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旅行1日目は、外歩きするには適度な曇りだったけど、2日目以降は、歩くにはつらいけど写真撮るには良い晴れ空だった岡ミサンザイ古墳大阪府藤井寺市藤井寺4丁目「ミサンザイ」って何?貴人の墓を意味する「みささぎ(陵)」の転訛と考えられているそうな。文字でなく、音で呼び名がそう伝わっている感じなのね。仲哀天皇惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)仲哀天皇の陵について。『古事記』には「御陵は河内の恵賀(えが)の長江にあり」。『日本書紀』には「河内国
日頼寺と仲哀天皇陵長府松原のパス停から山手へ五分ばかり歩いた突きあたりに禅宗の日頼寺がある。日頼寺は長府藩主初代秀元が萩本藩毛利元就の菩提を弔うため建てたもので、元就の法号にちなんで日頼寺と称したが、秀元が祖父にあたる元就をたいへん尊敬していたことが察せられる。当時、寺には元就の使用した頭巾や愛用の印籠が寺宝にされていたといわれ、また仲哀天皇聖地輪旨や足利尊氏、大内義隆、毛利元就、元清(秀元の父)、秀元らの古文書も寺宝として残されている。このように格式の高い寺であったが、明治新政府の神仏
4/24(月)午後から仕事あがり毎年行ってる葛井寺の藤を目指してゆるゆる走ってきました。大和川へ出てしばらく川沿いに柏原堰コガモちょこんとハクセキレイミヤコグサ黄色とクサフジの紫のコントラストがステキ新大井橋から大和川を渡って今年は咲いてる時に来なかった桜並木を経て藤井寺へ藤井寺のキャラ葛井寺へイン白藤はまだ見頃でも、紫藤は終盤でした藤井寺球場にあった近鉄バッファローズのスコアボード今年もまだ残ってた葛井寺から先は何も考えてなかったのでとりあえず古市古墳
はい!奈央です。飯塚市大分(だいぶ)にある大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)の裏山が、もしかしたら、初期型の古墳か墳丘墓じゃないかな?と思い、現地に調査にやってきました。前回、切通しの東側斜面を登り、霊廟と祠を見つけました。今回は、切通しを抜けた先の右手の木段を上ってみることにしました。切通しを抜けた直後の右手(東側)が木段の登り口です。木段は右にカーブしながら墳丘?上部に登っていきます。途中で振り返ると、木段の道がカーブしているのがよく分るでし
はい!奈央です。飯塚市大分(だいぶ)にある大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)の裏山が、もしかしたら、初期型の古墳か墳丘墓じゃないかな?と思い、現地に調査にやってきました。はい!今私は、大分八幡宮の参道に居ます。八幡宮の裏にこんもりとした森が見えるでしょ。あそこが今回の調査対象です。何度もここに足を運んでいたのに、これまでほとんど気づきませんでした。仲哀天皇の陵墓の可能性があることを知って、改めて裏山に目がいったのです。さあ、がんばるわ!やる気十分で
はい!奈央です。以前、福岡に日本最大級の前方後円墳があるかも!というブログを書きました。それ以来、まだ確認されていない古墳がたくさんあるかもしれないって、思うようになりました。実は、ずっと以前から気になっていたことがあります。それは、何度も訪れている飯塚市大分(だいぶ)にある大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)のことです。この八幡宮の裏に仲哀天皇陵があるかも?という記事を以前書きました。その際、円墳でも前方後円墳でもなくて、単に横に長い長方形の墳形、つまり、吉野ケ里遺跡の北
☆仲哀天皇惠我長野西陵(岡ミサンザイ古墳)河内国丹比郡大阪府藤井寺市藤井寺4丁目(拝所間際に停めました)第14代仲哀天皇の治定墓。「古市古墳群」の西端にあり、世界文化遺産を構成する一基、国の史跡にも指定。全長245mの前方後円墳。全国第16位の規模であるとのこと。治定墓であるため未調査ですが、墳丘裾部と周辺にて一部のみ調査がなされています。円筒埴輪と人物埴輪が出土(下部に写真有り)。その埴輪から5世紀末葉に築造と推定され、これは仲哀天皇の時代とは乖離します。真の被葬者の有力
