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甥である自分が60代半ばを過ぎると親戚の伯父伯母・叔父叔母が相次いで亡くなり淋しい限りです。先日も電車で法事に出かけました。両親の時もそうでしたが身内の死は悲しいものです。近くに行けば必ず立ち寄った母方の在所※も叔父さん叔母さんが既に亡くなり従兄弟が世帯主で、その子へとそろそろ代替わりです。昔からいくら仲の良い従姉妹とその旦那でも代が変わると遠慮するというものです。自分の実家も同じです。長男の嫁の意向や人柄にもよるでしょう。兄弟なんて嫁次第で本当に男は情け無い生き物です。以前、従
その丸坊主事件とは、オヤジの弟子がある信者さんのところで詐欺師まがいの不祥事を起こし人質になってしまったので、教会に他の兄弟子たちや親族が集まり井戸端会議の結果、私の兄弟子が謝りに行ったが、怒りに怒った信者さんの心は治まらず帰してもらえない。そのときに「私が頭を刈ってお詫びに行くから」と、妻にバリカンで頭を刈る用意をしてもらい、妻は泣きながら私の頭を丸坊主に刈った。そのバリカンは息子が剣道部でいつも妻が刈っていたからお手のもんだ。それからそのお宅に出向き土下座して無
人は誰でも立場と順序を重んずればいろいろな災難が消えてくるんだけど、その立場と順序がなかなか分からないと言う。もう四年も前になるが無二の親友を断ち切った。その親友は幼なじみで同じ高校に通い我が家に泊まり込んで二階で寝起きしていたのは、そりゃぁ毎晩麻雀で徹夜だからさ。その無二の親友が今月五月に定年になるが、草葉の陰で無事を祈っていると言ってもわしゃ死んでないけど。なぜ無二の親友を断ち切ったかって、そりゃぁ、親友が無事に定年を向かえるために。だが意味が分
明日からガソリン税がまた上がるらしいが、私としての考えは「まあまあ。みんな素晴らしい体験をするね」としか思わないし大部分の人は(もったいない)と言う意識が薄れてしまっているから、この際チャンスだと思えばいいじゃないのかな?こんなことを書くと財布の紐を握っている奥さんたちに反感を持たれるかもしれないけど。私たちが幼いころは、無い無いずくめの時代だったことを思い出せばもう一度、家族で寄り添うことを教えてくれていると気づけばいい。核家族になり親子の絆が薄れていて、ものがあふれ
昔は本家と分家のしきたりや位置づけがしっかりしていたがいまはそれが無くなってしまったが、もう一度、差別で無く区別の意識で本家と分家のわきまえを見直す時代だと思う。私の持論だが本家とは長男夫婦が住んでいるところで、実家とは親が住んでいるところで、分家とは長男以外の二男や三男、四男や五男、嫁いだ娘さんたちは分家には当たらない。いまは親と長男夫婦が同居している家が少なくなってきたから、このように分けなければならなくなったが、昔は長男が跡を継ぐのは当たり前だったが、いまでは近くで
魂の原理を理解してから、もう二十数年が経つが、この原理が分かってから何が変わったかと言えば、物事の奥深いところで、すべての命がつながっていること。昨日も書いたが被害者と加害者意識がなくなり、すべてがいま生きている人たちに(人生とは何か?)を問いかけていることが分かる。被害者も加害者で、加害者も被害者のように思える。被害者は加害者、加害者は被害者の話をすると当時、息子二男が中学校のとき、イジメに加わっていたと晩に聞いた。泣きじゃくっているので担任の先
新聞に目を通すと(死刑の判決)が目にとまったが、なぜ人が人を裁くのか?なぜ被害者と加害者になるのか?娘が二度も交通事故に巻き込まれた時、別々の時期に別々の横断歩道だが同じように別人の女の人に撥ねられた。そのときに現場に到着すると担当の警察官が「この人がこれこれのようにあなたの娘さんをはねた。娘さんは被害者です」とこと細かく説明してくれたが、私は「私の方が引き寄せたんだからこの人には何も罪はない」「………?」女の人は「保険で治療費と自転車の弁償をします」「いや
