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月見れバちゞ尓(に)物こそかなしけ連(れ)わ可(が)身ひとつの秋尓(に)盤(は)あらねど西八条尓(に)時めきし舞扇さへ秋風の忽嵯峨野尓(に)捨てられて錦の袖を墨尓(に)替愛(めで)多(た)く奏でし朗詠ハ佛の御名とかへ多(た)るハ實(げ)尓(に)殊勝なる心とやいハん柳下亭種員筆記白拍子祇王一勇齋國芳画妓王(ぎおう)は、『平家物語』に登場する白拍子。祇王、義王とも。平清盛に寵愛されたが、仏御前に寵愛が移ると冷遇され、屈辱から自害を決するが母に止められ出家する。京都嵯峨野に縁の寺
平家物語に出てくる白拍子、祇王と祇女の逸話の尼寺です。姉の祇王が平清盛の寵愛を受け、しばらくは姉妹は安寧に暮らします。が、自ら口利きをして舞わせた白拍子の仏御前に、清盛が心奪われてしまいます。屋敷を追われた姉妹とその母は、剃髪し祇王寺の地で仏門に入ります。恋敵の仏御前も、祇王への仕打ちを見るにつけ、わずか17歳で無常を感じ、剃髪した姿で3人の前に現れます。3人が4人になり、寄り添うようにして暮らしたのがこの地でした。明治28年に別荘が寄付され、現在の祇王寺が整ったそうです
表門が二重門のようで、無いように書きましたがありました。訂正しました。正門の古写真を1枚追加しました。前回の続きです。今回は入口門までと「平家物語」に登場するの祇王です。原平家と呼ばれる古本に祇王は登場せず、13世紀中頃にその逸話が挿入されています。太政大臣平清盛公は出家してからは浄海といい、天下の権力を一手に握り、傍若無人に振る舞っていました。そのころ都に祇王(ぎおう)・祇女(ぎにょ)という、有名な白拍子(しらびょうし)の姉妹がいました。清盛公は祇王を寵愛してい
夫とどこかに行きたい。でもどこに行く?迷っていた私たちに素敵なヒントが。加賀の國まるごと巡りモバイルスタンプラリーでは、地元にいながら知らなかった、歴史的由来のある場所とも出会えました。こんな場所があるんだ。そういう新たな発見が面白いです。先日訪れたのは、仏御前のお墓、屋敷跡。平清盛に愛された白拍子、仏御前はこの石川県小松市の旧原村で、五重の塔の塔守の娘として生まれたとされています。京に上り、白拍子となったのが14歳のとき。そして平清盛の寵愛を受けたものの・・・その代わりそれま
🌸『源氏物語』の時代は恋愛至上主義(7)『要旨』☆義経の恋人・静御前「白拍子」*白拍子は、皆の前で舞を披露する踊り子☆白拍子は、権力者の恋人として歴史に登場した*後鳥羽上皇にも亀菊と言うお気に入りの白拍子がいた*彼女は、荘園などを受け継ぎ、自分でも十分に財産を得ていた☆ヨーロッパの高級娼婦のような存在だった白拍子*鎌倉時代の白拍子には梅毒はなかったので、*江戸時代と異なり「穢れれがうつる」等で敬遠されることがなかった☆『平家物語』での平清盛と祗王、仏御前
全国国府サミットin小松開場ロビー「仏御前白拍子の舞」林家の御主人は朝からこちらのお世話の為に不在だと伺った。湧泉寺喧嘩事「平家物語」にも有るこの事件は、ドラマ等で象徴的(簡単)に描かれてはいるけれどもそれ以上に壮大で根深いものだという事を次の旅で知る事になるが、この時は、要約された史実が高速展開あれよあれよという間の30分に唯々驚嘆するばかり・・全国国府市首長サミット其々の国府跡調査状況等について熱く語る(ご当地紹介)のお時間曳
仏御前のふるさと(小松市埋蔵文化財センター資料)令和5年10月21日~25日、小松・金沢・高岡へと旅に出た。8:43金沢8:55―9:32小松宿に荷物を預け、小松駅前からタクシーで原町へ。10:16町内案内板の前に下車。仏御前屋敷跡仏御前の墓仏御前尊像安置所(林家)事前に小松市埋蔵文化センターを通して教育委員会の方から林家へご連絡頂き当日は小松市のイベントの為、御主人は不在だけれども奥様が対応してくださるとのお約束を頂いた。仏御前尊像
名古屋のシンゾウですコロナの死亡者数が心配です。毎日数百人が死亡する現実をどう受け止めたら良いのでしょうか。1日500人という日もありました。続けば月間15,000人ですからね。まさに異常事態です。しかし、マスコミはサッパリ取り上げてくれません。あたかも数字マジックのように伝えています。多くの方が罹っても大したことは無いと思っています。反面、死亡者は増え続けています。このちぐはぐさに大きな矛盾を持たれている方は多い筈です。持病のある私は、半軟禁生活が続いています。どこまで続くのでしょうか
