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今日は、帝劇ビル9階の「出光美術館」を訪れた。帝劇ビルの2025年建て替えを控え、1966年の開館記念の際の展示品を中心とした「復刻開館記念展」が開催されている。出光美術館は、出光興産の創業者、出光佐三氏のコレクションを展示している。出光佐三氏は、百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」のモデルにもなった。佐三氏は、仙厓さんの作品を千点ほど収集しており、日本で一番の仙厓のコレクターだ。仙厓さんは、博多の聖福寺の住持。ポスターの「指月布袋画賛」をはじめ、多くの禅画を残している。「厓画無法」、
仙厓義梵の犬図のわんこ。簡単そうで、超難しい犬図。うまく書けないけど、描いてると楽しくなってくる不思議な魅力見てくださって、ありがとうございます
四十九日の法要のお供えで余った御菓子。石村萬盛堂のもの。会社でオヤツに食べてみた。元来、最中は嫌いなのであるが、あんこを別包装にすることで皮のパリパリ感を保ち、賞味期限も長くできる仕組みになっている。画期的だ!
『ほとけさまの物差し』-①-ひろさちや●「仙厓和尚」より✪江戸後期の禅僧に仙厓(せんがい)和尚がいます。独特の洒脱な墨画を描いた人です。この仙厓和尚、あるとき、檀家の新築祝いに招かれました。こういうとき、たいていは主人から揮毫(きごう)を依頼されます。「和尚さん、お祝いに一枚、お願いします」と、仙厓和尚は気軽に引き受けます。そして、さらさらと書きました。ぐるりっと家を取り巻く貧乏神そこで筆を休めます。主人はカンカンに怒ります。「縁起でもない」とい
本日は博多駅からも歩いて行ける東長寺についてレポートします。こちらのお寺は博多駅から近く入場無料のお寺で外人さんに特に人気があります(但し大人気の福岡大仏殿は入場料50円です)。博多に泊まり「とりあえず東長寺」を見て観光と言うパターンが多いようです。交通の便は抜群で山門をくぐるとコンパクトに六角堂、五重塔、大師堂、本堂、大仏殿に上がり地獄極楽巡りもできます。桜の季節はソメイヨシノの大木や枝垂れ桜を満喫できます。弘法大師空海は804年に唐に行き、4隻の遣唐使船の内、唐にたどり着いたのは留学生
江戸時代、仙厓(せんがい)のゆるい禅画を見て欲しい。■イラストレーター。古事記と神社が好き。2015年『まんが古事記』出版。活字の古事記につまずいた人でもすんなり古事記の世界に入れます。▼チャンネル登録はこちら▼https://www.youtube.com/channel/UCoH-Isx5AOeg7PqFKzYxqJA【著書】①まんが古事記(講談社)https...youtu.be好きなんだよねえ
博多駅からの町歩きでは東長寺、承天寺、博多千年門、聖福寺が固まって有り、もち吉の本店も近くにあるので定番コースです。他にも龍宮寺や楠田神社も町歩きの圏内にあります。なかでも聖福寺は歴史の古い鎌倉時代より存在する有名なお寺です。ここの123代・125代住職である仙厓さんはヘタウマな絵で人気が高いです。上手な絵から後年の絵になるほど技術を捨ててヘタウマな絵になりますが、高い所に上り詰めたら手を放して落ちろと言う禅の教えそのまま絵の技術を捨てています。と言いましても〇△▢のような難解な絵や謎解き、
安曇野涼風扇子展の作品やっと出来上がりました。「座禅して人が仏になるならば」仙厓和尚様のお言葉をいただきました。安曇野涼風扇子展会期:7/19(水)〜30(日)第一展示会場:安曇野市豊科近代美術館第二展示会場:周岳山法蔵寺#仙厓#安曇野涼風扇子展#水墨画#扇面
