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嬉野うれしの温泉の老舗しにせの旅館「和多わた屋」を出て、島﨑妙諦先生と友人のHさんと一緒に、再びまた佐賀の地へと戻ってきました。九州ツアーの2日目は熊本県へと南下、大分と熊本の県境のホテルで一泊、そして3日目は長崎のあんでるせんへと向かい、嬉野で一泊、そしてこの4日目の最終日は、佐賀の神社を巡り、いよいよ佐賀空港から東京羽田に向かって帰ります。九州北部を縦横無尽に回ったワイルドな旅も、いよいよ終盤です。今回、最初に向かう場所は、佐賀県武雄たけお市の武雄神社……
本殿右奥に矢印があり「武内屋敷跡・不老水」香椎宮の本殿奥から外にでて7分ほど歩くと矢印が案内してくれ到着武内宿禰が住んでいたところだそうで、彼が見つけたのが不老水天皇皇后両陛下にお水を献上する武内宿禰なんせ何百年も生きた彼が見つけて飲んでいたんですから、長寿のお水✨持っていたペットボトルがたまたまあったのでそこにお水を足しました。柔らかな感覚のお水でした。汲める時間は10時~15時です香
九州は神功皇后がご祭神の神社が多くてびっくりです。でも夫の仲哀天皇と二人揃って祀られている神社はここだけです。「香椎宮」(かしいぐう)全国でも限られた神社で行われる「勅祭(ちょくさい)」がある神社でもあります。勅祭(ちょくさい)天皇陛下から勅使(天皇の使い)が派遣され、お供え物(幣帛)が奉納される特別な神事。国家の安泰と国民の繁栄を祈願する重要な神事。九州では香椎宮(福岡市)と宇佐神宮(大分県)の2社だけで勅祭が10年に一度執り行われるそう。なん
九州の神社で全体運であげられる。神社として香椎宮があげられます。神社⛩️紹介をします!香椎宮(かしいぐう)は、福岡市東区に鎮座する仲哀天皇と神功皇后を主祭神とする由緒ある神社で、元々は仲哀天皇の崩御後、神功皇后がその霊を祀った霊廟「香椎廟」が起源で、平安時代から「香椎宮」と称されるようになりました。天皇家とのゆかりが深く、応神天皇や住吉大神も祀られ、夫婦の神様、勝負運、武芸上達の神徳で知られ、地名「香椎」の由来となった椎の木(しいのき)も境内にあるのが特徴です。是非参拝してくださいね。
12月7日参拝華表(かひょう)神社御堂筋線北花田駅徒歩約4分住宅街にひっそりとある神社です華表(かひょう)とは神社の鳥居のことだそうですここの一の鳥居は朱色です御祭神は素盞鳴尊、誉田別命、宇賀之御魂命の三柱創建は第14代仲哀天皇の時代と伝わる歴史ある神社仲哀(ちゅうあい)天皇は日本の第14代天皇とされる人物で『日本書紀』や『古事記』などに登場本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子皇后は神功皇后です
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】仲哀天皇即位8年春1月4日。筑紫に行きました。その時に、岡県主の祖先の熊鰐が天皇の車駕が来ると聞き、あらかじめ五百枝賢木を抜き取って、九尋の船の舳に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剣を掛け、下枝には八尺瓊を掛け、周芳の沙麼之浦(山口県防府市佐波)に迎えに行きました。魚や塩が取れる土地を天皇に献上し、言いました。「穴門から向津野大済まで
長門市俵山温泉の西の方にある一位嶽(一位ヶ岳)は、かつて仲哀天皇に柊など祭祀のものを奉ったところとて一位の位を授かったといい伝えられる。標高七〇〇メートルばかりの形のよい山である。第二十九代欽明天皇の御代のこと、国土平安鎮護のため「神上寺」を建立されるということになったが、さてその建立にふさわしい候補地をめぐって、一位嶽山麓の住民と、仲哀天皇殯葬地といわれる華山(豊浦郡豊田町)山麓住民との間に激しい争いが巻き起こったという。その結果、さまざまな曲折を経て、神上寺は華山に建立されるこ
