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NHKテレビ番組で「竹久夢二」を特集していた。大正ロマンと言われた時代に、岡山から東京へ出て来た。独学で習得した技法による数少ない油絵は、彼の心の揺れ動く様を写しており人気を得た。「初恋」は妻を、「アマリリス」はモデルを務めた女性(お葉)を描いたもの。モデルはSM画家の「伊藤晴雨」のモデルにもなり、「七ツ寺共同スタジオ」で実録版が上演され、後には映画化もされている。私の作品「心の十字架」は、この事をテーマにしたもので「菅原洋一」が歌唱。私の作詞・作曲・
2021年のブログを再掲載します佐々木カネヨ(お葉)をめぐる三人の画家、藤島武二、伊藤晴雨、竹久夢二…ランキングに挑戦中下のボタンを2つ、ポチッ、ポチッと押して頂けると嬉しいです!
刺激的な官能小説を数々書いて居る、団鬼六氏。こちらは、実在の天才的責め絵画家の数奇な生涯を書いた小説です。明治に産まれ、大正昭和と芝居美術に、評論等をしつつ、なかなか表舞台で脚光を浴び無いジャンルの作品を、嗜好者向けに描き続けた主人公。創作の為とは言え、かなり破天荒な私生活をお過ごしまさに波乱万丈。そんなある意味、羨ましいってかなんだかなぁ~な彼の生涯、団鬼六氏のスラスラ読み易い文章が心地よく読めました。そんな主人公伊藤晴雨の官能的な絵画が、巻末に載って居ますがこれがピント
ほつれ髪ほつれ毛…と言えば……伊藤晴雨大師匠だが『耐える表情』には、ほつれ毛を噛む姿が一番似合う。裏切って行く身体の感覚溺れてしまうのを………耐える溺れてしまえば…楽に成れる……ことなんて毎回判っている……のに必死に堪え忍ぶそれが美を生み…その風情が粋に見えて来る。女性の快感に耐える姿を『美』として昇華表現する伊藤晴雨大師匠の筆先は………侘び寂びを超え…遂には『粋』にまで行き着く。緊縛は……まだ『侘び寂し』の領域に在る。単なる『風情』………状況の懐の内だ。其処に『粋
東京近代美術館でのTORIO展も8/25までになりました大阪中之島美術館に9/14〜12/8で巡回しますTORIO展で衝撃を受けた作品がある藤島武二の「匂い」だ藤島武二について書いてみます藤島武二「匂い」大正4年(1915)中国服の謎の女。テーブルの小瓶は嗅ぎタバコらしい。テーブルの花、テーブルのクロス、中国服の柄、背景、女の眼差し、不自然な左肩から腕、薬指の指輪…マティスより濃密なエロティシズムを感じます藤島武二は慶應3年(1867)に生まれ昭和18年(1943)に没した、
アクセス数の多い“「女の横顔」画家とモデル”をリブログしましたよろしかったらお読みください🙂ランキングに挑戦中下のボタンを2つ、ポチッ、ポチッと押して頂けると嬉しいです!