さて、佐紀盾列古墳群を後に高槻に向かい、前々職の同僚と32年ぶりの再会を果たした後、新大阪のレムホテルに一泊。現役時代に出張で泊った際はホテル名にふさわしく熟睡出来たのですが、今回は自腹だったせいかよく眠れませんでした(笑)というわけで2日目は古市古墳群を巡ることにしました。新大阪から御堂筋線で天王寺へ。天王寺(阿部野橋)から近鉄で藤井寺まで移動。マクドナルドで早口で何を言っているかわからないお兄ちゃんから頼んだものとはちがうソーセージエッグマフィンを食べたのち、この日の
おはようございます。少し早めに起床し、軽めのウォーキング。仲哀天皇稜まで往復6.3キロ。帰って来て、昨日、東京からの帰りに新大阪駅で買った、カルネをいただきました。安定の美味しさです。
藤井寺の門前にあった石の道標よしのとい勢しかわかりません。調べてみると、上の右が「つぼさか」左が「はせ」右下が「よしの」左下が「い勢」こちらは、上の右が「道明寺」左が「ほう里うし」右下が「たつた」左下が「なら」です。「ほう里うし」は、たぶん法隆寺のことでしょうね。この門前の道は和州街道と言われる昔の街道だそうで、かつてはたくさんの人が通っていたのでしょうね。現在は静かで、人通りもそれほど多くありません。ここは造り酒
仲哀天皇陵をあとにして、近鉄藤井寺駅方面へ歩いてると、突然門前に出ました。参拝します。西国三十三所第五番札所。御本尊の十一面千手千眼観世音菩薩坐像は、千手にて迷える衆生を救うための大慈悲を示し、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名。秘仏。毎月十八日に開扉、その美しさは人々を魅了し、現世利益の観音信仰を支えてきた。手水の龍。🙏鐘楼。旗掛けの松。楠公弁天池。南大門。仁王さん。南大門からの境内。専心龍乗観音。出世地蔵。うしろの阿弥陀堂は改装中でした。退散しま
ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)から、北へ。第14代仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)。大阪府藤井寺市藤井寺4丁目景色が良いしかし背後は住宅が並んでます。参道沿い、綺麗に整備されてます。天気が良いから映えますねぇ。『古事記』『日本書紀』に伝える第14代の天皇。和風諡号は足仲彦(たらしなかつひこ)尊。景行天皇の皇子日本武尊の子で、母は垂仁天皇の女両道入姫(ふたじのいりびめ)皇女。紀によれば、子に皇后気長足姫尊(神功皇后)の
大坂夏の陣の誉田の戦いで真田信繁はこの古墳を拠点として兵を出し入れし、幕府軍と戦ったとか!古事記・日本書紀などに出てくる神話時代の舞台が、実は徳川方と豊臣方の最後の決戦場であったとは!!仲哀天皇陵仲哀天皇陵(中央)と応神天皇陵(右下)応神天皇陵と誉田八幡宮(中央下)仲哀天皇陵(中央やや右、大阪府藤井寺市藤井寺4丁目)、大阪城(中央上)参考①大坂夏の陣・道明寺口と誉田の戦いをめぐる①仲哀天皇陵BESTTIMES(2019.1.26、参考)文/橋場日月■最新大坂城研究をのぞ
21.7/25sun.13:50-16:40近鉄藤井寺駅から東踏切を挟むアーケード商店街を南ヘ紫雲山葛井寺の西門(四脚門)葛井寺の中で最古の建造物(重要文化財)西門をくぐって左に、護摩堂隣に本堂納経、御朱印をいただき本堂を出る右に、阿弥陀二十五菩薩堂(修復工事中)左に鐘楼、東門、大師堂南大門を出る紫雲山葛井寺創建725年(神亀2年)開山行基開基聖武天皇(勅願)本尊十一面千手千眼観世音菩薩おんばざらたらまきりく西国三十三所第5番まっすぐ南
古市古墳群歩きの続きになります🚶🚶https://ameblo.jp/izayanagi/entry-12674493579.html『仲哀天皇さま、応神天皇さまのリーディング☺️』仲哀天皇さま、応神天皇さまのリーディングをしてみました😃(まだ記事にしてないけど、岡ミサンザイ古墳:仲哀天皇陵へ行ったので😃👌)あくまで占いなのでエンタ…ameblo.jphttps://www.fujiidera-temple.or.jp/西国第5番紫雲山葛井寺〜国宝千手観音の寺〜|日本最初の千手観
