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こんばんは。お越しいただきありがとうございます。仲哀天皇と神功皇后の香椎宮へ。御神木綾杉香椎宮起源の地、小宮跡御神木香椎小宮跡から更に歩いて不老水をいただきに上がります。お水は量が少なくなっているので、500mlだけいただきました。仲哀天皇が亡くなった後は、代わりにしっかりと仕事に励んだ神功皇后。亡くなった後も愛する夫のそばにいたいと願ってまた一緒に祀られるなんて。我が夫婦にもそんな心が少しでもあれば、、、
◆阿川八幡宮◆創建:鎌倉時代御祭神:仲哀天皇、神功皇后、応神天皇住所:下関市豊北町大字阿川3710参拝日:2026年2月21日広い境内で大きな拝殿でした。境内の由緒、案内図などもあります。イヌマキ巨樹群の森がありました。宮司宅に寄りましたが無住のようで話を伺うことはできませんでした。目の前すぐ近くは「阿川ほうせんぐり海浜公園」。子供が小さいころに海水浴に来ましたよ😊
福岡県福岡市にある「香椎宮」今年2度目のお花見に行きました。駐車場を囲むように咲く桜の花、見事に満開です↑の桜の下(駐車してる車の後ろ側)では、シートを敷いてお花見を楽しむ人がいっぱい!!*写真の下の方に人の頭が見えるでしょお宮の中ではシートを敷いたりできないもんね~駐車場から宮の方へ。。写真右側が宮方面で、そこに渡る石の橋(トンネルにも見える)先ほどの↑石の橋を渡ったら、大きな石の鳥居。階段の上、桜が楼門を囲むように咲いています「綾杉」のご神木前の階段を上った先が本殿にな
なぜ、仲哀天皇は和歌山の地に宮を置いたのでしょうか。徳勒津宮は、『日本書紀』にその名が記されているものの、なぜこの場所が選ばれたのかについては、詳しく語られていません。しかし実際に現地を歩いてみると、その理由を考える手がかりが見えてきます。本記事では、徳勒津宮の立地と周辺の痕跡を手がかりに、この宮が持っていた意味を、あらためて考えていきます。目次【序章】忘れられた行宮【第一章】水門という記憶【第二章】中之島という地形【第三章】瀬戸内とつながる文化【第
2026年3月16日、名島神社に続いて香椎宮に行ってきましたAぇちゅ〜ぶ(YouTube)の企画で、デビュー前のAぇ!groupがレンタカーで福岡の街を周遊していたのですが、私はAぇの代わりに、電車で周りながら観光することにしました。香椎宮も行ったと思っていたのですが、行ってびっくり、まだ行ってませんでした。香椎宮参道(勅使道)という名前で、踏切近くには頓宮もあるのに、歩道がガタガタで歩きにくいことに驚きました。御祭神は仲哀天皇と神功皇后。巻尾神社、御祭神は中臣烏賊津大連命。仲哀
「倭の五王」の時代に皇統が断絶したのだとすると、どの天皇の時代に世襲体制が確立したのでしょうか。そこで第26代継体天皇の素性が次の問題となります。継体天皇から欽明朝の時代へ継体という漢風諡号には、体制を継ぐという意味合いがあり、その名のとおり、古代ヤマト政権が6世紀に皇統断絶の危機に見舞われた際、皇統をつないだ天皇と理解されています。まず当時、皇位継承がかなり混乱していた事実は『日本書紀』からも窺がえます。武烈天皇には后がなく、皇子もいなかったことから、そ
こんにちは、スタルペスです。今日は福岡市筑前町に来ています。筑前町は、夜須町と三輪町が合併してできた町で、最近では福岡市や久留米市のベットタウンとして人口も増加している町です。※住宅脇の細い道の奥に目的の神社がありました。歴史は古く、日本書紀にも出てくる地域です。近くには装飾古墳の仙道古墳や九州では珍しい前方後方墳の焼ノ峠古墳など有名な古墳も多い地域です。※大塚古墳、神社の社殿の奥にありました。今回は、その有名どころではなく少しニ
なぜ敦賀は、古代から日本海側の要衝とされてきたのでしょうか。福井県南西部に位置する敦賀は、日本海に面した港町です。古くから北陸と畿内を結ぶ交通の結節点であり、街道と港が交わる場所でもありました。こうした地理条件のため、敦賀には古代から多くの人々が海を越えてやって来ました。古墳時代には異国の王子が上陸し、奈良・平安時代には国家が迎える使節が訪れ、やがて海外商人もこの地に現れます。敦賀は、時代を超えて人と文化が交わる「海の交差点」でした。目次【第一章】古墳時代|海を越え
