
「砂川事件」と「伊達判決」、それを覆した政治的介入の疑惑については、このブログでもくり返し伝えてきました。司法の独立や公正が損なわれたおそれのある裁判によって、公正な裁判を受ける権利を侵害されたとして、「砂川事件」元被告らが起こした国家賠償請求訴訟が、5月22日に第12回口頭弁論を迎えます。証人として孫崎享さん(元外務省国際情報局長)と、原告の土屋源太郎さん・坂田和子さんの尋問が、実現します。今月のリンク集は、この裁判に関する情報サイトを、あらためてまとめてみました。「砂
これまでの記事でも何回かふれたように、1957年の「砂川(刑事特別法)事件」について、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、1959年3月、駐留米軍の存在を「違憲」として、被告全員を無罪としました(「伊達判決」)。それが跳躍上告され、最高裁大法廷(田中耕太郎裁判長)による「伊達判決」破棄、地裁差戻しの末、有罪が確定したのでした。その後、最高裁大法廷の公平性が疑われる事態となり、元被告らは2019年3月、国家賠償を求める訴訟を起こしました。4年後の今、東京地裁での口頭弁論は、いよいよ山場を迎えようとし
既報のとおり、2023年初の砂川国賠訴訟口頭弁論が、1月23日㈪午後3時から開かれました。「10年に一度の寒波到来」が近いという寒々とした日でしたが、東京地方裁判所第103号法廷には、開廷前から大勢の人々がかけつけ、傍聴席を埋めました。2008年以来、日本のジャーナリストや研究者が、アメリカ国立公文書館で発見した解禁文書にもとづいて、「伊達判決」が日米間の政治的圧力によって覆された可能性を指摘してきました。「60年安保」を翌年に控えた1959年の3月に出された「伊達判決」は
2022年12月31日の本ブログ記事でもお伝えしたとおり「砂川事件」の国家賠償請求訴訟の今年初の口頭弁論が来週に迫りました。「砂川事件」から65年――国賠訴訟の現状|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)「伊達判決を生かす会」から口頭弁論と報告会のお知らせが届いています。
「砂川闘争」60周年記念集会を機に集まった人々が、「砂川平和ひろば」のボランティアスタッフとして定期的に会合をもつようになり、内輪の読書会や外部に向けての情報発信など、少しずつ活動を広げていきました。やがて、賛助会員を募集し、「砂川平和ひろば通信」を発行して、会員向けに郵送するようになりました。集会やフィールドワークの報告記事などを、カラー写真付きの会報で読めるのは、会員特典です。2022年3月にこのブログを開設したのも情報の発信・共有のためですが、さらに、過去の記録を含めて電子デー
沖縄返還・日中国交正常化50周年を迎え、戦後史の節目にあたる今年(2022年)は、「砂川事件」から65年目の年でもありました。「砂川闘争」は、米軍立川基地の滑走路延長に反対する砂川の住民たちが、基地拡張反対同盟を結成して1955年5月に始まった闘いでした。そして労組や社会党や全学連などの支援を受けて続けられた測量阻止の実力行使は、激突の続いていた1956年10月13日に、政府側が拡張予定地の測量中止を決定したことで、勝利をおさめました。他方、米軍基地内に土地を持つ農民たちが所有地
8月15日にこのブログで土屋源太郎さんが砂川平和しみんゼミでお話したレポートの一部「戦争の時代」についての語りを採録しました。それに続く学生運動や砂川闘争についてのお話も含めいずれ総体的に記録に残す予定です。ただし土屋さんはいろんな方々の求めに応じて運動経験を語っておりその内容は既にネットでも公開されています。以下にその一部を紹介します。DEMO-RESERadio#28「在日米軍基地は違憲!砂川闘争とは一体」Part1-YouTubeDEMO-R
一人ひとりが声をあげて平和を創るメールマガジン「オルタ」と「オルタ広場」について「オルタ」は、加藤宣幸さんとその仲間たちが2004年に、前年急逝した友人の死を悼み、彼がめざした同人誌発行の遺志を受け継いで、創刊した月刊ウェブマガジンです。当初は、仕事や運動の第一線を退いた高齢者が中心メンバーでしたが、紙媒体ではなくインターネットという新しい媒体に挑戦して、元日本社会党中央本部機関紙局長だった加藤さんの、党派を超えた幅広い人的ネットワークを活用して配信されました。「オルタ」創
