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〖石川県能登地方での地震による被害を受けられた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。〗義援金受付窓口↑ニセサイトではありません💦石川県のホームページのリンクを貼ってあります。力になりたいと思われたら訪問してみて下さい!みんなで助け合いましょう‼️⚫そろそろまた頑張ってみようかと、復活。⚫愛用です😉店頭よりかなり安く買える魅力🐸【第2類医薬品】フェイタスZαジクサス21枚Amazon(アマゾン)ドラゴンボールZ[お菓子チョコレート]仙豆チョコポット/バレンタインAm
12月29日朝、新東名駿河湾沼津サービスエリアのスマートICで降りて興国寺城へ。興国寺城は一般的にはそれほど有名じゃないかもですが、続日本100名城に選ばれた名城です。北条早雲が今川氏親から与えられた城で、早雲はここを根拠に堀越公方を襲うところから戦国時代が始まったとも言われます。2022年には鎌倉殿の13人絡みで訪れた願成就院で敗れた側の堀越公方足利茶々丸のお墓を発見した(「伊豆村の駅から北条の里へ」というブログに上げました。)件とここで繋がりました。駐車場は三ノ丸にあり、
欧州視察中に幕府が無くなった!将軍の弟・徳川昭武が辿った波乱万丈BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)史実の徳川斉昭は幕府を揺るがす問題児だった?青天を衝け竹中直人.続きを見る.そのせいか。世情の不安定さなどの理由で、幼い頃から水戸と江戸や京を...【日本人の足跡】「海律全書」を修得した榎本武揚肌で感じた国家存亡の危機-産経ニュース産経ニュース「幕府オランダ留学生」第4回目の紙面(2001年8月22日付産経新聞から).結論から先に言えば、榎本は当時のオランダ知識人
※こちらの記事は、平成30年8月3日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの13回目で「上条河原(かみじょうがわら)の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第
【急増する外国人観光客】原爆資料館でインタビュー!広島で何を感じた?#原爆資料館#外国人観光客#広島0:00イントロ0:15米軍岩国基地勤務アメリカ人の思い3:21イタリア人とドイツ人夫婦の感じた"違い"5:50オーストラリア人男性が学んだこと10:09オランダ人男性の見た世界史今回は、広島市の原爆資料館で、外国人観光客の方に何を感じたかインタビューをしました。外...youtu.be『広島原爆複雑性PTSD薬物治療論文が登録のスイスのデータベースOA.mgを反復し
松平信光の死後、1508年(永正五年)、今川氏親の名代、伊勢宗瑞の率いる、今川軍が、大樹寺を本陣とし、岩津城を攻めた。永正三河の乱である。伊勢宗瑞は、今川氏親の母方の叔父であり、後世、北条早雲と呼ばれる。当時、松平氏は、西三河に一族を分派して、伊勢宗瑞の本家である、京都伊勢氏に出仕していた。岩津松平氏の一族が、吉良氏及び、今川氏の麾下の国人層を圧迫していた。東三河では、今橋城主の牧野古白が、宝飯郡から、渥美郡に新たな勢力を築こうとし、渥美郡の支配力を高めようとしていた、田原