JR萩駅の南にある神社です。<御祭神>主神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后配祀:宇治皇子・難波皇子・玉依姫・高良大明神<由緒>後嵯峨天皇仁治四年三月一五日長門守護職佐々木四郎高綱が源頼朝の命を受けて鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのがはじまり。当時は阿武郡川上村立野に祠を建立したが、地頭三好康久御告の如く、今の地に古宮を建て、同年秋八月一五日喜部より遷祀した。藩政時代も毛利氏の尊崇厚く、万治二年に綱広公の造営により本殿と楼閣が備わり現在の
若江鏡神社に初参拝もちろん、研究の「三種の神器ダイヤモンド結界」における重要な一角としての鏡を社名に冠する神社であります。往生院六萬寺の真西、つまり、岩瀧山磐座・三間石山の真西に位置しています。やはり実際に参拝しないと分からないことがあります。社殿は東向き朝日の陽を受ける鏡が意識されてあるからでしょうか。しかし、遥拝所が向かう対象先は真東となっていました。つまり、岩瀧山磐座、三間石山を遥拝していたということにな
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】仲哀天皇二年夏六月十日、天皇は豊浦津に泊まった。皇后は敦賀を出て濘田門(ぬたのと)に至り、船上で食事をした。そのとき、鯛が沢山船のそばに集まった。皇后が鯛に酒を注がれると、鯛は酒に酔って浮かんだ。漁師は沢山その魚を得て、喜んで言った。「聖王(神功皇后)のくださった魚だ」鯛は六月になると、いつも浮き上ってロをパクパクさせ酔ったように
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】二年二月六日、敦賀に行宮を立ててお住まいになった。これを笥飯宮(けひのみや)という。二年三月十五日、足仲彦天皇は南海道を巡幸した。皇后と百寮は留めおかれて、駕に従ったのは二〜三人の卿と、官人数百人とで紀伊国に行き徳勒津宮に居た。このとき、熊襲(くまそ)が背いて貢を奉らなかったので天皇は、熊襲を討とうと徳勒津を発ち船で穴門(山口県)に向かった。その日、使いの者
神功皇后神社巡り。旧豊北町粟野にある長門粟野八幡宮です。ご祭神は、神宮皇后、応神天皇、仲哀天皇、多紀理比売命、市岐島比売命、多紀津比売命。戦国時代の明応元年(1492)、筑前国の筥崎八幡の神が、当村の外久保山に降臨したという。粟野地区の氏神として、五穀豊穰・海上安全・商売繁昌の神として氏子の崇敬されています。長門粟野八幡宮–山口県神社庁長門粟野八幡宮ながとあわのはちまんぐう鎮座地〒759-5101下関市豊浦町大字小串粟野3550通称あわのはちまんぐう御祭神(主祭神)応神天皇仲
仲哀天皇は主に記紀(『古事記』や『日本書紀』)に記述される伝説的な天皇であり、その実在性や具体的な事績については、現代の歴史学では議論の的となっています。仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)について仲哀天皇は、記紀において第14代天皇とされる人物です。📜基本情報と記紀での位置づけ第14代天皇:記紀によれば、景行天皇の皇子であり、日本武尊(やまとたけるのみこと)の御子とされます。皇后:神功皇后(じんぐうこうごう)。後の応神天皇の父とされますが、仲哀天皇は応神天皇の誕生前
2026年の恵方は南南東やや南我が家の恵方には以前恵方参りした「武田八幡宮」がおわしますご祭神:武田武大神(=ヤマトタケルの倅、応神の叔父)誉田別命(応神天皇)足仲津彦命(仲哀天皇(=応神の父、武田武大神の弟)八ヶ岳南麓の地に別荘を建てて11年目、初めて年末年始を彼の地で過ごすことにした。そうなると一番心配なのがおせちである。正月には長男夫婦と孫も来るので質量ともに充実させねばならない。いつだったか知人が八ヶ岳南麓美食シーンをリードする「岳」のおせち(
書きに来た。書けと言われる物ほど書き方が分からない。。。何を書けって…メッセージが降りてくるの。書けと…私の投稿私の語り口調で殴り書きみたいな日記でしょ…書けって言われるお題って…書けんのだって私。。1年を振り返る作文とか書けんかったんだから…だもんでオール1。。。さぁ…行くでまとめられない文章書きますよ。ん〜神様達がゆーにはね精霊のような妖精のような心で生きて行けたら…人類滅亡防げる的な。まぁ…神様が助けてくれるんでしょうね。まだ…継続させてく
