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こんにちはバルコアです。蕭吉が梁で生活した期間は短く、間もなく、「江陵陥ち、遂に周に帰し、儀同となる。」(隋書芸術伝)と記されているように、梁の滅亡に遇い、北周に帰した。この条を北史は「江陵覆亡し、魏に帰し、儀同となる。」と改めている。江陵が陥落したのは、元帝の承聖三年(553)であったので、魏が正しいと思われる。この時、蕭吉が幾歳であったかは解らないが、梁に在る時には、まだ仕官していなかったので、成人には達しなかったであろう。この江陵の覆亡に拠って梁王朝は、実質的に滅亡し、梁の多
上司と部下のじれキュンシンデレラ・ラブストーリーです。中国ドラマ、『宮廷恋士官~ただいま殿下と捜査中~』2021年(全36話)を観ました。相関図をお借りしました。唐の宣宗の時代のお話です。楚楚(スー・シャオトン)は検視を生業とする家で育ち、検視官になるという夢を抱き試験を受けに長安へ。そこで三法司の長官、安郡王・蕭瑾瑜(ワン・ズーチー)と出会います。試験で楚楚の才能に目を
南帝国の女帝ラガエア(君主)と会話して相談したいこと・・・あなたの務め・・・お嬢様、私は・・・(選択回数が多い)1085年秋11日目(LV10)南帝国に仕官しました仕官しただけなのに兵士と武器が貰えたw仕官後すぐに南帝国が北帝国に宣戦布告したので大規模戦闘や攻城戦にも参加していたら勝ち取った小さい城を貰ったwはやくね?周りが敵だらけの場所どうやって守れと???大規模戦闘でも(オフラインなので)PS4で問題なくプレイできている(兵
断片左川ちか雲の軍帽をかぶつた青い士官の一隊がならんでゐる。無限の穴より夜の首を切り落す。空と樹木は重り合つて争つてゐるやうに見える。アンテナはその上を横ぎつて走る。花びらは空間に浮いてゐるのだらうか?正午、二頭の太陽は闘技場をかけのぼる。まもなく赤くさびた夏の感情は私らの恋も断つだらう。(「左川ちか全集」よりー1931年の詩)受験勉強の甲斐あって、愛(川崎愛=左川ちか)は庁立小樽高等女学校(小樽桜陽高校)に進学する。詩歌が盛んだった同校教員の歌人本間重に目をかけら
今日も来て下さり有難うございます。勘助です。(のつもりです)主人公です。勘助が好きな理由は、自分がやりたい事に、とことんこだわった所でしょうか。。勘助が小さい時、1つの転機がありました。実の父親も、母親も、兄も、「おまえは仏門に入れ」と言ってくるわけです。(お寺のお坊さんになれと・・)でも勘助は、「私はお侍になりたい」と、抵抗するわけです。勘助は、大名に召し抱えられて、仕える(仕官する)のが夢なのです。。徹底的に抵抗した末、、勘助は、父親の朋友(大林勘左衛門)に、
先日、過去世をテーマにしたワークショップに参加しました。(詳しい内容は割愛します)誘導瞑想を通じて過去世を知る方法や自動書記のようにして得る情報からリーディングしたりしたのですが意外なことがわかったので記録しておこうと思います。今まで思い出した数ある私の過去世のうち中国での過去世はこれで3つ目となります。多っ…!今回は、40代後半〜50代前半の宮廷に仕える中間管理職の男性です。割と真面目で曲がったことは嫌いな武人タイプの仕官ですが積極的に前に出るタイプではありま
《ショートショート1295》『白い騎士と黒い騎士』(オブジェクト28)「なかなか思うようにいかんのう」「まったくだ」きっちりと甲冑を装着した二人の騎士が、馬を並べてのんびり田舎道を進んでいた。一方は白づくめ、もう一方は黒づくめで、対照的な見てくれであったが実は兄弟。兄が黒で弟が白だ。兄弟ならば着衣や甲冑を揃えればいいのにという声が聞こえてきそうだが、白黒できっぱり色を分けているのには訳があった。自由な放浪生活を満喫しているように見える二人は、実は食うや食わず。士官先が見つから
