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仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m仙台城のボランティアガイドとして、本丸への登城を重ねて気づいたこと。それは、ここから見える「杜の都」が一望できるパノラマ風景が最高だということ。こんな感じやこんな感じ400年以上前に伊達政宗様がこの地に城下町を作り始めた時から、この街にはずっと「伊達」な遊び心が溢れている。例えば、みなさんがご存知の伊達政宗騎馬像を、よーくご覧ください。あの凛々しい三日月兜、どこかで見覚えはありませんか
近所のスーパーでご当地ランチパックフェアがありました。日本各地を代表する刺客たちが揃います。仙台藩伊達家62万石からは「牛タン入りシチュー」藩祖伊達政宗の甲冑を着るむすび丸をパッケージに使った一品です。宮城と言えばの牛タンをシチューに仕立てた総菜ランチパック。当然炙って熱々で頂きます。美味しい、これ以外の言葉要る??というシチューにトーストの組み合わせ。ワインと楽しんでも良いランチパックですね♪彦根藩井伊家30万石からは「近江牛入
仙台藩三代藩主伊達綱宗公よりの古文書当家の二代目宛ての手書綱宗の文字👇宗何と書いてあるのか知りたくて知人に解読して貰いました。拝見先日は、いろいろとお取り計らいいただきましたことありがたく存じておりますその後はお変わりなくお過ごしでしょうかと案じておりますこちらでは特に変わったことはございませんが少しお願い申し上げたいことがありましてこのように申し上げる次第です(ここに本題の依頼内容が入るが残念ながら判読出来ず)どうかお聞き届けくださいますようひ
渋江抽斎森鷗外岩波文庫【5】前回のブログ記事は以下の通りです。渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】アメーバブログ記事より渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】アメーバブログ記事『渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【4】』渋江抽斎森鷗外岩波文庫【4】前回のブログ記事は以下の通りです。渋江抽斎森鷗外(岩波文庫)【3】アメーバブログ記事より渋江抽斎森鷗外(岩波文…ameblo.jp目次となります。目次渋江抽斎7注(中野三敏)343解説(
灯台と鼻節神社そして復元された多賀城・南門を観て多賀城駅へと送ってもらうつもりだったけど~せっかくここ(七ヶ浜)まで来たのだから桜祭り開催中の鹽竈神社を観て行きませんか?の提案を了承志波彦神社・鹽竈神社shiogamajinja.jp鹽竈神社入口の参道広場?公園?わおーー枝垂れ八重桜が綺麗~~八重紅枝垂志波彦(しわひこ)神社志波彦神社はもと宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川(七北田
一目千本桜をしっかりとこの目に焼き付けて。船岡駅からこんなのに乗って何系だか知らん。ディーゼルではありませぬぞ。新しい電車です。人口百万人超え!東北方面最大級の政令指定都市一路仙台へとやってきた。横長の駅舎と駅前の巨大なペデストリアンデッキは大宮駅とそっくり!ここからもう東武アーバンパークラインですぐに帰れそうな錯覚に陥ったわ😅デッキの階段を降りてるーぷる仙台とかいう市内の観光地を巡る専用バスに乗って。石畳の路地。ここへきておおかたの予報通りすっかり曇り空に
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m大河ドラマや時代劇などでお殿様と家臣の距離が離れていて、「近う寄れ」なんて言って、家臣が遠慮気味に近寄ると、「もっと近う、もっと」などと言って、それこそ膝を突き合わるぐらいの距離で直接お殿様と会話をするシーンなんかがあったりします。でも、あれって不思議に思いませんか?いくらなんでも、志村けんのコントにでてくるようなお殿様と家臣のような光景があるわけがない!遠山の金さんも暴れん坊将軍もあまりに