男として生まれ父親として生き祖父となってみて、ようやくひとつの区切りを乗り越えて平和な日々を過ごしているが、新聞紙上やテレビで放映するニュースは毎日のように殺人事件や企業の悪行など暗い話がひんぱんに起きている。二十一世紀になればもっと住みやすい時代になっているだろうと誰しも思い、誰しも期待を膨らまして待ちこがれただろうが、二十世紀後半の昭和が懐かしまれてきた。私が幼い昭和三十年ごろは、まだ乗り物といえば自転車オートバイならいい方で、自転車やリヤカー、それ以上に牛車が多くの
私たち人間の魂は生き続ける存在なのだが、過去ばかりに囚われる供養や墓参りを説き教えてがんじがらめにしている生き物は、過去に囚われて生きても何も変わらない。あるのは自己満足か敗北人生でしかない。よく過去は宿命だという人がいるが、それは固定観念であって固有名詞を重んじているからで、過去を素晴らしい体験をしたと思えば、宿命にならず運命と化すだろう。過去の体験に囚われているから、いつまで経っても自分にありがとうと言えないらしいが、どんなに辛い出来事でも、素晴らしい体験を
(まあまあ)と同じで、自分にありがとうが言えないらしいが、言えないというよりも(自分にありがとう)の意味が分からないと言うのは(ありがとう)は人に言うもんだと思っているからだ。自分にありがとうはすべてを受け入れることで、良いことも悪いこともすべて受け入れることだが、自分にいいことがあれば、ありがとうと素直に思えるのだが、悪いことに遭遇しても、素直にありがとうなんて言えるわけがないと言うだろう。ありがとうと同じで感謝やお陰様も、誰かに良いことをしてもらったときに使う言葉だと
我が家は、まあまあ一家だが、何が(まあまあ)なのか?すべてがまあまあで始まるのは、若いころからの私の口癖で、何が起きようとも「まあまあ」で、すべてがその調子。そのあとは、何にたいしても「素晴らしい体験をした」で終わっちゃうが、オヤジといるときは(まあまあ)なんて言ったなら、怒られるからそんな言葉を使えなかったが、家族だけではこれが当たり前になっていた。母ちゃんが嫁いできたときは「??????」だったようだが、最近では「まあまあ」が、ずいぶん身についてきたようだ。
ラッコの親は生きる智慧をすべて教えると、ある日突然、予告も無しにその場から消え去り、まだ幼いラッコは途方に暮れ、あちこち探し回りながら成長し、同じようなラッコの彼氏や彼女が出来ると寄り添い、夫婦になったラッコに赤ちゃんが誕生し、そして親と同じように、生きる智慧を与えてからまたある日突然「明日からいないんだからね」と言わずにどこかに行ってしまう。これをいつの放映だかもう忘れてしまったが、いまでも鮮明に頭の中に焼き付いている。ラッコの親でさえ出来ているのに…。自然界
いまの世の中、人間関係のひずみでストレスを訴えかけている人が多く、そのひずみはどこからくるのか?幼い子供がある日突然にアトピー皮膚炎とゼンソク、花粉症や蓄膿、高熱を出したりすることも、代替わりがスムーズにいっていないから起きうること。職種はサラリーマンや自営業を問わず、家系の代替わりが原因の元になっているのは、年老いた親が一番の原因だと言っても過言ではないが、その年老いた親には何も起きないから「わしの原因ではない」「わたしは何も悪いことをした覚えがない」「若い者がしっかりしな
私たち夫婦は母屋で寝起きをしていない。母屋は田舎作りで田の字型になっていて、東の長屋は昔の農作業兼用の車庫でいまでは洗濯物を干したり、自転車や普段使わないものが入れてあったりしているだけ。その反対の西の離れで寝起きしている。母屋の二階で息子夫婦が寝起きしているから、ヤンチャな孫息子はその間を行ったり来たりしていて下の孫長女はまだヨチヨチ這っているだけだから、離れに向かう途中であきらめてしまう。その孫たちを夜になるといっさい寝かさないのは、親と寝ることが
家電屋さんは近くに全国チェーンの大きな店があるが、いっさいそこでは電化製品は買ったことがなかったが、いま現在は昔からの電器屋さんは廃業したので近くの大きな家電で買っている。大部分の人は安い家電屋さんを探し回り、やっと見つけたと思って買ってくるらしいが、私は何事があればすぐに昔からの付き合いの電器屋さんに「何々の調子が悪いから見に来てくれる?」と電話すると、すぐに駆けつけて来てくれ、その電器屋さんが修理できないと「どこそこに送って再度修理してもらってもいいけど?それよりも買った方が
