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この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ昨日、AmazonPrimeVideoで、映画「禅」を観た。この映画を観たのは、多分2回目。初めて観たのは、多分、サトルボディホーリングのトレーニングの最中。この映画は、私が今生、体が壊れて死に掛けけた原因の過去生がありありと描かれていて、号泣した。私は、過去生で修行僧だった時、好きな人ができ、瞑想の道を取るか、好きな人を取るかで、思い悩んだ挙句、
この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ心身脱落を目指す事自体が、愚かなこと。心身脱落を目指す者こそが、障害なり。そもそも、瞑想から始めるから、上手く往かぬ。真の瞑想とは、対象に氣づいている意識に氣づくことから始まる。対象に氣づいている意識に氣づくには、氣づきの主体に、エネルギーが供給されている必要がある。しかし、ハートから下のチャクラが、感情に覆い隠され、光を失った状態では、氣づきの主体にエネルギーは供給されてない。故に、対象に氣づいている意識に
この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ煩悩は、払おうとすればするほど、取り憑かれる。煩悩を悪しきものとし、払おうとすること自体、愚かな事。煩悩は、そのまま認め、丸ごと受け入れ、愛したらよい。さすれば、煩悩の原因である感情が、浮かび上がってくる。その感情も、そのまま認め、丸ごと受け入れ、愛したらよい。さすれば、癒され溶けて消えていき、光が現れる。あなたもそれを体験してみませんか?その旅はサトルボディヒーリングか
新年明けましておめでとうございます。今年も仏縁深まる一年となりますよう、祈念しております。昨年、一門の門徒のお寺で行われた柴灯護摩に行者として参加させていただく機会がありました。その場には、仏道に対する真摯な姿勢と、一門を超えた人々の心からの暖かさが溢れていました。門弟である方々も、そうでない方々も分け隔てなく接してくださり、その優しさや温もりは、まるで炎の輝きが人々の心を照らしているかのようでした。このような素晴らしい環境に身を置きながら、ふと、今まで抱えてきた自分の心の
新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました🙏随分と日が経ってしまいましたが、大阪声聞会の二日間、九八さん、ゆみさん、声聞衆の皆様、本当に本当にありがとうございました🙏✨声聞会後、途中になってたブログから…↓声聞会の二日目、寂滅為楽の話しをされている時、九八さんの手元が私の席からは隠れて見えていなかったのですが、パンって鳴らした瞬間、手を鳴らした、も九八さんが、も「パ・ン」という日本語の音での認識も、本当に何も無く突然ただ音があり(音であり
~御教歌~わろければ早くあらためつくろはず唯(ただ)信心にしくものはなし悪ければ早く改め、決して自分を飾らないことが仏道の基本であることをお示しの御教歌です。人には誰にも欠点があり、至らないところもあります。至らないから自分を磨いていくのですが、磨いていくためには、何処が自分の欠点なのかを客観的に見ていく必要があります。ところが、私たちは人のことは見えても、自分のことになると見えてないようです。
京都☆ホリスティックヒーリングサロンSoulColourAngel🌈本来の自分に戻り、自分らしく輝いて生きるお手伝いカラーとクリスタル、数と音で「魂・こころ・身体の声を紐解き癒す」専門家りえこです阿耶先生から、1/10の新年お茶会に向けてメッセージを頂きました💛ぜひ、皆さんと分かち合いたく思います✨『新春✨【1/10】新年お茶会withオーラソーマ~内なる静けさと向き合う~開催します❣』京都☆ホリスティックヒーリングサロンSoulColourAnge
順縁と逆縁順縁とは、素直に仏縁を結ぶということ仏の真実の教え聞いて仏道に精進する縁を持つ事逆縁とは、仏の教えを聞いても信ずることなく罪を重ね、後にその罪が逆に仏縁となっていく事これは仏教用語ですが一般社会にも当てはまります。良い縁に恵まれることを“順縁”という一方で、物事が裏目に進んでしまう縁を“逆縁”といいます。以前にお師匠様から聞いたことですが親子兄弟でも順縁の縁を持つものとは折り合いが良いが逆縁の縁を持つものとは仲たがいをしていくという事ど
(※日本語に「主語」がないのは「自我」がないから?(4/5)より続く)「私を抜く」と「私を知る」の両方が大事「日本語に『主語』がないのは『自我』がないから?(1/2)」の冒頭にあげた「仏道をならうことは、自己をならうことだ。自己をならうことは、自己を忘れることだ。自己を忘れることは、宇宙の真理に目覚めさせられることだ。」(訳文)と『正法眼蔵』の“現成公案”にあるように、私は「仏道」のみならず、人生において、「自己をならう」つまり「自分を知る」、「私を知る」こ