やべぇ、「まだまだ暑いですね」とか言ってたら急激に涼しくなった!風が爽やかなのはいいんだけど最前まで残暑乗り切りモードだったから、朝昼晩の気温の乱高下に体がついていきまへん。よもやの肌寒さに衣替えしなきゃと思いつつ、頭にまだ真夏のイメージがあるんで気持ちが追っつかない。そうこう言ってる内にいつの間にやら季節は秋、虫はリーリーリンリン鳴いてるわ日没時刻は驚くほど早くなってるわ、ぼんやりしてたら時候の滋味に気づかないまま時が過ぎてしまいそう。今こそ気分を切り替え節制に努めようと決意した
前作『風はいずこへ』(上毛新聞社)の発売から間もなく二年になろうとしています。『風はいずこへ』は禁教下の江戸時代を舞台に、実在した「おま」「満里」という二人のキリシタン姉妹の物語でした。『風はいずこへ/谷しせい』二十歳の頃、私はこんな夢を抱いていました...。「自分の書いた小説を映画化すること」(大学を)「卒業するまでには...」「三十歳になるまでには…ameblo.jpそしてこの度、二作目となる『夢うつつ』(上毛新聞社)を世に送り出すことができました。
昭和初期の責め絵の大家『伊藤晴雨』とその三番目の妻タキの壮絶な物語。これは愛と呼べるのか。凄絶な責めが続く。あらすじ責め絵の大家伊藤晴雨(山谷初男)は2番目の妻に逃げられて女房運のない男であった。伊藤はカフェの女給タキ(宮下順子)と知り合うがタキは逆に亭主運のない女であった。そんな二人が惹かれ合いやがて3番目の妻となったタキだったが精神に異常をきたしていく。発禁本「美人乱舞」より責める!Amazon(アマゾン)330円発禁本「美人乱舞」より
今日は朝から晴れ🌞暑くもなく寒くもなく湿気もない気持ちの良い一日でした。お洗濯もよく乾いて嬉しい〜😆お昼ごはんの後、夫とお散歩がてらすみだ北斎美術館に行ってきました。今日は常設展だけ〜入り口の壁にはおなじみの富嶽三十六景の神奈川沖浪裏🌊展示室の写真はほとんど撮っていませんが(一部撮影不可)錦絵の刷り方に感動(左に映像が流れていました)。いくつもの版木があって何度も色を重ねて一つの作品ができあがります。全部、人の手の仕事‼️北斎の絵も素晴らし
梅雨が明けた関東地方真っ青な空が悠々と広がりソヨとも吹かぬ強情っぱりの風(私みたい)カンカンと照り付ける太陽🌅だから行きたくなる秘密?の場所がある。『お化け屋敷』は絶対!ダメ👐😱👐だって出てくるもん‼️デモみたい···絶対!出て来ないバージョン「幽霊画」8月からなんだけどね東京はお盆過ぎたけど上野谷中の「全生庵」咄家(怪談噺の名人)三遊亭圓朝が眠り幕末の三舟·山岡鉄舟ゆかりのお寺絵画の中で最も難しい技法と云われる「幽霊画展」が開かれます(例年は8/1~31
藤島武二「女の肖像」1926~1927年藤島武二「芳惠(ほうけい)」1926年(昭和元年)中国服を着た女性の横顔。モデルは同一人物で、佐々木カネヨまたの名を「お葉」と呼ばれていた女性です。佐々木カネヨは、1904年(明治37年)に秋田県に生まれ、12歳で母親とともに上京し、東京美術学校(現東京芸術大学)で絵画モデルの職に就きました。西洋画科の教授であった藤島武二の知己を得ました。二枚の絵は、それから10年後、カネヨが22歳の時の作品です。絵はイタリア初期ルネサンスのフレスコ
©️Marcuslikesit伊藤晴雨さんという明治から昭和にかけていらっしゃった責め絵や幽霊画で有名な画家さん。奥さんをモデルに写真を撮ってから絵を描いていたそうです。晴雨さんにインスパイアされてこのような作品たちが出来上がりました。縛りと写真を担当してくれたマーカス、天才で奇才です✨最近気付いたのですが彼の手が美しい!指が長くて綺麗なのでそこにも注目!✨手先が器用な人の手をしています。
