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まると学ぶ、禅の教え⑥ありのまま受け入れよう人生では好きとか嫌いじゃなく、今あるものを受け入れてやるしかないことが多いもの。柴犬まるが状況に応じて反射的にすぐ動くように。困っている人を見たら腕まくりして軽やかに動ける人でありたい。
イケる?工夫【くふう】一つのことを極めるあれこれと考えを巡らせて、よりよい方法を見出そうとすることを「工夫」と言いますが、禅では少し異なる意味合いで使われています。精進して修行に励むことを指しているのです。坐禅は「静の工夫」、掃除などは「動の工夫」といいます。一つのことに専念し、極めようと取り組む中でこそ、よりよい考えや方法が浮かんでくるのかもしれません。考えがまとまらないとき、何かが行き詰っているときは、「工夫」
実はさ・・・単刀直入【たんとうちょくにゅう】勇気を出して、ストレートに相手に言いづらいことを伝えるとき、さりげなく言おうとするあまり、遠回しな表現でわかりづらくなってしまったり、関係のない話に終始してしまったりすることはありませんか。話のポイントがぼやけてしまうと、相手は不安を抱き、あなたの真意を読み取ろうとします。それによって、余計な気遣いをさせてしまうことにもなりかねません。前置きを
あっという間だよ光陰如矢【こういんやのごとし】過去には戻れないからまるは、今年(2018年)で11歳。ときが経つのは、本当に早いものです。あなたが悩んでいる今このときも、時間はあっという間に過ぎていきます。だからこそ、一瞬一瞬を無駄にしないで。禅寺には、「ときを惜しんで修行に励みなさい」という教えを込めて、「光陰如矢」と書かれた木板がかけられています。その木版を木槌で叩いて、ときを知らせているのです。私
第4章思い切って、挑戦してみよう集中して一心不乱【いっしんふらん】やるぞ!の心意気大好きな穴掘りをしているとき、特技の遠吠えをしているとき。まるは、とっても集中しています。一つのことだけに集中し、ほかのことは何も考えないのです。何かを成し遂げようと思ったときは、よそ見をしている暇はありません。「うまくいかなかったらどうしよう」「今やっていることより、ほかのこと
「動物が出てくる禅語③」狸奴白牯却知有【りぬびゃっこをかえってあるをしる】狸奴白牯(りぬびゃっこ)とは、狸(たぬき)や牛などの動物のことです。中国の唐の時代の禅僧である南泉禅師は、次のように述べたといわれています。「この世界に『真実のもの』があるということは、仏たちでさえ気づかないが、狸や牛のような畜生のほうがよく知っている」。私たちは、何かに悩んだり、難しい問題に突き当たったりすると、「動物はいいなあ」などと言うことがあります。動物たちは
まると学ぶ、禅の教え⑤自由になればいい外から見たら大変で不幸せに見えても、不自由かを決めるのは自分自身。信念があれば何を言われても動じない。「我」にとらわれなければ、自分が置かれた場所がどこであっても、自由自在に行動できる。
動じない八風吹不動【はっぷうふけどもどうぜず】風に惑わされないで人生には、心を惑わせるいろんな風が吹いているといいます。利益を得ること。知らない間に名誉を得ること。褒められること。楽しむこと。損をすること。悪口を言われること。目の前で責められること。苦しい出来事があること。よいことも悪いことも、私たちの心を動揺させることに変わりはなく、それぞれの「風」に過剰に反応していると、心もからだも疲れ切って、自分
本当の自分一無位真人【いちむいのしんにん】比べちゃダメ同い年のあの人は、仕事では出世して、プライベートではかわいい家族に囲まれている。それなのに自分は・・・。ついついほかの人と自分を比べて、落ち込んだり、焦ったりしてしまうことはありませんか。このとき揺らいでいるのは、世間のモノサシにとらわれた仮の自分。このぐらいの年齢ならこうあるべき、幸せとはこういうもの。そんな価値観で自分を評価して、「ここが足りない」と落ち込んでいるの
いつもありがとう愛語【あいご】言葉で元気を分け合おうまるはいつも穏やかな目で人を見て、誰に対しても和やかに接しています。まるに接した人はみな優しい幸せな気持ちになります。自然と周りの人が笑顔になるのです。愛語とは、思いやりのある優しい言葉をかけること。道元禅師は、「愛語には人の人生を変えるほどの力がある」と述べました。人は、言葉によって傷つけられることもあれば、癒されることもあるのです。
