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さて、新巻の紙本を地元TSUTAYAでとんと見かけないのでアマゾンKindleで密かに読み進めてた『新九郎、奔る!』先日最新巻が発売されたので読んでみました前巻までは、茶々丸の伊豆御所討ち入りに向けた前段階が描かれていましたが、今巻ではついに実行の時が長享の戦乱が始まり、関東管領・上杉顕定配下の伊豆国上杉被官達がこぞって関東に赴き、また茶々丸が田中氏討伐に堀越公方の兵力を割いて伊豆御所の警備が手薄な間隙を突き、いよいよ伊勢新九郎盛時は茶々丸の討伐に乗り出しますてか
後に北条早雲と呼ばれる伊勢新九郎が、躍り出た日が明応2年8月30日という事になる。堀越公方の足利茶々丸へ討ち入りを試みるのだが…。戦さだけでは、物事決着がつかない様相を表してくれて、それを面白く描いてくれているのがなんともありがたい。ただ、周辺の関東公方などの関連は複雑で理解するのに骨折りなのだが、それに文句をいうのは筋違いだろうけれどもー
「北条早雲」が関東への足掛かりにかかる直前。前将軍の足利義材が幽閉先から脱走したとのニュースが新九郎の耳に入る。この動きが自身の周辺にかき回されるのを警戒した新九郎は、領地奪回すべく伊豆への討ち入りの準備に掛かるが、味方になりそうな連中の腰が据わらない。また、部下の士気も揚がらず、行き詰まる。そんな最中、甥からの助勢という願ってもない天祐が。しかし、新たに別の問題が起こり、新九郎夫婦に暗雲が。いよいよ、戦国時代の始まりとなる早雲のデビューに入る。それにしても、北条早雲と今川氏親
伊勢宗瑞(北条早雲)の居城で、終焉の地の韮山城へ小田原北条氏の祖である伊勢宗瑞(通称:北条早雲)が戦国時代に整備した城跡です。明応7年(1498年)韮山の堀越公方足利茶々丸(関東支配の足利氏)を征伐し、伊豆を平定。そして、幕府から独立し、韮山城を“生涯の居城”として戦国大名の先駆けとなりました。宗瑞の没後、戦国大名としての拠点は小田原へと移りますが、領国の西側を守る重要な城郭として、駿河今川氏や甲斐武田氏との軍事緊張があるたびに改修が行われました。発掘調査では、城郭の大規模改修を示す
2025.11.3.北条早雲こと、伊勢新九郎盛時(伊勢宗瑞)が、将軍の命により伊豆征伐に出陣し、拠点としたのが、興国寺城です早雲は、室町幕府将軍の申次集を務めたが、駿河の守護今川氏とは、姉北川殿が今川義忠の正室というつながりがあった。文明8年(1476年)義忠が急死すると、その後の家督争いで甥の今川氏親を助けた功により、長享2年(1488年)頃、富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となったとされる。明応2年(1493年)に伊豆韮山の堀越公方足利茶々丸を征伐し伊豆国を治める、そして京に
肚は決まった。関東管領は敵に回す以外ない。だが、肝心の武力がない。かくて新九郎は焦る。苦し紛れに家来を集めて、戯言(ざれごと)と言いながら、本音を漏らす。家来だけで集まって、酒を酌み交わしているうちに、主人の戯言の真意が問題となる。<三郎(いやいやいや……)(殿の戯言は笑えんぞ。いつものことだが。)権兵衛(どうかね三郎さん。)(戯言と仰っちゃいるが、半ば本気なんだと思いますぜ。堀越の御所を落とし、首尾よ
※最初にUPしたのがとびました💦秋になるとドライブを兼ねて岡山県に行き「ぶどう🍇」を買いに行くのがなんか毎年恒例に勝手にしちゃって、西側のお城を攻めに行っています今年は岡山県と広島県の境まで行ってみました。「道の駅」やJAとか野菜があれば嬉しい🥰でも、思ったように野菜やぶどうも見つからずちょっと諦めていたら👇「葡萄浪漫館」という看板に行きつき昼過ぎにやっと「葡萄浪漫館」という看板を見つけて無事ゲットしました。このあたりは「岡山県井原市」この葡萄館の看板を見つけた時に