昔、博多の寺に仙厓という坊さんがいて、その愛すべき人物像に今でも幾多のエピソードを残している。博多の町のヒーローでもある。博多以外では、おそらく無名の方。Wikipediaはここです。クリック江戸時代後期の禅僧である。味わいのある絵や書を描き、愛される人物であった。そのエピソードの一つ。名僧だとか、修行に修行を重ねて、諦観の域に達しているものだと思ったりする。人生を悟っているはずである。しかし、仙崖和尚の最後の言葉が「死にともない」だったとか。結局、高僧とか言われ、偉そうにして
先日の出張芸術宇教室の内容をご紹介いたします♪毎月お教室で水彩画をされていた塚越みきさん。絵を描き出すと、字も書きたくなる。字を書いていると、絵も描きたくなる。これが「かく」ことの楽しさ♡笑→前回の記録はこちら♪前回描いた絵に、今度は言葉(文字)を添えてゆこう!ということになりました☆ご自宅へ出張し、お教室をしているので土日にはいつも息子さんがいます。前回はハイテンションでピョンピョン飛び跳ねていました
Amebloのブロ友さんで、毎回すごい情報量で圧倒のアート記事によって読者を魅了するすごいおにいちゃん「bunsho-san」と、こんな対話をしました。ぼく「ダダは、無意味であることに意味を見出そうとして、躓いてしまった一方で、バカボンパパの言動は、まさに天性のダダと思います。赤塚不二夫さんからさかのぼり、葛飾北斎や写楽、はては法隆寺の落書きなど、日本はカリカチュアの宝庫であり、このカリカチュア精神(天性ダダ的な「無意味の力」による「常識・正義の粉砕」)で、戦争などのゆがんだ正義をゆるさな
駒ヶ岳サービスエリアで休憩して、展望台に行ってみると、中央アルプスの田切岳と仙厓嶺が見えました。展望台からサービスエリアの建物と駐車場を見下ろしたところです。
鶴は千年、亀は万年。鶴と亀は寿命が長く長寿や縁起を祝いめでたいものとして親しまれてきました。禅僧の仙厓(せんがい)さんの言葉に「我は天年」を加えて「鶴は千年亀は万年我は天年」とあります。「長生きしようがしまいが自分はただ己の寿命を全うするのみ」という意味があるそうです。深い感銘を受けました。味わいも深く一服。茶の湯お抹茶レッスン茶の湯お抹茶レッスン-お抹茶の点て方やいただき方の所作、お家でも美味しく点てるコツなどテーブルで気軽に学んでいただけます。自
本日は動物園⑤ですⅰおしょうとやまいも和尚と山芋昔、博多の聖福寺(しょうふくじ)に仙厓(せんがい)という和尚さんがいました。絵や書道が上手な和尚さんで、いつも多くの人が何か書いてもらおうと寺に訪れていましたある日、若い植木職人の木兵衛(もくべえ)は、仙厓和尚の書いた絵を飾れば和尚さんの徳にあやかれる、と聞き付けました。ならば自分も絵を書いてもらって、和尚さんの徳にあやかり楽してチヤホヤされたい!と考えました木兵衛はさっそく和尚さんの好物の山イモを用意しようと
きゃ、きゃって書いてある~!なにかというと、「禅画」なんです。筆の里公房の展示だるまさんといっしょを見てきました。禅宗を学んだ日本の禅僧白隠(はくいん)や仙厓(せんがい)が、「禅=さとりの心」を人々に分かりやすく伝えるため、ゆるくてかわいい「禅画」をたくさん描いたそうです。仙厓さんとの出会いは、ずいぶん前、東京に出張に行ったとき皇居の見える特別感のある出光美術館で、仙厓さんのユニークなたくさんの「禅画」に出会ってい
『ほとけさまの物差し』-①-ひろさちや●「仙厓和尚」より✪江戸後期の禅僧に仙厓(せんがい)和尚がいます。独特の洒脱な墨画を描いた人です。この仙厓和尚、あるとき、檀家の新築祝いに招かれました。こういうとき、たいていは主人から揮毫(きごう)を依頼されます。「和尚さん、お祝いに一枚、お願いします」と、仙厓和尚は気軽に引き受けます。そして、さらさらと書きました。ぐるりっと家を取り巻く貧乏神そこで筆を休めます。主人はカンカンに怒ります。「縁起でもない」