捨てちゃいなよ放下着【ほうげじゃく】すべて捨て去る「放下着」とは、すべてを捨ててしまいなさい、ということ。「ついに悟りを得ることができました。自分にはもう捨てるものがありません。これからどのような修行をしたらいいでしょうか」。唐の趙州禅師は、修行を重ねた僧からこのよううに尋ねられたとき、「放下着」と言い放ち、「すべてを捨てたという思いそのものも、捨てなさい」と述べたといいます。自分が成し遂げたこ
惑わし?莫妄想【まくもうそう】考えてもしかたない「あのとき、ああしていればよかったのに」「この先こうなったら、どうしよう」。過去や未来のことを考えて、欝々(うつうつ)としてしまうことを「妄想にとらわれる」といいます。過去は変えることができないし、未来は予測通りにはいきません。どちらも、思い煩(わずら)ってもしかたのないことです。妄想に取り憑かれそうになったら、動物たちの姿を思
まると学ぶ、禅の教え④こだわりを手放そう自分を取り巻く壁を外してみよう。柴犬まるはいつだって自然体。失敗成功とか、良い悪いとか、好き嫌いに惑わされない。こだわりを手放せば、「自分が今やるべきことは何か」に集中できる。
みんな違っていい花枝自短長【かしおのずからたんちょう】自分の個性に自信を持ってまるはこれまで、日本のあちこちを旅してきました。季節とともに移り変わる景色と一緒に、たくさんの写真を撮ってきました。その中でもとくに、満開の桜は、やはり特別なもの。遠くからでは一面ピンク色に見えますが、近づいてみると、枝の一つひとつが違う長さだったり、色づき方が異なったりと、いろいろな個性が集まって、見事な桜の木
白黒つけない両忘【りょうぼう】決めない自由善と悪、正と誤、好きと嫌いなど、世の中は二者対立の構造であふれています。白黒つけたほうが、単純でわかりやすいのかもしれませんが、それによって大切なことを見落としてしまうこともあるでしょう。二者対立の構造から自由になることを「両忘」と言います。すべてにおいて完璧な善人がいないように、物事にはいろいろな側面があり、安易にこう決めつけることはできません。まるのように、自由
もともと何も持ってないよ本来無一物【ほんらいむいちもつ】失うことに怯えないでみんなの前で失敗したら、恥ずかしいな。次の仕事がうまくいかなかったら、信頼を失うかも。そんなネガティブな気持ちになることはありませんか。人は経験とともに、物やお金、評判や人とのつながりなど、いろいろなものを手にしていきます。それと同時に、「失ったらどうしよう」と不安にさいなまれてしまいます。どんな人も、何も持たずにこの世に生まれ
大阪・関西万博沼にハマっていたことで掲載できなかった続きを今週から再開いたします!自分のペースで平常心【びょうじょうしん】「いつも通り」が大事オリンピックなどの大きな大会ですばらしい成績を収めた選手が、次のように口にするのを聞いたことがありませんか。「普段通り、リラックスして試合に臨めたことがよかったと思います」。いつでも平常心で、緊張したりせずにいられたら、どんなに心強いことでしょう。南
第3章そんなに、悩まないで大丈夫だよ安心【あんしん】見えないものに怯(おび)えていない?願かけのときに目を描き入れる、ダルマさん。そのモデルとされている達磨(だるま)大師は、禅宗をはじめた人物です。あるとき達磨大師は、弟子からこう言われました。「私の不安を取り除いてください」。すると大師は「その不安とやらを私の目の前に持ってきなさい」と答えました。不安は実体のな
「動物が出てくる禅語②」百丈野狐【ひゃくじょうやこ】百丈懐海という和尚が説法をするとき、いつも聴いている一人の老人がいました。あるとき、説法が終わっても老人が立ち去らないのを見て、和尚が声をかけたところ、老人は次のように言いました。「私は人間ではありません。遠い昔、山寺の住職をしていたのですが、『修行を重ねた人でも因果の制約を受けて苦しむのか』と修行僧に尋ねられ、『因果の制約を受けない』と答えたら、野狐の姿に変えられてしまいました。そして五百回も狐
まると学ぶ、禅の教え③内なる自分に気づこう禅では「自分の心の中にすべてがある」と教える。そう考えると外へ幸せを求めようと思わない。遠くに行かなくても、幸せはここにある。今の生活に満足して、それを充実させていくことが大切。
