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サトリってどんな人?2分で読めるサトリの簡易プロフィール人は、自分の頭の中にある『理屈』『知識』で説明のつかないことに出会ったとき、それを『奇跡』と呼ぶ。だが、世の中に本当の意味で『理』の通らないことは存在しない。人間が、その『理』について説明する知識・理解を持たないだけのことだ。たとえば、多くの人は人間の『意識』のもつ力というものを過小評価している。だからときに、誰かが意識の力、強靭な意志の力で何かを成し遂げたとき、人々が予想できないような結果が生まれたとき、人はそ
明日はスクールです!前回がとても高度な内容だったのでその復習から入りますこの三次元世界での願望達成や幸運を引き寄せる、なりたい自分になる、などを手に入れたいならば、知っておいた方がいい内容ですその中でご説明しました"空観"これは仏教用語になりますこの世のあらゆるものは空なるものとして観るこの状態が第一段階の悟りとされていて巷ではこれが最終段階の教えとなっているようですがこれだけでは虚しくなってしまうのでその次の段階の"仮観"とゆうものもお伝えしました空観と仮
最近少し引っかかるノンデュアリティとか?違和感について考えてみる。妖精の正体鬼の正体精霊や妖怪、幽霊見えないけどいるかもしれない?そんなものの正体は自分の中に無数に、無限に住んでいる心の動きを司る、生命たち。見つめたら、消えてしまう儚いもの。縁であり、カルマであり、記憶であり自分という世界であり唯一のものを形成する、点の連なり。続くもの、続くとは、大切なコンマ、勾玉のこと。大切なもの。心。創られていても、その価値は変わらず自分=世界どちらもリアル。リア
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。”思いやりセラピスト・コーチ”岡田修斉です。先週のブログでは、「空観(くうがん)」と「仮観(けがん)」について触れました。今回は、「仮観(けがん)」の活用法について、もう少し深堀したいと思います。「仮観(けがん)」について「仮観(けがん)」とは、ものや、ものごとを指し示すときに、それらの役割を自分が位置づけるときに使うものです。位置づけるときには、言葉を使います。人間はものや物事を認識するときには、言葉を使うので、なんら
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。”思いやりセラピスト・コーチ”岡田修斉です。ここ数回ブログで「空(くう)」について触れています。今回は、「空(くう)」という概念による世の中の観方「空観(くうがん)」と関連する概念「仮観(けがん)」について触れたいと思います。これを知っておくと自分のメンタルのコントロールにも使えるので、よかったら役立ててみてくださいね。この世の中に存在するものやことは全て、「有る」と言えばある「無い」と言えばない幻のようなものだから、あまり深刻
このブログでは、気功やヒーリングスキルを用いて病気を辞めたり、人生を好転させるための考え方や気功習得やヒーラー養成のために必要な知識についてご紹介しています。もっと詳しく知りたい!!気功師養成、気功習得に興味があるという方は下記をご覧ください。▼▼▼◎まずはメルマガにご登録ください!気を出す、気を感じるための初心者向けテキストプレゼント!◎気功を学びたいんだけど、こんなことで悩んでいるんだけど…→無料相談受付中!!お気軽にどうぞ。◎体験セッションのお申し込みはこ
こんにちは。かどやです。今日は仏教で平和を乱す考え方とされる『仮観』(けがん)と平和になる良い考え方とされる『空観(くうがん)』について、私の解釈で書いていきます。まず、仮観(けがん)とは、数が多ければ多いほど良いと考える思想で、何故この思想が平和を乱すと言われるのかというと、この世の中ではほとんどのものが数に限りがあり、それを個人が多く集めることは、他人の分まで奪ってしまい争いの種になるからです。例えとして現代社会の良くある『仮観(けがん)』をあげると、『お金は多ければ多いほど良い』