雨午後から雨止むみたいなんだよね…。傘持って行きたくないけど、流石にこの雨は無理か…。(-"-;)チッ…。増えてる。車庫発メンバー(笑)「狙い目だもんね(笑)」雨の中野五叉路。「珍しいかもだね」体重は増え幅「2.9kg」ギリギリだけど「2kg台」よっしゃ「いい感じ〜」オイ…。「得意になってんなよ」何だか眠かったね、TVもあんまり覚えてないや「夫婦旅日記」は見ましたよ。仕官したら物語終わっちゃうからね…。でも、最後は叶うのかな今日の
海賊戦隊ゴーカイジャー第12話「極付派手侍」シド先輩が記憶を奪われ、特務仕官・バリゾーグに改造されたと知ったジョー。シドの記憶を取り戻してもらおうとするが、ジョーの気持ちはバリゾーグに届かない…。一方、ジョーの帰りを待つマーベラスは、仲間と薫たちに、ジョーとの出会いを語るのだった。公式スマートフォンアプリ東映特撮ファンクラブ(TTFC)なら、「海賊戦隊ゴーカイジャー」全話を会員見放題で配信中!http://tokusatsu-fc.jp/※ご視聴には1ヵ月960円(税込)の会員登録が必
WHOの人である。感染症のスペシャリストで、世界中でSARSやエボラ出血熱の現場指揮に当たった経験を持つというファイターである。半端な人ではなかろう。NHKの某キャスターが新型コロナに関するインタビューをしていた。その受け答えが非常に正直でフェアに感じたので、印象に残ったのだった。本当にデキる人は、あの短い間でも、能力と人格を示すものなのだなあと思った。一部を紹介する。中国寄りで、バランスを欠くとの指摘もありますが?まあ、そうでしょうね(笑)。特にSARSのときのトラウマがある人も多
ローデリヒ声:高塚智人『八男って、それはないでしょう!』初登場:第1話「八男って、それはないでしょう!」バウマイスター男爵家の家宰を務める緑の髪の青年身長180cmほどで中肉中背ながらも良く鍛えられている第4話「しがらみって、それはないでしょう!」でヴェンデリンが双竜勲章を授与され第六位準男爵に叙せられた際必殺技「槍術大車輪」を披露して仕官しようとしたズレた青年美形なのにちょっと残念第1話の冒頭郷里の未開拓地の開墾でヴェンデリンが魔法でふっ飛ばした後領民に作業の
<1.杜甫(左?)と李白>今回は、唐の詩人杜甫(とほ)にゆかりの地を訪ねます。杜甫は戦乱を逃れ、成都に4年間暮らしました。当時の住まいが再現されている杜甫草堂を紹介します。<2.杜甫の漢詩「春望」>杜甫(712―770年)は詩聖と呼ばれ、詩仙と称された李白と並ぶ唐を代表する詩人でした。「春望」は、彼が長安で使えていた時、安禄山の乱に巻き込まれ軟禁されていた折に詠ったものです。唐は誕生から百年が経ち絶頂期を迎えていたが、反乱でいとも簡単に、都の長安(西
儒者は寝床の中で目が醒めた。昨晩の酒が体に残っていて、頭痛がする。儒者は昨晩の記憶を巡って、そこで忘れていた約束を思い出した。あの踊り子と会って、最後の挨拶をするはずだった。儒者は布団を捲って立ち上がった。頭の中に多くの蜂を飼っているようだった。儒者はどうにか仕度して、庭に出た。庭には、誰もいなかった。体を引きずるようにして橋の袂まで来ると、儒者はそこに座り込んでしまった。茶屋の女将がその様子を見て、声をかけた。「大丈夫ですか?」儒者は手を上げたが、意に相違して体は動かなかった。女将
山本周五郎の短編「雨あがる」を読みました。人を押しのけてまで出世することが出来ない心優しい武士と、そんな夫を理解し支える妻の心暖まる絆を描いた時代劇。内容ついては以下の事がWikipediaに書かれています。ネタバレ注意願います。「職もなくあてのない旅をする武士「三沢伊兵衛」(みさわいへい)、そしてその妻「たよ」。ある日大雨で足止めを喰らい、立ち寄った宿で、さまざまな人々の喧嘩に出くわす。命危険を顧みず、仲を取り持つ伊兵衛。その一部始終は藩主の目に届くこととなる。藩主は伊兵衛の人柄を気
