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今日は微妙な風・・・吉本興業の岡本社長の会見が開かれた。タレントはその事務所に所属している限り社員と同じだと私は思っている。そしてタレントも一つの商品なのだ。商品には傷があってはならないし、マイナスな噂、イメージもあってはいけないのだ。「契約解除を一旦白紙に戻して・・・」との話があったが、ではどうするのだ?どんな企業でも社員が反社会的勢力と付き合いがあったと発覚した、薬物を使用していた、社長批判を公の場で発信した、SNSで呟いた・・・このようなケースはクビか自主退職
今日もいい空気・・・念願の?大学に奇跡的に通うことになった僕wしかし大学時代を思い返してみても、何も思い出が出てこないw何をやっていたんだろうかwただ来る日も来る日も練習とライブに明け暮れていた気がする。20歳の時に人生初の海外、オーストラリアに3ヶ月の旅に出かけた。本当は大好きなイギリスの音楽に触れるために、イギリスに行きたかったのだが、人生初めての海外だったのと初めての一人暮らしになるので、性格上ビビってしまった。代わりに、イギリス文化が残っている感じと親
今日もいい空気・・・「老いは完璧に近づいている過程である」と言う言葉を本で読んだことがある。僕はまだその言葉を完全に自分の物に出来ていないと感じる。願わくはまだまだ外見も若く在りたいし、年齢の話もしたく無いw何故僕は年齢の話が嫌なのか・・・それは大抵の場合年齢の話しには「もう◯歳なんだから・・・普通は〇〇だよね」って言葉が引っ付いてくるからだろう。要するに「誰かの勝手な基準で図られたくないのだ」今も昔もこれからも僕は「枠に囚われない生き方をし続け
今日もいい空気・・・いや雨模様。先日、車の暴走で沢山の人が亡くなられた。特に子供だ・・・未来ある子供の命をわざとではないにしろ大人が奪ってしまうことは非常に悲しい出来事思う。不思議なのは昔は頻繁にこんな事件や記事を見なかったことだ・・・昔にも当たり前だが老人はいたし、車もあった。加えて昔の車の方が安全装置は少なかったと思う。なのにこういう悲惨な事故が近年増加しているのはなぜなのか?食環境、医療やトレーニング技術が発達して昔より身体面でもメンタル面でも若さを保つ事ができ
今日もいい空気高校一年の時に結局、父親は再婚した・・・反対も何もなかった。「反対するなら出て行け」と言われた僕には、情けないけど選択肢などなかった。結果、前代未聞の「人生初めてのお葬式が母親で、人生初めての結婚式は父親」って経歴が完成したw徐々に家にも学校にも近寄らなくなった。音楽と当時の彼女の家に入り浸るようになった。はっきりいって堕落した人間だった。音楽活動はメンバーも見つかって、色んなオーディションに参加した。それなりに結果が出て「オーディションあらし」
今日もいい空気ウィキペディアでお尻を調べてみたwお尻の存在には動物によって色んな意味があると書いてあったが、一番印象的だったのは「伝達手段としてのお尻」お尻を使って仲間への危険を知らせる動物がいたり、昆虫類においてはミツバチの尻フリダンスが蜜のありかなどを仲間に知らせる合図になっていたり、お尻にハサミや毒針といった器官が付いていて攻撃や威嚇の役目を果たすと書かれている人間がお尻を使って伝達することはもちろんない「言葉や文字」を持ったことで他の伝達方法が必要なくなっ
今日もいい空気先日イチロー選手が引退した。色んなインタビューやドキュメンタリー番組を再度観直している。その中で何度もあった「孤独ですよ」との発言が印象的だった。ある記事でチームメイトが「イチローはチームの成績より、自分の記録しか考えていない」と言う記事も読んだ事がある。経営者も「孤独だ」と発言する人が多い。実際に私も孤独の中ですべてを考え、悩み、決断している。どちらかと言うと大勢でワイワイするのは苦手な方だ。加齢と共に少しはマシになったが、何かに取り組んで、そ
今日もいい空気高校野球で2塁にランナーが進塁した際に、バッターにピッチャーが投げる次の球のコースを教えることが「サインを盗み」として問題になった。高野連いわく「走者やベースコーチなどが、捕手のサインを見て打者にコースや球種を伝える行為を禁止する。もしこのような疑いがあるとき、審判員はタイムをかけ、当該選手と攻撃側ベンチに注意を与え、すぐに止めさせる。」とのことだ。僕にはこれが何故違反なのかわからない。試合に参加していないスタッフがスタンドから双眼鏡で覗いて打者に知らせるわけ
