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プリンセスプリンセスデビュー40周年を記念し今年3月にエモノートなるSONY運営?のサイトにてプリンセスプリンセスの楽曲にまつわるエピソードが募集されました。エピソード投稿し応募するとプリンセスプリンセス40周年ロゴ入りのボールペンを全員にプレゼント!という事でエピソードを投稿し応募しました。ボールペンほんとに届くんだろうか?と待っていると…どどーん!!無事にソニーさんから届きましたーっ!!正直その後公式で何の情報も告知も無く不安でしたが無事に届きましたよー
プリプリ解散後マーキュリーに移籍し1枚のアルバムと2枚のシングルを発売した中山加奈子さんマーキュリーでの佐久間正英さんプロデュース作品はこのシングルが最後となってしまいました。アルバム『Howling』からシングルカットされた通算3枚目のシングル「プルメリアの咲く場所へ」TVアニメ「BASARA」のエンディングテーマに起用され裏ジャケには「BASARA」の作者がこのシングルの為に書かれたと思われるキャラクターが載っています。真ん中は中山さんでこのアニメは見た
1997年第一弾として発売された今野さんの通算4枚目のシングル「麦わら帽子」このシングルはカップリング曲「MyDear」共にアルバム未収録なのでシングルCDで購入しないと聴けない今となってはとても貴重な曲。2曲とも失恋ソングですが詞も曲も悲しいというより暖かな前向きな曲。終わってしまったふたりの時間をその彼氏が選んでくれた麦わら帽子をかぶりながら夏の陽射し浴びて悲しいというよりもいい思い出として振り返ってる感じの今野さんらしいラブソング。カップリング曲「M
PRINCESSPRINCESSはデビュー40周年。VooDooHawaiiansは結成25周年。THEBOOMはデビュー35周年。宇多田ヒカルさんはデビュー25周年。自分はプリプリファン35周年。周年、周年、周年と今年は皆さま執念深い年ですねぇ。。。って、感じ悪い始まり方をした今回のブログ(笑)すみません。ただのダジャレでおじゃる。さてTHEBOOMの宮沢和史さん音楽生活35周年という事で購入してきました。DVD付の初回限定盤発売日1ヶ月以上前から予約
言わずと知れたPRINCESSPRINCESSの名曲「M」1988年に発売された3rdALBUM『LET'SGETCRAZY』に収録されており翌年89年に発売されるシングル「DIAMONDS〈ダイアモンド〉」のカップリング曲にも抜擢されます。この時はまだ「M」のMusicVideoは作られておらず1992年に発売された初のベストアルバム「SINGLES1987−1992」にシングルではないけれど当時もかなりの人気曲だった為に収録されそのベストアルバムの
1988年最後に発売された通算6枚目のシングルで初めてドラマの主題歌に起用された「GETCRAZY!」このシングルからMusicVideoらしい見て楽しめるような映像に。ワンコーラスの部分は当時からみて一昔前の歌番組で歌っているようなシチュエーションから始まりツーコーラスから現代(1988年当時)の5人がパーティーの準備をしてるシーンもう本来の5人の素が垣間見えるようなはしゃぎっぷり(笑)売れなかった赤坂小町時代とJULIANMAMA時代をこのメンバーで
今年3月20日発売のBlu-rayBoxにも収録されている1988年にTV「MusicLetterfromTokyoQueensofRockers」で放送された映像。「GOAWAYBOY」1988年11月4日に放送されたそうで自分はまだPRINCESSPRINCESSの存在を知らない小学生時代の番組。富良野でも見れたのかは謎ですがLIVEVIDEO『PRINCESS²PANICTOUR”HEREWEARE“』の時と同じ衣装でプリプリの演奏