裁判闘争としての「砂川闘争」最後まで残った弁護士の一人、新井章は1931年生まれ。弁護士資格を得て法律事務所に就職したばかりの1956年に、砂川に入った。仲井富の仲介により2020年10月に、九十歳を目前にして現役の新井弁護士を訪ねることができた。そして、当初の事情から砂川裁判闘争の経緯や意味について、まずは記憶の赴くまま自由に語ってもらった。そこで話された中心部分を、以下、テーマごとに小見出しをつけて再構成する。個人記憶の語りの生き生きとした口調や話の流れを忠実
「砂川闘争」が日本中の米軍基地反対運動に火をつけたJapanTimes2015年5月3日ダスティン・ライトDustinWright'SunagawaStruggle'ignitedanti-U.S.baseresistanceacrossJapan|TheJapanTimesこの記事を書いた2015年当時、ダスティン・ライトはカリフォルニア大学サンタクルーズ校で博士論文を仕上げ中で、翌年には同校で日本史を教えることになっていた。同年6月には砂
集会&フィールドワークの記録+ポスター展<2024年11月更新>2015年・砂川闘争60周年集会「砂川の大地から、とどけ平和の声」(映画『流血の記録砂川』上映会と野外集会と被爆アオギリ植樹)2016年・第2回集会(映画『アオギリにたくして』上映会と中村里美さんトーク)2017年・フィールドワーク企画「砂川闘争の現地を歩く」・16ミリフィルム映画「武蔵野の大地を、今に思う」上映会・第3回集会(「米軍基地の『返還』を問う」上映会と座談会)2
砂川年表2022年3月12日にブログを開設して以来、今月は(1)砂川について(2)砂川闘争について(3)法廷闘争と「伊達判決」についてそれぞれ日本語・英語の記事を投稿してきました。最後に、簡単な年表にまとめてみます。砂川闘争20周年を記念して築かれた平和の礎砂川闘争前史1609村山郷岸村の村野家により幕府に砂川村の開発願が出される1629砂川新田の本格的な開発が始まる1654玉川上水が開通する1736砂川新田(
(3)法廷闘争と「伊達判決」農地を奪われると感じた時から、宮岡政雄はもう国のために土地を手放すことはすまいと決意していました。砂川の人々は、戦争のためにおとなしく農地を提供してきましたが、戦後わかったのは、その戦争が、欧米列強への無謀な挑戦であり、アジア諸国への不当な侵略だった、ということでした。宮岡は、新憲法が保証する個人の基本的人権に対する意識を高め、砂川の基地拡張反対同盟・副行動隊長を務めながら、六法全書を買って法律の勉強を始めました。そして、米軍基地の
松山はおろか、四国について何も知らない。「これではならじ」と出発前にガイドブックを手に入れた。「JTBパブリッシングmanimani松山今治道後温泉」旅行社による松山市内観光ガイドである。本の末尾に「小さく街を持ち歩こうCompactMap」が付録としてついている。これだけでもありがたい。出かけるときは忘れずに持参したい。松山の前に愛媛県のおおまかな地域の位置関係を頭に入れる。東の方から順番に、今治・松山・内子・宇和島の4地域。それから石
今日は憲法研究会のフィールドワークで立川へ。まず、キィニョンでお茶。高菜のおやきとナッツキャラメリゼのスコーン。キィニョンのスコーンは安定の美味しさ帰りにお土産のスコーンを買わないとね。砂川闘争って、憲法の重要判例だけど、合わせて伊達判決も確認しておきたいね。砂川平和ひろばは副行動隊長の宮岡政雄さんが第4ゲート前にあった農地を宅地転用して建てた家屋をお嬢さんの福島京子さんが写真展示や語り合う場所として開設したもの。8ミリの映画を観てから現地を視察。福島さんの説明に当時の立川の方々に
富田英司Facebook東京の「伊達判決記念58周年集会」に参加しました。伊達判決とは「砂川事件裁判」の事、砂川事件と言えば静岡の土屋源太郎さん!1955年、米軍立川基地の拡張計画に反対する地元農民や支援する労働組合員・学生などが座り込んだ。1956年10月13日・14日には、警官隊の暴力により千人以上が負傷する事態になる。1957年7月8日、支援する労働組合員・学生が、柵を乗り越えて基地内に入り、刑特法違反容疑で23...名が逮捕され、うち7名が起訴され裁判となる。これが砂川
■9月27日付けのLiteraの記事は内閣法制局の不作為を批判しているが内閣法制局の認識が根本的に間違っている!私は9月29日の放送の中で、9月27日付けのLiteraの記事で言われている内閣法制局の二つの認識は根本的に間違っていると批判した。Literaは安倍自公政権や大手マスコミや電通などの他のメディアがタブーにする権力を一番鋭く批判をする日本で稀有なメディアとなっているが、このメディアでさえも政府や御用学者や大手マスコミが垂れ流す嘘に騙され、『憲法第41条と