1話冒頭で描かれた明応二年に、単行本20冊分をかけてやっと到達しました。ここまでしっかり新九郎の人生を描いてきただけに感無量としか言いようがありませんが、実はまだ「明応の政変」と後に呼ばれ、戦国時代の始まりとも呼ばれるクーデターの決行はこの先です。ただし、このクーデターはまだ準備段階です。だから細川政元が鬼瓦仏門に入っていた姉・洞松院を還俗させてまで赤松政則(肖像画に顔似すぎ)と縁組しようとしているんです!1を聞いて10を知る場面を描くことで洞松院の弟以上の聡明さを表現しているのは
トップページ都道府県別索引へ静岡県の索引へ石脇城は焼津の町から北に1kmほど、東海道が通る宇津ノ谷峠から南東に伸びて大崩海岸に至る山稜から南に伸びる支尾根の末端にあり、東名高速の日本坂PAがすぐ近く。文明八年(1476年)に今川義忠の戦死をきっかけに発生した家督争い(文明の内訌)に際して幕府の命により駿河に下向してきた北条早雲こと伊勢新九郎盛時が居城にしていたとのこと。内訌を収め今川氏親の擁立に成功した功で与えられた興国寺城に移ると廃城になったらしい。この頃は週末のたびに雨模様にな
アンソロジーしずおか戦国の新説EAmazon(アマゾン)伊勢新九郎盛時が今川を支援し、その後今川が栄華を極め、桶狭間の戦いののち武田に蹂躙され、徳川・北条にも狙われた駿河の地を舞台とした10人の作家による短編集。今までの定説を覆す新説が描かれています。今川義元の娘で武田義信の正室となった貞春尼。桶狭間以降、兄の今川氏真と苦労を重ねたが、徳川家康によって秀忠の養育に携わった。へえ~そうなんだ。家康は今川の家風を良きものと思っていたんだろうなぁ。本多忠勝が名を挙げた一言坂
ついに駿河今川家の内紛も終焉を迎え、当主として龍王丸に成長も見られるようになりました。長期間京都を不在にしている間に起こった大きな変化、それはまず蜷川新右衛門さん(『親元日記』を記したことで、当時の室町幕府の政務を知ることが出来ます)の死です。解説役がいなくなってしまいましたが、「だいたい説明した」という盛定の言葉もあり、解説が必要な場合でも今後は新九郎が盛定スクリーンをうまく使えば何とかなりそうですね。新九郎が政知の奉公衆となっていたという説も最新のもので、先の龍王丸家督相
本日第1弾は「興国寺城」です。この城は、北条早雲の旗揚げの城として知られており、早雲はここを起点に伊豆、小田原に進出したとされています。もっとも「北条」姓を名乗ったのは、2代目の綱成からであり、伊勢新九郎盛時というのが早雲の生前の名前です。伊勢氏は室町幕府の政所執事を務めた家柄であり、盛時の姉(または妹)の北川殿が今川義忠に嫁いだことで、盛時と今川家との関係は深いものとなりました。義忠の死後、盛時は今川家の家督争いの仲介を行い、北川殿の子である龍王丸(後の今川氏親)の地
13集から間が空いて(このブログで取り上げるかどうかも間が空いていたりしますが)発売ということで、何か大きな発表があると思われましたが、なんと前作『白暮のクロニクル』の実写ドラマ化が発表されました。作品の性質上流血シーンが多く、終盤の(ネタバレに付き自粛)ではあんなことまでやっているので、頂上的な描写が不老不死のオキナガの存在に集約されているため実写向きと言われていましたが、地上波のゴールデンタイムでは難しい内容だと思っていました。実際、WOWWOWで放送・配信ということで、「観
戦国大名の魁、伊勢新九郎(北條早雲)の生誕地については、従来、京都、伊勢、備中など説があったが、中世歴史家の小和田哲男氏らの研究により、備中の伊勢新九郎盛時と後年の駿河国の伊勢新九郎盛時が同一人物であることが判り、現在では備中国高越山城(現・岡山県井原市東江原町)説が定説になった。(!?)従来は、伊勢新九郎は、一介の素浪人から伊豆国と相模国を制覇した戦国大名になったと物語などに取り上げられていたがれっきとした、武家の出身でした。写真①は、小田川右岸(南)より見た高遠城址
実弟の弥次郎が親類への養子縁組をしたりとで、家中の借財返済に取り組んでいた新九郎だが、家来が負債を抱えていることがわかり分一徳政を申し込まざるを得なくなる。そんな中、享徳の乱に終止符を打とうとする動きがあり、新九郎もそれに関連するなど転機が頻発して大童の事態に陥るのだった。それにしても、金の欲しさよという言葉が末尾に付くような状況で火車に乗っている有様で別の意味で波乱含みな家中の有様だが、応仁の乱から戦国時代違うの?と思わずにいられないほど、歴史的な動きは少ないけれども。実際は将軍
