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今年はビール🍺もたくさん飲むぞ!初詣神社改修って初めてだ仮宮(かりみや)特別な感じですビール女子のおみくじ凶こういう、おみくじって良いやつしかないんじゃないの!マークで強調されてもなでもレア感あってちょっと嬉しいかも
10月27日(日)、膳夫町で宮座講・宮送りがありました。現在、香久山校区で宮座講が残っているのは3つの集落です。◉木之本町◉膳夫町◉南浦町以前、木之本町の宮座講の記事でも紹介しましたが、膳夫町の宮座講では、古くは禊をするために吉野川まで足を運んだようです。吉野川分水が実現する以前、奈良盆地は水不足が問題であり、稲作農家にとって水量豊富な吉野川に憧憬の念があったのかもしれません。吉野川分水が開通した後は、吉野川での禊も簡略化されていきます。吉野川の石を持ち帰り、集落
9月8日(日)、木之本町で宮座講がありました。現在、香久山校区で講が残っているのは3つの集落です。◉木之本町◉膳夫町◉南浦町膳夫町の宮座講では、古くは禊をするために吉野川まで足を運んだようです。吉野川分水が実現する以前、奈良盆地は水不足が問題であり、稲作農家にとって水量豊富な吉野川に憧憬の念があったのかもしれません。吉野川分水が開通した後は、吉野川での禊も簡略化されていきます。吉野川の石を持ち帰り、集落を流れる川に石を置き、石より川下に入水して禊をする。その後になると
機会は多くありませんが、たまに、地区の小神さん(飛地境内社)の、社殿の改築や移転について、地元の方から相談を受けることがあります。部分的な修繕程度でしたら、工事安全祈願祭を執り行い、作業自体も短期間で完了できますが、大きな改修や移転などになりますと、一時的に、神さまにはどこか仮のお宮へ移って戴かなければなりません。いわば、神さまのお引っ越しです。これについては決まった祭典があります。遷座祭(せんざさい)と言われるものが、それにあたります。頻繁に行われる祭典ではありませんが、執り行われる場合
太宰府天満宮へ行ってきました博多から直行便のバスが出ていたので一人でここ数日、毎日雨が降っていたのですが今日は朝から、すごくいい天気少し暑いくらいです雨のおかげか、緑がすごくきれいでした仮宮の屋根の緑もすごく生き生きしていてとてもすがすがしい、気持ちのいい参拝ができましたそして、今日は25日月に一度のヨモギの梅が枝餅が発売される日早速、買ってきました今年の初摘みだそうですヨモギの香りがして、とてもおいしかったです
ヤングさんこと福山竜一さんと三峯神社へ行ってきました。ヤングさんブログヤングの秘密の小部屋ヤングさんのブログです。最近の記事は「2/24(土)ヤングのぶらり旅烏2024・山梨編〜ナノパンライブ第2回〜(画像あり)」です。ameblo.jpヤングさんのニンジャ250三峯神社の鳥居は2か月位前に修繕したのでピッカピカです。この山門?も相変わらず素晴らしい!三峯神社には何度も来ているのですが御仮屋と言う社があるとか。三峯神社の眷属である狼の社で全国
香久山地域の膳夫町(旧村)では宮座講が行われています。10月28日(土)に、三柱神社の神様を約1週間お迎えしている仮宮と、三柱神社本殿の『宵宮の儀』がありました。今回の宮座講の仮宮は、頭屋の自宅ではなく三柱神社境内にある集会所に設営、10月21日(土)に仮宮に神様をお迎えしました(宮むかひ)。集会所に設営された仮宮宵宮の時刻には、すでに拝殿前に太鼓台も出してありました。宵宮は写真の左奥にある集会所で行われます。*****午後4時過ぎに、仮宮の宵宮の儀が始まりまし
香久山地域の膳夫町(旧村)で縮小されながら現在も続けられている宮座講。前日の10月28日(2023年)に仮宮で「宵宮の儀」があり、翌10月29日の早朝に仮宮にお迎えしていた神様を三柱神社へお返しする「宮送り」が斎行されました。仮宮(今回は三柱神社境内にある膳夫町集会所に設置)に神様をお迎え後、頭屋が仮宮に神饌をお供えすることで、神様のお力が強大になるそうです。今回は10月21日(土)に仮宮に神様をお迎えしました(宮むかひ)。約1週間仮宮にて過ごされた神様を本殿に還御する日が来ました。
熱中症アラートの中、太宰府の九州国立博物館「憧れの東洋陶磁」展へ。酷暑の中でも、長いトンネルを抜けると空調の効いた博物館の中で、素敵な陶磁器を見て、気持ちも涼やかに。しかし辿り着くまでは😞西鉄太宰府駅に着いて、先ずはお昼。親子丼が有名な「なみ満」へ。正午頃着いたら、外に数人が並んでいる。軒下の日陰で、大きな扇風機と冷たい麦茶まで用意されていた。15分くらい待って、店内へ。昨年「北斎展」の時にも来店したが、その時は暑さに負けて天ザルにしたので、今回は親子丼を食べると決め