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡静岡市葵区にある「増善寺」の御朱印です。前日にお邪魔する旨を連絡をしてあったので、スムーズにご住職にご対応いただきました。ありがとうございました。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡静岡市葵区にある「増善寺」に行ってきました。今川氏親公の菩提寺です。家康公ともゆかりがあるみたいです。氏親公の歌山門本堂は閉まっており、中の様子は拝めませんでした。氏親公のお墓。境内の一番奥の高台にあります。お墓から本堂を望みます。結構上にありました。社務所には今川家の家紋。静岡市は今川家ゆかりの寺社仏閣が多いですね。歴史を感じます。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
平凡社の「中世から近世へ」シリーズでは羽柴秀吉の妻だった茶々や北条氏康の正妻だった惴渓院殿(本書の主人公・寿桂尼の娘でもある)、そして寿桂尼の夫・今川氏親の母(寿桂尼にとっては姑)であった北川殿と、戦国時代の女性を(間接的にせよ)扱ってきた著者が次に手を付けたのは大河ドラマでも戦国時代の今川家が絡むと重要人物として登場する確率の高い女性である寿桂尼でした。中御門宣胤という中級の公家の娘に生まれながら駿河の戦国大名今川家の初代当主だった氏親に嫁いだことでその法名と共に彼女の存在を後世に
こんにちはお越し下さりありがとうございます静岡市葵区向敷地「徳願寺」は小高い山の上に建立されています気持ち良く晴れた日に行って来ました山道の途中富士山が見えました~たなびく雲もほどほどで姿が良く見えるやぶ蚊に襲われながら到着温暖な静岡市には11月中旬でも蚊がいるんですよ💧木漏れ日が美しいですね去年初めて来ましたとっても気持ちいい場所だったの~静かで落ち着いた空間です御本寺・慈眼寺(福井県南条郡今庄町)創建・717年示寂・1499年3月23日開基・今川家七代氏親の母親
きょうもお立ち寄りくださり有難うございます。今回は、賎機山のふもとに位置する長栄寺に残る伝説のお話です。《井戸出現観音の由来》・・・下画像永禄10年(1568年)武田信玄が駿河に侵攻し、今川家7代目氏親が滅ぼされた。その折、賎機山の砦におられし姫君が重臣ととも狩野城麓の答提寺、慈悲山増善寺に庇護をいただくよう尾根伝いに当地へ降りられました。しかし、昔は賎機山と対岸慈悲尾(しいのう)の間がすべて安倍川の河川敷であったため、対岸まで家宝を持っては渡れなかった。
『風林火山』や『おんな城主直虎』で重要人物として登場し、戦国大名今川家の家長として存在感を発揮した寿桂尼。元は中級貴族の中御門家の生まれながら夫・氏親の晩年から政務に参画、嫡男氏輝が幼少のため家長を代行し多数の文書を発給したことで「おんな大名」と『直虎』では呼ばれていました。将軍家であれば家長としての権限を振るった女性で北条政子や日野富子が知られていますが地方大名クラスでは寿桂尼が最もメジャーな存在かもしれません。氏親の母、寿桂尼にとっては姑にあたる北川殿も夫を早くに亡くし、幼い氏
戦国時代の幕明け北条早雲公のジョーティッシュ鑑定1北条早雲公は、1代で伊豆と相模を支配する偉業を成し遂げ、五代にわたる小田原北条家の基盤を築き上げました。早雲公は、規律を重んじ秩序を求める人物でした。北条家分国法を定め、日々心掛けるべき21箇条を書き残しました。分国法の中に「礼拝を欠かさぬこと」とあり、常に正直な心を持つことや規則正しい生活を推奨しました。今回は、インド占星術から北条早雲(伊勢新九郎)公の人物像を占います。※誕生日が不明のため仮定しています1室魚座R
日曜日は、午後から、フェイスブック友達の投稿で知った切り絵の展示会をやっているという光鏡院というお寺に行ってきた。車のナビを頼りに行ったが、静岡市葵区瀬名1丁目にある。曹洞宗光鏡院は、なかなか立派なお寺で驚いた。ちょっと調べてみたら、光鏡院は、今川陸奥守一秀の菩提寺で、長亨2年(1488)僧・慧雲が開山した曹洞宗の寺ある。文明8年(1476)今川六代当主義忠が不慮の死をとげ、今川一族の間で竜王丸(今川氏親)派と小鹿範満派に分れて争いが起ると、一秀は竜王丸を補佐するため遠江から瀬名に移
