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長浜城レポ第3弾です。その2はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------第一曲輪、この城の主郭です。この曲輪には南西面から北西面にかけて土塁が配置されていました。恐らくは復元でしょうが。こちらは
長浜城レポ第2弾です。その1はからリンクしています。縄張図現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。----------------------------------------第三曲輪の切岸の横を通り抜けて歩いていきます。ここが大手道なのでしょう。第三曲輪の横矢を受けまくります。第二曲輪と第三曲輪
伊豆の内陸部から、今度は駿河湾岸に向かいます。峠を越えて見えてきた駿河湾は非常に穏やかな状態でした。ただ、流石は伊豆半島。人気スポットらしき場所にはそこそこ人がいてましたね。そんな場所を横目に我々は駿河湾岸に位置する長浜城に到着しました。----------------------------------------現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記し
@韮山城を堪能した我々。ここでsyunpatsuが次の目的地の前に行きたい場所をリクエスト。その場所に遺構はないのですが、全員(と言っても僕含めて3人ですが)の了承を得て向かったのは堀越御所です。正確に言うと「伝」堀越御所ですが----------------------------------------現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記します。
韮山城の周辺には天ヶ岳などに砦群があります。しかし、一番魅力的(一番シンドイ山道が待ってそう)な天ヶ岳砦などは郷土資料館の方によると足を踏み入れるのは不可能の模様。しかたないので、一番楽そうな韮山城の南にある土手和田砦に向かう事としました。----------------------------------------現存物(移築含む)はブルー、再現物(模擬含む)はパープル、跡地(櫓跡など)はグリーンそして見所となる遺構(土塁や曲輪など)はピンクで表記し
韮山城レポ第3弾です。その2はからリンクしています。----------------------------------------その2の続きで、北条早雲の実像を書いていきます。享徳4年(1455)五代鎌倉公方の足利成氏は、室町幕府に叛きます。駿河守護今川範忠は8代将軍足利義政の命を受け、鎌倉を占拠。成氏は古河に逃れ、古河公方と称して、幕府方の関東管領、上杉氏と戦います。この一連の騒動を享徳の乱と言います。将軍義政は、成氏に代わる鎌倉公方として、異母兄の足利政知を関東
韮山城レポ第2弾です。その1はからリンクしています。----------------------------------------その1では、僕が北条早雲の憧れを熱く語らせて頂きましたが…そのコミックで読んだ北条早雲の姿は最近の研究で、かなり覆されているようです。Wikipediaを参考にその北条早雲の実像を書いてみたいと思います。一寸の素浪人から這い上がったとされている伊勢盛時なのですが、室町幕府の政所執事の伊勢氏の出自で、備中荏原荘で生まれたと判って
翌朝は焼津駅に5時半集合。そして、伊豆半島の付け根に向けて、移動します。----------------------------------------いきなりではありますが、ここで少しばかり熱い話しを。実はこの日の城巡りは僕の中では、思入れがある2つの城を訪れます。城の遺構云々ではなく、そこに行く事にというのは意味があるという城巡りは僕自身ぞうないのですがこの日はガキの頃からの夢が叶うという一日だったのです。その理由…長くなりそうですが。ガキの頃、僕は歴
初めてリブログ機能なるものを使ってブログを書いてみます。先々月に、今年の年末の予定を書いたんですが…。その行動予定を、ほぼほぼ決定させましたまずは、初日、城巡りの遠征では必ずと言っていいほど使用している、始発の特急しおかぜに乗り、岡山から新幹線に乗り静岡へ。その日に向かうのは静岡市街に残る丸子城です。この城は丸馬出や技巧的な虎口、さらに横堀や竪堀が残る城のようです。山城なので午後の時間を丸々使うと思いますがもし時間が余っていたら、徳川家康の隠居城であった駿府城、もしくは、