2023.3.13.約10年ぶりに高越城跡へ以前も少し投稿してますが、今回は御城印が販売されたので再登城してきました「備中誌』によると、享徳2年(1453年)には室町幕府の政所執事家の庶流にあたる伊勢新左衛門が高越城を居城としていたとされ、それ以降も備中伊勢氏の居城であったと考えられています。また、戦国時代を代表する武将である北条早雲(伊勢新九郎盛時/宗瑞)は備中伊勢氏を出自とするとされ、高越城で生まれ育ったとも伝わります。周辺には「新九郎薬師」「大岩刻」など盛時ゆかり
「独身、無職、借金アリ。」帯の文句は現代でもかなり厳しい状況ですが、現代以上にいずれのコミュニティーに所属しているかが重要な室町時代において政所頭人伊勢氏の縁者であることと、現将軍足利義尚の覚えめでたいこと以外伝手のない新九郎には、この3つの条件を抱えての結婚はあまりにも縁遠いものです。細川九郎政元の誘拐、太田道灌の弟・図書助資忠の討死と、時代が動いていることを示す事件が発生しています。ついにこの時代の超有名人・一休宗純がついに登場。三冠王を返上し、新九郎が新たな一歩を踏み出す日
「祿壽應穩」その考え方が、乱世から泰平の世へと時代を向かわせた。祿:財産壽:生命應:正に穏:穩やか財産(祿)と生命(壽)がまさ(鷹)に穏やか(穩)という意味である。◆プロローグ〜戦国時代へ突入〜足利氏が室町幕府を開いて政権を担う室町時代に入ると、鉄製農具の普及、灌漑施設の整備、品種改良などによる農業技術の進歩など産業の発展に伴い、中央で政権を担う者のみならず、幕府の代わりに地方を治める武家(守護大名)など地方の武士や百姓などの民にも、着々と力を蓄えて行く者が増えてきた。
2022.7.18.久しぶりに、用事で近くまで行ったので、立ち寄りましたホントは、御朱印を頂くためでしたが、住職は留守でした北条早雲こと、伊勢新九郎盛時の故郷に在る『法泉寺』は、備中伊勢氏の菩提寺です(北条早雲は、自分では北条早雲と名乗ってはいないので、ここでは盛時とします)盛時は、この近くの高越山城で埋まれました。父は、城主をしていた伊勢新左衛門盛定子供の頃は、ここ法泉寺にて学問や武芸を習っていたそうです寺院は総門、二の門、三の門(廻
中世日本を舞台とした長編マンガもいよいよ応仁の乱が終息に向かいます。その過程で討ち死にした姉の夫・今川義忠の跡目を巡る戦いは新五郎優勢で第一幕を終えました。その一方で長尾景春が本格的に反乱を起こし、坂東情勢は複雑怪奇な時代へと突入していきます。現将軍・足利義尚とのつながりは深いものの、相変わらず無位・無官・無役の三冠王の新九郎は甥・龍王丸家督のため、雌伏の時を過ごしていますが、新九郎の姉・伊都が落飾(『白暮のクロニクル』のヒロイン?伏木あかりのようでした)し、新九郎も無役を脱
岡山県井原市東江原町に位置します。高越城址公園として整備されています。岡山で三つ鱗が見える珍しい場所です。遠景麓の小学校にミツウロコ
後の「北条早雲」デビューと言える、今川の家督争いがメインの物語。新九郎の義兄である駿河守護の今川義忠が戦死して、家督争いが勃発。嫡男だが4歳の子龍王丸と姉の立場は、義忠の暴挙で戦死するという些か自業自得で危ういものになる。義忠の従兄弟新五郎範満が反対派に拠って担がれていて、新九郎は動乱を収めるべく評定衆の命という形で駿河に入るが、扇谷上杉の家宰・太田道灌が関東公方からの仲裁役で駿河に入っており、駆け引きを展開する。戦場面が無い、交渉の丁々発止のやりとりだが、スリリングな頭脳戦で飽きがな
都道府県別索引へ静岡県の索引へ大見城は中伊豆バイパスから修善寺の方に降りたところ、伊豆市役所中伊豆支所にほど近いところにある。日蓮宗實成寺裏山に当たり、中に諏訪神社がある。城へは神社のところから入ってゆくということだったが、…なんと、鳥居の周りに「城址公園」の幟が立ち並んでいる😮→現在位置傍らには説明板が足元には、車は「季多楽」の駐車場に停めてくれとある看板があった…💦鳥居をくぐって、まずは石段の続く諏訪神社の参道を登ってゆく。それほど急ではなく歩きやすい