今日もいい空気・・・2019年3月20日のアスレチックVSマリナーズ戦にてMLBが東京で開幕となった。そこでイチロー選手は帰国した。45歳であの厳しいMLBでチャレンジし続ける男。眩しすぎる。ありがたいことにイチロー選手は2度近くで見たことがある。一度目は神戸の行きつけの牛タン屋さん。そしてもう一度が某証券会社のトークショー。TVのイメージからするとがっちりしている感じがするが、実物はかなり細く見えて小柄な感じだった。但ししなやかさや柔軟性のある体であることは、仕草からも実
今日もいい空気高校に受かった僕は今後の人生について迷っていた。一年間しっかりと勉強を頑張ったので、ある程度の高校にも行けたし、近所の人の僕を見る目も良いように違って見えた。しかし何故か僕はほっとするどころか、空虚な気持ちのままだった。「なぜだ?」要するに「周りの体裁である程度の高校に受からないといけない」というのが“とりあえずの”目標であっただけで、それは「自分自身がこうありたいと言う先が見えない将来に対する目標」ではなかったからまた道を迷ったのだ。誰
「今日もいい風」なのでお尻について検索してみたw世界一有名な下着ブランド「ビクトリアシークレット」が世界で一番モデルに求められる難関度が高いと書いてあった。有名どころではミランダカー。世界の現役有名モデル2000人から選りすぐりの数人選ばれ、「エンジェルス」と呼ばれる。下着なのでもちろん「お尻」は当たり前だが、他の基準もすごい身長176.5cm以上ウエスト61cm以下、体脂肪率は18%以下痩せすぎもダメ!もっとも重要なのは「曲線美」だそうだ。プラス性格や内面
今日もいい空気!母親が亡くなってまもなく、友達ではない奴らが次々と家を訪れた。彼らは僕が荒れると予想して、一緒に行動しないかと誘いに来たのだった。当時の僕は今と同様に団体行動が苦手だった。でも格闘技好きだったこともあり誘われて何となく入った柔道部では、出る大会は全て優勝、少なくとも入賞するかぐらい腕っぷしには自信があった。彼らからしたら、何となく目立っていている僕の存在がうっとおしかったのか、加えて母の死で荒れて、徒党でも組んだら自分達と対立する可能性があると思
昨日は大阪でモデルの撮影の仕事だった。動画の仕事で、僕は車椅子を洗浄する役柄だった。拭き方の指導、メンテンナンスのやり方、お客の目線はどこにあるのかなど普段目に触れない事に気づかせられることばかりだった。良いか悪いかは抜きとして、モデルやスタッフはお客様ではないスペースに通される。そこで色んな会社の色んな部分が垣間見える。社訓・社風の浸透度合い、挨拶などの社員教育は行き届いているか、従業員トイレは清潔かなど。これは凄く勉強になる。いい部分も悪い部分も自分
今日もいい空気!小学校5、6年生の頃だったと思う・・・僕の人生を変える出来事があった。お父さんは仕事に復帰したのはいいが、東京赴任が決まった。「病気で出世街道から外れたから、赴任するしかない」と言っていた。小学生の僕でも会社って残酷だなと思ったことを記憶している。また母も今思えばではあるが、父が病気になる前から「食べ物が通りにくいなど」と不調を訴えていた。・・・しかし、その時は誰も母の不調を気にもしていなかった。、そして母がある日病院へ検査にいった。
自分では意識した事は無いのだが、昔から何故だか「美尻だね」とか「お尻がシュッとしてますね」と褒められる事が多かった。そして何度もしつこく言われるので、何となく自分の尻を観察することが習慣になった。意識するようになって気付いたのだが、尻を見ていたらなんとなくその時々の自分のコンディションが分かる事に気が付いた。ww武道やスポーツの世界では高いパフォーマンスを出す為に「心技体」を整える事が重要だと言われている。私にとっての心技体は「ココロ、
父が倒れて以来、僕は祖母と姉と暮らしていた。誰の監視もなかったので、ランダムに数日学校に行かない日があった。誰からも注意がなかったし・・・なんとなく。夕方になると虚しくなり、「ああ、行けばよかったなあ」の繰り返し。「つまらない」「しょうもない」ってよく思っていたある日学校に行くと・・・スポーツ万能で人気者のつもりだったが、学校に行かない間にみんなから無視され始めた・・・いまで言う「いじめ」だ。学校の近くの電柱に僕の悪口が書かれていた事もあった。小学生の時の僕の支え
