ブログ記事153件
前の前の信託会社時代日本の西半分をマーケティングで駆け巡りました。https://ameblo.jp/soubashi63/entry-12437551682.html?frm=theme『旅の終わり・・・』2015年11月30年間所属していた某メガバンクGRを離れてから2017年9月に退職した信託会社時代は担当が富山と浜松から西日本だったので基本的には、マー…ameblo.jpその中でちょうど4年前松山に行った時、少し時間があったので伊予松山城に上りましたお城オタクとして
こんばんは♪素晴らしい撮影ができています。ナイスショット☆お疲れ様でした(`ー´)ノsatukiより
10月1日は中秋の名月、2日は満月、月見る月は多けれど月見る月はこの月の月とか!一応出かけてみました。月が美しすぎて、カメラが恥ずかしがってしまいました。松山城絡みです。撮影ポイントには泣かされました。ここしかないところで待ちましたが、予想通り外れました。しかも大幅に・・・・ではでは!1ライトアップの松山城2月の出予想は松の木辺りでしたが、大幅に外れました3アンテナに4月が真っ白け!??お城に合ってしまったようです。5松山城に月配置とし
2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。「松山城」の続き。松山城(その2)のレポ『松山城(伊予松山城)(その2)~現存天守の一つ~愛媛県松山市の城郭・史跡』2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。「松山城」の続き。松山城(その1)のレポ『松山城(伊予松山城)(その1)~現存天守の一つ~愛…ameblo.jp「太鼓門」をくぐると、緩やかな坂道・石段になっていて、鍵型に曲がっていましたよ。真っ直ぐには進めないようになっ
2020.8.4.先日、急に愛媛県に行きたくなり早速、愛媛へ今回は、松山市に向かいます久しぶりに『伊予松山城』が目的です途中にも城跡に少し寄ったりしますがまぁ、いつもの感じです(笑)行きは瀬戸大橋を渡り愛媛入り伊予松山城に行く前に、一箇所先に城跡に寄り道寄り道したのは、『湯築城跡』迂闊にも最近までここの存在を知りませんでした湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町にある城跡。堀や土塁が現存し見所となっていますこの日は、暑い日でしたが作業員の
2020.8.4.伊予松山城の御城印です今回で、4度目の登城です前回、登城してからは、かれこれ10年ほどぶりですが(笑)前回の投稿で載せれなかった写真もUP(登り石垣)(二の丸槻門跡)ココは、黒門と合わせたW桝形虎口となっています前回、掲載した伊予松山城の様子と詳細は、コチラで伊予の名城《
伊予松山城ミニジオラマ完成。#松山城#ジオラマ
2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。「松山城」の続き。松山城(その1)のレポ『松山城(伊予松山城)(その1)~現存天守の一つ~愛媛県松山市の城郭・史跡』2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。「阿沼美神社」をお参りした後は、「松山城」に向かいました。阿沼美神社のレポhttps://ameb…ameblo.jp「黒門口登城道」を上り、「二之丸史跡庭園」を過ぎると、左にUターンするように登城道が曲がっていて、石垣の間
伊予松山城ミニジオラマミニジオラマですが、二の丸も少し入りました。二の丸があると雰囲気が変わります。#松山城
2020.8.4.約10年ぶりの伊予松山城へ愛媛県に来ること自体が、10年ぶりだな~自分が、城巡りを始めた初期の頃に訪れた城で今回で、4度目の登城ですもちろん!ブログを始めるずっと前の事なので、載せたかったのだやっと、スケジュールが立ち向かいました(加藤嘉明公の騎馬像)今回は、三の丸にも行くので登城はロープウェイで上り、下城は徒歩で行きます先ずは、番所跡を抜けます(揚木戸門跡)そして(大手門跡)を横目に上ります登城道の一つ『黒門登城道』で、二の丸