これは凄すぎる😂2024年6月9日(日)@名古屋栄LIVEHOUSECIRCUS中山加奈子ソロライヴ『帰ってきた、さかえ!メリーゴーランド~ロックの日スペシャル~』ご出演:中山加奈子vo&gu(VooDooHawaiians,exプリンセス・プリンセス)千井塔子gu(speak)曽我”JETTSOUL”将之ba(VooDooHawaiians,REGINA,BlanketCherry,5X)富田京子dr(exプリンセス・プリンセス)スペシャルゲスト
1988年8月31日横浜米軍基地内ノースピアにて行われたライブ。まだ武道館公演も実現していなかった時期で代表曲の「Diamonds」も発売されていないにも関わらずチケットはわずか58分で売り切れたそうです。(OfficialBook「PrincessPrincess」に記載あり)このライブの動員数は13,000人+マスコミ関係者300人+米兵とその家族だそうで1988年8月には武道館の収容人数を上回るライブを成功に収めていたPRINCESSPRINCESS。当
PRINCESSPRINCESS1stVIDEO『PRINCESS²PANICTOUR〜HEREWEARE〜』からシングル「19GROWINGUP−odetomybuddy−」のカップリング曲でもある「WONDERCASTLE」この曲は現役時代も解散までなんだかんだとライブのセットリストに入ってる事も多く再結成のライブでも歌われていてメンバー皆さんも気に入られてる楽曲のひとつなのかなと思います。確かにライブだとノリやすい曲でサビは”L
中山さんと富田さんが雑誌で対談されているとの事で購入してきました。「昭和50年男」まさか表紙がPRINCESSPRINCESSとは思わなかったので本屋さんで見つけた時はテンション上がりましたね。ちょうど89年のアルバム『LOVERS』の時に撮られたと思われる写真。当時はよく目にしていたのでこの表紙さえも懐かしい。中身はチラッとこんな感じ。↓昭和51年生まれの自分としては1989年当時の時代背景なども鮮明に思い出される内容でした。そしてお二人のお話を読んでい
PRINCESSPRINCESS初めて市販されたビデオはこの映像のライブビデオ『PRINCESS²PANICTOUR〜HEREWEARE〜』プリプリ初のこのライブビデオは商品化を前提に撮影されたかと思います。というのも解散決定後に発売されたドキュメンタリービデオ?ヒストリービデオ?『PlatinumDays−1』でこの時の楽屋風景が収録されておりプロデューサーの笹路さんが他に演りたい曲は?とメンバーに問いかけて「WONDERCASTLE」と「FLA
1988年第ニ弾シングルは2ndALBUM『HEREWEARE』からシングルカットされた「GOAWAYBOY」資生堂のサマーキャンペーンのイメージソングにもなった中山さん作詞作曲の初シングル。当時はロックを意識した曲が立て続けにシングルになっていましたがこのMVもライブ感を出した作りになっていてこの年に発売されたプリプリのライブビデオの映像黄色い衣装の香さんバージョンとたぶんこのMV用に撮られたと思われる黒のタンクトップ?の香さんバージョンが交互に流れて
1997年から活動していたECHOESの伊藤浩樹さんと石井由希子さんのPopBand“W-VISION”1998年4月に富田さんが加入し3人編成となりアーティスト名もボーカルの石井さんはそのまま本名で伊藤浩樹さんは「いとう浩樹」富田京子さんは「冨田京子」に変更。1998年11月に3人編成のW-VISIONで初シングルが発売されました。通算3枚目のシングル「この夜を駆けぬけて」作詞は冨田さんが書かれて作曲はいとうさん残念ながら3枚目にしてこのシングルを最後に
PRINCESSPRINCESS解散後1998年に中山さんのソロ第一弾アルバムが発売されました。『Howling』先行シングル「ヴィシャス・サークル」とカップリング曲の「アンドロイド」も収録された全10曲のオリジナルアルバム。プロデューサーはシングル同様佐久間正英さん現役の頃発売されたソロアルバム『ナカヤマの一発。』は初という事でソロシンガーとしては初々しさもありましたが通算2枚目となるこのアルバムは中山さんの歌声もいい感じに脂が乗ってきてハウリングしています