武士道は、侍が守るべき行動規範のことです。武士道とは、信じた道を貫くためには死をも恐れない、強く美しく気高い精神性が記されています。日本の思想家新渡戸稲造が明治維新の直前に武士の世が終わりを告げる頃に記した書籍です。魂を売って誰かにしっぽをふって生きるより、死を恐れず信じた道をとことん進むこと。武士道の精神は任侠の世界の一部にしかもう残っていないのかもしれません。私たちは魂を売って犬になるよりまっとうなやくざになろうと思います。(やくざとは指定暴力団のことではありません。)武士道とは神道でも
求道心2025.01.01新年あけましておめでとうございます今年もよろしくお願いします昨年は、大いに信心が揺れた年だった。いや…今も揺れている最中だが。揺れる時は揺れるだろ。ボクは、子どもの頃から理解も成長も有り得ないくらい遅い。何となくそうかな、とは思っていたけど認めたくなかった。だけどそうなんだと受け止めることにした。信心のほうは、すっかり後退してる…よ…ね?(汗)タ・イ・テ・ン。嫌やけどしゃーない。今の創価学会、公明党に納
昨日ラジオを聴いていて掃除は修行だというお話を聞きました。掃除とは人生を整えること。まず自分のために心地よく清めるのだそう。仏道では、掃除は「心を磨く」修行とされています。一杯のお茶が心を落ち着かせ、気持ちを切り替えてくれる力があるように、ただ無心に掃除をする時間は心に溜まった埃や塵を払い、清めてくれるのだそう。誰のためでもなく、ただ無心に。私も今年は断捨離!!しました。年末の荒ゴミにたくさん出して嬉しく心も体も軽くなりました。断捨離しているつもりでしたがまだまだです(笑)無心に断捨離
<Seiryuuのつぶやき>NO422心のバランストレーニングで、よく「体幹をつくる」という言葉を聞いたことがありますが、、仏道においては「心の軸をつくる」ことを大事にします。心にしっかりとした軸が出来ると、心のバランスが上手く保てるようになります。たとえば、人にはそれぞれ喜怒哀楽の感情が起こってきます。ところが、心のバランスが崩れると、嬉しいときに喜べない、辛い時もさほど苦しくない・・・悲しいときに何故か泣
九八さん、縁覚点検本当にありがとうございましたm(__)m南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏思考を取り扱うことは本当に恐ろしい、、、本当にすべてが弥陀の説法、、、阿弥陀様は本当に尊いお優しい易しい道をつくって下さった易行道真の仏道何もしなくても、、、これほど確かなありよう、、、揺らがない離れようもない大安心、、、仏恩感謝の南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏正しく導いて下さる正師、九八さん、ゆみさん、声聞、縁覚点検、ブログ、いつも本当にありがとう
御教歌わが病惜しや欲しやの苦しみも法の教えにいえにけるかな病の中で一番の病は執着心であるが、仏の教え通り行じていくことにより癒えるものである。このようにお示しの御教歌です。仏教では、人がかかる一切の病に「四百四病」があると云います。その病の中でも一番の病が貪欲であり執着心です。欲に執着する病は、時に人を傷つけ、時に落とし入れてまでも己の欲を満足させようとする厄介な
『最澄を読む』ーひろさちや●仏道に終わりなし✪四弘誓願(しぐせいがん)の最後は、ーー仏道無上誓願成ーーです。仏道修行にはこれで終わりということはない。そして、道というものは歩み続けることが大事なことだといっているのです。「おれはゴールに到達したからもういいや」という考え方は、仏道ではありません。ゴールに到達したら、もう一度出発点に戻っていく。あるいは百メートル戻って、またそこで悩んでいる人、転んでいる人の手助けをしていっしょに歩むという姿勢が大事なのです。ということは、逆に言
どうやら生まれて来る前から決めているように実現しているようです。私の場合はもう捨てたので必死に思い出すと不幸感を感じることとうまくいかない人生を経験することを体験するように決めているように感じました。お釈迦様も過去世の業などから今の状態は実現していると仰ってますが正にそうなのでしょう。なので幸福感を感じることとうまくいく人生、陽気な人生を生きていくことにまずは決めました。そ
自分について考え、アイデンティティと向き合い、または、出来事を反省して振り返り、「自分のこんな所は駄目、悪い、イケナイ」「忘れるべき、大切にすべき、問題視すべき出来事だ、正すべき出来事だ」と、正しい、間違い好き、嫌い良い悪いと言って考え方で取り上げて問題にし、この心身を自分だと認め思って、ある一定の頭で描いた実体のない理想的な思いの通りに成ろうとしたり、変えようとしたり、在ろうとしたり、
ここの所、いろいろなことがあって、まあ、人生にいろいろなことがあるのは当たり前なのですけど(笑)まだまだ、自分は非力だなあ……と、感じずにはいられなかったりします。今、周りの優しい人達にこうして引き立てられて、得意な仕事をやらせていただいていることに、本当に感謝しています。去年の年末、十干十二支気学の笹木龍一先生から、佐賀で僧籍を持ちつつ占い師をしている島﨑妙諦先生の鑑定を、ご紹介いただきました。あの頃は、自然派四柱推命の新講座のテキスト作りや、スライド作りに無我夢