正法眼蔵のご紹介〜3新型コロナ関連で緊急事態宣言が11都府県に発令されるし、秋田では雪で亡くなられた方がたくさんおられる大変な雪害の中ですが皆様のご健康と亡くなられた方々のご冥福をココロよりお祈り申し上げます🙏ダラダラとしたブログで恐縮ですが、よろしければよんでみてください🙏※道元さんは林先生に似てるな!どちらもアタマがいいから似てるのか?画像はコチラからお借りしました👈現成公按の巻〜2その内容がわかれば悟りのカタチが見えるといわれる「正伝の仏法」の正法眼蔵ですが
正法眼蔵のご紹介〜2新型コロナ関連で緊急事態宣言が4都県に発令されるし、秋田では雪で亡くなられた方もおられる雪害の中で、ダラダラとしたダラしないブログで恐縮ですが、よろしければよんでみてください🙏画像はコチラからお借りしました👈道元禅師物語:浜田けい子/田代三善道元禅師物語浜田けい子/田代三善日本曹洞宗の初祖、大本山永平寺を開いた道元禅師の生涯を感動的に描く伝記物語。ほんものの仏法を求め、ほんものの師に出会い、激動の鎌倉時代を生きぬいた道元禅師のメッセージ。www.kinno
2~3年に一度くらい話題にあがる先日から我が家で話題にあがっているう~ん、一言でいうと『空観』かな。ある映画がきっかけでSの中で様々な思考が巡ったようで今朝からこの話になっており◯◯のし過ぎ?やふとしたきっかけで『空観』状態となり、◯殺したり、この世の虚しさを感じたまま他界されたり・・・そんな方々がちらほらいらっしゃるのも事実。本を出版されていたりするのでね。※よく勘違いされるのですが、幼少期に家庭内が辛く生きていることが嫌に
スピリチュアルな世界に関心を持ったり、それに傾倒する人たちは、『悟り』という境地に対して、羨望の念を抱きます。『悟り』『覚醒』というものに対して、ある種の幻想を抱いてしまっているのです。世の中には、瞑想や精神修行、臨死体験といった、『非日常』の世界を経験して悟る人もいれば、日常の『当たり前』の中で悟る人もいます。マインドの思考の枠組みが外れ、抽象度が上がりきったところにある『悟りの境地』に達すると、『この世のすべては幻想に過ぎない』ということが体感的にわかるのです。
ユングは、人は大別して次の二つの型に分類できるという説を唱えた。一方は、外向型。もう一方は、内向型。外向型の人間は、全ての事象を外側から捉える。具体的な用役、や金銭、身体的快楽、社交などの外の世界の価値を第一義的に考える。彼らは一人でいるのが苦痛であり、常に「外界」を必要とする。内向型の人間は、全ての事象を内側から捉える。自身の思考や、想像を重要なものと考え、対象そのものよりも、そこから導き出さえる一層高度な現実を発見する。内の
こんにちは。今回は抽象度の話をもう少し突っ込んだ感じで書きます。1日ひとつの記事のつもりが、書きたくなったので珍しく二つ目の記事を書きます。ゴール設定ほどコーチングで重要なものはありません。というわけで、今回は抽象度のトップである空について考えて、どうやってゴール設定するかを考えます。さて、博士はコンパッション(慈悲)についての本を出しました。そこで書かれていた慈悲は、利他的に行動することを説いたいました。なぜ仏教でコンパッションに至れるかというと、空観で全てが空だ
普通の人が悟りに近づける技「小止観」〜マジで最終回悩んだり迷ったりする普通の人に向けて書かれた小止観は、人生に光を灯す☀️仙人松居桃ルさんが、悟りにダイレクトにたどり着ける!と直感した本なのだ。ワタシのご先祖様が学んだはずのチギさんの教えを、テキトーではあるけどブログで紹介できるのが、ありがたくてしょうがない🙏止観の修行では欲を捨てて感情を沈める🔵ココロのクセを治し直感を得る👀天🌤からの情報をまるごと体感して♨️自然体のほほ笑みをゲットする😄止観🔵👀のコツ
