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お釈迦さまが真理に触れた時、いろいろある真理の一つにあらゆるものが無常であるといったものがあります。この無常が、なぜか、どうしてか、とてもネガティブにとらえれています。平家物語の「諸行無常の響きあり」などで世の儚さ寂しさを想起させるからでしょうか。あるいは無常が苦、無我と並べられているため、苦の部分と連動して、ネガティブに見えるのでしょうか。花が咲いていずれ散るといった短絡的なものが無常をあらわしているのではな
73picture私のチャンネルは、特別に決まったテーマを決めて作っておらず、時間が空いていると、気ままにカメラをもって撮影散歩したものをアップしております。住まいの関係で、埼玉・東京近辺の映像がが多いです。興味がありましたらご覧ください。www.youtube.com【白雲山鳥居観音】埼玉県飯能市上名栗名栗渓谷の山に立つ巨大観音山々の中にさまざまな建物がある巨大寺院。経営者、政治家を経て晩年になり仏像彫刻、寺院を開設した。自動
今朝もいつものように5時半に起きて身支度を整え、白川公園のラジオ体操に出かけた。公園の木々は色付き始め、朝日を受けて輝きを増している。園路には落ち葉が目立つようになり、秋の深まりを感じさせる。帰りは近所を一回りして家に戻った。若宮大通の高速道路高架下では整備が進み、スケートボードリンクやバスケットボールコートが完成している。いずれも市の施設で無料で利用できるという。これから昼間には、スポーツを楽しむ愛好者たちで賑わうことだろう。以前は高架下に
先日、仏道の長老のお話を聞きに行ってまいりました。人間は妄想の中で生涯を終えるそうです。脳内にくだらないごみをパンパンに詰め込んで、ジ・エンドだそうです。言わんとしていることは分かります。仏道を学ぶ過程で人間は絶えず貪瞋痴(怒り欲無知)にまみれて生きていると実感しているゆえますますそう思います。長老に質問する人がいました。「妄想に悩まされて苦しい。アドバイスいただけることはありますか。」と。その方は、仏道の初心者だったた
今年の6月から始めた「善財童子」ですが、彫りについては終了とします。下方から仰ぎ見るアングルです。あまり変わらないように見えますが、あちこちと修正しています。上からのアングルでお顔を見直しました。右足がどうしても修正不可能のため、切断のうえ接合し直しました。足を彫り出してから芯棒で接合した後に、木粉粘土で周りを固める予定です。手足を別彫りして継ぐ手法は確立してるので、今回はやむ無しとします。最後に柿渋とアマニ油蜜蝋で仕上げて完成です。
リニューアルした大丸東館galleryUGに展示されています。田島享央己TakaokiTAJIMAさん、仏師の家系で仏像彫刻から最近平面の絵も手掛けての今回の作品展。かなりユニーク。シンプルだけど、何か訴えてくる、心惹かれました。~10/13。ちょっと足をのばしてみてほしい田島享央己|galleryUGgallery-ug.com
たびたび、お釈迦さまはこの時、こうおっしゃっているけど、あの時は真逆のことをおっしゃってた、と主張する学者さんなお坊さまがいらっしゃいますけど、お釈迦さまは個人個人に合わせたお説法をしてますんで、一見同じ問題に見えて、しかし、その背景は全然違ってたりすることがあるので、お説法が一貫していないことは当り前なんですよね。お釈迦さまはお医者さんに例えられるそうです。ひとりひとり処方が違います。AさんとBさんという二人の女性がと
母が父の供養のために仏像を彫ろうと通い始めた仏像教室の展覧会がありました。100体以上の仏像が飾られていました。最終日にお邪魔したところ、息子たちがお世話になった小学校の校長先生とお会いすることができました。阿弥陀如来が母の作品で、達磨大師が校長先生の作品です。講師の先生にもご挨拶できました。人生の先輩方、すごいなあ〜✨
5話仏像彫刻教室定年後の私の毎日は、基本的にヒマである。いや、「基本的に」などと、ちょっと控えめに言ってみたが、正確には「かなりヒマ」である。そんな私の、ヒマな時間を埋めてくれているもののひとつが、仏像彫刻教室だ。この教室には、もう十年以上前から通っている。これまでに彫った仏像は、大黒天、不動明王、毘沙門天、大日如来、蔵王権現など、ざっと十体ほどになる。こうして並べてみると、なんだか立派な仏師のように聞こえる。ところが、である。自分で言うのもなんだが、十年以上やっている