子どもの夏休みの宿題第4弾。大慌てで何かを片付けることの意だけど、放っておきすぎにもほどがある。9月7日~9日の3日間、東京の6つの展覧会に行ってきたけど、もうとっくにどれも会期が終わってしまった…。でも、ここはあくまで私の日記帳なんで、今さらだけど忘備録として記しておきます。巡回してるのもあるし。1ボストン美術館展芸術×力@東京都美術館【公式】ボストン美術館展芸術×力さまざまな地域で生み出された約60点の作品をとおして、力とともにあった芸術の歴史を振り返り
【オートマティスム】現代美術の主流はオートマティスムであるオートマティスムとは腕が勝手に動いて描くこと「コックリさんみたいやんけ、あり得へんわ」という声が聞こえてきそうだがあり得るそしてそれから派生して自然に任せて描くのもオートマティスムである私は下地にドロッピングを使うがそれもオートマティスムだドロッピングというとジャクソンポロックがすぐ思い浮かぶねつまりその時代からアメリカはずーっとオートマティスムなんだしかしね出光美術館で10月16日まで『仙厓義梵展』をやって
先週はストレスモードだったのですが、日が経つにつれ、頭の中も整理され、気持ちも落ち着いてきています。家にこもって仕事をしていても、悶々としてしまう。かといって、職場に関するストレスなので、職場には行きたくない。ということで、仕事の合間に抜け出し、近場のショッピングモール内のカフェに行き、小一時間ほどお茶タイムしたりする日も。先週に引き続き、今週は金曜日の午後だけ職場に出勤してきました。別に出勤しなくても良かったのですが、新しい仕事の相棒の職員さんが初日以来、この日2回目の出勤ということに
行ってきました。なんかお隣は帝劇なんだけどこの後、ここに凄い人が集まってました(・・;)仙厓展良かったです(^^)そういや20代の頃に「禅」に惹きつけられて少し関連本とか読んだりしてましたが元々、自分にそういう素養があったのかしらね?出光美術館が九階だったので外をパチリ丸の内の歩行者天国足が棒横浜に戻ってご飯食べて帰りました。蛙の眼玉みたいな甘いヤツ旨し(゚∀゚)
今朝は今秋一番の寒さでしたが、昼間は暖かかった。今月1日に行っていた福岡市の聖福寺さんで開催されていた「仙厓さんと7日間」のこと書こうと思っていたら今日になってしまいました仙厓禅師は、聖福寺123代。友人4人でGO博多区でありながら、街中ではない程の静かなたたずまい開山は栄西禅師で、栄西は中国からお茶の種子を請来し、茶樹の栽培や喫茶の方法を伝え普及したことで、茶祖とよばれていますから、境内には茶の木が植えられています。写経奨励週間ともあって、私は初
みなさま。こんにちは!ソウルフルエンターテイナー岩本かつひこです🔥(本日は朝から日比谷の出光美術館へ)【仙厓】と言っても中々ご存知ないと思いますが禅僧であり、仏教の教えをコミカルに描いた【禅画】の名人であります。本日は私のフェイバリットな作品をご紹介いたします😊昔、仏教の絵をテーマにした美術展を見に行った時、おどろおどろしい地獄道、餓鬼道、修羅道などの絵やスケールの大きな天道などの絵の中にこの一枚があった。「を月様幾ツ、十三、七ツ」いやいや。緩すぎないか。(☝️こう言う絵の
銘菓『鶴乃子』の石村萬盛堂さんの「仙厓もなか」を購入。あんを自分で詰めていただくタイプの最中。最中の形状は、仙厓さんの花押をモチーフにしてるって。皮の芳ばしさがあんのやさしい甘さを引き立てるおいしさ。仙厓もなか石村萬盛堂の仙厓もなか「博多の仙厓さん」と親しまれた仙厓(せんがい)さんは、禅の教えをユーモラス、かつオリジナリティに溢れたわかりやすい絵や言葉に表現し、水墨画の中に問うてみせました