先日読んだグレゴリ青山の「マダムGの館」からの孫引きで。これが面白かった!と言うのは、か弱く、夢二と言う男に翻弄される女としてばかり描かれるモデル、お葉さんの、柳のような強さを描いているから。元々竹久夢二の絵にはあまり共感せず、彼の女性遍歴などどうだって良いのですが、「お葉さん」はちょっと異色。もともと秋田のいわくある生まれで、ほとんど教育を受ける機会もなく、母親と共に上京後、生活のために12才(!)で東京美術学校の裸婦モデルとして働き始めます。そこでは彼女のたぐいまれな美貌と均整
昨日の「『一夫一婦制』を考える(3)」の続きです。そもそもの「婚姻制度」の目的は、第一に母子の生活の確保がありますが、それと同時に、「夫婦関係」が第三者に侵害されるのを防ぐこと。つまりは、女性にまつわるトラブルの防止でした。社会が機能していなければ、暴力的な手段による強奪が蔓延ります。これを防ぐためには暴力で対抗する以外にありませんが、それでは力の弱い者は太刀打ち出来ません。「婚姻」というものは、あくまでもその集団における「制度」であり、集団として大義を与えると同時に
欧米人が志向する「SM」と、少なくとも日本人が志向する「SM」。特に「緊縛」においては、佇まいも趣向も全く異なるように思います。行為自体は、大きくは変わりませんし、ルールも大きくは変わりません。「BDSM」自体は、拷問でもなければ、虐待でもありません。それは共通です。しかし、その国の文化、あるいは、その文化圏の言葉や歴史が大きく影響を及ぼしているのかも知れません。もとにあるのは、文化的背景やイメージ?欧米では、やはり捕らえられるということは、マリーアントワネット
昨日は黄泉の帝王にすっかりやられてしまい、「死」つながりで、谷中の全生庵に三遊亭圓朝の幽霊コレクションを観に。もともと怪談好きなので、当然、怪談落語も聴くし、幽霊画も大好き。そのふたつがあわさったのが、毎年8月に開催される「幽霊画展」。これで全生庵にくるのは2回目。2015年に東京藝大で開催された「うらめしや~、冥土のみやげ展」にも行った。全生庵には、三遊亭圓朝がコレクションした幽霊画が多く寄贈されている。圓朝は夏になると御座敷に幽霊画を多く飾り、客人を招いて
昨日の「体位の話(12)」の続きです。前回で、【乱れ牡丹】と【絞り芙蓉】の違いがスッキリしたので、今回は「座位」の中でも、異色の体位を紹介したいと思います。この体位は、自分が昔から、「してみたい」のにもかかわらず、未だにしたことがない体位。それは、【坐禅転がし(ざぜんころがし)】です。一言「座る」と言っても、日本人の場合は、凄くバリエーションがあります。「正座(せいざ)」も「胡坐(あくら)」もそうですが、小/学校のときの「体育座り」もあれば
前記事「『都市伝説』という言葉で片づけない(2)」の続きです。今回は、SMに絡めた話です。SMなんて代物も、理解出来ない人には、さっぱり理解出来ない世界でしょう。イメージとしては、おどろおどろしく、縛られたり拘束されたりすることで自由を奪われた上、命令に従わさせられたり、「辱(はずかし)め」を受けたり、あるいは、痛みとか苦しみを与えられたり、性の道具として扱われたり。残酷や残忍なイメージしか残らないものも、あったりします。代表的なものとしては、自分の経験では、伊
邦画のご紹介です。映画夢二ネタバレ・あらすじ・感想映画夢二概要1991年制作の日本映画。監督:鈴木清順脚本:田中陽造ジャンル:歴史上の人物映画映画夢二ネタバレ・あらすじ大勢の紳士淑女が集まり、空に向けて、沢山の紙風船を打ち上げている。あるいは落ちて来る紙風船に手を伸ばしている。この頃、夢の中で正体不明の男と決闘をして、額を撃ち抜かれるという悪夢にうなされる事の多い夢二は、いささか精神が錯乱ぎみであった。それでも色恋は忘れない夢二は、病身の恋人、彦乃との駆け落
○鋭い眼光、剥き出した歯夏の浅い眠りに入ろうとしていたら、なにやら背中に視線を感じて目が覚めてしまった。感触を頼りに視線の主を見つけたところ・・・。ひっ、ひぃぃ・・・。こ、これは、なんて・・・。なんて・・・。幽霊画と冥界(別冊太陽日本のこころ)2,592円Amazon↑「怪談乳房榎図」の一部なんて綺麗なんだ・・・。(アレ?こんなネタのお笑い芸人がいたような。)とにかくキレイだ・・・。ちょっとこの画像では判りづらいかもしれないが、『別冊太陽』最新号の表紙とその