1988年第一弾PRINCESSPRINCESS通算4枚目のシングル2ndALBUM『HEREWEARE』と同時発売された「19GROWINGUP―odetomybuddy―」この曲も実際のライブ映像にCDの音源を重ねたMV。「MYWILL」のMVと衣装が同じなので同じライブの時の映像なのかもしれません。「MYWILL」のMVと違うのはLiveVideo風なMusicVideoなところ。PRINCESSPRINCESSはライブを中心に活動し
解散後第一弾シングル「愛してる」そしてカップリング曲プリプリのセルフカバー「SHE」が収録されたアルバムを1996年12月に発売された今野さんそれまでは毎年12月といえばPRINCESSPRINCESSのニューアルバムが発売されていた月。1996年はあたりまえですが解散したプリプリのニューアルバムが発売される事はなくかわりに今野さんの解散後初のこのアルバムを聴きながら寂しさを紛らわしておりました。全6曲のミニアルバムでしたがプリプリでも隠れた名曲を何曲も書か
香さんのソロ作品や提供作品については一昨年のブログで書いたので香さんがミュージシャンとしてボーカリストとして参加された他のアーティストのCDをあらためて振り返ろうかなと思います。来月はTHEBOOMの宮沢和史さんの35周年記念アルバムに香さん参加してますからね。という事で今回は香さんのプライベートでも仲の良いまだ記憶に新しい渡瀬マキさん率いるLINDBERGのトリビュートアルバム『LINDBERGTRIBUTE〜みんなのリンドバーグ〜』記憶に新しいといって
今年でPRINCESSPRINCESSのファンになってちょうど35年が経ちました。1989年4月に中学1年生になったばかりの自分はその年の初夏ぐらいからPRINCESSPRINCESSという当時は珍しい女の子だけのバンドをテレビでよく見かけるようになり歌番組を見ると必ずと言っていいほど「Diamonds」が流れていました。そして当時は新曲だと思っていた「世界でいちばん熱い夏」も1989年の夏以降によくテレビで歌われていてそれまで作詞作曲者など気にもしていなかった
昨年発売のBlu-rayBOXDiamondsStoryの12枚組から1年※昨年発売のはSMEから既発売の映像ソフトをリマスターしたのをBlu-ray化したのもので(2012年再結成からのディスクは既に高画質のためBOX仕様になった感じですね✨)そして初ソフト化の特典映像もありますが…内容はみなさん周知ですから割愛します。NHK素材からの映像を集めたBOXが発売されました👏ヤングスタジオ101ジャストポップアップポップジャムそしてBSで放送されたプリプリ大百科etc.トー
PRINCESSPRINCESS40thAnniversaryDiamondsSTORYNHKPremiumhttps://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/Princess/40th/PRINCESSPRINCESS40thAnniversaryプリンセス、メンバーの出会いから40周年を記念してライヴ・フィルムを全国の映画館にて3か月連続上映決定!www.sonymusic.co.jp思いきって買いました。厚さ5.5cm4枚組重厚感す
1987年最後にリリースされたPRINCESSPRINCESS3枚目のシングル「MYWILL」このMVを初めて見たのも1992年になってからでした。やっと本来のプリプリっぽさが全面に出てきたMusicVideo。ライブでの映像を編集して作られた感じで結構好きなんですよねこのMusicVideo。パネルのようにクルクル回って画面が切り替わる所とか。初めてCMのタイアップになった曲でもあり全国放送の歌番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演し、演奏された曲でもあり