夜分遅くに失礼します。最近は新型コロナウイルスの感染拡大が顕著ですね。直接関わりあう部署ではないものの、私の仕事関係でも感染者が出てきていたりと、新型コロナウイルスが足音を立ててすぐそこまで来ているという感じです。手洗いや消毒、マスクなどで感染対策を怠らないようにしていきたいと思います。さて今回は、現在の静岡県静岡市駿河区にあった城、八幡山(やはたやま)城です。八幡山城というと滋賀県近江八幡市の八幡山(はちまんやま)城が有名ですが、読み方が違います。八幡山城跡は現在の八幡神社や八幡山
今日はAmazonから3つ程の段ボール箱と、楽天からも1つ段ボールがやって来ました。おお、我が家が物で埋もれてしまう・・・どうも今一調子も良くないですけれど、恐らく糖分摂取が多すぎるせいですね。今まで、毎日クッキー二箱とアイス一個食べてましたので。やっと今日、クッキーは一箱になり、アイスは食べてないけれど、これから食べるか・・・多分wAmazon・楽天からの刺客の中身についてはちょっと置いておきまして。後、明日辺り発送されるプレバンからの刺客もですね。今月はたったの4箱ですw
現在河野行政改革担当大臣が脱却の方向で動いている判子行政に関する本で、戦国北条家関連、しかも著者は月刊レベルのペースで新刊が刊行される黒田基樹先生となれば読まないわけにはいきません。本書では現代に繋がる納税システムや行政文書の有印文書化は戦国時代を源流とし、中でも行政の仕組みが現代に残存する率も高くその中身も魁と呼ぶにふさわしい者であった北条家のシステムに焦点を当てています。要するに、判子行政の源流は伊勢宗瑞(またの名を伊勢新九郎盛時)だった、というのが本書の主張です。
俳優・緒形拳の足跡をたどる企画展開催、関連トークショーに豊川悦司も登場ステージナタリーなお11月7日には講演会「大河ドラマと時代考証-緒形拳主演『峠の群像』を素材に-(仮題)」、21日には豊川悦司とプロデューサーの貴島誠一郎が...地上波放送減少も根強い人気を持つ時代劇ファンが選ぶ名作3選ニフティニュース日本人に長年愛され、現在もNHKの大河ドラマやBSなどで頻繁に放送される時代劇。昭和の時代には、地上各局が枠を設け、多種多様な番組が存在し.秀吉が今度こそ天下取る「打
こんにちは。しかしよく降りますな・・・。ただ、本日は貴重な晴れ間も見られるので尾張から三河へ出兵。何とかネタを繋ぎます。まずは以前よりお参りしたかった岡崎市北部の岩津天神へ。ご祭神はもちろん菅原道真公。上にも駐車場があるようですが有難味が薄れそうなので蒸し暑い中階段にて参上致します。元は近くの信光明寺の一部だったようですが明治の神仏分離令によりこちらへ勧請したのだそうです。道真さんの有名な歌。まじないのようなものもありましたが怖いので
*7月6日付記事の続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回もEメールのやりとりで、テーマは「駿・遠・三の太守」戦国大名今川氏。本日は、今川氏親(うじちか,ç1471~1526)と寿桂尼の章。あんみつ“先生、文明八年(1476)に今川義忠が41歳で戦死したとき、嫡子の龍王丸はまだ3つか4つの幼少でした。今川家存続のため、家臣のあいだで義忠の従弟、駿府小鹿(おしか)荘を領する小鹿新五郎範満を、
うっちーこと宇都宮芳綱ですやっとこの時の合成のリトライをします持ち上げといて落とされる・・・当初はこれでやるつもりでした合成の確率を上げるために、戦友から素材の極限突破を提案されましたが、金は兎も角、童を素材に使うのはもったいないので、限界突破でトライすることにしましたですが、前回はこの確率で失敗しているので、結局はこうしました神光征軍は別の武将に狙いたかっただけでなく、ここでは神光征軍には付い