2024-08-252024年ほうふ縁めぐりをしました。防府市内の18の寺社をめぐって御朱印をいただくというイベントです。😊前回御朱印がいただけなかったので再参拝しました。直書きの御朱印をいただきましたよ😊縁めぐりコンプリートしました。『ほうふ縁めぐり2024#04佐波神社』2024-08-102024年ほうふ縁めぐりをしました。防府市内の18の寺社をめぐって御朱印をいただくというイベントです。😊佐波神社は、元は金切神社といい…ameblo.jp
私の住む大川市の氏神さまは、創建1825年の風浪宮になります。その主祭神、神功皇后のご主人である仲哀天皇とイスラエル初代のサウル王の不思議な一致についてのお話。************第14代仲哀天皇について、日本書紀にはこう書いてあります。「天皇は容姿端麗で、身丈は10尺3メートルであった」次に聖書では、初代イスラエルの王サウルについては、こう書いてあります。「美しい若者で彼の美しさに及ぶものは、イスラエルには誰もいない。民の誰よりも肩から上の文だけ
第6話|波間に交わる視線【あらすじ】「聡き姫」の噂を聞いた足仲彦天皇は、武内宿禰とともに敦賀を訪れた。視察の名目で帯姫を遠目に見守るはずが、二人は人波の中で視線を交わし、互いに特別な存在であることを感じ取る。やがて武内宿禰が帯姫に大王の意向を伝え、運命は大きく動き始める。――――――【本文】噂を聞いた足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》と、大臣、武内宿禰《たけうちのすくね》は、帯姫《たらしひめ》らが敦賀に滞在している折を見計らい、敦賀を訪れま
第十四代仲哀天皇は、古代の天皇で四世紀後半頃の、古事記、日本書紀の時代の天皇です。御名は帯中津日子命/足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)。御父は倭建命/日本武尊(やまとたけるのみこと)、御母は布多遅能入理毘売命/両道入姫命(ふたじのいりびめのみこと)で垂仁天皇の皇女。容姿端麗で背も高かったといわれています。成務天皇四十八年、成務天皇に皇子がいないため、天皇の異母兄である日本武尊の第二皇子の足仲彦尊が三十一歳で皇太子となられました。それから十二年後に天皇の崩御により即位されまし
2024-08-102024年ほうふ縁めぐりをしました。防府市内の18の寺社をめぐって御朱印をいただくというイベントです。😊佐波神社は、元は金切神社といい、仲哀天皇が筑紫征伐の折りに立ち寄った社伝を持ち、天照皇大神ほか十三柱を祀る神社です。周防国総社として代々の国司が参拝したと伝わっています。駐車場は道幅が狭いですね。広い境内で手入れが行き届いています。生憎宮司が不在で御朱印をいただけませんでした。
2024-08-102024年ほうふ縁めぐりをしました。防府市内の18の寺社をめぐって御朱印をいただくというイベントです。😊鎌倉時代の正治元年(1199)の創建。御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。手入れされた境内で、お笑講発祥の地の石碑がありました。
2026.02.07神功皇后神社巡り。高松八幡宮からこちらに参拝しました。御祭神:天照皇大神神功皇后応神天皇仲哀天皇。由緒:古墳時代の武烈天皇の時(498年~)、大野村の氏神として、天照皇大神を勧請し神明宮と称して祀った。鎌倉時代の建保年中(1213年~)、宇佐八幡宮を勧請合祀して八幡宮と称する。昭和四十六年(1971年)の田頭祭御神幸中、御社殿が全焼する。同四十九年(1974年)、社殿を再建。参道の入口付近に駐車場はありません。少し先に空き地に停めて参拝しました
