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最近こういう名著というのですか?思想とういうか哲学というかこういうのが好きですかね。ある程度生きてきてなんの為の人生なのかしら?とかふと思う時もある訳ですよ、ごく稀にですけど逆に言えば自分の使命というか目標というか向かう先が見えてる方は充実した人生な訳ですそんな中でこの「上杉鷹山」自分の人生全てを藩の発展に捧げた方でした目次・鷹山の誓文・複利?の効果・質素な生活、豊かな人生鷹山の誓文鷹山が藩主になる日に奉納したそうです1、
いつも、このページに来て下さる方また、初めてこのページに来て下さった方ありがとうございます。私は今年還暦を迎えるツンデレ婆さんです。代表的日本人(いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ4)|内村鑑三,齋藤慎子|本|通販|AmazonAmazonで内村鑑三,齋藤慎子の代表的日本人(いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ4)。アマゾンならポイント還元本が多数。内村鑑三,齋藤慎子作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。
かつて拙ブログで、内村鑑三と彼の代表作、『代表的日本人』ををご紹介しました。(↓)同書の中では西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳という誰もが知る名前が紹介されていますが、彼らに次いで4番目に挙げられている人物(※5番目は日蓮)が、中江藤樹今日は、日本陽明学の祖にして〝近江聖人〟と呼ばれたこの儒学者の命日・没後365周年にあたります。1608(慶長13)年、近江国小川村(現在の滋賀県高島市)の農家に生まれた藤樹は、9歳の時に武士であった祖父・吉長の養子とな
評論家の片山杜秀さんが代表的日本人として子規を取り上げています。張り合わない、という見方に賛成です。
日本を代表する人は、誰…⁉外国の人に聞かれた時に、または外国の人に日本らしさを紹介する時に、「日本を代表する人は誰?」と聞かれたら、何と答えますか。日本の過去から現在に至るまでの人物を見た時に、たくさんの人が候補に挙がるでしょう。一人に絞ることは、至難の業ですね。それでは、「5人を挙げてください。」と言われれば、何となく選びやすいかも知れません。例えば、歴史的に名をはせた人、スポーツで活躍した人、経済界で功績を残した人、政治で日本を導いた人、科学の分野で実績を残した人等々、選択肢が広
No.428令和5年2月10日(金)雨2月ももう10日になりました。早いなぁー!(^^)今日は一日中、雨で寒くなりそうです。関西は雨ですが関東では警報級の大雪の予報で被害が出ないことを祈るのみです。大阪では今日が私立高校の入試が多いようで普段の力が発揮できるよう励んで欲しいものです。(ー_ー)今回のブログは前回に引き続き人間学を学ぶ月刊誌『致知』最新号より(^^)2023年3月号特集「一心万変に応ず」から
子ども達の学生時代の置き土産。いつか読もうと取っておいたのを、何気なく読み始めたら、あまりにタイムリーで…最初の西郷隆盛篇、所々、内村鑑三のイメージに合わないこと書いてるな?と思ったら、彼は、大分思想の変遷があるのですね。初稿を書いたのは日清戦争の最中。当時は、義のある戦争と信じナショナリズム傾向が強かったのだそうです。でも、戦争の現実を知り、大きく考えが変わり、日露戦争の頃までには、絶対的非戦論へと転向していたのだとのこと。現在の出版物は、その後に改訂されたもの
大学院の講義の関係にて、以下2つの本を読みました。・代表的日本人/内村鑑三(1908年執筆)・武士道/新渡戸稲造(1899年執筆)100年以上も前の作品だからと思いたいが、読んでも全然頭に入って来ず。。。困ったと思いYouTubeで調べてみると、分かりやすく解説してくれる動画が多数。幼少期は賢い人見つけなきゃわからず仕舞いでしたが、今は知の共有が全世界でされており、大変便利な時代になりました。ただ、何となくわかった気になって何も理解できてなさそうなので、もう少
言わずもがなですが、今から11年前の・2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が起きました。〝10年ひと昔〟と言いますが、私を含め皆さんにとっても昔のことでは片づけられないはず。犠牲者のご冥福をお祈りすると同時に、あらためて大地震に対する備えを再点検したいものです。さて、閑話休題。その昔、ケネディ大統領が日本人記者を集めた記者会見の席上で「日本の政治家で尊敬できる人物は?」と質問され、即座にその名前を挙げたといわれる人物がいます。破産寸前の米沢藩を見事立ち直らせ、為した
【内村鑑三さんの『代表的日本人』を読みながら自分なら誰を代表的日本人として世界に紹介したいだろうかと思いました】内村鑑三さんは世界に5人の代表的日本人を英文で紹介しました。日露戦争の後の時代です。世界ではまだまだ日本は相手にされていなかった時代です。そのような時代に日本の精神性の高さを知ってもらう必要があると内村鑑三さんは考えたのでしょう。5人の代表的日本人は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、そして日蓮です。それぞれに本当に素晴らしいと思います。代表的日本人を読むことで