自分らしく主人公【しゅじんこう】本当の私って?物語などで中心になるキャラクターを「主人公」といいますが、じつは、この言葉は禅語からきたものです。禅での主人公とは、「本当の自分」のこと。私たちの心の奥底にいる、変わらない自分自身のことです。唐の瑞巌(すいがん)和商は、毎日自分に向かって「主人公」と呼びかけて、本当の自分が目覚めているかどうか、確認していたそうです。私たちは普段、さまざまな役割を背負っています。親と
毎日が修行歩歩是道場【ほほこれどうじょう】いつでもどこでも、学べる「座禅をしているときだけが修行なのではなく、日常生活のすべてが修行の場である」という教えです。何かをはじめようとするとき、まずは形から入るという方法があります。しかし、形が整わなければできないと考えていると、いつまで経っても最初の一歩が踏み出せません。お金がないから、教えてくれる人がいないから。何かのせいにしていると、「できない言い訳
目立たぬように和光同塵【わこうどうじん】自慢するのではなく、役に立とう「光を和らげて、塵(ちり)と同じように暮らす」という意味の言葉です。光とは、優れている点のことで、人より秀でた能力や才能のことです。たとえ秀でた点があったとしても、それをひけらかさず、まわりと調和して、慎ましやかに生きていこうと説いています。あなたに得意なことと苦手なことがあるように、ほかの人にも得意なことと苦手なことがあります。困ってい
動いた分だけ食べよう一日不作一日不食【いちにちなさざればいちにちくらわず】頑張った分、ごはんがおいしい百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という中国の僧は、80歳を超えても畑仕事や掃除を怠らず、次のように言ったとされています。「私に何もしなくていいと言うのなら、私は何も食べません」。年老いて体が思い通りにならなくても、今の自分にできることを精一杯するべきだという、強い信念が垣間見えます。自分に役
まると学ぶ、禅の教え②当たり前の毎日を大切に「ふだんの生活が修行」とする禅では、毎日の生活はとても意味のある素晴らしいこと。すべてのことは心の置き方次第で嫌になったりハッピーになったりする。そう思えば、日々の当たり前が光り輝いてくる。
ときには流れにまかせて行雲流水【こううんりゅうすい】まわりの状況に合わせる雲や水は、まわりの状況に合わせて、その姿形を変えます。空を漂う雲は、山があるところでは二つに分かれますし、川の水は、岩にぶつかれば流れを変えます。まるたち動物だって、そうです。うまくいかないことがあったとしても、いつまでもそのことにこだわってはいません。次の瞬間には気持ちを切り替えて、楽しいこと、ワクワクすることに目を
雨の日だってあるよね晴耕雨読【せいこううどく】うまくいかない日だってある天気のいい日は田畑を耕し、雨が降れば家の中でゆっくり読書をする。昔の人は、自然に抗おうとせず、そのときどきで、自然と調和した暮らしを営んできました。その一方、現代人は天気にも時間にも左右されず、いつでも忙しく動き回っています。しかし、人は機械ではないのですから、疲れている日も、落ち込んでしまう日もあるでしょう。心の中が雨降りの日は、無理をし
満たされている?知足【ちそく】幸せはここにある動物は、不平不満を口に出したりはしません。自分を誰かと比べたりもせず、いつもありのままの状態に満足しています。一方、人間はどうでしょうか。お金や地位、能力など、どれだけ手に入れても「もっと、もっと」と思っていませんか。その貪(むさぼ)りの心から解き放たれない限り、幸せを感じることはできません。「今、この瞬間」に満ち足りていると感じ、自分の幸せに感謝す
元気ハツラツ?元気【げんき】元気の輪を広げよう人や動物、自然や物に宿る「気」が生き生きしていることを「元気」と言います。からだと心が元気だと、自然に笑みがこぼれます。誰かに話しかけたり、いろいろなことに積極的に行動してみたくなります。ちょっと元気がないな、疲れているなと思ったら、まずはからだを休めましょう。少しずつ「気」が満ちてくるのを感じたら、誰かに話しかけたり、動物や自然と触れ合ったりし
第2章笑って、過ごそうまるはいつもゴキゲン日々是好日【にちにちこれこうじつ】いつだって、いい日!まるは、いつだってゴキゲン。ときにはイヤイヤをしたり、怒ったりもするけれど、次の瞬間にはもう、笑顔になっています。その一方で私たちは、なんだかうまくいかないとき、「今日はツイていないなあ」「なんて悪い日だ」と引きずってしまいがち。雲門(うんもん)禅師という禅僧は、「どんな日も