母屋を建て替えてから数年経ってから、トイレを流した後に少し水漏れし始めたので大工さんに「何が原因なのかトイレが水漏れしているみたいだから見に来てくれ」と電話したなら、すぐに水道の配管工事をしてくれた業者と来て「パッキンが古くなったから取り替えるだけでいいと思うよ」と言い、その足でそのメーカーに飛んでいった。だが数時間後「まったく別人が来て、その人が(トイレの部品一セットすべて取り替える)らしい」と、妻から電話が入った。「少し待ってもらってくれ」と言い、すっ飛んで我が家に帰
大工さんの話の続きだが、祖父の代で母屋の建て替えは五代付き合っている初代の棟梁として請け負ってもらったことで縁になったのかどうかは知らないが、その棟梁がオフクロの祖父だった。まだオヤジはオフクロとは結婚していなかった時だった。二代目をオフクロの父親長男が継がずに、その弟二男が棟梁を継いでいるが、縁合って出会った大工さんだから、親戚になろうが代々その大工さんを祖父もオヤジも選んでいる。母屋の西隣の離れと東の長屋も大叔父が棟梁として建て、教会の新築は叔父の跡取りの息
ふぅ何が原因なのか、きっかけなのか…急にスイッチが入った認知症の女性利用者さま。事務所で仕事をしていたら、急に扉が開き、「お給金、今すぐ頂戴!」何!?なんのこと?後ろからスタッフが慌てて追いかけてきた。「お給料よ!今日まで働いた分!」私の前に手を出し、早く寄越せ!と手のひらを動かしている「ここは、会社じゃないから、お給料なんて出ないよ」「あぁ~そういう事ね!わかりましたよ!」きびすを返し、部屋から出て、上着を羽織り、玄関から飛び出そうとする女性利用者様。止めるスタッフを
昨年12月28日に義母が亡くなりはや1ヶ月ご近所、親戚、会社関係たくさんのお心遣いに感謝の気持ちでいっぱいですただそんな中でも53年前に胃ガンのため42才で亡くなった義父の(義母の夫でありわたしの夫の父親です)遠方の弟と妹からはお悔やみの電話もご香典も何もありませんでした夫にすれば叔父、叔母になるわけですが長年お中元とお歳暮のやり取りはしている間柄ですもちろん叔父、叔母も高齢で叔父は痴呆で施設に入所したばかり叔母に至っては実はガンのため今年
私は代替わりをしてもオヤジの代から付き合っていた業者といまでも大切に付き合っている。普請してくれた大工さんや家電製品を販売している電器屋さん、また祭壇を作ってくれる建具屋さんなど。大工さんは五代付き合っているし電器屋は二代の付き合い、それ以外に履き物屋や家具屋、麻を扱う業者や白衣を作ってくれる業者などなどいろいろな業者があったが、それぞれ理由は分からないが辞めてしまったので、仕方がなく別の業者を選択して付き合っている。私の考え方の付き合いとは、値段や見積もりが高
代替わりをしたいけど、なかなか長男にお嫁さんが来ない。代替わりをしたいけど、娘が結婚しなくて長男夫婦が戻ってこられない。代替わりをしたいけど、若夫婦が離婚してどうしようもないという話しをよく耳にする。そんな家ほど兄弟姉妹がクチャクチャに付き合っている前に親の姉弟も同じく、クチャクチャに付き合っているのはなぜなのか?親の代よりももっと前から立場と順序を選んでいない家がトラブルに巻き込まれたりしていて、トラブルだけでなく、犯罪や非行、うつ病や引きこもり、花粉症
最近特に立場と順序を重んじていないような気がする。代替わりをさせようとしても跡取りが結婚して転勤族で家を出てしまっていたり、近くに家を新築して家族で暮らしているだけならまだしも、就職をしていないニートや引きこもり、登校拒否や不登校のすえ非行に走っていたり、子供が結婚してなかったり、孫ができなかったり、離婚して跡取りがいなかったりなどなど、なぜこのようなことが起きるのか?親として姉弟として、立場をわきまえ順序よく行き来をしていないからと言っても過言ではない。私の家で立場と順序