紅明かり今年の一番花午前中雑用しばし、お稽古もして~♪軽井沢まで🎶🚗💨🎶アウトレット人が少ない…帽子気に入ったのがあってしかも、プライスダウン😃ブラウスも~❤️のちほど~(笑)(^-^)ゝ゛お目汚しm(__)m素敵な水曜日の夜を~お過ごしくださいませ❤️これから😌♨️へGO~そして御家人斬九郎(再)録画観ながら晩酌now今夜は、湯豆腐メインお昼は毎度の関所食堂ラーメン、チャーハン斬九郎仕官~越前へ…江戸にというよりお蔦姉さんに未練心~💓
『弟子(ていし)』-⑫中島敦「ここに美玉あり。櫃(ひつ)に韞(おさ)めて蔵(かく)さんか。善賈(ぜんか)を求めてうらんか。」と子貢が言った時、孔子は即座に、「之をうらん哉(かな)。之をうらん哉。我は賈(あたい)を待つものなり」と答えた。そういうつもりで孔子は天下周遊の旅に出たのである。随(したが)った弟子たちも大部分はもちろん売りたいのだが、子路は必ずしも売ろうとは思わない。権力の地位にあって所信を断行する快さは既にさきごろの経験で知ってはいるが、それには孔子を上に戴くといった
『弟子(ていし)』-③中島敦✪子路が今までに会った人間の偉さは、どれも皆その利用価値にあった。これこれの役に立つから偉いというにすぎない。孔子の場合は全然違う。ただそこに孔子という人間が存在するというだけで充分なのである。少なくとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔してしまった。門に入っていまだ一ヶ月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れられえない自分を感じていた。後年の孔子の長い放浪の艱苦(かんく)を通じて、子路ほど欣然(きんぜん)として従った者はない。それは孔子の弟子たる
盤上戦術智略の巻第35局「将棋の駒と人間」つづく今回は“仕官”について…武士が在地領主であった鎌倉時代・室町時代は、牢人になっても各地で慢性的に小規模な戦乱が頻発し、大名は戦闘要員を必要としており、新たな主家を得る機会は結構あったようです。また治安状況が悪かったために、“浪人”が徒党を組んで割拠し、野盗をしたり一揆を起こす者達もいました。この頃の“浪人”は浮浪の意味に近く、牢人と区別されていました。牢人という身分語が定着するのは室町時代後期になります。戦国時代になると主従
会津松平家はそれから2年の間国力増強にいそしんだ。その結果、黒川・二本松の両城は十分な収入と兵力を得るに至ったのである。そして…「立見鑑三郎尚文でございます。薩長を討つ殿の志に惹かれて参上いたしました。」河井継之介が連れてきた青年は若いながらも意志の強い面構えをしていた。「うむ、よく出仕してくれた。鑑三郎よ、共に賊を討とうぞ。」「ははっ!」容保のねぎらいの言葉に立見は頭を下げた。そして、天文22年(1553年)春、事態は動いた。北条家が烏山城に接する本佐倉城を攻め取ったので
・・税金は背負っとるしー、将来のカネ稼ぎやら地位予定は背負っとるじゃろべーがNO、それゆえの、「公開説教」だの「負けて号泣」だの、じゃろべぇがNO、何よりもまず相手を称えるスポマンシップがねぇしー、相変わらず「指導者」とかのおっさん等が、「負けてこそ学ぶ」っチュー「教育的」発想がねぇNO。。などこまけーコツは後日として、なんしろ、「侍」てのは、言い換えれば「御家人」でっから、要は「仕官→出世」の石高=米の発想から逃れられへんよーで、(詳細は股とすて(笑))