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)ローマ時代、ストア派の哲学者、セネカさんの著作、人生の短さについて他2篇の中で、私が印象深かったところを、紹介・解説しています。今回で4回目、最終回にします(^^;セネカさんは、「人は、人生というものを、浪費しがちである」「他人に振り回されずに、自分自身を見つめて、今を生きることが大切だ」と述べられています。では、セネカさん的には、「今」この時間を、
今日(2021/12/19)の東京新聞朝刊の記事見出しにあった言葉です。国内外で核兵器廃絶を訴える24代目の「高校生平和大使」に選ばれた生徒たちの結団式における決意表明の言葉として紹介されていましたが、色々な場面で使えそうな気がしてメモしておくことにしました。中途半端な状況を許さない"allornothing"と違って、"微"力と"無"力は"alittle"と"no"の対比を想起させます。たとえわずかであっても「有る」と「無い」とでは局面(aspect
天響く声江戸末期の篤農家・二宮尊徳が不思議な和歌を詠んでいる。音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつこの音声のない経文を聴くためには、肉の耳ではなく、こころの耳が必要となってくる。尊徳翁はその耳を、金次郎と呼ばれた幼少の頃からの苦難を通して与えられた。やがてその聴く力は小田原藩主の求むるところとなり、翁の指導のもと、荒れ果てた人心と田畑とを見事に蘇生せしめ、旧に優って豊かな繁栄をもたらした。キリスト者の内村鑑
******************************二宮尊徳の話に関連して、私はぜひ『代表的日本人』にある根っこ掘りの話を挙げたいと思います。働き手の中に一人前の仕事がこなせない老人がいて、いつも皆の邪魔にならないよう木の根っこばかりを掘っていました。他の人が休んでいる時も決して手を休めることをしない。村人たちはほとんど見向きもしませんでしたが、尊徳はこの老人の働きを誰よりも高く評価して十五両という破格の大金を手渡し、老人は感涙にむせぶという逸話です。堀義人(グロービス
近代のキリスト教界の中で仏教界や他宗教の人たちからも尊敬されたリーダーは何人かいますが、一番その中で代表的なのは内村鑑三という人です。内村鑑三は「神様が本当にこの人類を救おうとしておられるなら、キリスト教が宣べ伝えられる前にそれぞれの民族に何らかのその真理を啓蒙してるはずだ。あるいは素晴らしい人を送って、その民族のレベルを上げようとしたに違いない」と考えた人です。そこで日本では誰が該当するのかということで、彼は日本における預言者的な人物、日本の文化とか民度を上げるために貢献した人の代
志と徳と誠実と内村鑑三氏の「代表的日本人」という本を読みました。これは、内村氏が欧米の国々に、日本及び日本人のすばらしさを伝えるために英語で書いた書籍を、再翻訳したものです。本書の中では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人らが紹介され、逆境に耐えながら日本の歴史をつくってきた「代表的な日本人」にスポットが当てられています。僕自身、なんとなく名前は知っていましたが、こうしてその歴史に触れると、改めてその壮絶な姿に圧倒されました。こ
「尊敬する人は誰か?」と訊かれたら私の場合、迷うことなしに内村鑑三というだろう。この「成功の秘訣」は今でいう、星野リゾートに滞在した際乗った車が余りにスピードを速くしたことから書かれたものという。急ぐべからず、自動車の如き成るべく徐行すべし内村鑑三の教訓は、どれも多いに参考になります。ある意味で、アウトサイダー。しかし、代表的日本人である。岩波文庫をいくつも読んできました。いままでも、これからも。ありがとうございました。
ちゃんしげブログにお越し頂きありがとうございます🙏1961年1月。ケネディ大統領が、第35代アメリカ大統領に就任した時の記者会見にて『今日本人の中で、尊敬する人は誰か?』という質問に対し『それは上杉鷹山である』と答えたという。日本人記者【上杉鷹山?誰それ?】1961年当時、日本人ですら知らなかった米沢藩の藩主上杉鷹山を何故、遠く離れたアメリカの大統領が知っていたのだろう?何故?1908年(明治41年)キリスト教徒の多いアメリカ人に向けて、異教徒でもある日本人の中に
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)2009年NHK大河ドラマの原作にもなった、火坂雅志さんの歴史小説天地人から、私の印象に残った箇所を、紹介しています(^^)主人公は、「愛」の兜で有名な、直江兼続(大河ドラマでは妻夫木聡さんが演じました)です。今回が最終回です(^^;前回は、兼続と、石田三成とのやりとりを紹介しました。「三成、もう少し、大人になってくれよ・・・」という感じでしたが(^^;やが
内村と新渡戸の母校、北海道大学「武士道」の新渡戸稲造と「代表的日本人」の内村鑑三。これら世界に影響を与えたジャパノロジーの必読書を書いた二人の母校は、明治時代の札幌農学校、すなわち現在の北海道大学である。初めて北大を訪れたのは、二十歳の初秋だった。沖縄から二か月かけて宗谷岬まで自転車で旅し、その後北大のキャンパスを5日間ほど野宿させてもらったことがある。毎年夏になると、日本中からサイクリストやツーリングで北海道を訪れる人が多く、当時はおおらかだったのか、大学の守衛さんに「旅のものです