ある祖父は創業者で社員を何十人も雇用しているが、箸にも棒にもかからない無能な息子長男を飛び越えて孫に自営業を継がせた。孫も朝から酒を飲んでいるような父親を無視して、祖父と力を合わせて事業を展開した甲斐があり、成長し続けたので祖父が退任した後、社長に就任したが結婚の縁もなく何度も恋愛やお見合いをしてもすべてが水の泡と消えてしまい、半ばあきらめかけていた。だが孫たる新社長の息子さんは魂の原理を理解し、祖父の猛反対を押し切って無能扱いしていた父親に社長の座を譲った。妻にな
(上司の位は部下にあり)(先任の位は後任にあり)も同じことだが、大抵の人はみずからの位を本当の位だと思っているらしいが、その人の位は先祖の位を受け継いでいるだけに過ぎない。それを威張り散らして、我が物顔で振る舞っているから、つぎの代でその敷居をまたげずにつまずき転んでしまう。上に立つものがどこまで孤独に耐えられるかによって、組織が団結できているかいないかが分かる。だが上に立つものはそれを実行できないと言うのは、先任もそのようにしていなかったからだ。これ
親が自分の位を誇らしげにすればどうなる?親が自分の徳を自慢すればどうなる?親が世間体や体裁ばかり気にすればどうなる?親が学歴ばかりを重んじていればどうなる?親が肩書きをいつまでも維持しようとするとどうなる?親が立場と順序を無視するとどうなる?親が後継者に代替わりを拒めばどうなる?これは何を言いたいかといえば、親の位は子供たちにあり、親の位は長男にあり、母の位は長男嫁にありだが、親や上に立ったものが自分の位は自分が作り上げたと思っている。
めっちゃ久しぶりに整体(?w)の後に近くだったのでアニメイトへ特に何も買いたいものはなく2回ほどガチャwwニャンコ先生好きなんだよぉ♥️愛するキイロイトリはなかったので2番目に好きなニャンコ先生(笑)こんなん出ましたけどw怒ってる🤣ちなみに500円でしたもう1つは300円シャチホコ型の黒ニャンコ先生(笑)そして、昔先代がやってた頃にかなり頻繁に行っていた蕎麦屋ならやさんへ久しぶりなのとメニューが変わってたので2代目(3代目?)が頑張ってるのかな?と
大半の親は「すべての財産をお前に託す」と思わないと言う。これがいまの犯罪を招き入れたり巻き込まれたりしているのじゃないのか?平等って何だと言いたいかと言えば、先哲が「不平等が平等」と言った。これが私の原点。魂の原理でも同じ。同じ腹から産まれても、生き方がそれぞれ違う子供たち。私と息子長男は魂が違う。長男と二男も魂が違う。私が長男と二男を平等に扱えば、長男は遠ざかり反対に二男が近づきたがるだろう。そうなれば同じ魂の長男嫁
「ワンタン麺」(1,300円)東京のラーメンには3つの系統の「大勝軒」がある。つけ麺で知られる中野・東池袋などの「大勝軒」、中華料理店として人気の浅草橋「大勝軒」、そして、煮干しが強くてボリュームもある永福町大勝軒。その永福町の系譜を継いで1969年に創業したのが、小平市学園西町、一橋学園駅近くにある「一ツ橋大勝軒」。元々千代田区の地名だった「一ツ橋」の名が、大学の移転と共にこちらで定着しているのも興味深い。平日の昼にぎりぎり空席を見つけて座ったが、その後行列ができるのはさすが。
私は宗教の改革や人間の意識を変えようとしてとしているのではなく、親が人として生きるには、どうしても知らなくてはならないことがあると言い続けてきた。誰が誰の魂を受け継ぎ誕生したか?同じ姉弟でも魂が違い生き方も違う。私たち夫婦には長男・長女・二男・二女の四人の子供が授かった。四人目の娘二女が産まれてから命の絆の物語でも書いた魂の絆を授かったことは何度も書いているがいま一度知ってもらいたい。私と同じ魂は長女と二男。妻と同じ魂は長男と二女。私と同じ魂
人は誰でも神。その神とは最幸な魂を受け継ぐ最光な神。著書(魂のゆくえ)を読んでみて。こんなことを宗教家がいうとへんな教団だと言われるから、あまりこのブログの中では書かなかったし、普段でも口に出していなかったが心の中で毎日思い描いている。これが供養だと思って。だが宗教家が「自分も神だし誰でも神だ」と言えば、神が神でなくなるおそれがあるからだ。それは傲慢に見られて、へんな集団が出来かねないからだ。この意味が分からないだろうし、なかな