江戸時代は、徳川将軍家が絶対的支配者として君臨し、諸大名を封じ込めた。中でも、参勤交代制度は諸大名の財政負担は大きく、また、妻子を江戸に人質とし、将軍に挨拶させる、将軍の権威を高める目的もあった。徳川幕府は将軍家の直轄領として四百万石、旗本地領が四百万石、合計八百万石と言われた。諸大名で最も石高の多かったのは、加賀藩前田家で一〇二万石。徳川幕府の約八分の一である。加賀前田家単独ではとても対抗できない。だが、他の大名と連携すれば、将軍家に対抗できるかもしれな
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m男性諸君ならば、一度は憧れる(?)戦国武将の甲冑や兜。我らが伊達政宗様のあの「三日月(弦月形)」の前立ての兜をかぶって、黒漆五枚胴具足を身に付けて、模造刀を振り回してみたりして、格好良く写真に収まってみたいもの。でもこれが、実際の戰場(いくさば)においての戦装束となると話は違ってきます。戦における飛び道具と言えば、弓矢が一般的でしたが、日本に鉄砲が伝来し、急速に広まると必然的に具足も強
こんにちは。歴史アロマ香水®を作っています桃龍風林佳保利です。いつもこのブログを読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます🙇何度もご案内させていただいておりますが、まだお席に余裕があります。正直なところ、今回集客ができなければ、この活動を続けることも難しくなるかもしれません。それでも、最後まで諦めずにお知らせさせてください。来たる4月4日(土)10時〜白石壽丸屋敷にて伊達武将隊片倉親子&松尾芭蕉様をゲストに迎え、歴史講談&戦国武将アロマ香水®づくりを開催いたします
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)mすでに過ぎ去ってしまいましたが、2月22日は(2ニャン、2ニャン、2ニャン)で猫の日。今ではご自宅で小型犬を飼う人が増えたようですが、あの気まぐれで愛らしい可愛さはネコ独特の魅力なのかもしれません。さて、江戸時代のペット事情はと言いますと、江戸中期以降、猫はネズミ捕りの実用性と縁起物【招きネコ?)ということで、ペットとして大ブームに。特に三毛猫(ミケ)が大人気で、トラやタマにも人気がありま
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m戦国時代の武将たちが何を求めて戦いのしのぎを削ったのか?天下を取る!といった男のロマンは伊達政宗様が頭角をあらわし始めた頃には、もはや秀吉、家康へと趨勢は固まりつつありました。そうなると、一番の関心事はなんといっても「領地拡大」がメインテーマ。秀吉の惣無事令が発せられてからは、おいそれと戦は出来ない状況ではあったのですが、政宗様は頑張りました。(あとで取り上げられたけど、、、。)
#マンガ日本の古典『奥の細道』矢口高雄『奥の細道』は、日本の古典の中でも、別して名高い。中学校でやる古文では、必ず取り上げられる作品であろう。もちろん、松尾芭蕉が訪問した東北地方の諸名所を俳句にし、俳諧という「面白み」だけが眼目だった文芸を、芸術の域にまで高めたという意味で、俳句の模範書であるとともに、日本の古典の白眉であろう。ここに、つぎのような句を持ってこよう。:涼しさをわが宿にしてねまるなりこれは初夏、宿を借りて
仙台1泊旅は、行ける場所が限られていますが、仙台の歴史に触れたり、美味しい物を食べたり、大満足な旅となりました。朝バイキング1週目おかわり2週目私の中で、伊達政宗公とは、戦が好きな独裁者のイメージでした。仙台藩の歴史も知らなかったので、とても勉強になりました。東日本大震災のちょうど400年前に、同じ規模の地震と津波が起こっていて、大きな被害がでたそうです。そのわずか2週間後、、、政宗公は造船と慶長使節派遣の構想を明らかにしたとのこと。幕府を倒すための野望説、災害か
京浜急行本線「鮫洲駅」の西側を通る国道15号線を歩道橋で渡りますその先に見える木立が「大井公園」道路の北側にある広場は仙台藩伊達家下屋敷跡(周辺には屋敷跡が幾つもあります)何もない広場になっています公園の南側に「山内容堂の墓所」があるとの事で行ってみました小学校の校庭に隣接しています中央に見えるのが山内容堂の墓石です案内板落葉を踏みしめてお詣り足元が気持ち良いなぁ・・・と思ったら敷き詰められていた玉砂利?の感触でした公園は見渡せますが此処からは入れません来た道を戻り改めて