22026-02-07『室積地区の氏神様、早長八幡宮』2026-02-07うどんを食べたあと、近くの早長八幡宮に参拝しました。『餅菓子と手打ちうどん宮本』2026-02-07『紅梅が見ごろの冠天満宮』2…ameblo.jp早長八幡宮参拝の後、こちらの高松八幡宮に参拝しました。雨はもっと強めに降っていました。御祭神は、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、宗像三女神。887年に宇佐神宮より勧請された上関宰判の祈願所の神社です。広い駐車場に車を停めて大きな馬の絵馬がある
愛の物語が誕生したお宮の香椎宮⛩️節分の飾りつけかな⁈御祭神仲哀天皇神功皇后稲荷神社⛩️鶏石神社⛩️愛つなぐむかしむかしのお話。英雄ヤマトタケルの子、仲哀天皇は、強く美しい神功皇后と夫婦になり、香椎でひとときを過ごすことになりました。ある日、仲哀天皇は神の怒りに触れ亡くなってしまいます。神功皇后は悲しみをこらえて、天皇のかわりに男装をして海を行き交い、そして愛する夫のために香椎にほこらを建てました。その後、ご夫婦に男の子が生まれます。生まれつき弓の名手であったこの男の子は、
式内社・石田(いわた)神社(石田八幡宮)(東大阪市岩田町)に参拝現在の祭神は、八幡宮として、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后となっています。しかし、由来は「石田」とあるように、元々は、大きな磐座、岩船石があったとされ、サイノカミ三大神を祀る出雲族の創祀であった可能性があり、北側の近くに「幸神塚」のあった名残と思わしきところも確認できました。実際、謂れにも、欽明天皇の時代に、田圃の中に岩船ありて、その上に三神現じ給ひしより、初めて社壇を築きて、奉祀せるものなり
はい!奈央です。今日は、曲川と江川が遠賀川に合流する地点に来ています。もう何度もご紹介した場所ですね。曲川って、江戸時代に現在の遠賀川が掘削されて開通する前の本来の川筋の一つだったんですね。古遠賀湾の東端をくねくねと曲がりくねりながら、流れ続けてきた川です。慶長年間の遠賀川改修筑前芦屋案内記HPよりお借りしました。この古遠賀湾の地は現在、主に、芦屋町、遠賀町、水巻町、鞍手町、中間市、そして北九州市の市町村域となっています。そしてそこは、かつて遠賀郡と呼ば
第4話|英雄の名の代償【あらすじ】英雄ヤマトタケルの名を汚したとして、天皇は異母弟、蒲見別王を処刑する決断を下す。民の期待に応えるため、父の名を守ったはずのその選択は、彼自身の心を深く傷つけた。英雄の信仰に押し潰されそうになる中、天皇は新たな力として「神の声を聞く姫」の存在を知る。――――――【本文】蒲見別王《かまみわけのみこ》が白鳥を奪っていった。その知らせを聞いた足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》は、しばし言葉を失いました。胸に込み上げ
今日も暖かい、窓の外でかわいい声が聞こえる・・?モズの♂♀だ、求愛中だった。懸命に♂が求愛するがしばらくして♀が飛び立つ・・♂呆然とたたずんていた・・そんなモズに見送られて、香椎宮へ参拝に出かけた。香椎宮は官幣大社で由緒正しいところだ。ここは仲哀天皇の崩御の地と伝えられている。御祭神は仲哀天皇・神功皇后狛犬の阿吽もさすがに力強いネ本殿前には神功皇后が、剣・鉾・鉄杖の三種の武具を埋めた上に杉の枝を挿したものが大きく成長したといわれる杉が凛と立ち上がっている。本殿にて力強
愛知県岡崎市伊賀町の伊賀八幡宮です。随神門。御祭神応神天皇仲哀天皇神功皇后東照大権現(徳川家康公)神橋。1470年創建。蓮池があります。参拝したときはまだ蓮の花はピークの時期ではなかったけど綺麗でした(去年参拝したものをブログに載せています。蓮の花の見頃は7月中旬頃、蕾は午前中に開いて午後は閉じるので午前中に見に来るのがいいみたいです。)
総武線の本八幡と都営新宿線の乗り換えがあるのでぶらっと葛飾八幡宮に立ち寄ることにした。ですが途中、一角だけ竹藪がっ⁉️頭にふわっと禁足地⁉️がよぎりすぐに携帯で検索🔍あっやっぱりここって?想定外に八幡の藪知らずに遭遇しました。その前には神社が不知森神社⛩️なんかパシャパシャとるのもと思い一枚だけとりました!周りは民家があるのに不自然な竹藪が不思議な感じです!そして、信号をわたり葛飾八幡宮⛩️へ御祭神は、誉田別命ほむだわけのみこと(応神天皇おうじんてんのう)仲哀天皇の
