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シリーズものの新刊が次々出てくるは当然のことなわけですけれど、それが毎度、近隣図書館の新着図書コーナーに並ぶことになり、おのずと目に付いてしまうのですな。これまで『足利氏と新田氏』、『北条氏と三浦氏』、『鎌倉公方と関東管領』と読んできた「対決の東国史」のシリーズ、どれも同じように興味深かったというわけでも、またとっつきやすかったわけでもないのですが、今度は『山内上杉氏と扇谷上杉氏』、また手にとってしまったのでありました。鎌倉幕府が倒されて南北朝の対立となり、やがてその分裂が解消される中
講談社現代新書:黒田基樹著:「下剋上」河出書房新社:西股総生著:「東国武将たちの戦国史」北条早雲の前に、鎌倉公方だった足利成氏が古河に移り古河公方になり、それを認めない室町幕府が将軍家の血筋の足利政知を堀越公方として韮山を本拠に擁立した。一方、長尾景春の乱で大活躍した太田道灌が関東北部の長尾景春領を接収し、扇谷上杉家が兄分の山内上杉家をしのぐ勢いを持とうとした。山内上杉家の中から乱の時の太田道灌(扇谷上杉家の家宰)の差配に不満を持つ者もいた。やがて両家は対立を深めて、この原因は
GW二日目!まるで初夏のような気温と雲一つない晴天!と思いきや、意外と風も冷たく、日陰に入ると春物コート無しだとちょっと私は辛い位です。うーん、今一パッとしませんね。私も出来れば、観光旅行とか行きたいんですけれど、ご存じの通りとても今は行く気になりません。昨春から実施したワクチン接種時期に合わせたように超過死亡者数が激増し、今年の2月だけで超過死亡者数が約2万人に達し、今なお死亡者は増加し続けている事実からも私には、ワクチン接種がコロナ死者を減らしたとはとても思えません。こ
焼津市石脇は「石の脇」という地名です。東名日本坂パーキングエリア(下り線)のすぐ東側にある石脇八幡神社のところにある「旗掛石」がその基になっていて、旗掛石の脇にあるから「石脇」と呼ばれるようになったのだとか。旗掛石の由来は、駿府にいた徳川家康がこのあたりの名主を訪ねてきた際に旗や鞍などを掛けていたことなのだそうですが、石脇の地名はもっとずっと昔からあるようなので、意味ありげに神社の前に意味ありげに鎮座する石はもともと特別の意味を持った石なのでしょう。仮にこの石が磐座だったのだとすれば、そんな石に
最後に向かったのは『小田原』です日没まで、まだ時間があったのですが人通りもなく商店街もシャッターが目立っていました馬出門(うまだしもん)銅門(あかがねもん)銅門土塀模型常盤木門小田原城天守元は平安時代末期、相模国の豪族土肥一族である小早川遠平(小早川家の祖)の居館であったとされています偶然にも小早川遠平(とおひら)は、土肥実平(さねひら)の嫡男でした伊勢宗瑞(北条早雲)は、亡くなるまで韮山城を根拠としており、小田原城を拠点としたのは息子の伊勢氏綱(北
中井町鴨沢から雑色地区にかけて所在する鴨沢要害は中村川沿いの東西に延びる丘陵に築かれています城直下を通る雑色トンネルの北側に「←鴨沢城」という標識があるので表示に従い細い道を進みます城の近くまで車で行けなくもありませんが軽四駆以外の車以外はオススメできません中村川沿いの鴨沢城石碑がある辺りに車を止めて徒歩で訪れるのが良いかもしれません遺溝ですが丘陵尾根の西側に大堀切が、山頂を中心に複数の平場が存在しますしかし、主郭と思われる山頂の大きな平場は不整形で自然地形に近いです主郭東
『カムカムエヴリバディ』何故るいはまず前髪を抑えなかったのか、映画デートシーンに描かれた...エキサイト菊之助自身は女形に定評があるが、歌舞伎の名門の生まれだけあって時代劇ヒーローの貫禄は十二分。腰をすっと落とし、すり足気味の静かで素早い足さばきは...「寅さん初代マドンナ」光本幸子、“悲喜劇を呼ぶ淑女”が誕生した「伝説演技」|アサ芸プラスアサ芸プラス劇団新派とは、歌舞伎=旧派に対しての新派。光本は、初代水谷八重子に誘われての新派入りであった。「男はつらいよ」のクレジットに