戦国時代はまさに弱肉強食の時代であると同時に、成り上がりのチャンスがある時代もあった。例えば半士半農の者たちの中にも武士を目指して成り上がろうという者も多かっただろうし、お家滅亡後の遺臣にも新たなる仕官先を求めて大名家の門を叩く者も多かった。しかし、やはりと言うべきか仕官と言っても容易ではなかったようだ。大名家もどこの馬の骨ともわからないものをそうほいほいと雇い入れたわけではなかった。前歴や出自などの身辺調査が厳しく、身元保証人のような伝手が無ければスタートラインに立つことすら難しかった
Amazonプライム・ビデオで「雨あがる」という2000年公開の邦画を見ました。すっごく良くて、お気に入り映画のひとつになりました!今月のdancyuで紹介されてたのがきっかけ。dancyuには前半部分の、主人公の浪人侍が旅籠で貧しい庶民に宴会を提供するシーンのことしか書かれてなかったので、てっきりそれだけの話なんだと思って見始めました。バベットの晩餐会みたいにごはん食べて終わり、みたいな映画かと。全然ちがって、浪人侍が藩の仕官に採用されるのかされないのか、こんなに人徳あるひとなんだ
ここ2日ばかり、一日会議で缶詰状態になっておりました。楽しみと言えば弁当くらいなのですが・・・これが昨日の弁当。すでに1口食べてしもうた(笑)コロッケと海老フライがメインのおかずです。サラダ以外は茶色いなぁ!そして、これが今日の弁当。さらにおかずが茶色一色(大笑)ミートボールに玉子焼き、豆腐ハンバーグに大根の漬物。白いのは大根のみ(笑)こんな弁当を食べながら、眠気と戦っておりました。やれやれ。【時代劇こぼれ話】時代劇用語辞典?(7)浪人
こんばんは🐱連休初日、朝からの半端無い寒さに目覚めました😃北海道の陸別町が-31℃、シャボン玉も其のまま割れずに凍る程の極寒日。北海道の皆様、寒さには慣れていらっしゃる事とは思いますがどうぞ寒さ対策を万全にされて御自愛下さいませ🙇・・・・・・・・・・・・・・・・さて、時代劇専門チャンネルにて山本周五郎原作主演、石黒賢さん、共演は、苗木優子さん【武士の魂】大将首画像は、お借りしました🙇藩のとり潰しで7年間浪人の池藤六郎兵衛(石黒賢さん)は、仕官先を求めて足軽組頭の植村弥兵衛の
魏の重臣?王粛の娘。幼い頃から賢く、胆力があり、「男なりせば」と周囲から嘆息された。礼儀正しく、弱者にも優しいが、身内と判断した人間には遠慮なく本音を語る。歴史の中、王元姫は、中国三国時代から西晋にかけての人物。元姫は諱。諡は「明」。司馬昭の諡である「文」を冠して文明皇后と呼ばれる。15歳で司馬昭に嫁ぎ、舅姑には婦道を尽くして仕え、目下の者にも謙って接した。ある時、司馬昭の元に鍾会が仕官してきた。元姫は「鍾会は己の利を見て義を忘れ、何かと事を起こすのを好みます。重用すれば必ず国が乱れる
鳥山検校の、人でなしな取り立てを目の当たりにし、そんな鳥山検校から金を借りてまでする物産会に躊躇う表の源内。そんな表の源内の後押しをする裏の源内。そして開かれる物産会。その物産会に訪れるのは、杉田玄白や賀茂真渕、本居宣長。さらに鈴木春信、司馬江漢。紀国屋文左衛門の幽霊まで訪れる始末です。そこに供数名を引き連れて、田沼意次が颯爽と登場します。意次、この時39歳。意次は源内に、寝小便にきく薬草があるか?、と訊ねます。物産会を成功の内終わらせる源内。源内は、讃岐高松に書状を出します
場面は同じで、時間は早朝。全員ラジオ体操の時間。例のテーブルに榎本と永井がついています。仕官1、2、3は、別の場所で例の機械作製をしています。浅井十三郎が一悶着した後、仕官1、2、3が顔を見合わせます。他の仕官たちが機械の完成を報せに行っている間に、仕官1が機械を中央に搬こび出します。大きさは20㎝×15×30程度のものです。左右から荒井、松平、大鳥等が登場します。正式呼称を時限爆弾、また名を竜卵、略してタマゴの完成です。それから、榎本による時限爆弾の説明が始まります。一台を