今日はスーパームーン🌕↑iPhoneの限界😵よし!断捨離しよう!って思って起きたけど旦那が『休み?香椎宮いく?』って誘われて前から行きたかったから行っちゃいました神功皇后ファンなら行くべき神社⛩️香椎宮⚫︎御祭神仲哀天皇神功皇后参拝前に予習していった古代より続く全国十六社の勅祭社のひとつ神功皇后の由緒が深い武内宿禰の神社がある最近勉強させていただいているtolandvlogさんのYouTubeにもでてきた武内宿禰像をみつけてテンションあがりまし
古代史はまことに混然としてほの暗い。通説というものがありながら、諸説百出して、なお完全に断定できない。いまから70年余り前に出た学説がある。王朝交代説というものだ。王朝交替説とは、天皇の血統が万世一系ではなく複数回途切れており、異なる複数の王朝が交代したとする学説である。特に、1952年に水野祐博士が提唱した三王朝交替説が有名で、崇神王朝応神王朝継体王朝という三つの王朝が存在したとされている。武内宿禰が仕えた天皇は、崇神天皇の孫である景行天皇から応神天皇の子である仁徳天皇ま
2025-10-28ご祭神は、宇迦御魂大神、応神天皇、比売大神、仲哀天皇、神功皇后。宇佐八幡宮から勧請する前は五穀豊穣を願って氏神様を祀ったのではないかと書かれています。車だと境内まで上がれそうですが空き地に車を停めて下から歩きます。二の鳥居をくぐると見上げるような石段があらわれます。この日、一番の急坂でした(^-^;登りきると広い境内があり正面に拝殿があらわれます。よーく見ると龍などの彫刻の出来栄えが素晴らしいですね。
長いあごひげのある歴史上の人物といったら誰を思い浮かべるだろうか。関羽、後醍醐天皇、レオナルドダヴィンチ、板垣退助……いずれ劣らぬ見事なヒゲである。私は、まずこの人が浮かぶ。武内宿禰一時期、日本国紙幣の一円札に描かれていた人物だ。ただし、1958(昭和33)年に発行停止になっているため、私はその実物を見たことはない。ただ、武内宿禰は歴史上の人物かといわれると微妙だ。現在のところ彼は、実在しているかわからない伝説上の人だからだ。この人、戦前までは諸般の事情で超有名人だったはずだが
こんにちは~Aimmyです健康診断へ行ったのですが最近は良く食べるからヤバいなぁ…なんて思っていたのに2キロ痩せてましたただ筋肉が落ちた…とも言う最初に旅の予定を決めていた時は志賀海神社さんは入れてなかったんですですが今回は外せないなぁ…と思い組み込んだのですが省いた場所へ行ける余裕が出来たらしくめちゃめちゃご機嫌です香椎宮うんの狛犬さんを撫でてその手を握って~白い所に立って門に向かってパーにすると開運のご利益があるそうですこの位置から門の中に鳥居が見えるの
10月22日水曜日高市総理大臣就任記念政権を握った女性シリーズ神功皇后神功皇后(じんぐうこうごう)(旧字体:神󠄀功皇后、)成務天皇40年-神功皇后69年4月17日)日本の第14代天皇・仲哀天皇の皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。夫の仲哀天皇の崩御から息子の応神天皇即位まで初めての摂政として、三韓征伐の実施など約70年間統治したとされる(在任:神功皇后元年10月2日〜神功皇后69年4月17日)。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王、母
秋篠寺を後にして、御陵めぐり。御陵をめぐっても、御陵それ自体に、大きいか小さいか、山裾にあるか平地にあるか、堀があるかなどの違いはあるものの、特別の特徴があるわけではなく。さらに言ってしまえば、誰の御陵か、判然としないものもあり。ただ、それでも、『歴史のロマン』などとタイトルをつけて、自己満足して。神功皇后の、御陵。大きいです。神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后。『三韓征伐』、『熊襲征伐』で、知られ。自ら軍を率いて。その勇猛果敢な姿は、浮世絵などの絵画にも描かれ。数々の物語、伝承