賤ヶ岳の七本槍のひとりで後に伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地は愛知県西尾市と安城市の2つの説があります。そこで今回、この加藤嘉明の生誕地といわれる2つの現地に行ってきたのでそのレビュー動画です。>>賤ヶ岳の七本槍で伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地は西尾市?安城市?ツイッターでは近日中の歴史イベントやプチ戦国ネタをつぶやいています。>>ツイッター登録はこちらフェイスブックではプライベートな投稿そしてあまり教えたくない歴史ネタなどを投稿しています。>>フェイスブック友達申請は
2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。「阿沼美神社」をお参りした後は、「松山城」に向かいました。阿沼美神社のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12600846524.html「阿沼美神社(「あぬみじんじゃ)」から更に東に進み、国道196号線に突き当たり右折。すぐの信号・札ノ辻交差点には、「松山札之辻」という石碑があります。その横には、里程を刻んだ石碑もありました。「松山札之辻」の石碑の側面には、
こんにちは。長らく続いた松山城も今回が最終回となります。次回からネタがないのでどうしようかと思案に暮れておりますが・・・。さてさて天守から下へ降ります。一部漆喰の塗り直しをしていました。マニアとしてこういうものが見られるのもまた楽しいのです。こちらは仕切門。脇戸付きの高麗門ですな。旧国宝で現在は重要文化財となっています。こちらは天神櫓。伊予松平の先祖は阿久比久松氏。久松氏の先祖は菅原道真ということで天神様をお祭りしてあります。こちらはかつて太鼓門の外
こんにちは。愛知でも街中は徐々に人が疎らになっておりますが、郊外のホームセンターやショッピングモールは家族連れで賑わっております。カミさんがラーメン屋でパートしてますが昼は何故か家族連れがたくさん押し掛けるのだそうで、なんとも・・・。さてさて自分でも飽きつつある松山城ですがそろそろ終盤でありますのでどうかどうか。現存天守ならではの急な階段を登ります。こちら加藤嘉明公の鎧。こちら松平定行公の鎧。赤備えか?大高城攻めで家康が着用していたものと形がよく似ており
こんにちは。愛知県も独自の緊急事態宣言が発令されておりますが、車社会ゆえに案外朝晩の道路は混雑。今日も籠城に備えて物資の調達に出かけましたがホームセンターは普通の週末と同じくらいの混雑ぶり。コンビニも昼になると普通に混んでるし。さてさてどこにも行けないので前回からの続きにて。本丸をやり過ごして周囲をじっくりと。旧国宝2連発。こちらは乾櫓。搦手の防御を担う櫓であります。しっかりと石落としも装備。城内最古の建物で前身の正木城からの移築だそうです。建物が老朽化している
・松江城の沿革と訪問した際の感想沿革感想松山城のホームページには松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で、有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築いた城です。嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名で、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められた嘉明は、1607年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築くための工事に着手しました。翌8年
こんにちは。天気がいいのでお花見にでも行きたいところですがヤツのせいで自宅謹慎中、早くマスク2枚届かないか首を長くして待ちたいと思います。さてさて松山城の続きにて。本丸を避けて北側へ。マニア向け旧国宝三連発であります。まずは搦手の紫竹門。脇戸付きの高麗門で続く西塀、東塀と鉄壁の防備となっております。門をくぐって見上げると狭間が狙っております。気付きにくいのですが重要なのは様の角度。単純に塀に真っ直ぐ穴を開けるのではなく、約45度くらい下向きになっている点をお見
こんにちは。どこにも行くことができないので前回からの続きにて。松山城で見て欲しいものその①二ノ丸庭園内にある大井戸跡。デカいです。防火用として造られたようで、地下用水を伝って水を移動できる仕組みにもなっていたそうです。朝鮮半島での苦い経験から「これでもか」という造りになっているところは熊本城に匹敵しますね。加藤繋がりか。二ノ丸は石垣パラダイスなのですよ。よ~く見ると卍マークが。金沢城や富山城で多く見られる刻印ですがキリシタンが関係していると云われてい