都道府県別索引へ静岡県の索引へ下から登ってきた虎口状からさらに階段を登ると、二の曲輪だった。削平がきちんとされた、東西に長い曲輪だった。そして、やっぱり🌿ボーボー😮ココも、南側の土塁が残っている。高さ数十センチだったけど…😊その奥、本曲輪は段で仕切られていた。真ん中にちっこい社殿が座る愛宕神社、目立ってます✨やはり南側を土塁で守られているが、ナゾの切れ目が…😮その外側を見ると、六畳一間くらいのナゾの空間が😮見張台か何かだったのかもしれないが、背景
都道府県別索引へ静岡県の索引へ柏久保城は、修善寺グラウンドの裏山に構える城。北条早雲こと伊勢新九郎盛時が伊豆に侵攻した時、この地域の領主であり頑強に抵抗した、狩野道一が持っていた城の一つという。大手道は西側らしいが、搦手と思われる東側であれば修善寺グラウンドの駐車場が利用できるとのことなので、東側から登ることにした。グラウンドの駐車場に車を停めて、奥の方にある貯水タンク横目に見ながら愛宕山目指して登ってゆく💨→現在位置タンクの横で道が二叉になっているが、素直に封鎖されて
北条早雲の名で知られる伊勢新九郎は文明年間に縁故を頼り京から下向し今川家の客将として迎えられます幕府に仕えており今川儀忠の義兄弟となる関係から石脇の地を与えられ文明5年(1473年頃)に石脇に所領を得て城を築きました高崎山から南東に延びる尾根の末端、比高20mほどの丘陵に構えられています丘陵が海岸線に迫り細長い平野部の丘上に位置します駿河への街道を抑える立地であります現在も城を近くを高速道路、新幹線、JR東海道線が通ります現状は寺院、神社、蜜柑畑となり遺構は明確ではないように思
文明5年に入り、政所執事として牽制を誇っていた伊勢貞親が没すると、山名宗全、細川勝元の巨頭が相次いでその後を追うかのように黄泉の客となる。そうした世代交代の中、新九郎は京の動静を気にして戻っていたが、金策に追われる日々。折りもおり、今川義忠に嫁していた姉が男児を産んでいて、祝意を伝えがてらの金策と、従兄弟の当主貞宗から今川の様子を探る依頼を受け、駿河へ赴くことになる。関東の人間模様は馴染み深い名前がチラホラするも、同じような名前が出てわけわからず、混迷の象徴のようだが、ここから足利
2018年から連載が始まったゆうきまさみの本格室町大河もはや第8集。第7集まで主人公・伊勢新九郎盛時を表紙に据えていましたが、遂に新九郎の人生に大きな影響を与えた一人、今川上総介義忠が表紙を飾りました。表紙に違わず義忠が遠江へ出陣し大暴れ。この第8集に関しては『新五郎、奔る!』でもいいのではないかと思われる程義忠の従弟である小鹿今川新五郎範満が室町殿の意向に反する動きをする義忠をけん制し奔走する姿が描かれています。足利将軍家も9代義尚に代替わりし、急逝した父・勝元に代り聡明
父・盛定の失脚により家を継いだ伊勢新九郎盛時。本貫領地の経営に奮闘するも、都では疱瘡と麻疹が流行し、義母・須磨が倒れることに。遂に姿を現した小鹿今川新五郎範満。いよいよ東国への道が新九郎に開かれていきます。応仁の乱も膠着状態に入り久しく、畠山氏など一部を除いて両軍とも和睦への道を模索しています。そんな中でも新九郎には妻の死により生気を失った父・盛定から家督と共に相続した借金という現実がいつまでもつきまといます。荏原編からここまで、新九郎の行動のほとんどがフィクションでしたが
山川出版社の日本史リブレットシリーズ42段は、戦国大名の走りとも言われる北条早雲こと伊勢宗瑞(または伊勢新九郎盛時)です。現在の最新研究をベースにした宗瑞像が描かれており、800円(税別)と安価であることも手を出しやすい理由の一つとなります。その分薄めですが、宗瑞の生涯をざっくり知りたい場合にはこれくらいの情報量が過不足ないと思います。宗瑞の家臣団についても言及がありますが、笠原・大道寺・平井・荒木・山中・荒川・在竹といった『新九郎、奔る!』でもおなじみの根本被官に交じって左近士九