第3話|白鳥となりし父、日本武尊【あらすじ】父・ヤマトタケルの顔はほとんど覚えていないが、白鳥となって天へ昇った葬儀の記憶だけは足仲彦の胸に深く残っていた。即位後、天皇は父の魂を慰めるため、諸国に白鳥を集めさせる儀を命じる。だがその白鳥は、異母弟・蒲見別王の不敬な振る舞いによって奪われてしまう。――――――【本文】足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》は、父ヤマトタケルの顔を、ほとんど覚えていません。ヤマトタケルは生涯、遠征に明け暮れた英雄で
明け方、、、身体が相当にやばいくらいに冷えて、、、ほんの一瞬だが、生々しい夢😴💤高句麗付近にいた幼い応神天皇が、敵が迫る中、伝令の使者に抱えられ、冷や汗をかきながら、馬上で揺られている夢。。。その光景を上から眺めているのだが、夢の中で、私も汗をかいていた。神功皇后の三韓遠征は、何故に行われたか?当時、大陸の騎馬民族が勢力を増し、急速に南下している状況にあり、日本政府の支所である朝鮮半島の任那から、大陸の情報を得ていた。一説によると、神功皇后の夫である仲哀天皇は、虚弱で病死したと
祖先の旅#14丹波から美濃へ第3章美濃下向―王命としての開拓丹波で育まれた技術と人材は、やがて次の舞台へと送り出される。その行き先が――美濃である。⸻「下向」という言葉の重さ古代史で使われる「下向(げこう)」という言葉は、単なる移動を意味しない。それは、•王命による派遣•政治的・軍事的・経済的目的を伴う移動•成功が期待されている任務を指す。つまり、美濃への移動は、逃避でも放
参拝を仕切り直した翌日の朝、7時過ぎに八幡朝見神社の駐車場に無事に着きました😊八幡朝見神社は鎌倉幕府を守護する鶴岡八幡宮から勧請された神社です。関東からはるばる海を渡ってこられた神様なのですね。参拝の感想から先に言ってしまうと私にとっては難しい印象の、緊張感のある神社でした。前日からのすれ違いを思うともともとの相性なのかもしれません。翌日も雨が降っていましたが前日に間違えた道を確認してから三の鳥居をくぐって入ります。雨は前日よりも強めでまる
第2話|英雄の影に立つ大王《おおきみ》、足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》【あらすじ】英雄ヤマトタケルの子として生まれ、天皇となった足仲彦尊。人々は彼自身ではなく、「父の名」を見て玉座の上の姿を評価していた。凡人であることを知る彼は、それでも天皇として立つための道を静かに選び取っていく。――――――【本文】足仲彦尊《たらしなかつひこのみこと》は、かの有名な日本武尊《やまとたけるのみこと》の第二子です。第二子とはいえ、それは最も高貴な妻のひとりが産
香椎宮と神功皇后の関係について、神社由緒(社伝)および『日本書紀』等の史料に基づき、憶測を排した事実関係と、地名に残る伝承の深堀り解説を行います。香椎宮は単なる「神功皇后を祀る神社」ではなく、皇后の人生における最大の転換点(夫の死と自身の覚悟)となった歴史的舞台そのものです。1.香椎宮の起源:行宮(仮の宮)から「廟」へ事実として、現在の香椎宮がある場所は、かつて仲哀天皇(第14代天皇)と神功皇后が仮の皇居(行宮)を置いた場所であり、歴史的には「橿日宮(かしひのみや)」と呼ばれました
2025-12-13踏切を渡りますてか、さっき降りた伏見桃山駅の前を通りました御香宮神社大鳥居お久しぶりですぅ神功皇后応神天皇仲哀天皇あ、応神天皇って、この前応神天皇陵の古墳に行ったよね〜仁徳天皇のお父さんだ神功皇后と仲哀天皇は夫婦で、その子供が応神天皇ファミリーだぁ入りまーす伏見城の大手門だったのが、お引越ししてきたんだね入ってからパチリこのコ、、、ちゃんと2人いたんだぁ〜すぐ近くに門の中にあるので近くにはいけないここで一服するために駐車場へ今日は少し歩い