こんにちは。前回からやや空いてしまいましたが元気でやっとります。しかし年度末は忙しい・・・。特にコロナの影響で商材は入ってこない、工期は迫るで、メーカー、問屋、施工店は大変なのであります。そんな中、仕事で愛媛に行って参りましたので、一日休みにして松山城をじっくりと探検してきました。特急「しおかぜ」で松山駅到着。名古屋から岡山経由にて5時間半かかりました。駅からお城目指して歩きますが駅前の通りはガラリンチョ。昨年も訪れましたがもっと人がいましたよ。コレ
こんにちは、オーナーの篠原です四国での社員研修旅行の続編です。二之丸経由の黒門口から登城します。少し登っただけで視界が開けてきます。森林浴の登山道です。15分ほどで本丸の石垣が見えてきました!<大手門跡>天守が奥にチラッと見えます。(笑)<戸無門>あと少しで本丸です。<筒井門>トリッキーな<隠れ門><太鼓門>を抜けると本丸広場に出ます。本丸からの眺望威風堂々の
伊予松山城8切りサイズミニジオラマ完成。3月のプレゼント用なので春仕様にしてみました。でも木は付け替え可能なので桜が終わったら夏仕様に変えられます。一晩寝かせて松山城へ旅立ちます。松山城冬の陣3月8日迄開催中!#松山城冬の陣#松山城#お城まつり#イベント#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
伊予松山城の建物が組み上がりました。松山城ミニジオラマ8切りサイズ卓上用に良い大きさです。
伊予松山城ミニジオラマ現在、愛媛県松山市の松山城で行われている令和最初の大合戦松山城冬の陣のイベント用に製作してます。卓上用ミニジオラマなんで写真の8切りサイズぐらいなんですが、それでも松山城の特徴を出そうとしてます。#松山城冬の陣#松山市#松山城#お城まつり#イベント
伊予松山城8切りサイズ。A5サイズぐらいなんで結構小さいですが、それでもジオラマにしてみます。
こんにちは。今年も残すところあと僅か。なんてことをつい一年前にも書いたような気もしますが、大げさではなく昨日のことのように思えます。さてさて今年の締めくくりとしましては、個人的に「こりゃスゲー!」と思った遺構を取り上げてまとめたいと思います。まず1月。清洲城惣構時代の土居跡。平坦な住宅地にポツリと佇んでおります。最盛期の清洲城の大きさが伺い知れる貴重な遺構かと。2月は美濃赤坂。家康、秀忠が宿泊したお茶屋敷跡。小さいながらも空堀と土塁が良好に残っている貴重な遺構か
賤ヶ岳七本槍の1人で、伊予松山城城主となった加藤嘉明の本陣を作ります。後方の木は好きな所への移動が可能となっており、兵士も全て動かせるタイプなので好きな陣形が組めます。ひと合戦しよう!#加藤嘉明#松山城#冬の陣
松山城松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため「伊予松山城」と呼ばれることもあるが、一般的に「松山城」は本城を指すことが多い。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。概要松山市
10月23日、現存する12のオリジナル天守閣の一つである彦根城の天守閣を見て来ました。現存するオリジナル天守閣は、弘前城、福井県の丸岡城、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、岡山県高梁市の備中松山城、香川県の丸亀城、松山市の伊予松山城、宇和島城、高知城です。全部行くことができました。
学生時代とかバイクのツーリングで何度も訪れた松本、、、お城も何度か来てますが、同居人様が初めてという事で天守も登りました。国宝に指定されています。現存天守12城の一つですね!!12城のうち行った事があるのは7城です。松本城(長野県)犬山城(愛知県)彦根城(滋賀県)姫路城(兵庫県)松江城(島根県)伊予松山城(愛媛県)丸亀城(香川県)高知は近くまで何度も行ってます。青森県の弘前城以外は、ガンバレは行けそうですね。弘前城(青森県)丸岡城(福井県)備中松山城(岡山県
続きです。残念すぎる修復工事中の犬山城これで現存12天守のうち、残るは弘前城と四国にある4城(丸亀城・伊予松山城・宇和島城・高知城)を残すのみ出来るだけ早くクリアしたいです。。。犬山城をあとにして、お土産屋ロードを歩き駅に向かっていると…………こんな串入れを発見店主、やるじゃん(笑)面白かったので、ついついこのお店に入り五平餅を食べる。朝ごはん食べてなかったので、うまい胃にしみるわで、串を入れて行きましたどちらに??ご想像にお任せします飛騨牛の握りの立ち食いが駅に向かう途