親戚のおじさんとおばさんが深夜の病室の前で大ゲンカを始めていた「こんな幼い大記に父親の死ぬ姿見せれるか!」「だめよ!これも現実だからしっかり見させるべきよ」僕とお姉ちゃんは何が起こったのかあまりピンと来ていなかったが・・・僕は何故か・・・「人はあっけなく死ぬんだ」「大人同士でも子供の前で大喧嘩をするんだ」の感情しかなく、人の父親か危篤なのにこいつら馬鹿じゃないの・・・そんな感情が生まれ、泣くことも慌てる事もなかったと記憶している。結果お父さんは奇跡的に助か
先日、赤坂のレストランにある商社の社長からお食事の招待があった。その際にご紹介してもらったのが「井上康生」さんだ。ユニクロのXSのウエストサイズのデニムが履ける僕だが、中学の帰宅部は草むしりが嫌で、ただプロレスできるよって意味不明な理由で始めた柔道wいつもどうり負けたくないって理由で、約1年半だけ活動して・・・3か月で初めての体重別の試合で優勝して、その後2回優勝して1回は無差別で3位四市対抗戦の代表選手にも選ばれた。確か40戦ぐらいして3回ぐらいしか負けなかった
登校拒否癖の初めての原因は今思い返すと「ハーモニカが吹けなくて、恥をかきたくない」って感じだったと思うw今の年齢での理由としてはとてもしょうもない・・・でもこの頃の自分には大きな問題で、昔の自分も今の自分も良く似た考えと行動なのだ。要するに自分ができないと思われるのが嫌だったのだ。今も自分は仕事、運動、スタイル、語学など何でも無難にできる男になりたいと本気で思っている。だから基本的にはこれと思ったら取組の姿勢は半端ない時がある。その当時はただハ
自分の幼少期の事を書きたいと思う。先にいっておくが、僕は父を世界で一番尊敬している!父に褒められたくて今も頑張っている。私は大阪の万博の近くの団地で生まれた。決して裕福ではなく、我が家はごくごく一般的な家庭だったと思う。父・母・姉と僕の四人家族だ。父はヤンマーディーゼルで働いていてとにかく厳格な父で怖かった。母は専業主婦にさせられたのだろう、何か母がミスをすると張り手をする父を何度も見たことがある。正直、当時は父の事が大嫌いだった。何回も
そこから徐々に体と精神に変化が生まれてきた。自然と腰が伸びるようになり、コルセットが必要なくなり、6年間なかったコミュニティーがうまれ、胃痛が改善され始めた。ある日先生に「もう病院にも来ないし、胃薬もいらない」と言った。「自分がそれでいいと思えるなら、それが一番正解だよ。絶対に活躍しなよ。」と言ってくれたのを覚えている。その翌日を境に胃痛はほとんどなくなり、なんと数か月後には完治した。嘔吐・眩暈から始まり胃痛、完治するのに6年の月日が流れた。途中、回復の兆しが見えず、も
最初は腰にはコルセットを巻いて参加した。人生でサッカーは一度も経験したことが無かったので当たり前なのだが、最初は全く上手くプレーできなくて・・・運動には自信あったのに・・・。高校から音楽にのめり込み、その後はサーフィンとジムぐらいしかしてこなかった。自分は、自分が想像していた以上に衰えていた。その日は足がもつれたり本当に散々だった。コケタときは周りに笑われたりもした。恥ずかしく照れ笑いで立ち上げっている自分が本当に嫌になった。40歳目前でこんな思いするのかよって・・・。「
胃痛の原因を特定してくれた内科の先生との出会いで腰も伸ばせなかった胃痛が5割ぐらい改善されたが、少し仕事でハードな状況が続いたり、たまに接待で飲んだりすると、ガツーンとまた発熱って感じを繰り返し、それが2年も繰り返した。そんな事が続くといい加減体力的にも精神的にも持たなくなってきた。そこで私はある決意をする。「もう過度な接待はしない。仕事だけで勝負してダメなら仕方ない」と意識変革を試みた。そして一番の決意は「自分の余暇を人を雇う事で買おう」と決めた。加えて何
今年で会社を立ち上げて18年になる。順風満帆な道のりでは無かったが、今は私がいなくても頼りになる仲間が会社をある程度回してくれる状況が出来つつある。本当にありがたいことだ。そんな2018年の年の瀬、私はある決意をした。自分自身の存在を形として残す為に・・・私大橋大記は”空気社長”になります。空調業界でお客様の生活環境の整備をお手伝いする中で気づいたこと。それは”良い空気は当たり前である”ということ。空調の異変を感じる時は決まってネガティブな予兆がある。暑い、寒