読み方からその成り立ちまで。仙台市若林区の新弓ノ町。なぜ「新」なのか。古地図を片手に歩くと、伊達藩の巧みな軍事配置が見えてきました。続きは。【宮城県仙台市】地名「新弓ノ町」の読み方や由来・語源をたずねるin若林区・八幡神社・京都石清水八幡宮|宮城の地域伝統文化ラボ仙台市若林区の一角に「新弓ノ町(しんゆみのまち)」という地名がある。地図を眺めていて偶然目に留まったその名に、私は不思議な引力を感じた。弓──武士の象徴であり、古代から神事にも用いられてきた道具。その名を冠した町には、何か特別
カリスマックス節分ver.がOA📺️されましたね。仙台弁は語尾に「だっちゃ」🫛をつけることがあります。つまり、仙台藩は「うる星やつら」一族ということになりますね。😂wwwwww❗️一人鬼退治な桃太郎🍑役はしょっぴーあり。ワタクシ達の天敵か⁉️負けないわよ〜❗️安心して下さい。スノおばちゃんなんで、ラムちゃんの格好はしません。対抗しなくても大丈夫なんだけどーなぁ。(いつ痩せるの⁉️→痩せませんが何か💢)めめ🖤の、代わりに「No.1」と言ったのは、この人、ふっかさん💜デジタ。ちなみに2人少な
2026年1月10日山寺駅から仙山線の電車に乗って、東照宮駅で下車しました。これから新年のご挨拶に行ってきます。仙台東照宮は仙台藩2代藩主伊達忠宗公によって永応3年(1654)に創建された神社です徳川家康をまつる東照宮は諸大名が競って勧請したため、現在でも全国に508社あるそうです。参道の境内入り口にあるのは、伊達忠宗奉納の石造の明神鳥居で、鳥居の柱に「承応三年午甲四月十七日」の刻銘がある県内最古の鳥居だそうです。伊達忠宗夫人・振姫の郷里・備前国(岡
津田流砲術伝書の系譜的再検討#1――東北大学所蔵砲術伝書を中心に――要旨本稿は、東北大学所蔵の砲術伝書(以下「本伝書」)について、その思想的内容・用語構成・文体を分析し、津田流砲術との系譜的関係を検討するものである。本伝書は、佐伯藩に伝わる伊勢守流砲術の体系と極めて類似しており、仙台藩二代藩主伊達忠宗の政策により、津田流砲術が東北諸藩に広まった可能性が示唆される。また、仙台藩では井上流砲術が御流儀として採用されたが、その影響は技術的改良に留まり、津田流の砲術体系を根本から改変することは
▲当別神社北海道石狩郡当別町元町51番地12岩出山伊達家当主伊達邦直公が祀られています明治五年仙台藩一門岩出山領主伊達邦直が家臣と共に当別に移り開拓記念樹の傍らに小社を奉遷した阿蘇神社を起源した神社との事14000石あった禄高を65石に減封された上岩出山城を召し上げられ侍ではなくなった家臣たちは帰農を命ぜられたが伊達邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い北海道開拓を志願与えられた厚田郡繋富は土質が悪く砂地が多かった為別の土地への移転を懇願し当別に入ったのでした
大河ドラマ「独眼竜政宗」の再放送が終わり、1月からは福島県会津若松が舞台となった「八重の桜」🌸が始まりましたね。東北にある小学校なら、だいたい会津若松が修学旅行で、鶴ヶ城🏯に登り、戊辰戦争や白虎隊について知る機会になっています。ワタクシもその一人なんですが…。鶴ヶ城🏯に入った際に、藩主・松平容保公の写真が飾られてあり、子供ながらに御殿様の絵ではなく、写真が飾られているなんて、凄いなー👧と思ったものです。それにしても、會津藩のたどったその後の軌跡も大変なものでしたね。戊辰戦争に敗れて廃藩とな
毎年恒例の仙台藩祖伊達政宗公に新年の挨拶に、ウォーキングで出かけました。自宅からウォーキングで、仙台城址へ政宗公が開いた仙台市内です開けた街並みに、さぞや政宗公も満足だと思います。で、お次は政宗公が建造した大崎八幡宮へこの日は仕事始めで、会社関係が大勢ご祈祷に見えてました。最後は大判焼きあんこです
