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ギャラリー解説石材各・・・2×2㎝来年こそは良い年になる様に鶴にて願いを託して璽文で刻した「鶴寿」である。
ギャラリー解説書画第70回記念奎星展にて大字一字書「愛の海」各・・・121×91㎝コロナ禍の中で大切な人に会いたくても会えない寂しさを大筆に込めて愛をテーマとし創作しました。今年は記念展として奎星会の二代巨匠である上田桑鳩先生・宇野雪村先生の作品も見所でした。他の方の作品を見て学ぶ事もあり今後の活動に生かして参ります。皆様の応援の程よろしくお願いします。
山後墨仙(さんごぼくせん)奎星会同人会員/日本文化普及会「ジパング藍の会」会長/所沢ロイヤルの園書道講師/墨流社主宰/タレント1950年北海道帯広市に生まれる1960年柴田恵山に師事{書家}1965年熊代弘法に師事{画家}1972年田村空谷に師事{書家}・ギャラリーウケガワにて初個展{帯広}1974年毎日書道展・秀作賞受賞・関東学院大学経営学専攻科卒業1975年5月渡仏1976年ル・サロン入選{パリ}/サロン,ドートヌ入選/ソルボンヌ大学留学1977
ギャラリー解説書画陽刻自用印一顆(AD2021.3.27)縦・・・1.5㎝×横・・・1㎝以前大学在学中に刻した習作であるが個人的に気に障り補刀し寿山石に刻した「至福」である。
ギャラリー解説書画陰刻自用印一顆(AD2021.3.27)各・・・6㎝陰刻で刻した「呑船之魚」である。
ギャラリー解説書画陽刻自用印一顆(AD2021.3.25)鶏血石に刻した「孑立」である。
ギャラリー解説書画陰刻自用印一顆(AD2021.3.25)陰刻の「似蘭斯馨如松之盛(じらんしけいじょしょうしせい)」で「千字文」の一節を刻したものである。
ギャラリー解説書画桑原翠邦(魚目)先生肉筆縦35cm、横33cm魚目の下に陽刻「清美」陰刻で「魚目」の落款がある。桑原翠邦は北海道帯広の人で名清美。號を翠邦と称し別號に魚目を持つ。札幌鉄道局教習所に入学。在学中に大塚鶴洞に書を学ぶ。同じ教習生には金子鴎亭、三宅半有らがいる。後に現代書の父といわれた比田井天来との知遇を得、上京し書学院教授を務めた。天来の命を受け北京に渡り、3年以上に渡り中国各地で書の指導にあたった。大日本書道院、毎日書道展等の審査員、理事を歴任。長年に渡
ギャラリー解説書画陽刻自用印一顆(AD2021.3.12)各・・・2.5cm遼凍石に刻した「天鐘(てんしょう)」である。
ギャラリー解説書画陽刻関防印一顆(AD2021.3.11)寿山石に刻した「百祥(ひゃくしょう)」である。
ギャラリー解説書画〜原鈐本〜鑑賞面に重点がおかれる。原印に直接印泥をつけて押したものは原鈐本(げんけんぽん),実押本と呼ばれ稀覯本(きこうぼん)として珍重されるが,一般には原印を摹刻(もこく)して実押したもの,木版に彫って刷ったもの,写真印刷したものなどが流布している。宋徽宗の宣和(せんな)年間(1119‐25)の《宣和印譜》に始まり,その後楊克一《印格》,姜夔(きようき)《集古印譜》などが譜名のみ伝えられる。突然に過去に刻した印を押しまくり見様見真似
ギャラリー解説書画~旧蔵本~今から数年前、中国語学科高橋弥守彦氏(教授)の退任に伴い小生以下数名で研究室の整理を依頼され、その際に氏から賜った『四書備㫖』版本である。何故、語学専門の氏がこのような版本なる物を所有していたのかは未だ謎であるが、書斎にて秩を開いて見ると「高橋弥守彦先生留念・刘树芝贈」と記させていた事から恐らく氏が中国から日本へ帰国の際に刘氏から贈られたのではなかろうかと思案した次第であるが、其れにしてもこの様な至宝を恐れ多くも小生何ぞが気安