釈尊の教えを知るための仏教講座デジタルクリエイター「天美春介」さんの講話より「今やっと理解したことがある。人生において充分やっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。」「終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のように。」このように、ジョブズは考えるようになりました。そして、、最期は仏道に救いを求め学びたいと願いました。ここから私たちが学べることは(1)人生最大の課題である『死』の問題に元気な現在ただ今
🙏眼からウロコの般若心経/色と空との弁証法的発展(一)〔空〕というものが何かについては般若心経の現段階では解りませんが、少なくとも、〔空〕は〔無〕ではないこと、〔無〕ではなく、〔空〕という一つの存在だということなんですね。〔空〕は、何も無いのではなく、〔空〕という存在なんです。ですから、〔色と空は離れては存在しない〕という「色不異空」の意味が解り、これから学ぶ〔色即是空〕の意味も解っってくるんですね。〔即是〕というのはイコールという意味ですから、同じ状態であるということです。
結局、仏道も神道も、ジョン・ケージの「4分33秒」の生演奏なんじゃないかと。。。
気が付けば1カ月半もブログ更新から離れていました。皆様お元気でしょうか。10月半ばから体調を著しく崩しているのですが、それでいて仕事の忙しさが全く収まらず酷くなる一方で、とてもブログ更新の余裕はなく、朝夕の読経(お勤め)と座禅だけを何とかこなす毎日です。サラリーマンのつらいところで、このストレスフルな状況をどう改善に向かわせるか…。少しでも余裕があれば、寺院を参拝して仏様方(特に歓喜天尊)にそれを何度も問うていました。すると、「それは、今後、正しく仏道を歩けるかどうかである」
身なりをちゃんとせねばちゃんとの救いもすべても白い飯には、棚たんは、のっているから宮崎たくあんに不安はあわぬい妹さんのひと頑張りにかけても。ほくが。医術ー作家として仏道を、歩けるー、のみならずー、からだが。じゃかんは。太ってきたなーwd今回もミスタードーナッツのプレーンシュガーを
修行の手応えSenseofprogressinpractice2024-12-0217:00:00PractitionersoftheBuddhistpathmay,evenifawarethattherearenointermediaterewardsonthepath,stillwishtofeelsomesortoftangibleprogress.Forexample,theymighthopeto
御教歌人なれど畜生よりもおとるありよく深きもの恩をわするる人の中でも欲が深いと「恩・おかげ」を忘れるもので、畜生より劣ることがあるとお示しの御教歌です。「人は人らしく」という言葉がありますように、人らしい振る舞いを身につけ、その中で暮らしていきたいものです。その一つとして、「恩・おかげ」を知り、忘れないということです。教えに「知恩報恩を以って仏法の基と為す。」
これについて私は答えた。「あなたのおっしゃることは大いにおかしいところがあります。あなたは、まさに仏門の重要な一派の高僧ではありますが、そのとおり見解があれば百千劫の間無上の菩提を求めても、どうやって仏道を達成しようというのでしょうか。天地の間に万物の様々な理というものがあります。この理に従うことが道ということである。したがって自分が手に入れるもの徳とします。今私は農家として生きており、あなたは僧侶として生きております。あなたはあなたの道を行くべきだし、私は私の道を尊びます。これが大道とい
【御書本文】このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり(妙心尼御前御返事全1480新1963)【通解】この病は仏の御はからいであろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである。【先生の指導から】妙法は、何があっても変毒為薬できる、不可思議の法である。(中略)病気をしたからこそ、求道心を奮い起こしていける。大きく境涯を開くことができる
仏道といいますと、人の道の延長上にあり、人が人らしくなっていくその先に仏になる道があります。まず私たちが身に付けていかなければいけないのが敬いの心です。親を敬う・主を敬う・師を敬う、そして人を大事にする・人を思いやる・・・そんな心を身に付けていくことです。その敬いの極まった処に「慈悲の心」があります。慈悲と一口にいいましても、ものすごく深いもので、慈悲の心を身に付けていくのが仏道であり、そこに修行があると云います。今日は慈悲の心についてお話をしてみます。
毎朝8時から1時間、菩薩行として始めたTikTok法話LIVEも半年が経ちました。まだまだ至らないところもありますが、毎回1.5万人に視聴されるようになりました。そこで本日よりチャンネル名を『風の善友会』と付けさせて頂き、新しい取り組みをスタートすることに💡11月20日より本格的に風の時代へ突入したこと、お釈迦様曰く"善き友を得るのは仏道の全て"とのお言葉から頂戴しました。さらに多くの方々に法話をお届けできれば幸いです🍀