2021/10/11G・相州の皆さん、あなた方、完全になめられています(笑)「政治活動でありますので、その点は意見交換をした場として受けとめている」ふうーん、政治活動って奢られながらするもんなんだ。熊に手心加えて貰って「お山の裸の大将」になった金太郎以来の伝統かな?「意見交換」するのに、何故奢られるのか。奢られれば「何か下心ある?」と警戒するのが普通だが、オレオレ詐欺に引っ掛かる惚け老人以上に惚けているのか?政治家って馬鹿なのか?「政治活動の意見交換」なら、議員会館でお茶飲みながら
『若き日の北條早雲』の新聞広告でございます。伊勢新九郎(のちの北條早雲=伊勢宗瑞)が載っていました。今から約40年前でございます。
(画像はAmazonの商品ページからお借りしました)斎藤道三という名の武将は未だ登場しませんが、北条早雲こと伊勢宗瑞が登場しなかなか魅力的な武将として描かれていました。世の中が不安定な時代というのはある意味でそれまでの常識が破壊され易いので、型破りな人や破天荒な人が登場したり活躍できる時代でもあるのでしょうね。そういう非凡な人が活躍する様を描く小説はフィクションであるとわかっていても、そこに凡人である私にような読み手は魅了されてしまうのでした。誰より
山川出版社の日本史リブレットシリーズ42段は、戦国大名の走りとも言われる北条早雲こと伊勢宗瑞(または伊勢新九郎盛時)です。現在の最新研究をベースにした宗瑞像が描かれており、800円(税別)と安価であることも手を出しやすい理由の一つとなります。その分薄めですが、宗瑞の生涯をざっくり知りたい場合にはこれくらいの情報量が過不足ないと思います。宗瑞の家臣団についても言及がありますが、笠原・大道寺・平井・荒木・山中・荒川・在竹といった『新九郎、奔る!』でもおなじみの根本被官に交じって左近士九
【問題】北条氏康が生まれた時、まだ祖父・北条早雲(伊勢宗瑞)は存命だった。○か×か?【選択肢】○×【正解】○【解説】北条早雲が没したのは、永正16年(1519)、早雲の孫にあたる氏康が生まれたのは、永正12年(1515)で、氏康4歳の時に早雲が他界したこととなる。
このところやっています中国遠征シリーズ、前回の備中高松より西へ数十キロ離れたところ、荏原になります。どうぞよろしくお願いします。北条早雲(早雲の里・荏原駅)何とも独特な石像です。しかし、こうして全体を見てみると、菩提寺になっている高越山城麓の法泉寺さん所蔵の早雲さんとされる肖像画そっくりです。駅前には小田原などで見られる「後北条五代を大河ドラマに」という幟旗も見えたりしました。バックショットも撮りましたが、石像の造形がトリッキー過ぎて何のこっちゃわからない感じです
日本中世史の大家、黒田基樹先生による『戦国武将・伊勢宗瑞』。素浪人から下剋上を果たしたとされてきた「北条早雲」の実像を、最新研究を総合して描き出した名著です。現時点で、伊勢宗瑞についてこれに勝る本は無いと思われます。私にとって愛読書です。(刊行直後に買いましたよ!)戦国大名・伊勢宗瑞(角川選書)Amazon(アマゾン)1,300〜5,360円しかし、太田氏に関して調べものする立場から読むと、あれ?という記載も。具体的には、63頁の「江戸時代の系図史料などでは、美濃守資家と伝え
現在河野行政改革担当大臣が脱却の方向で動いている判子行政に関する本で、戦国北条家関連、しかも著者は月刊レベルのペースで新刊が刊行される黒田基樹先生となれば読まないわけにはいきません。本書では現代に繋がる納税システムや行政文書の有印文書化は戦国時代を源流とし、中でも行政の仕組みが現代に残存する率も高くその中身も魁と呼ぶにふさわしい者であった北条家のシステムに焦点を当てています。要するに、判子行政の源流は伊勢宗瑞(またの名を伊勢新九郎盛時)だった、というのが本書の主張です。