仙台藩治下、伊達政宗が掘らせた日本最長の運河・貞山運河によって、漁村閖上は独自の文化を育んできた。東日本大震災で失われた土地の記憶と、方言・年中行事を後世に残そうとする営みを描く。2017-07-08昨日、九州地方を襲った集中豪雨の凄まじさから、津波で喪失させられた故郷の事を書いた私の論文を読んだ友人が、『昨日の日経新聞の最後のページ、文化欄に大きく掲載された記事は読みましたか』、と言って、そのページを手渡してくれた。一瞬、何の事かと思ったのだが、実に不思議な事に、私の故郷の記事が掲載さ
沙河会戦さか(しゃか)かいせん日露戦争1904年10月8日〜10月20日『日本の各般指揮官のなかで、秋山さんほど苦労しているひとはない』というのは、のちに好古のもとから長駆してロシア軍の後方攪乱をやったいわゆる永沼挺身隊の水沼秀文中佐がつねにくりかえしいっていたところであった。好古は劣弱な日本騎兵をひきいて、惨澹たる苦労をした。坂の上の雲より⏬️✨️坂の上の雲より✨️⏬️⏬️✨️永沼秀文インターネットより✨️⏬️永沼秀文🌟生誕1866年11月10
皆様、本年度もお世話になりました、2026年が良き年になりますよう心よりお祈り申し上げます、2026年度も家内安全・無病息災・平穏無事、御多幸が訪れます様に。2025年大晦日🙏🌞ーーー後を継ぐのか~農家~YESかNOか~農家~♪誰がやるのか~農家~YESかNOか~農家~♪所ジョージ(農家の唄)ーーー大晦日になったね、外は気持ち悪いほどの無音
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(__)m早いもので、巳年の令和7年、西暦の2025年も残すところ、あとわずかとなりました。昨今は年を重ねるごとに、夏の猛暑が厳しさを増し、仙台城を訪れるお客様もガイドをする当会のボランティアガイドも酷暑とのせめぎ合いの中でのガイド活動となりつつあります。今年も多くの方々に仙台城に足を運んでいただいて、多くのお客様との出会いがあり、ガイドをさせて頂く機会に恵まれましたこと、心より感謝を申し上げます。さて
里見さん『水戸黄門』34部1話皆様、こんばんはぁ新年最初の放送ということで、西山荘に穏やかな陽光が差し込むシーンから始まる今回。私の大好きな与一先生も出てます見どころ今回は突如飛び込んだ助さんのお見合い話が物語のきっかけになります。見合いの裏で進む仙台藩の陰謀劇ここで登場す与一先生演じる大沼軍太夫が実に印象的先生の張りつめた静けさ、妖しいほどの貫禄が画面を引き締めます…今回の、ヒロイン・美加の芯の強さと、助さんとの価値観のぶつかり合いも必見単なる恋愛劇ではなく、「自分の
お気に入りの十三やの櫛東京上野で購入したものです。出会いは、結婚する前もう40年近く前でしょうか?学生の頃に買ってもらいました。当地はまだ素敵な彫刻が彫ってある櫛がたくさんあり、桜の花の彫刻の櫛を購入しました。十数年後、櫛が折れてしまったため、また十三やさんを訪れました。残念なことにもう彫刻はやってないのだそうです。職人も今はいなくなってしまったとのことで、彫刻なしの、シンプルな櫛をここ数年使っています。柘植(つげ)は摩擦を避けて、髪をしっかり落ち着かせてくれます。私は髪の
仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂き、ありがとうございます。m(__)m今ですと、仙台~東京までは東北新幹線を使えばはやぶさでおよそ90分、やまびこで2時間。仮に自家用車を利用したとしても、5~6時間で東京には着くでしょう。では、江戸時代の仙台藩の庶民はどうやって江戸へ向かったのでしょうか?仙台から江戸までの距離は92里(約368km)ありました。当時の旅人の移動手段は基本的には徒歩です、1時間で1里(約4km)速い人で1日あたり11里半(約48km)ぐら
堤焼三彩火鉢堤焼の三彩火鉢を引っ張り出して来ました。もちろん暖を取るためではなく眺めるためです。堤焼は藩政時代の仙台堤町で瓦焼から始まり明治大正昭和と陶器や土人形など多彩なやきものを作り出して来ました。現在陶器製作は郊外に移転した一軒と土人形作りの二軒が残るのみとなったようです。この三彩火鉢は数年前知人から譲り受けました。手作りの重い箱に入っていましたから、前所有者が大切にしたものかが偲ばれます。三彩と言えば同じく仙台藩の御用窯、切込焼の三彩が有名です。切込の三彩は江戸時代後期主に