「葛井寺」の南門を出て左に行くと、👇👇👇👇👇こんな表示がありした。こちらをまっすぐに行くと、陵の名は惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)墳丘長242mの前方後円墳羽曳野丘陵の尾根筋に造られた巨大な前方後円墳濠に水を湛えた周濠(幅約50m)を持ち、灌漑用水に水を利用されていたそうです。古市古墳群では4番目の大きさで別名を「岡ミサンザイ古墳」とも言われています中世にかけては、城郭に転用されていて、後円部が本丸、前方部が櫓台とされたほか前方部先端に横堀が切られて馬出しが
古市古墳群巡りも最後になりましたアイセルシュラホールから仲哀天皇陵古墳にやってきました岡ミサンザイ古墳とも呼ばれています百舌鳥古墳群にもニサンザイ古墳がありました「ミサンザイ、ニサンザイ」とは、貴婦人の墓を意味する「みささぎ(陵)」の転訛といわれています航空写真、現在写真の右下南東にいます前方部を南南西に向けています東角から後円部方向拝所仲哀天皇陵古墳は墳丘長245m、後円部径148m、前方部幅182m、幅5
今日は、昨日も雨もすっかりあがり、絶好のウォーキング日和。毎度、お馴染みの近鉄電車の「あみまクラブ」のコースを一人ウォーキング。昨日の雨が凄かったので、山道のコースは避け、都会を歩くコースをと考え、羽曳野辺りの古墳巡りを。久しぶりの古市古墳群です。スタートは、近鉄電車南大阪線の古市駅。最近、古市古墳群でそれなりに有名。以前にもウォーキングで来たような、、、、。古市駅の直ぐ近くにある「白鳥神社」。名前から想像する通り、日本武尊が御祭神。直ぐ近くに、日本武尊のお墓と言われてる白鳥
20.5/10sun.14:05-18:40蕃所山古墳から東、応神陵前交差点を東御陵西側は築造時は二重濠で前方部の外濠?民家に囲まれて前方の緑誉田丸山古墳が清々しい円墳、直径50m、5世紀前半築造丸山古墳西側から応神天皇陵拝所への参道応神陵前交差点から歩いたのは前方部右側応神天皇恵我藻伏岡陵(誉田御廟山古墳)前方後円墳、墳丘長425m、5世紀前半築造欽明天皇20年(559年)創建と伝わる誉田八幡宮の神域として護られ御陵として治定され、埴生と生態は貴重北側の道を挟んで、
20.5/10sun.14:05-18:40誉田八幡宮を東に出て東高野街道を北へ分岐を左に左に民家が途切れ、テニスコート右の民家と車庫スペースの東に栗塚古墳方墳、一辺43m、5世紀前半築造様々な形象埴輪が多数出土した応神天皇陵古墳の陪塚と思われるテニスコートの左に、二ツ塚古墳前方後円墳、墳丘長110m、4世紀後半築造応神天皇陵古墳が二ツ塚古墳を避けて築造…テニスコートの北側に、東馬塚古墳方墳、一辺30m、5世紀前半築造応神天皇陵古墳の外側堤上に築造の陪塚…南へ戻
今日は湿度が下がり気持ちが良いですねねみむの学校も短縮で始まって出掛けてるし、久しぶりの一人で過ごす休日です今朝のポケモン散歩で空を見上げると変わった雲で綺麗だった昨晩のポケモン散歩は隣駅まで散歩してたらケーキ屋さんがグリーンにライトアップしてた大阪は3日連続で感染者ゼロが続いてたけど昨日は感染源不明の感染者が1人出てたねどんどん増えなきゃいいんだけど。。。緑が続きますようにこの前は隣の市までの朝散歩仲哀天皇陵の向こうに二上山が見える二
古市(ふるいち)駅の500メートル北にある誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)です。第15代・応神(おうじん)天皇の陵墓とされる誉田山古墳(こんだやまこふん)に隣接している神社です。父である第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇と母である神功(じんぐう)皇后とともに祀られていました。応神天皇はまたの名を誉田別尊(ほむたわけ)といい、弓の防具である鞆(ほむた)を持って産まれたとか鞆をつけたように腕がたくましかったという話があるといいます。古事記には、福井
