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日本政府の抗議文には広島の原爆について書かれていないことがあった。「爆風および輻射熱により無差別に殺傷せられ」とあって、放射線による被害にはふれられていない。その時はまだ誰も知らなかったのだ。原爆がさく裂する際に出る初期放射線は、爆心地から1km未満でまともに浴びたら死亡率100%とされる。意識がなくなって死にいたると言われるが、目撃証言はないようだ。放射線と同時に強烈な熱線と爆風にみまわれ、一瞬のうちに命を奪われるからだろう。生き延びた人の体験談や目撃証言からすると、被爆後にいち早く
1945年に原爆症のため36歳で死去した、新劇女優の仲みどりさんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。仲みどりさんには、家族縁に注意。苦労や病難に注意。幸福。引き立てがある。伸び悩みや急変に注意。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。また、どこかで。
蜂谷道彦は、岩国の海軍病院で診察したところ被爆した患者の白血球減少が見られたことも聞いた。白血球が減れば感染症に罹って高熱が出るのも当然と言えるが、ではなぜ減るのかの見当がつかない。とにかく調べてみるしかないと思ったが、残念ながら、広島逓信病院の顕微鏡は原爆の爆風に吹き飛ばされ全て壊れていた。逓信病院に顕微鏡が届いたのは8月20日だった。早速患者から採血して白血球を数えてみた。白血球数は個人差が大きく、目安としては3100~8400/μl(マイクロリットル)とのこと。しかしある瀕死の患者は
仲みどり:1909年:女優・人類初となる原爆症認定患者「仲みどり」をさがす旅Amazon(アマゾン)980〜4,800円くちびるに歌をAmazon(アマゾン)2,500円原爆投下への道程―認知症とルーズベルトAmazon(アマゾン)1,380〜11,592円失敗図鑑すごい人ほどダメだった!Amazon(アマゾン)1,188円やまさき十三:1941年:漫画原作者「釣りバカ日誌」のやまさき十三さん、72歳で初監督「あさひるばん」11月29日全国公開
1951年4月から6月中旬にかけて広島の子どもたち1175名の手記が集められ、その中の105篇が選ばれて、同年10月に『原爆の子』が出版された。5歳で被爆した小学校5年の若狭育子さんは次のように書いている。今から半年前に、十になる女の子が急に原子病にかかって、あたまのかみの毛がすっかりぬけて、ぼうずあたまになってしまい、日赤の先生がひっ死になって手当をしましたが、血をはいて二十日ほどで、とうとう死んでしまいました。戦争がすんでからもう六年目だというのに、まだこうして、あの日のことを