これは京都の嵯峨野にある「祇王寺」というお寺のお話です。祇王寺は大覚寺の塔頭として法然上人の弟子であった浄土宗の僧、良鎮によって創建され、往生院の跡地に建てられたお寺です。この祇王寺は「平家物語」の舞台にもなったところで、このような話が残されています。平安時代末期のこと、京の都に祇王(ぎおう)と祇女(ぎにょ)という名の美しい姉妹がいました。二人は今様(当時の流行歌)を歌い舞う白拍子として評判で、その噂はその時、政権を握っていた平清盛の耳にも入っていました。ある日、姉妹が清盛の屋敷で舞いを
…の他にもう一人、白拍子であった人物の尼僧像が安置されている。『平家物語』には祇王が平清盛の寵愛を失う原因として記されるこの人物は誰か?右京・嵯峨鳥居本にある祇王寺には、祇王と妹・祇女、母・刀自と仏御前の尼僧像が安置されている。白拍子の仏御前は、平清盛に寵愛されていた白拍子・祇王・祇女の名声を聞き、清盛の西八条邸へ参じた事から清盛の寵を得た。自分のせいで祇王らが清盛から退けられた事に世の無常を感じ、祇王らがいる嵯峨野を訪れ尼となった(『平家物語』)。
5月23日月曜日〜その10(写真)30枚組CDセット『蔵出し浪曲名人選18』〜「太閤記〜秀吉故郷ヘ帰る〜/仏御前」芙蓉軒麗花(H17年9月7日キングレコード)を聴きました。
こんばんは【夢超場】のブログへ本日も、お越しくださりありがとうございます。今日一日、いかがお過ごしいただけたでしょうか【夢越場】には、【おはなしどころ(コーチング・傾聴】【おえかきどころ(筆文字・筆絵)】【おつくりどころ(プラモデル完成品)】の3つがあります。本日は【おえかきどころ(筆文字)】からです。本日は金曜日金曜日といえば、カレーではなくて【平家物語】の日です(毎週金曜日)に投稿予定原文を描いた画像を貼っていきますかなりの長編の為、一体
こんばんは~昨日深夜に放送された、アニメ「平家物語」第2話。さっそく観ました今回は、清盛や後白河法皇の出番も多く、なかなかヒストリアしていましたが、メインは祇王・祇女、仏御前といった、清盛をめぐる白拍子たちの話でした。主人公・びわの母も白拍子らしく。消息を探してやりたいと願いつつも、運命に流されていく、祇王たちと徳子を描いていました。画がキレイ~音楽もいいし~琵琶の調べもステキ重盛は「燈籠殿」と呼ばれるくらい闇を怖れ、邸内に光を灯していましたが、この辺り物語にもあるみたいですね。
11月中旬。紅葉の見頃を迎える前の祇王寺です。古典の授業で習った平家物語にも登場する寺院です。仏間には祇王、仏御前の他に、ご本尊の大日如来、清盛公、祇女、母刀自の木像が安置されています。カメラの設定を間違えたようで、暗く写ってしまいました。嵯峨菊。嵯峨天皇が好んだとされる菊で、元々は大沢池で自生していた野菊です。瓦屋根に掛かるモミジ。今年も綺麗に彩ってくれました。
秋の一日嵯峨、嵐山を散策しました。緊急事態宣言が解除されて一週間、ようやく人出が戻ってきたようで、観光客や修学旅行生でそこそこ賑わいが戻ってきていました。外国人観光客がほとんどいないので、以前のような雑踏という感じはなく、静かな観光地といった趣です。学生時代は外国人観光客と言えば欧米の人達がほとんどで、数も限られていたので、ほとんどが日本人観光客でした。そのころに戻った気がしました。嵯峨野の北のはずれにある祇王寺に足を延ばしました。ここは平家物語で語られているように
7月に入り、今日はこの夏初めてセミの鳴き声を聞きました。梅雨明けももうすぐかなぁ。商店街では祇園ばやしが聞こえてくる時期ですが、今年も祇園の山鉾巡行は中止。五山の送り火も去年同様縮小化で、一部しか点火しないことになったそう。コロナ禍二年目の夏、ワクチン接種も進まずマスクも暑い。正直出かけるのさえめんどくさい蒸し蒸し感。う~ん、早くコロナも夏も終わってくれ~!そんな私の今日のブログは、今から2カ月ほど前の5月のお話。この日はバスに乗ってお出かけ。故田村正和さんが卒
奥嵯峨にある祇王寺に行きました。あたり一面の散り紅葉。見頃を過ぎた晩秋ならではの風景です。高校の古典の授業で、平家物語祇王の章を学んだ時は、ただの三角関係くらいにしか思っていませんでした。『名をば仏とぞ申しける』の段落で仏という名前がツボにハマってしまい、爆笑して先生に叱られたことを覚えています。大人になってから読み返してみた方が、胸に突き刺さる場面が多いですね。苔と紅葉のコントラスト。まるで強さと儚さを表しているような彩りです。諸行無常。意味深い言葉ですね。