辛國(からくに)神社の500メートルほど南にある岡(おか)ミサンザイ古墳です。第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇が埋葬されたという恵我長野西(えがのながののにし)陵だといわれているようです。辛國神社でも、物部(もののべ)氏は第21代・雄略(ゆうりゃく)天皇から餌香長野(えがのながの)邑をたまわったとありましたし、葛井寺(ふじいでら)には長野神社があったといいますからここはかつて長野といわれた地だったのでしょう。また、「岡ミサンザイ」の「岡」も地名
大阪・藤井寺市藤井寺。まず初めに訪れたのは、仲哀天皇の御陵『恵我長野西稜えがのながののにしのみささぎ』です。前回の探訪で訪れた古墳の王・応神天皇の父であり、神功皇后の夫であり、日本武尊の息子である仲哀天皇の古墳とされています。大きく立派な古墳を外縁から眺めながら、拝殿所へと歩き始めた時、ふと周濠(しゅうごう)と呼ばれる池の付近に気配を感じて覗きこみました。すると1羽のアオサギがそこに止まっているのに気付き、つい『あっ!』と声を出してしまいました。アオサギはビックリしたように、声をあ
今日は朝から雨。本当はレンタサイクル借りて古市古墳群を気合い入れて回ろうと思ったが、予定狂う。というわけでテンションダダ下がりで気合い入らなかったので、9時過ぎに江坂のホテルもゆっくり目に出発。江坂の街散策したりして、天王寺に向かい、大阪阿倍野橋より近鉄線で藤井寺へ。昔の野球好きな人はわかると思うけど、近鉄バッファローズの拠点の藤井寺球場のあった場所。訪れると跡地は学校になっており、記念碑があるのみだった。駅に戻り、商店街を進むと地名の由来の
第十四代仲哀天皇は、古代の天皇で四世紀後半頃の天皇です。御名は帯中津日子命/足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)。御父は倭建命/日本武尊(やまとたけるのみこと)、御母は布多遅能入理毘売命/両道入姫命(ふたじのいりびめのみこと)で垂仁天皇の皇女。容姿端麗で背も高かったといわれています。成務天皇の四十八年、成務天皇に皇子がいないため、天皇の異母兄である日本武尊の第二皇子の足仲彦尊が三十一歳で皇太子となられました。それから十二年後に天皇の崩御により即位されましたが、成務天皇までの歴代
自宅近くには沢山の古墳が密集。今では、その周辺は住宅街となっている。前回歩いたのは、この地図の一番北にある津堂城山古墳と、中央西にある仲哀天皇陵古墳。今回は、この地図で一番大きな応神天皇陵から巡ってみた。50年以上住んでいる私ですが、この辺りはあまり歩いた事がない。スマホの地図とコンパスを頼りに歩いてみた。応神天皇陵へ行く手前に、こんな小さな古墳が・・・住宅街のど真ん中に円墳が。蕃所山(ばんしょやま)古墳。少し東に歩くと目的地到着。応神天皇陵(
応神天皇陵から🚶♀️20分第14代仲哀天皇陵恵我長野西陵えがのながののにしのみささぎ日本武尊の子であり、応神天皇さまのお父様時代古墳時代墳形前方後円墳仲哀天皇さまお参りさせて頂きまして、ありがとうございます🙇♀️身禊大祓祝詞奏上🙏とても静かな心安らぐ場所でした仲哀天皇陵大阪府藤井寺市藤井寺4丁目応神天皇陵近くにある古市陵墓監区事務所で頂ける御陵印⬇️藤井寺駅方面へ🚶♀️
若旦那、商店連合会会長のお仕事。『古市古墳群と六社寺巡り』の完成品を岡田市長にお届けして参りました。応神天皇陵仲哀天皇陵允恭天皇陵の御陵印を。辛国神社道明寺天満宮道明寺葛井寺誉田八幡宮伴林氏神社で御朱印を。御朱印集めが趣味の私は、こんなの好き❤︎あだちでツアー組んで墳活したいな〜なんて。+゚(*´∀`*)゚+。。*゚色紙は各六社寺で購入出来ます(¥1500-)御陵印は応神天皇陵にて無料、御朱印は各¥300-です。皆さま、ご興味ありませんか?着物で墳活ツアー
こんにちは(*^^*)KOFUN女子秋の遠足の続きですこふん列車に乗って藤井寺駅で下車して~そしてバスに乗って御陵前停留所で下車仲哀天皇陵(岡ミサンザイ)古墳にやって来ましたこの近くに母方の祖母の家があったので私の中で1番馴染みのある古墳です道があったので古墳の周りをぐるりとお散歩してみます道が途切れたので通りに出てみると変わった形の建物が藤井寺市市立生涯学習センターのアイセルシュラホールです詳しくは→コチラ長~~~くて1枚の写真では収まりません昔懐かし