「美人画」といえば竹久夢二だ。愁いを帯びた表情、細身で優美な曲線。待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ切ない。もう本名が「茂次郎」だとかは忘れてあげたいほどに切ない。ところで、ここに2枚の絵がある。左は夢二、右は伊藤晴雨による。モデルは同一人物だそうだ。同じ女性を見て、どうやったらここまでとんでもない差異が出るんだろう。ゲージツってのは難しい。
お盆過ぎの週末、19日の土曜日【谷中・全生庵~幽霊画展】を観るアートギャザリングを開催しました。本当は夕方からそのまま”現代版・百物語”の開催予定だったのですが会場となる方のご自宅でやんごとなき事情がありこちらは急遽4日前に中止を決め、アートギャザリングのみとしました。谷中にある全生庵は山岡鉄舟によって明治時代に建てられた寺。ここには明治の落語家で、今も落語界に多大な影響を及ぼしている名人「三遊亭圓朝」の墓もあるのです。その由縁から、圓朝遺愛の幽霊画コレクションが50幅ほど存在し
おはようございます。朝から、というよりきのうからずっと雨で、涼しいくらい。夏の暑さというのは思っているより体力を奪うもので、おかしいなあ、なんでこんなに眠いんだろう、と思いながら2、3回寝なおして、9時近くに起きた私です。晴耕雨読という言葉からなぜか、伊藤晴雨を連想し、伊藤晴雨を検索してみる。晴耕雨読からつけた名前なんじゃないかと思う。少年時代から相当な読書家だったそうです。去年の夏にみた「伊藤晴雨幽霊画展」。ジブリの鈴木敏夫さんプロデュースの展覧会だったなー。会場は江戸東京
8月中旬とやや古い話になりますが、今回は江戸東京博物館(常設展)で鑑賞した『伊藤晴雨幽霊画展』について書こうと思います。伊藤晴雨といえば“責め絵”や“縛り絵”で知られる画家ですが、その画業を追うことのできる展示とのことで滅多にない機会だと感じ、暑さきびしいなか江戸博に向かいました。今回の目玉は、幕末の志士・山岡鉄舟ゆかりの禅寺である谷中・全生庵(ぜんしょうあん)に名人・三遊亭圓朝から寄贈されたという幽霊画のコレクション。おどろおどろしいというよりは、非常に上品な感じがしました。
滑り込みで行ってきました!大妖怪展!妖怪だいすきなんです。妖怪。実在してて欲しいNo.1。そして私の好きな歌川国芳が見れるなんて行くしかないでしょうということで!やっと行ってこれました。いやー人たくさん!笑夏休みだからか、お子様も大変多く。六道の絵で泣き出すお子様とかもいらっしゃり。(感受性豊かだな〜と感心)一緒に行った甥っ子は、ワリと平常。なんやかんや私の側で大人しく見てました江戸東京博物館も好きな場所の一つなんですが(なんたってスバル360に会える)、常設展示がリニュ
安定しない空模様の中、仕事明けの水曜午後に『大妖怪展土偶から妖怪ウォッチまで』を両国の江戸東京博物館に観に行ってきました。この夏の涼しい展覧会の総決算でしたが、会期も終了間近とあって、平日にもかかわらず大混雑でした。チケット売り場が空いていたのが救いでした。今回の展覧会は、江戸時代の作品を中心に、重要文化財を含む中世の作品からさらに遡って土偶まで、はたまた子どもたちに人気の妖怪ウォッチにいたる、幅広い時代の作品が展示されていました。明治から昭和の作品は敢えて取り上げなかったとのことで、
あと3日で終わってしまうので、午後休にして急いで行って来た。混雑する土日を避けたのに、それでも混んでた。後期の目玉、伝光信「百鬼夜行絵巻」は丁寧に愛情もって描かれてた。石燕の緻密な線には、確かにあった存在を紙に写し取ろうという執着があったし、北斎と国芳には描くこと自体が楽しくて仕方ないような筆の走りが感じられた。絵解きに使われた地獄絵図には、それを見たであろう数多の人びとの恐れと好奇心が染みついて元の色を滲ませてた。どれも興味深かったのだが、展示内容に統一感がな