立派な石宮があり気になりましたので調べました拝殿の手前の右側にあり大きな石に乗っています慶應二年三月十日建之1868年総村中年号しか分かりませんでしたので村誌で調べましたら、社殿を焼失してしまった際に仮宮として建てお祀りしていたものだったそうですどおりで立派ですしキラキラしていました⭐︎境内の奥です二猿と二鶏が可愛い庚申石堂がありました屋根の形が面白いです前面中央上部に種字がみっつあります阿弥陀三尊かのぼる猿達の頭の上に鶏が立っていますが猿達は
香久山地域の膳夫町(旧村)では宮座講が行われています。前日10月30日に『宵宮の儀』を終え10月31日、いよいよ仮宮にお迎えしていた神様を三柱神社本殿にお返しする『宮送り』がありました。早朝、仮宮の神様へお供えをした後仮宮の神様の祭典終了時頭屋と講員が神様と共に膳夫町内の各所でお参りをしながら三柱神社へと参進。膳夫町(旧村)を歩いて三柱へと向かうそして、三柱神社本殿へ仮宮の神様をお返しするのが『宮送り』です。仮宮に神様をお迎えした日(『宮
香久山地域の膳夫町(旧村)では宮座講が行われています。10月30日(土)、三柱神社の神様を約1週間お迎えしている仮宮と三柱神社本殿の『宵宮の儀』がありました。今回は、頭屋の自宅ではなく集会所に仮宮を設営。10月23日(土)に神様をお迎えしました。『膳夫町宮座講・宮むかひ』香久山地域の膳夫町(旧村)では宮座講が行われています。宮座講で、10月末から1年間頭屋と講員が三柱神社の神様にご奉仕します。10月末、次期頭屋と交代する前…ameblo.jp三柱神社の
香久山地域の膳夫町(旧村)では宮座講が行われています。宮座講で、10月末から1年間頭屋と講員が三柱神社の神様にご奉仕します。10月末、次期頭屋と交代する前に三柱神社の神様を頭屋宅の仮宮に御迎えして数日間神饌をお供えします。その後、神様を仮宮から三柱神社へ御返しして新しい頭屋と交代となります。10月23日(土)、三柱神社の神様を仮宮にお迎えする『宮むかひ』がありました。※頭屋や講員の負担を軽くするために今年から以下の見直しがありました。・膳夫町東西で頭屋2
崖観音に隣接している諏訪神社。諏訪神社(館山市船形)諏訪神社例大祭(船形地区祭礼)は屋台2台・山車3台・御船1台が繰り出し、ふれあい市場周辺までが歩行者天国となり、大勢の人で賑わいます。開催日:7月第4土曜日・日曜日bosotown.com罰当たりな人が居るもんだ
安産祈願は水天宮に行った。安産祈願の記事↓『17w4d』この日はシティホテルにお泊まり🏨翌日は水天宮へ安産祈願へ行く⛩1日目のランチは新大久保へ。ハンヤンへ行った。ここのサムゲタン大好き週に一回は食べたくなるラン…ameblo.jpお宮参りも水天宮に行った。この時は仮宮だったな両家の親も来てくれて、私達よりも早く着いていた。沢山の人であふれていた。そしてご祈祷していただき、お参りをした。その後、タクシーで新橋近くのカニ道楽へ行き、食事をした。広い個室にゆったりと座り、美味しい食
大福寺の次はすぐ隣りにある船形諏訪神社へ鳥居。参道を進むと階段があり、階段を上ると社殿があります。↓階段上から振り返るとこんな感じ。可愛い狛犬。手水舎。社殿は2017年に放火され全焼してしまったそうです(>_<)💦現在の仮宮。無人でしたが書き置きの御朱印が用意されていました。
8月25日船形地区の総氏神である船形諏訪神社は大福寺崖観音の隣で階段の中程から行けます手水舎平成29年3月の上旬に放火され貴重な彫刻が施された社殿や保管されていた古文書等が全焼してしまったそうです天水桶お稲荷さん社殿があった場狛犬さんとっても暖かい穏やかな気に溢れてました下に鳥居があります一人の時は一度降りてから登りますがダンナがいるので今回はあきらめました仮宮少しですが多めにお賽銭入れさせてもらい
今日は21日須坂祇園祭初日御天王下ろしの日江戸時代から続く行事疫病退治の京都祇園祭から来たもの今年は新型コロナウィルスの感染防止で中止になったが、御天王さまは弥栄社からお出しして、仮宮に祀らせていただく本来なら氏子が白装束で担ぎ市内を回る笠鉾と一緒に。当社は本年もお神酒を奉納させていただいた須坂は現在まで護っていただいている在り難いこと・・・今朝、お参りをさせていただいた。お守りいただいて誠にありがとうございま
先日遷座祭があって、神様が仮宮へ遷座されましたお供のものも一緒に入ってもらいました狛犬の裏には安政五戌午三月日とあります、1858年今から162年前祭神でしょうか?豊岩窓の命と櫛磐窓の命と聞いています化我身(鏡)我をとれば神になります、中々取れません。しばらくはここにいて頂きます、パンパン!
【鎮座地】東京都中央区日本橋浜町2-30-3(仮宮)【御祭神】天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼【創建】1818年(文政元年)【HP】http://www.suitengu.or.jp/index.htmlもともとは久留米の水天宮を歴代崇敬していた久留米藩主のうち、9代藩主が江戸・三田の江戸上屋敷に分霊を勧請したのが始まりだそうです。明治になって日本橋蠣殻町に移転をしたそうですが現在は建替え工事中で2016年竣工の予定だそうで浜町に