15世紀の関東を代表する武将・太田道灌がメインですが、彼が主君である上杉定正に殺害されるに至るまでの彼の生涯のみならず、その背景となる時代を叙述しています。逆に言えば、道灌の生涯は当時の関東の状況と連動しており(その渦中に同館が生きていたのだから当然ですが)、複雑怪奇でつかみにくいという事です。第一章の大乱の背景からして、鎌倉時代からしっかり説明しているあたり、本気で享徳の乱がそれ以前の関東の情勢と連動していることが明らかであると言えます。このややこしくてたまらない関東に
「暁の超特急」立つ吉岡さんの記念碑除幕出雲/島根毎日新聞出雲市湖陵町大池の彌久賀(みくが)神社に、「暁の超特急」と呼ばれる地元・湖陵町出身の元陸上100メートルのオリンピック選手、吉岡隆徳...1回の合戦費用は1億円!戦国大名はいかに自国を“経営”したかほんのひきだし中略)公平さを欠く場合も往々にしてあった。しかしそれは確実に政権の綻びにつながっただろう。この戦国大名たちの経済戦略が本作のキモだ。戦争...北斗星(8月9日付)秋田魁新報徳川家康らを祭る東京の上
皆さま、また感染がとまらないコロナ渦の中、如何お過ごしでしょうか。謎の四連休、謎のGoToキャンペーンもビミョーな雰囲気でしたね。私は先日「東国武将」の情報入手を目的に購入した戦国マンガ「新九郎、奔る!」の続巻をオトナ買いしてしまい、ずっと読み耽っています。「新九郎、奔る!」新九郎、奔る!(1)(ビッグコミックス)Amazon(アマゾン)660円新九郎、奔る!(2)(ビッグコミックス)Amazon(アマゾン)660円新九郎、奔る!(3)(
ビックコミックスピリッツ連載中の「新九郎奔る!」ゆうきまさみ著本日届いた。私が幼き頃、ゆうき氏の代表作は「究極超人あーる」であり、「鉄腕バーディ」であった。よく読んだ、好きな作家さんであった。いっぽう同じ頃、読売新聞で連載されていたのが「箱根の坂」。わが父も私もアンチ巨人であったが、友人のご尊父の頼みであったので購読していた。運に恵まれていた。当時は、素浪人の伊勢新九郎“長氏”が駿河の今川治部大輔の側室になっていた妹を頼り、徒手空拳で関東の覇者になった、という話が主流で、
昨日書いたとおり、今日は私にとって大事なももクロ記念日です“ひとりふんどし”→れにちゃんの“生春巻”を観た後、こちらも観ましたきっかけになった“ゴッドタン👅”2回目の出演回も秀逸✴️れにちゃんが目立った回ですが、個人的にはあーりんにやられましたそれはさておき、さっき、少しテレビを観た時に、東大生の伊沢氏が、欅坂46のことを“戦国時代でいえば斎藤道三”て言ってましたももクロは誰だろ?私は、伊勢宗瑞(北条早雲)を推します低い年貢率に加え、非常時には備蓄米や薬を領民に与える
本書は氏親から始まる戦国大名今川氏の成り立ちについて、氏親の家督継承が認められた文明11年(1479)から氏真が籠城していた懸川城を開城し、領国を捨てた永禄12年(1569)までの90年間の出来事を年表形式でまとめた一冊です。氏親以前の今川氏の前史や懸川城開場後の氏真の動向にも触れており、さらに事実の羅列にならないよう読み物風の叙述になるように編集が心掛けられています。今川氏は漫画『新九郎、奔る!』において主人公・伊勢新九郎盛時が終生大きな関わりを持ち続けるため、『新九郎、~
露店400店、会津若松「十日市」起き上がり小法師など縁起物福島民友会津地方最大で、最も歴史が古い初市「十日市」は10日、会津若松市の神明通りなど中心市街地で開かれた。通りには約400の露店が並び、家内安全や無病...駅の歴史が複雑過ぎます【駅ぶら01】小田急線69鉄道チャンネルこの駅の歴史は複雑です。1926年(大正15年/昭和元年)神中鉄道線(現・相鉄厚木線)厚木駅から二俣川駅間開業。この厚木駅が、当初は相模川の厚木側まで...たったの30秒で振り返れる「空冷Z」の