仏道の修行をまじめに行うととうとう自分と言うものはないという境地になるらしい。つまり自我はなく、無我であり、自分のものと思っている生命は苦の連続でしかなく、そしてさらには、精密な実体験(修行)の果て、無常であることも確認出来るとか。(まずは無常の確認からだったか…。まぁ順番はどうでもいいとして。↑いやいや順番も大事だったような…。記憶もうっすらで申し訳ない。たよんないですなぁ、もう)あなたは仏師ですか?と、xやin
お坊さまがお説法をする際、お釈迦さまの語った内容のニュアンスが少しでも違うと大変な罪になるそうです。なので初期仏教では一言一句違いなく師匠から弟子、後輩に偈(詩みたいな教え)や経文を伝えるそうです。大昔のある時、スリランカでは飢饉があったそうです。お坊さんは労働は禁止ですし、飢饉のときに托鉢などすれば村人から石でも投げられて殺されるやもしれない、とのことで、ある一派はインドに避難したり、サンガ(僧)集団がばらばらになりましたが代
お坊さまにお食事の用意をしたり、お金を渡したりするのが、一番大きな功徳になるそうです。本当は、世の中で一番尊い功徳は法施と言って、仏道、真理を語るなどお坊さまがお説法されることなので、一般人にはできないことなんですけれども、そのお坊さまがお話できるように、お食事を用意したり、身の回りのお世話をすると言うことが凡夫にできるため、それが一番大きな功徳になると言うことです。まぁ、そのお坊さまが正しいお説法できるかただの袈裟
おはようございます雨です寒いです今朝も雨でアッシーです小学生が並んで登校良い眺めです私もあんな時があったのか70年も昔に昨日は昔行っていた仏像彫刻の展示会見に行って来ました先生も84歳に私が初代の会長してまして今3代目挨拶してくれました人のお世話は大変です上手くいって普通なんかあると文句言われて文句言う人は世話はしないもう30年ぐらい以上かな続くのは凄い
楠南方風お釈迦様4つ目せっせと金色に塗っていましたけど、楠の木目のカッコよさが生かされない気がしまして、やはり素彫のままにしようと思いました。日本の広葉樹で生え方といい、ねじれかたといい、木目に赤の線が混じった模様がついてることもあったり、楠は一番カッコいいと思っております。おなかが空けばご飯を食べておなかが空いたという苦を取り除き、あらたにおなかがいっぱいになったという苦に直面します。
「善財童子」全体を見直しながら仕上げ彫りをしています。全体としてはこんな感じです。整った感じがしませんか。背面もこんなです。後頭部をだいぶ削りましたし、衣も彫り直しています。お顔は頬を削り、鼻を整え、目も窪めました。背中と胸の厚みを削って、肩からまとる条帛(じょうはく)が右腕超しにつながるようにしました。あちこちの矛盾を整理していきます。
櫟(イチイ)昔、神事に使う笏に使ったところ、非常に良かったので仁徳天皇から冠位一位を与えられたのでイチイとなったとか。非常に硬く、重く、お琴にする人などいるまい…。今を生きるって現代人にはほとんど無理なのかと…。常々、明治以降の教育は誰かから何かを奪うこととか、追い立てられるように勉強しよう仕事をしようといった奴隷のしつけ、工場の部品を作るもの、と認識していますゆえ、本当の自由を得ることなど日本人
わたしが一方的に知っているある社長さんが「周りの人は時間が早くなったとか言うけど、わたしは一日が長くて長くてしんどい。一日が長すぎて、いっぱい仕事をしなければならない。」と言っていました。今を生きるというのがちまたで流行っていたような気がしますが、それはあくまでふわっとした感じで流行っていたかと。その社長さんも今を生きるを信条にされていたようですけど、なんちゃって今を生きるではなく、科学的に精密に今をいきていらっしゃ
木曽ヒノキ聖観音宗教の最終目標が来世ではきっと救われますとか、死んだら極楽に行けますよ、とか言うものならば、早く死ぬのが正解なのでしょう。なのに長生きしますようにとか美男美女に出会えますようにとかたくさんお金が入りますようにとか人間は矛盾だらけですよね、理性的に考えられない、とお坊様はおっしゃってました。別に信仰している人でなくてもせっせと健康運のお守り買ったりしてますし。人間は「生存したい」という本
木曽ヒノキ、聖観音さま物質の最少単位である素粒子というものはあらわれてはきえる、あらわれてはきえる、それは波のようにエネルギーになったり、粒子と言う個体になったり、というものだそうです。寄せては還るよせては帰るよせては変えるヨセテハカエル先日参加しましたヴィパッサナー瞑想という瞑想の中に座る瞑想というものがありますが、おなか集中!とのことで、おなかの動きがヨセテハカエルそんな錯覚もあったかなぁなどと思っています。