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。2コマ目の建物は、福井県から出土した家形埴輪を参考にしました。きっと当時の家はこんな感じかな、と。
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『古事記』『日本書紀』と、伊奈冨神社の伝承を元に描いています。『仲哀天皇の子、ホムヤワケの子孫が神主となった伊奈冨神社(いのうじんじゃ)』仲哀天皇の息子の中で最も影の薄い子供、品屋別/誉屋別(ほむやわけ)にゆかりのある神社を発見したので、行った。伊奈冨神社(いのうじんじゃ)三重県鈴鹿市稲生西…ameblo.jp
北陸神旅1日目1️⃣、千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)御祭神大祖大神、稲荷大神、祖神創建平安時代2️⃣、大領神社(たいりょうじんじゃ)御祭神不破郡大領宮勝木實命創建不明式内社美濃国二宮3️⃣、伊富岐神社(いぶきじんじゃ)御祭神多多美彦命創建不明式内社美濃国二宮4️⃣、5️⃣若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)上社下社御祭神上社:彦火火出見尊下社:豊玉姫命創建和銅7年(714年)式内社(名神大)若狭国一宮6️⃣、宇波西神社(うわせじんじゃ
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『古事記』『日本書紀』と、中山寺の伝承を元に描いています。『仲哀天皇の先后大中姫の墓と伝わる中山寺古墳と石の櫃』北摂の地に紫雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるわが国最初の観音霊場です。第十四代仲哀天皇の先后大中姫、その長子麛坂皇子、弟忍熊皇子の追善供…ameblo.jp
万葉集813前文大伴旅人の書簡?筑前国怡土の郡、深江の村子負の原に、海に臨める丘の上に、二つの石あり。大きなるは長さ一尺二寸六分、囲(めぐり)一尺八寸六分、重さ十八斤五両、小しきは長さ一尺一寸、囲一尺八寸、重さ十六斤十両。ともに楕円にして、かたちは鶏の子の如し。そのうるわしさは、あげつらうに勝ふべからず。いわゆる径尺の壁、是なり。深江の駅家を去ること二十里ばかりにして、路のほとりに近く在り。公私の往来に、馬より下りて跪拝せずということなし。古老相伝えて曰わく「いにしえ
香椎宮本殿主祭神仲哀天皇、神功皇后配祀神応神天皇、住吉大神しばらく参拝客が誰も来ず、贅沢に1人だけの空間を満喫させていただきましたおみくじをひいたら、なにやら分厚〜い!しっかりした厚紙に巻かれたおみくじでした。小吉だったけど、「のちに幸せとなる」との内容で、ホッ裏参りも境内外の「香椎」の御神木がある古宮と不老水の方に向かいます。その前に、境内社の巻尾神社にお参り。勝負運向上、武芸上達の御神徳があるそうです。一旦、外に出て、道路を渡ります。階段を上がると古宮御神木
仙台旅行二日目の令和元年(2019年)9月15日(日)は、T城君の運転で塩竃市本町にある佐浦酒造店へと向かいました。◇佐浦酒造店佐浦酒造店は、私が大好きな日本酒の1つである浦霞の蔵元です。(佐浦酒造店)残念ながら日曜日が定休日だったので、酒ギャラリーに入れませんでしたが、浦霞の蔵元を初めて訪れることができただけで、良かったです。(佐浦酒造店)◇鹽竈神社佐浦酒造店の次に、鹽竈神社(しおがまじんじゃ)を訪れました。鹽竈神社の第1駐車場に車を停
創建年は、なんと西暦110年と言われかな~り古い。ヤマトタケルの東征に従った鹿島神宮の神裔がこの地にタケミカヅチを祀った。派手さ・華やかさはないがただならぬ雰囲気・空気感を感じる。霊木の存在感も半端ない。<主祭神>5柱そうそうたる面子です!仲哀天皇神功皇后応神天皇仁徳天皇タケミカヅチ※この地に、仁徳天皇を祀るとはやはりこの地はただものではない!まず、最初の鳥居をくぐったすぐに鎮座する狛犬木々に隠れて一見わかりにくい生まれ