須伽萬田(すきゃまんだ)先生(右)「よし、正解。この続き暗唱できる?」志のぶ「奢れる人もひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」須伽萬田先生「よくできました」須伽萬田先生「2回生は質問ある?」花織(中央)「先生、那須与一って源氏?平氏?」須伽萬田先生「……源氏だよ」須伽萬田先生「ナカミナは?」ナカミナ(右)「竜族は海の民ゆえ、海に関することはマスターしておる」須伽萬田先生「あすかちゃんは?」あすか「先生、清盛の追い出
今回の金沢旅の目的は美里さん・ガリさん夫婦に会いに、ガリさん一家が経営する「銭がめ」に泊まりに来る事でした『未来の学校の在り方を考える。オトナもこどもも自然体で自然から学ぶ【宇豆米VILLAGE】』「草んぽ(野草さんぽ)」が楽しすぎる最近。先日は海辺の「ハマダイコン」の採れたての実を天然のたくあんだね!と1才の娘と家族3人でつまみながら食べ歩いていました…MagicalEarthingLifeー宇豆米一家の地球と人生の発酵ノートー石川県へ行くと決めた時から、石川県の情報がど
これはもう、私の趣味みたいなものですので(笑)どうぞ、気軽にお付き合いください祇王寺〜自分の過去生をなぞる旅①〜祇王寺〜自分の過去生をなぞる旅②〜サムハラ神社も祇王に繋がっていた奇跡!祇王と仏御前がタッグを組みます続きます♫美里さんには「私のblogの祇王寺の話①②を読んでみてもらえませんか?これらの事と、美里さんとの繋がりか分かってしまった気がするのですが。美里さんが何か感じたら教えて欲しいです。何も感じなくても良いです」とだけ、伝えましたそして、美里さんから返ってき
過去生をたどっていく事について、ちょっとここら辺で注意事項を示させてください私の「今」にとって、これは真実であるけれどもそれは相手にとって真実でなくても良いと考えています例えば、私にはその人の過去生が分かったとして、それをペンジュラムで確認したらyes!と出たとしても、それは私の世界で真実なだけですその人も、その人のパラレルを生きてらっしゃるので、「今」のその人にはその過去生を生きた真実がない可能性もあるからですこれはどちらでも良い事こういう感覚である事を、読んでくださる方と共有して
先月30日、紅葉を観に嵯峨野を訪れた折り、常寂光寺のあと祇王寺を訪れました。漸く、立体視できるように写真を編集できましたのでご覧ください。祇王寺は、苔の庭でも知られ、写真の落ち葉の下はすべて苔で覆われています。『平家物語』よれば、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺しました。
2年以上前に、自分の中で祇王だった過去生のビジョンがみえてから(歴史に詳しくないので、祇王という人を知らなかったけど、ビジョンがみえて、後から調べてみたら祇王の人生をみていた)ずっと気になってましてやたら気になる過去生で、いつか何か分かるタイミングまで待ってようと思っていましたリブログで経緯は読んでいただきたいのですがちょっとスクショします↓付け足しますが、祇王は捨てられた後、仏御前が元気がないからと、また呼び戻され、仏御前を元気づけるために舞うように平清盛から命じられますそれ
↑の画像は、清盛神社(若一神社)の境内にある「祇王の歌碑」・・・であるd(^O^)b祇王って~のは、平安時代の白拍子(当時の流行歌「今様」を詠ったり踊ったりする女性芸能者)で、妹の祇女と共に、都で随分人気を博してたのだ。その祇王が清盛に見染められ愛人となった・・・。しかし、清盛の愛情は長く続かず、16歳で都にやって来た白拍子「仏御前」に寵愛が移り、清盛は祇王と祇女、それに母親の刀自三人を屋敷から追い出してしまう。そこで、祇王が屋敷を出る時に読んだ歌が↑の歌なのである。達筆す
前回の大阪勤務の際、最も数多く訪れたお寺は京都の龍安寺。そしてその次が嵯峨野の祇王寺でした。(画像は全て拡大可)龍安寺は石庭の知名度が高く、拝観する人が後を絶ちませんが祇王寺はそれに比べると静かです。でも小じんまりとした苔庭は好きだなぁ~苔寺として有名な西芳寺の庭園は素晴らしいけれどやや「これ見よがし」の感じもする。(あくまでも個人的な印象です)写真が好きなオヤジは何度も祇王寺を撮影していますが、なかなか良い写真は撮れません。龍安寺の枯山水も祇王寺の苔庭も“わび”と“さび