わたくしめはわたくしめと言うだけあって、自我、我欲、妄想でぱんぱんであり、悟りには程遠い状態であります。初期仏教のお坊さんのお説法を聞き続けていると瞑想と言う修行に行き当たります。瞑想とはじっと座っているだけで本当に心が清らかになり、解脱するという触れ込みでして、(わたしの受け取りかたですが)どうやったら、自我でぱんぱんなわたしが無常をしり、無我となり、苦(生命)を乗り越えられるのかと心のどこかで1週間前までは確実
亥の玉(名前つけた)を彫ってから、暫く放置してた摩利支天様ですが、連休の台風で引きこもっていたので、毎日少しずつ彫っていました。我流仏なので手の動くままにホリホリ…私の内側の仏。摩利支天様はどんなお姿でお出ましになってくださるのかなモデルは徳大寺摩利支天様ですが、私の中の摩利支天様は??だいぶ前に絵には描いてはみましたが違うみたい。彫りながらも全くお顔が浮かばずでした💧彫ってたらこんなんなって、こんなんなってきて今夜はここまできたまだまだ荒彫りですが、なんだか凄く楽しい✨
40代の時に仏像彫刻を始めました。父の供養を兼ねて始めました。そこで、友人仏師たちと出会います。特に仲良くさせていただいたのが、、美大出身の人と、医師を退任して派遣で行っている人でした。技術を磨く、向上することに意欲的な人たちでした(^ω^)・・・コロナのころに、教室は休講され、、一旦お休みをして自分で仏頭など、本を見ながら彫っていました。彫刻展に参加すると、参加費として木を頂くのです。ほぼ強制の彫刻展なのですが、人の目に触れさせないと上手にならないという先生の教えが
主にタイを中心に住民と一緒になって、仏道に基づいて、農村などの村落の開発、発展に尽力するお坊さんのことを言うそうです。お坊さんは俗世間と関わってはいけない、孤独に修行しなければならないというイメージがありますが、実際には、みんな仲良く、お互いに慈悲の念をもって生きていきなさいとお釈迦様は思っていたらしく、タイのお坊さんのように社会貢献される姿は仏道らしい姿な気がします。阿羅漢が村に一人いるだけで、ものすごく幸せになるよ
楠金泥台座は銀泥を試してみました。英語の勉強のため、お釈迦様のお言葉を英文、ワンフレーズで投稿することにしました。続くかなぁ(笑)峯華(@houka_panna)さん/X生きとし生けるものが幸せでありますように。峯華
サーリープッタ尊者という、お釈迦さまが知恵の第一人者と認めた聖者、阿羅漢がいらっしゃいました。自我のないとことん落ち着いた聖者である。と讃えられていました。性格の悪いバラモンがそんなことはない、と憤り、後ろからサーリープッタ尊者を殴りつけたそうです。※バラモンとはインドのカースト制で階級の高い階層に属する人です。性格の悪いバラモンはサーリープッタ尊者が激昂するだろう、その時、阿羅漢に煩悩はないというが、あなたは怒りを感じただ
「善財童子」髪と耳を最後に各部位の彫りを終えました。左足指の踏んばりを直しました。耳を彫る際に顔の幅も詰めましたが髷のカタチは未完です。腕と手も少し削りました。手の甲の厚みを減らしました。福耳が目立ちますね。両肩の向きが合わなかったため、背中の右側をだいぶ削り落としました。これから仕上げに向けて全体バランスを見直します。
「善財童子」立て続けに足を彫りました。写真では見づらいですが、足の甲から指先にかけて足全体を彫りました。後方の右足ですが、指が立ってしまっているのでもう少し寝せます。もう一度底から見てみます。足環を彫り出すのが難儀でしたが、ナギナタ刀で何とか彫れました。重心が少し後ろ側になったので底を彫り込んで調整したいと思います。
宇宙人から見たら、地球人はみんな同じ言葉を話し、同じ様子であるようです。他の民族をバカにしたり、戦争したり、差別したり、お空から見たら、あいつら兄弟同士、似た者同士、一体全体何しとるんや、と言う感じでしょう。そんなことより自分たちの居住が自分たちのせいでたくさん汚れて、もうすんでのところで住めなくなりそうな事態にもっと慌てたら良いんじゃないか、と思っていることでしょう。お釈迦様は旅の途中でとても具合が
◇仏像彫刻教室東村山中央公民館秋の文化祭彫刻展示会義村幸先生の作品展生徒さんの作品が展示会されます。11/6(金)-11/8(日)一階ロビースペース⭐︎仏像彫刻教室こちら弥勒菩薩さまつぎは阿修羅像だそうです。凄い!!ヘルシーランチはこれだけついて500円デザートもあるんです。お安いですね❣️私の不動明王は鼻がもげたり髪の毛クルクルがポロンと取れたりで仏像がどんどん小さくなります。3年生のお孫くんに見せたら僕も彫りたいと言い始めました!興味あるんだね❣️