現状の私は、求職者です。障害年金をもらっていますが、親に食わせてもらっているようなものです。そういう意味では、武田邦彦先生の言うように現在の修行僧のようなものです。私は宗教を信じません。なぜかと言うと、対立ばかり生んできたからです。宗教の開祖、釈迦やイエスなどは宗教を作ろうとして行動した人たちではありません。後の弟子達が作り上げた、言うなれば、洗脳、ブレインウォッシングです。新興宗教は、金集めみたいなものです。人間は、ある拍子に変性意識に入ることが
「ブラックスワンの箴言」より。これは、至言である。成功や財産、知識や地位などはある程度定量化できるものだが、「見識」だけはそれが出来ない。また、成功や財産、知識や地位は役に立つが、「見識」は役に立たない。が、私は思う。この「見識」こそがその人物の「価値の本丸」であると。そもそも「見識」とはなんだろう。極限すればそれは、「ものの見方の程度」である。この場合の程度とは、多彩さを指すものとする。それでは一例を紹介しよう。例えば我々がいるこの空間は、
私は、意識的には家族に働きかけていませんが、行い方としては結界で非直接的にまろやかにするだけか、外部には全く働きかけず自分に対してアファメーションや大周天をするか、などが思い浮かびます。また、より重要なのは、自分自身へのアファメーションや大周天だと思います。アファメーションであれば、11のルールに基づいたルー・タイス式のアファメーションと、ゴールのメンテナンスです。そして、それをサポートするために自分に結界を張ったり、大周天をしたりなどが考えられます。自分の飲み物に気の玉を封入して飲む
全ての事柄は関係性で成り立っている。個で成り立っているものはなく、有るといえば有る無いといえば無い。空という概念。こういうことを体感を持って知り、仕組みが分かりだした2007年の当初は有る無し、その両方を包括するという意味で「全て」があるのだ、などと表現しておりました。悟り、ということはこれのことか。と「悟りを開いた」という表現からイメージしていたこととはかなり…違ったので私は悟った、などという言い回しを使うこともなかったのです。そ
すべてが「空」であるこれは知識を超えた世界観であります。言語を超えた実体のない世界。それそのものであり自他も何も区別のない世界(状態)「仮観」この世が実体だという考え方。空を知り、仮であるこの世で自他を生かす考え方が「中観」中観を実践する人間は、分かりやすいいい人とは限りません。損得を考えない発言や行動の裏(表)ではお金儲けが上手だったり、お金持ちだったり、提供するサービスが高額だったり見た目ややることが、派手だったり言うことが厳しかったり冷たか
ジョニー大友です。一言で言ってしまえば、昔からある『急がば回れ』なのですが、最近、『効率を考えすぎて』例えば具体的な策を講じたりして、整理整頓をしている時間も、『時間』を使っているわけで、その作業後は確かに、効率的かつ、生産的になるのかもしれませんが、効率を考えているロスがあるわけでして、(それをロスと言ってしまったら元も子もないけど)これまた無限ループになるね・・・生きることの本質がどうも、循環というか、ループだとどうしても感じる今日この頃・・・実際には同じ1日など当然
中観をどれだけ理解して運用できるかっつう話これも文字通り「朝メシ前」の軽いハナシ→こっちが実はひとつめ(笑)てかさこれだけでも何日分かのセミナーできるボリュームの話じゃね❓助手席からの景色に気を取られて生返事で流しかねない(笑)気前よすぎて油断も隙もありゃしない(笑)タイトルだけメモっといたのを見つかってアメンバーKにツッコマれたすまん(>人<;)まぢ「メモ」なんで(>人<;)中立は実はどちらも肯定してない孤立中
皆さんこんにちは今回は、「中観」について述べたいと思います。これを理解するためには、「仮観」と「空観」というものを理解する必要があります。仏教では、人は他者との関係性において成り立っていると考えます。人は人と支えあっているから人なのであるということです。これを釈迦は「縁起」と呼びました。数字で例えれば、「偶数」と「奇数」がわかりやすいと思います。「偶数」とは2で割り切れる自然数、「奇数」は2で割り切れない自然数です。また、「偶数」は「奇数以外のもの」、「奇数」は「偶数