本日発売のデビュー40周年記念Blu-rayBox当然のごとく購入しました。↑裏面↑側面↑中身プリンセスプリンセスとしてデビューした1987年から1996年と再結成した2012年、2016年までのNHKの歌番組に出演した映像満載。その他にプリプリの特番「プリンセスプリンセス大百科AtoZ」とNHKで放送された1990年の“パレードしようよ!Special”ツアー横浜アリーナ公演が収録されている4枚組の完全生産限定盤Blu-rayBox。すべての映像が初め
プリンセスプリンセスの2ndシングル(1987年)。セルフカバー版の8thシングル<平成レコーディング>は89年リリース。夏が持つ煌めく季節感や高揚感を見事に捉えた疾走感に溢れる色褪せないロック・ナンバーの名曲。構成はAメロ→Bメロ→サビ。プロペラの効果音も交えAメロのバックは控えめに入り、Bメロから一気に躍動感あるバンド演奏が始まる。Bメロからサビにかけてのツボにはまったメチャ熱いパッションと疾走感は鮮烈だ。Bメロ以降に地味ながら骨太な低音で刻むギターリフがカッ
プリンセスプリンセスがデビュー40周年という事はそれこそ渡辺敦子さんもデビュー40周年。今では東京スクールオブミュージックの学校長を務めていらっしゃいますが時折ベーシストとしてイベントなどにも参加されています。そんな渡辺さんプリプリ解散後は富田さん同様主導権を握っての音楽活動はほとんどないだろうと予想しておりました。プリプリリズム隊のお二人はそれまでのように解散後はテレビやライブでもあまりお見かけする事が少ないだろうと淋しく思っていましたが今はインターネ
プリンセスプリンセスがデビュー40周年という事はやっぱり富田京子さんもデビュー40周年。富田さんはプリプリの特番でもご自身が主導となる音楽活動はたぶんない。とおっしゃっていました。解散後はドラマーとしてテレビに出演されたり作詞家として様々なアーティストに詞を提供されていました。歌が苦手な富田さんプリプリ解散の1年後に朗読CDなるものを発売。エリック・クラプトンや坂本龍一さん、山下達郎さんなどに詞を提供されたイギリスの詩人クリスモズデルさんが書いた絵本を
1987年デビュー曲に続き2枚目のシングルが発売。SONY企画の夏をテーマにしたオムニバスアルバム用に作られたこの楽曲評判が良くPRINCESSPRINCESSの2枚目シングルに大抜擢されました。MVはまだまだ本来の5人というよりか初々しさのある出来ですがシングル2枚目にして初のメンバーご自身作詞作曲の作品。これだけの名曲をこの時すでに書かれていた香さん。この頃はまだ知名度も低くレコード盤のみでのリリースだった為セールス的には日の目を見ませんでしたがライブ
プリンセスプリンセスがデビュー40周年という事はこれまた中山加奈子さんもデビュー40周年。プリプリ解散から2年後の1998年に第一弾ソロシングル「ヴィシャス・サークル」が発売されました。中山さんも解散後にSONYからマーキュリーミュージックへ移籍し通算2枚目となるシングル。プロデューサーはGLAYのプロデューサーでもあった佐久間正英さん。佐久間さんも2014年に61歳という若さで亡くなられましたが佐久間さんのアレンジカッコよくて好きでした。プロデューサーによ
プリンセスプリンセスがデビュー40周年という事は当然ながら今野登茂子さんもデビュー40周年。今現在は女子大生なので音楽活動はほとんどしていないと思いますが過去の作品をふり返って個人的な思い出を書いていこうと思います。プリプリ現役中もプリプリ解散後もメンバーの誰より早くソロ活動をされた今野さん。1996年5月にプリプリが解散して同年の10月には解散後のソロ第一弾シングルが発売されました。ソロとしては通算3枚目のシングル「愛してる」カップリング曲にはプリプリの
1987年シンコーミュージックに移籍し本来のPRINCESSPRINCESSとしての初のシングルでもありデビュー曲。メンバー自身で楽曲制作を行い始めていたがデビュー曲は作曲家の先生の曲にしなさいとスタッフに言われ泣く泣くデビュー曲は鈴木キサブローさんの楽曲に。でも作詞だけは自分達でやりたいと中山さんの詞が採用されました。これは予想ですがアイドルバンド赤坂小町時代からカメラの前では女の子を全面に出せと言われていたのかこのMVのメンバーも素の5人というよりぶりっ子