静岡市清水区にある、静岡市内一望できる首塚稲荷神社:「首塚稲荷神社」入口↓境内入口前からの眺望。見下ろしたところに、国道1号線、東名高速道路、JR東海道線・新幹線、静岡鉄道線が通る↓:稲荷神社の定番、赤い鳥居↓:社殿↓首塚稲荷神社の由緒に三つの言い伝えがある。1.草薙神社攝社にて草薙神社略記に。日本武尊東征のみぎり、この地で地方部族と戦ったときの戦死者の首を埋め、塚を作ったと伝えられている。また北側の谷に流れる小川を「血流川」と呼ばれている。
5/14に緊急事態宣言が解除された静岡県。県内の移動については、“3密を避けるなど「新しい生活様式」を徹底してください。”(こちら参照)とのことで、元々の生活様式が“新しい”様式に近い〝火打石〟夫婦は、関所(県境)を越えない移動ならまぁ許されるのかな…大井川を越えるけど、駿河国から遠江国へお出かけしても良いよね。という次第で17日の日曜日、夫の運転で行ってまいりました遠江国。〝火打石〟が平野美術館(浜松市中区元浜町)で「うるわしの美人画づくし」展を観ている間、夫
家督を継いだ信虎の課題は、叔父信恵の排除だけではありませんでした。武田家は甲斐国の守護職とはいえ、甲斐国内では国衆らが自立して割拠しています。武田家が戦国大名となるには、甲斐国内を平定する必要がありました。まず信虎は甲斐の中心部(国中)とは山塊で隔たる郡内地方に割拠する小山田信有を下し、姉を信有に嫁がせて姻戚関係を結びました。ところが、その信虎の動きを警戒し、上野城(南アルプス市)の城主・大井信達(のぶさと)は駿河の今川氏親(うじちか)と手を結んだのです。
うっちーこと宇都宮芳綱です2日前ですが、こんな合成にトライしましたダブりの氏親さんから六角さんにスキル追加にトライしましたドキドキしながらポチリしたらグフッ!><マジか信じられない失敗の可能性を考えないではなかったですが、この確率ならまず何かは付くと思っていました100%以外は信じてはならない!というイクサの掟を甘く見ていました氏親さんの第3候補が覇王征軍で、この合成で
うっちーこと宇都宮芳綱です天上くじが引けるようになったので、メンテ明けに息子に引かせようと思ったら見当たらずなので、代わりに娘に引かせることにしました果たして結果はグッジョブ♪('-^*)/娘よ、良くやった息子のくじ運は降下中なので、娘に引かせて正解でしたでも、氏親さんは既に持っているんですよねぇそうなると売却か素材かですが、銅銭は今の所は足りているので、素材として使ってみようかと
うっちーこと宇都宮芳綱です昨日のことですがもう少しで天上くじが引けるので、不要な極や特を溶かして引けるようにしましたんで、息子に引かせてみたらグフッ!><よりによって素材にもならない一条さんとは天の一条さんだったら大歓迎だったのに息子のくじ運降下中ですそういえば、引いた時は素材にならないと思いましたが、なりましたグッジョブ♪('-^*)/第2候補の常世虫を付けましたまあ一条さんは引いた
うっちーこと宇都宮芳綱ですそれでは天上くじの結果をアップします記事を遡って見ていただければ分かりますが、16日に天戦くじを6枚引いた後に、天上くじを4枚引きましたらグッジョブ♪('-^*)/4枚引いて新天が1枚はなかなか良い感じですねでも、氏親さんって卓越が発動すれば強いですが、不安定ということで評価がイマイチですね今度は日にちが変わって17日に引きましたグッジョブ♪('-^*)/憲政さんは盟主
本書は氏親から始まる戦国大名今川氏の成り立ちについて、氏親の家督継承が認められた文明11年(1479)から氏真が籠城していた懸川城を開城し、領国を捨てた永禄12年(1569)までの90年間の出来事を年表形式でまとめた一冊です。氏親以前の今川氏の前史や懸川城開場後の氏真の動向にも触れており、さらに事実の羅列にならないよう読み物風の叙述になるように編集が心掛けられています。今川氏は漫画『新九郎、奔る!』において主人公・伊勢新九郎盛時が終生大きな関わりを持ち続けるため、『新九郎、~