今日は、こういう番組がありました📺Twitterで、トップ3を投票させて、集計したらしいです20位上杉景勝19位竹中半兵衛18位真田昌幸17位井伊直政16位前田利家15位毛利元就14位浅井長政13位前田慶次12位直江兼続11位加藤清正10位石田三成9位明智光秀8位黒田官兵衛7位武田信玄6位豊臣秀吉5位徳川家康4位真田信繁3位伊達政宗2位上杉謙信1位織田信長元就・信玄・謙信以外
『今川氏親と伊勢宗瑞』に続く、伊勢新九郎盛時こと宗瑞の評伝書です。宗瑞と今川氏親との関係に重点をおいた『今川氏親と伊勢宗瑞』に比べ、後半生を関東の動乱に身を投じた宗瑞の動向を詳述しています。と言っても、同じ発行年の書籍ですので極端に内容に違いはなく、初期の戦国大名としての統治の方法や関東との関わりが多めに示されています。そこから、晩年も関東の情勢によって奔らざるを得ない宗瑞の実像が見えてきます。本書で登場した説の中に、有名な虎印判を作成したのが長男の氏綱ではなく宗瑞ではな
小田原城にいってみました。↑こういうの、大好き。天守閣からの眺め。川に挟まれて海がある地形って城としてよい位置どりよねー。北条早雲さんに初めて興味をもちました。楽しい。小田原城。駅前の早雲さんはなに着てらっしゃるのかしら。。
「あまりに鮮烈だった」―阿部慎之助が大学時代にプロから放った“伝説の一発”Full-Count大学時代に日ハムのキャンプに参加していた阿部「とんでもない打者になるなと思いました」.2019年のプロ野球はソフトバンクが3年連続日本一を達成し、全ての...ギャオス内藤さんが教えてくれた“栗山英樹選手”スワローズ時代のいい話文春オンライン栗山英樹監督には上沢直之投手以外にも「なお」と呼ぶ人がいる。内藤尚行さん、ギャオス内藤さんだ。7つの年の差、スワローズで4年間チームメイトだった.
乱世に新たな光、短編集「戦国の教科書」旬の作家6人が書き下ろし朝日新聞学校で習う日本史とはひと味もふた味も違う「教科書」。それが、木下昌輝さん、澤田瞳子さんら旬の歴史・時代小説作家6人が書き下ろした『戦国の教科書』(...乱世に新たな光、短編集「戦国の教科書」旬の作家6人が書き下ろし朝日新聞学校で習う日本史とはひと味もふた味も違う「教科書」。それが、木下昌輝さん、澤田瞳子さんら旬の歴史・時代小説作家6人が書き下ろした『戦国の教科書』(...ひおきPR武将隊結成「戦国
近年の後北条氏研究をけん引する研究者による初代・伊勢宗瑞(新九郎盛時、いわゆる北条早雲)解説書で、彼の人生を語る上で欠かせない戦国大名としての今川氏の初代・氏親との関係を中心にしています。二人が活躍した15世紀後半~16世紀初頭は平凡社の「中世から近世へ」シリーズの中でも早い時代に相当し、「戦国時代」と呼ばれる時代の転換の真っただ中にあります。二人をつなぐ人物は、氏親の母にして宗瑞の姉である北川殿と呼ばれた女性です。彼女が今川氏当主・義忠の下に嫁ぎ、氏親を生んだことが両家の
「エスカレーターでは歩かず2列で」近頃電車に乗っていると、よくこの注意書きを目にするようになりました。なんでも東京オリンピックまでにエスカレーターで歩く人をなくす試みだそうで、場所によっては警備員を配置して啓発活動をしているところも見かけます。なぜそんな流れになってきているのかについては長くなるので、こちらのサイト(日本エレベーター協会)などに任せるとして、この活動、現実はなかなか難しいようで、いまだ主要な駅でも普通に右側は空いています。賛否両論あるのもさることながら
8月26日はアーネスト・サトウの命日日光に記念館トラベルニュースat8月26日は英国外交官、アーネスト・サトウの命日。幕末から明治初期に英国公使館の通訳官、公使として通算25年間、日本に滞在した。勝海舟、西郷隆盛、...東京・山梨・静岡をダイナミックに回る皇室ゆかりの地ツアーニフティニュース駿河湾に面した松林の一角に、明治26年、大正天皇(当時は皇太子)の静養先として造営された沼津御用邸。現在は記念公園として、沼津大空襲で焼失を逃れた...軍艦島「ガンショーくん」“2