仙厓義梵『指月布袋画賛』子供達と戯れる布袋さんのほのぼのとした情景のようだが、「月」を暗示する賛文、「を月様幾ツ、十三七ツ」の存在から、禅の根本を説いた教訓「指月布袋」の図であることがわかる。月は円満な悟りの境地を、指し示す指は経典を象徴しているが、月が指の遙か彼方、天空にあるように、「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するものであることを説いている。仙厓さんの逸話その1困らせもんの岩根どうもこうもならん人困らせもんの
仙厓義梵『犬図』仙厓さんは、寛延3年(1750)、美濃国(みののくに)(岐阜県)武儀(むぎ)郡南武芸村に生まれ、天保8年(1837)に88歳で亡くなられた方で、博多の名刹聖福寺(めいさつしょうふくじ)の住職を、第123世と第125世と、2度のおつとめをされた禅宗のお坊さん。遷化(せんげ)(亡くなる)されるまで、1000点以上の絵や書を残している。明治の初め頃までは、百姓の子で、それも長男以外に生まれると、美濃の山国では禅宗の僧になる以外に、出世の道はなかった。仙厓さんも11歳のとき
なんかかわいい♡とチケットとって、台風で2回延期して、やっと行けた。仙厓さんの展示会@出光美術館ポストカードは利休さんあんまり美術館とか行かないけど、ひとりで行くのいいな。解説もわたしにわかりやすかったし、自分が気になって行ったからなにかにヒットしたんだろうけど。もう一度行きたい♡禅とかちゃんと知りたいなーと火がついた🔥
朝ご飯?は、先日の川口にあるシャンドワゾーの焼き菓子をシャンドワゾー(川口/ケーキ)★★★☆☆3.87■予算(夜):~¥999tabelog.comフィナンシェ241円ケークシトロン241円👧フィナンシェ、しっとりしてコックリしてて美味しいお昼は以前より気になっていたイタリアンラーメンの店へらぁ麺ドゥエイタリアンGINZAGUCHI(新橋/ラーメン)★★★☆☆3.39■予算(夜):¥1,000~¥1,999tabelog.com元イタリアンシェフ
2022年9月16日1.日本美術をひも解く三の丸尚蔵館が改修工事に伴う休館というわけで、皇室のお宝を始め、藝大のコレクションを加えて82件を前後期に分けて公開。今日は2回目の訪問。平日昼間というのに大混雑だった。前期よりかなり混んでいたのはおそらく伊藤若冲の「動植綵絵」がお目当てと見られる。三の丸尚蔵館には何度も行っているが、前期展示の酒井抱一「花鳥十二ヶ月」ともども今回が初見である。今までさんざん図録等で見ているものだから、半ば見たような気分になっていたが、やはり本物の迫力は格別であり
先生のお宅の門扉を過ぎるとこの花が咲いていました秋ですね〜茶室の障子はまだ取られたままで簾がかかっています先日の中秋の名月にちなんでお軸も仙厓さんのもの花入れも満月に見立ててありました癒しと手放しの時間先日の夜の飛行とってもキレイでした気になっていたこの花やっと名前がわかりましたセンニンソウです
江戸時代後期の禅僧・仙厓義梵(せんがいぎぼん)(1750~1837)ユーモアに富んだ画賛を通して禅の教えを広く伝えたことで知られます。一見して今の表現で言うとゆるキャラ。ヘタウマ、子どもが書いたような絵。ですが、賛が添えられていて、観賞を深めていくと、禅の教えに自然と導かれていきます。40歳代と推測される初期の作品は狩野派風の作品もありますが、70歳代に宣言した「厓画無法」この頃から極めて自由奔放な画を描くようになったようです。つまりは無法の法。自然のままありのまま相